監督:青原さとし
出演:前島美江
制作:新日放/2011
URL:
場所:ノイエス朝日(前橋市)
群馬県高崎市の伝統である竹皮編(たけかわあみ)を追ったドキュメンタリー。その竹皮編からさらに材料のカシロダケや、竹皮を使ったバレン、日光下駄、羽箒を求めて映画は広がりを見せて展開して行く。
上映後に、この映画の監督の青原さとしさんと映画監督の飯塚俊男さん、美術家の白川昌生さんの対談があって、その中で飯塚さんが「最初に見た時のロードムービーのようなところが無くなってわかりやすくなった」と云っていた。ああ、なるほど。この言葉を聞いて、映画を観ていて引っかかったものが何なのかがわかったような気がした。云われる通りに、おそらく映画としてはわかりやすくなっていたのかもしれないけれど、青原さんの旧友の前島美江さんがいつの間にか竹皮編の工芸師になっていたことからはじまって、九州の福岡県八女市にしかないカシロダケを求めて映像が旅をして行き、さらに竹皮を使った他の工芸品を求めて旅をしていく過程に、車に乗った青原監督たちが繰り広げるヴェンダーズ映画のロードムービーのような雰囲気があったら面白かったんじゃないかとおもってしまったことが観ていて引っかかった部分だった。もちろん青原監督にそんな意図がなければそういったロードムービーのような映像を撮ってはいないのだろうけど、部分的に残っていた前島美江さん、芳隆さん夫婦の愚痴り合う会話や、福岡県八女市での竹林農家のおばさんとの会話などそういった車中の映像が、関西方面の竹皮商や関東方面のバレン職人、羽箒、日光下駄を求めていく過程であったら良かったんじゃないかとちょっとおもってしまった。
この映画に出て来るような工芸師の映像は、昔、文京区が作った漆塗りや水引(みずひき)の職人の映像を何度も繰り返し見たことがあった。最初はまったく関心がなかったことが、職人のきめ細やかな作業を映像で見るうちに次第に引き込まれて行ったことにとても驚いた。そんな経験から、丹念な映像の積み重ねほど面白いものはないと云うことがわかった。この映画でも竹皮編やバレンを作る過程など物凄く面白い。こういった職人芸の映像を見るといつも映像の持つはかり知れぬパワーを感じてしまう。
監督:川島雄三
出演:フランキー堺、左幸子、南田洋子、石原裕次郎、金子信雄、山岡久乃、梅野泰靖、織田政雄、岡田真澄、高原駿雄、青木富夫、峰三平、小沢昭一、芦川いづみ、市村俊幸、菅井きん、西村晃、熊倉一雄、三島謙、植村謙二郎、殿山泰司、加藤博司、井上昭文、榎木兵衛、河野秋武、二谷英明、小林旭
制作:日活/1957
URL:
場所:テアトル新宿
日本映画の中で好きな映画をあげろと云われれば真っ先にあげるだろう映画の一つがこれ。とにかくこの映画のカットとカットを繋ぐテンポが、おそらく自分の体内リズムとぴったり一致している。それに、フランキー堺→左幸子または南田洋子→石原裕次郎ら長州の志士→金子信雄や山岡久乃の相模屋、のエピソードの回し方が絶妙だ。そして、落語の知識がないので詳しいことは良くわからないのだけれど、『居残り佐平次』『品川心中』『三枚起請』『お見立て』あたりからのつまみ食いも巧いんじゃないかとおもう。落語を良く聞いている人ならわかるだろう花柳界の耳慣れない言葉も、すっと入ってくるほど脚本が良く出来ている。以下、覚えたそれらの言葉の一部。
付け馬:未払いの遊興費を受け取るため客について歩く人のこと。→相模屋のぼんぼん(梅野泰靖)が吉原で遊んできて、金が払えなくて付け馬が一緒に付いてくる。
お茶っぴき:その日の内に指名が一人もいない遊女のこと。→子持ちの遊女とか顔にあざのある遊女はなかなか客が付かなくて、岡っ引きに「お茶っぴき」と言われる。
板頭(いたがしら):遊廓で一番指名が多い遊女のこと。名前の書いてある札が一番右にあることから。→おそめ(左幸子)とこはる(南田洋子)は板頭を張り合っている。
宵勘定:遊廓で初会の場合に宵のうちに支払う前勘定のこと。→番頭の喜助(岡田真澄)は居残り佐平次(フランキー堺)に「宵勘定でお願いします」と言う。
北国(ほっこく):品川の「南国」に対して吉原は「北国」。→相模屋楼主伝兵衛(金子信雄)は義理の息子(梅野泰靖)に「そんな北国で遊んできた金は払えません」と言う。
あんどん部屋:遊興費を払えない客を閉じ込めておく部屋。→居残り佐平次(フランキー堺)はお金が払えなくてあんどん部屋に入れられる。
こんな郭言葉が飛び交うシチュエーションも面白いし、高杉晋作が作ったと云われる「三千世界の烏を殺し、主と朝寝がしてみたい」の都々逸の使われ方も楽しい。そして、日本映画の歴史に残るだろう居残り佐平次の名セリフ。「こちとら、てめえ一人 の了見で生き抜いてきた男だ。首が飛んでも動いて見せまさぁ」。ああ、何から何まで、大好きな映画だ。
監督:グレッグ・モットーラ
出演:サイモン・ペグ、ニック・フロスト、セス・ローゲン、クリステン・ウィグ、ジェイソン・ベイトマン、ビル・ヘイダー、ジョー・ロー・トゥルーグリオ、ジェーン・リンチ、シガニー・ウィーバー、ブライス・ダナー、ミア・スタラード、ジョン・キャロル・リンチ、デヴィッド・ケックナー、ジェシー・プレモンス、ジェフリー・タンバー、ルーク・ジャクソン、ジャスティン・リード
原題:Paul
制作:イギリス・アメリカ/2011
URL:http://paulthemovie.jp/
場所:池袋シネリーブル
自分にとってのジョージ・ルーカスの『スター・ウォーズ』やスティーブン・スピルバーグの『未知との遭遇』は、今まで観てきた映画の中でも特別な意味合いを持つものなので、年齢がちょっと若く、育った環境もイングランドとまったく違った境遇にありながら、おそらく同じような思いを持っていると思われるサイモン・ペグとニック・フロストにまったく同調してしまう。全体的にはスピルバーグ映画へのオマージュが満載で、人間の機能を蘇生させるところはロン・ハワードの『コクーン』を思わせ、『宇宙大作戦』や『エイリアン2』や『バック・トゥ・ザ・フューチャー』などの小ネタでちょこちょこ笑わせてくれるところは最高だった。他にもこんな感じでいろんな映画を使った小ネタが満載。
しかし、だ。やっぱり"Get away from her, you bitch!!"はシガニー・ウィーバーが云うべきだった。もうちょっと彼女に活躍の場を与えて、しかるべき時に、充分なくらいに溜めを作って、まるで歌舞伎の見得を切るようにこのセリフを云ってくれたなら、もう、さぁーと鳥肌が立っていたことでしょう。あ、それから、「オッパイ3つだね」と云ったら「2つで充分ですよ」と云って欲しかった。
監督:園子温
出演:染谷将太、二階堂ふみ、渡辺哲、諏訪太朗、川屋せっちん、吹越満、神楽坂恵、光石研、渡辺真起子、モト冬樹、黒沢あすか、堀部圭亮、でんでん、村上淳、窪塚洋介、吉高由里子、西島隆弘、鈴木杏、手塚とおる、清水優、新井浩文、矢柴俊博、木野花
制作:「ヒミズ」フィルムパートナーズ/2011
URL:http://himizu.gaga.ne.jp/
場所:ユナイテッド・シネマとしまえん
震災のあと、やたらと人と人との「絆」を大切にしろとか云い出して、でもそんなことは普段大切に出来ていないわけで、いつもは隣りの生活音がうるさいとかゴミ出しの仕方がなってないとかそういう細かなことに目くじらを立てて相手に不快な思いをさせているのに、大きな地震があったらすぐに過去の所業はすべて忘れて隣人との「絆」を大切にしましょうと云われたって、それはただ単に自分の我を押し隠して上辺だけをつくろえって言ってるにすぎないんじゃないかと、そう云うひねくれた考え方しか思い浮かばない人間にとっては良い映画だった。
それに、東日本大震災後の瓦礫となった街を使った撮影も映像としてインパクトがあって、ここまで時事ネタを速攻取り入れた日本映画が今までにあっただろうかと関心してしまう。おそらく人によっては、震災地での撮影なんて、震災後のTwitterでも良く使われた“自粛”すべきなんだろうけど、でも“自粛”っていったい何やネンと、ぶった切っているところも気持ち良い。
でも、そこまですべてにおいてアンチテーゼとするのなら、ラストの染谷将太と二階堂ふみの関係も、もっとスパッと突き放してもらっても良かったのに。観ている間に、そうなることを予測して覚悟はしていたんだけど。でもそこまでするのは、あまりにも絶望的か。絶望するのは勇気がいる。
監督:ガス・ヴァン・サント
出演:ヘンリー・ホッパー、ミア・ワシコウスカ、加瀬亮、シュイラー・フィスク、ジェーン・アダムス、ルシア・ストラス、チン・ハン、ジェシ・ヘンダーソン
原題:Restless
制作:アメリカ/2011
URL:http://www.eien-bokutachi.jp/
場所:TOHOシネマズシャンテ
ガス・ヴァン・サントが撮った『エレファント』や『パラノイドパーク』はビデオ・クリップのようなイメージ先行の映画で、下手をすると監督の自己満足だけに終わってしまって観ているものが置いてけぼりを食ってしまう映画になりがちなんだけど、なぜかガス・ヴァン・サントとは波長が合うと云うのか、彼の映画だけは最後まで気持ちよく観ることができてしまう。この『永遠の僕たち』も、どちらかと云うと『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち 』や『ミルク』のようなきっちりとストーリーを撮った映画ではなくて、『エレファント』や『パラノイドパーク』と同系統の部類の映画で、映画のオープニングからしてビートルズの“Two of Us”に乗せた映像はまったくビデオ・クリップのようだった。
こんなただのボーイ・ミーツ・ガールをスタイリッシュで奇麗な映像と音楽でつらつらと綴るだけの映画は観る人によっては“ぬるい”映画にしか映らないのだろうけれど、その映像と音楽とに運良く同期できてしまえば心地よいことこの上ない。ショートカットのミア・ワシコウスカも可愛いし、日本人の加瀬亮も出ているのでそこへの興味もあって一気に観てしまう。クレジットの最後に、2010年に亡くなったデニス・ホッパーへの献辞があるのは何故だろうと考えて、ハッと気付く。そうか、ヘンリー・ホッパーはデニス・ホッパーの息子だったんだ。確かに、似てる…。
監督:ショーン・レヴィ
出演:ヒュー・ジャックマン、ダコタ・ゴヨ、エヴァンジェリン・リリー、アンソニー・マッキー、ケヴィン・デュランド、カール・ユーン、オルガ・フォンダ、ホープ・デイヴィス、ジェームズ・レブホーン
原題:Real Steel
制作:アメリカ/2011
URL:http://disney-studio.jp/movies/realsteel/
場所:ユナイテッド・シネマとしまえん
映画の中に出て来るボクシングの試合を見ると、どうしてもリアルさが欠けているようにおもえて、もちろんリアルな試合じゃないのでそれがあたりまえなんだけど、それでもとことんリアルさが欲しくなって見ていてしらけてしまう。例えば昨年観た『ザ・ファイター』のボクシング・シーンは素晴らしかった。物凄くリアルさを追求してた。でも、それでもやっぱりリアルじゃないんだよなあ。
と云うようなことを、ボクシングなどの格闘技映画を観るたびにジレンマとしていつも抱えているんだけど、よくよく考えてみればリアルな試合って、いつもいつも白熱した面白い試合が行われるとは限らない。いや、どっちかと云うと退屈な試合が大半を占めている。とするとリアルさって、クリンチばかりしているような試合のことなんだよなあ。そんなの映画で見せられても退屈なだけだ。ああ、こんなことを考えれば考えるほど、ますますジレンマは深まるばかり。
この『リアル・スティール』のロボットの格闘シーンはもちろんCGだ。CGならば、とことん見せかけのリアルさを追求することが出来る。作り手の想像の及ぶ限りの最高の試合をイメージして、それをリアルと思わせるようなイメージに近づけることも可能だ。もちろんそのイメージが貧困ならば目も当てられない有り様になるんだろうけど、この映画はそれがなかなかイメージ豊かだった。父と子の絆の深まりなんてドラマ部分はもう邪魔で、早く次の試合をやってくれ! と渇望したくらいだった。ヒュー・ジャックマン親子のコントロールするロボット“ATOM”が次々と、まるでタイガーマスクの覆面ワールドリーグ戦のように様々なロボットと対戦して行く。それで良かった。
監督:ジル・パケ=ブランネール
出演:クリスティン・スコット・トーマス 、メリュジーヌ・マヤンス、ニエル・アレストリュプ 、エイダン・クイン、フレデリック・ピエロ、ミシェル・デュショーソワ、ドミニク・フロ、ナターシャ・マスケヴィッチ、ジゼル・カサデサス
原題:Elle s'appelait Sarah
制作:フランス/2010
URL:http://www.sara.gaga.ne.jp/
場所:新宿武蔵野館
1942年7月16日、ナチス占領下のパリでユダヤ人約1万3000人が当時のフランス警察に検挙されてドイツの強制収容所に送られたヴェロドローム・ディヴェール大量検挙事件は今までに何度も映画に登場してきた。だからまたこの映画も今までと同じようにユダヤ人のストーリーではないかとおもったら、それはこの映画のきっかけに過ぎなくて、そこからはじまる長く、辛い、重い十字架を背負った少女のストーリーだった。そしてその少女の人生を後世から追いかけるまた別の女性のストーリーだった。
この映画は、その二つのストーリーをカットバックして交互に見せることによって、彼女たちの人生だけはなくて、親が子供に繋いで行く、過去から未来への家族の系譜を鳥瞰する映画でもあった。どちらかと云うと、それがこの映画の本題だった。
映画の題名にもなっている“サラの鍵”は、この映画の中でとても重要な小道具として機能していて、二つの女性のストーリーをはじめるにあたってのパンドラの箱を開ける鍵のような役割を担っていた。その鍵によって部屋の中にある納戸が開けられるシーンは、カメラは叫ぶサラしか捉えていないのに、そこにあるだろうものがまざまざと脳裏に浮かんで来るような鮮烈なシーンだった。その後のサラと云う少女が一生背負うことになる重い十字架を視覚的に印象づける素晴らしいシーンでもあった。
映画を観ていていつもおもうのは、やはり導入部分でいかにして観るものの心を掴むかだとおもうんだけど、この映画はそれが巧かった。掴まされたら、あとはストーリーに身を任すだけ。新年1本目の映画は、なかなか拾い物の映画だった。
今年、劇場で観た映画は全部で64本(山形国際ドキュメンタリー映画祭で観た8本を含む)だった。
で、良かった映画は以下の通り。どれが一番良いかと云うと、うーん『ソーシャル・ネットワーク 』か『マイ・バック・ページ 』かなあ。
ソーシャル・ネットワーク
アンストッパブル
冷たい熱帯魚
トゥルー・グリット
ショージとタカオ
マイ・バック・ページ
CHLOE/クロエ
未来を生きる君たちへ
ウィンターズ・ボーン
マネーボール
監督:ベネット・ミラー
出演:ブラッド・ピット、ジョナ・ヒル、フィリップ・シーモア・ホフマン、クリス・プラット、スティーヴン・ビショップ、キャスリン・モス、ロビン・ライト、ロイス・クレイトン、デイヴィッド・ハッチャーソン
原題:Moneyball
制作:アメリカ/2011
URL:http://www.moneyball.jp/
場所:新宿ミラノ2
松井秀喜がフリーエージェントで読売ジャイアンツからニューヨーク・ヤンキースに渡ったのが2003年のことだった。その時のヤンキースのファーストを守っていたのが、その前年にやはりフリーエージェントでオークランド・アスレチックスからヤンキースにやって来たジェイソン・ジアンビだった。この『マネーボール』はそのジアンビや同じくフリーエージェントでボストン・レッドソックスに行ってしまったジョニー・デイモンの抜けたあとのオークランド・アスレチックスの2002年のシーズンを描いている。
オークランド・アスレチックスと云えばイチローが所属するシアトル・マリナーズと同じアメリカン・リーグ西地区。その2002年シーズンの序盤は前年からの好調を引き継いでマリナーズが好調だった。4月は10連勝を含む18勝8敗で地区1位。アスレチックスはと云えば15勝11敗とまずまずだったが5月に失速して25勝28敗になってしまう。しかし6月には8連勝が2回もあって46勝35敗になる。そして8月から9月にかけてアメリカン・リーグの新記録となる20連勝を達成する。
このように2002年のアスレチックスのシーズンは序盤にしても決してそんなに酷いものではなかった。だが、この映画の中でのボストン・レッドソックスのオーナーが云うように「最初に事を行うやつは必ず叩かれる」。はじめて“マネーボール”、つまりセイバーメトリクスの理論を実践したアスレチックスGMのビリー・ビーンは必要以上に叩かれた。セイバーメトリクスとは野球史研究家のビル・ジェームズが提唱した理論で、主に「出塁率」を重視する統計学的な理論だった。選手の過去の実績や見た目の華やかさなどはまったく無視し、冷徹なまでに「出塁率」を重視する理論。ベースボールとは、塁に出た選手をホームに向かい入れることが大前提となるスポーツだからだった。しかしそれはまるでコンピュータとばかり向かい合って人間的な感情を無視した理論に聞こえる。コンピュータと云うものが人間の社会の中で重要な位置を占めるようになって問題視されるのは必ずそこだ。コンピュータには“情”がなくて、人間には“情”がある。
この映画の中で人間の“情”を代表するのが長年メジャーに関わってきたチーフ・スカウト。コンピュータ側を代表するのがぽっちゃりオタク系のビリー・ビーンのアシスタント。この二つの対象を軸として映画は進んで行く。監督のベネット・ミラーは前作の『カポーティ』と同様に対象物をじっくりと描き出す。バタバタと映像を展開させずにしっかりと真正面から捉えている。そこが前作同様に素晴らしい。例えば、スカウト会議では選手の能力だけではなくて、彼女がブスだ、ラスベガスに入り浸ってる、なども話題にされる。反対にぽっちゃりオタク系アシスタントは選手に対してトレードの通達をするのが辛い。人間的な感情を持つもの同士の会話が単なる戯れに聞こえ、冷血漢のコンピュータ人間が人の苦しみを理解しているように見えたりと、二つのコントラストを微妙にぼかしたりしているところは巧妙だった。
そして、元メジャーの選手ではあったけれど、プレーヤーとしては華が開かなかったアスレチックスGMのビリー・ビーンの過去がフラッシュバックするところも巧い。人間の“情”が加味されたスカウトの目利きを信用しても行く行くは過酷な現実に晒され、最後は人間的な感情のまったくないボロ雑巾のように捨てられる。ハッと気が付けば高卒の40歳。GMとして成績を残せなければまたゴミのように捨てられるだろう。それならば最初から数字で割り切ってしまったほうがどんなに楽なことか。数字は決して嘘をつかないだろう。
アスレチックスのGMとしてビリー・ビーンは数字を残す。その数字からボストン・レッドソックスの巨額のオファーが来る。ここで映画は終わって、ラストにテロップでその金額の数字を蹴り、今もって貧乏球団のGMを続けていることが文字で示される。そこに流れるのは、ビリー・ビーンの娘のギターの弾き語り。数字ばかりに囚われている空しさを代弁しているような曲で素晴らしかった。
今 困ってるの
人生は迷路 恋は謎々
どうしよう 一人ではムリ
やってはみたけど
わたしは 戸惑う女の子
怖いけど 澄まし顔
答えが見えない
でも そんなの忘れよう
そして楽しもう
ゆっくり 止まって
心臓がはじけそう
だってムリ これ以上
違う人の フリなんて
愛の枯れた オバカさん
また迷ってる
パパはオバカね
パパはオバカ……
もっと野球を楽しんで
監督:ブラッド・バード
出演:トム・クルーズ、ポーラ・パットン、サイモン・ペグ、ジェレミー・レナー、ミカエル・ニクヴィスト、ウラジミール・マシコフ、ジョシュ・ホロウェイ、サムリ・エデルマン、ミラジ・グルビク、アニル・カプール、レア・セイドゥ、トム・ウィルキンソン、ヴィング・レイムス、ミシェル・モナハン
原題:Mission: Impossible – Ghost Protocol
制作:アメリカ/2011
URL:http://www.mi-gp.jp/
場所:新宿ミラノ2
今まで劇場にかかる映画としては同じでも、俳優を使った実写映画とアニメーション映画とでは別物として扱われてきた。まったく違うジャンルのものとして捉えられていて、賞を与えるにしてもこの二つの世界を一緒にして評価することは少なかった。見せ物小屋を起源とした同じモーションピクチャーなのだから、実際の俳優を使った映画でも静止画や人形をコマ撮りする映画でもその違いがあるものではないのだけれど。確かに、普通の劇映画とアニメーション映画とでは同じシークエンスを見せるにしても撮影方法が違うし、その表現方法も違って来るので、これを同じジャンルのものとして扱うことに抵抗を見せる人の気持ちもわからないでもないんだけど。ところが最近、そんなアニメーションの分野の中でも、フルCGのアニメーション映画が物凄いペースで作られるようになって来た。このフルCGのアニメーション映画は見せ方がより実写に近く、どちらかと云えばもう劇映画の分類に入れるべきものになって来てしまっている。そしてこれがもっと、よりリアルになるにつれてさらに境が分からなくなって来る。アカデミー賞の主演男優賞がフルCGのキャラクターなんて時代があながち来ないとは云い切れなくなって来た。
この『ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル』を撮ったブラッド・バード監督は、『Mr.インクレディブル』などを撮ったフルCGアニメーションの人ではあるのだけれど、やはり実写映画を撮るにしてもそこはまったく問題がなかった。最近の実写映画のアクションシーンにはCGを多用しているものも多いので、むしろ本領発揮な部分も多かった。特にトム・クルーズのアクションは、トムとジェリーやルーニー・テューンズのようなカートゥーンのような大胆さもあって、さすがにフルCGアニメーションをやって来た人の演出だった。まあ、見るべきところはそこだけ、って気もしないけど、ブラッド・バード監督の実写デビュー作としてはまずは良かったとおもう。でも次作はアニメなんだろうか実写なんだろうか? もう二つを融合させちゃえばいい。
監督:三谷幸喜
出演:深津絵里、西田敏行、阿部寛、中井貴一、小林隆、KAN、竹内結子、山本耕史、浅野忠信、市村正親、草彅剛、木下隆行 (TKO)、小日向文世、山本亘、戸田恵子、浅野和之、生瀬勝久、梶原善、阿南健治、近藤芳正、佐藤浩市、深田恭子、篠原涼子、唐沢寿明、相島一之、西原亜希、中村靖日
制作:フジテレビ、東宝/2011
URL:http://www.sutekina-eiga.com/
場所:ユナイテッドシネマとしまえん
三谷幸喜の処女作『ラジオの時間』は、古いアメリカ映画好きならではの「プログラムピクチャー」のようなおもむきを映画に取り込んで、お、やるじゃん、とワクワクさせられたんだけど、一作ごとに上映時間が延びてしまって、今回の『ステキな金縛り』はなんと142分! 長い映画が悪いわけじゃないけど、三谷幸喜が書くような脚本は、テンポよく笑わせて一気にラストに突き進む、そして上映時間は90分から100分、ってのが良いとおもうんだけどなあ。ストーリーは面白いしアイデアも良いのに、全体的に盛りだくさんすぎて間延びしてしまってるのが本当に惜しい。
今までの三谷映画と同じように今回の映画も昔のハリウッド映画へのオマージュ的なものが盛りだくさん。フランク・キャプラの『スミス都へ行く』や『素晴らしき哉、人生!』のようにあからさまに出て来るものから、オープニングの竹内結子の扮装はヒッチコックの『ファミリー・プロット』? 転落死した竹内結子を俯瞰から撮るのは『サイコ』のジャネット・リーのよう。小日向文世の役名「段田譲治」なんて絶対に『幽霊紐育を歩く』やそのリメイクの『天国から来たチャンピオン』の「Mr.ジョーダン」から来ているよなあ。
監督:デブラ・グラニク
出演:ジェニファー・ローレンス、ジョン・ホークス、ケヴィン・ブレズナーン、デイル・ディッキー、ギャレット・ディラハント、シェリル・リー、テイト・テイラー
原題:Winter's Bone
制作:アメリカ/2010
URL:http://www.wintersbone.jp/
場所:新宿武蔵野館
フレデリック・ワイズマンが撮るアメリカに興味が尽きなかったけれども、この映画でさらに興味深いアメリカの深部を観ることになるとは思わなかった。日本人の私たちが国家としてのアメリカ合衆国とひとくくりに云っても、そこには広大なアメリカがあって、ニューヨークやロサンゼルスとはまったく違う側面を見せているアメリカもあるわけで、その一つがこの映画の舞台のミズーリ州の山間部に住む人たちだった。どう見たって貧しい人たちで、どうやって生活の糧を得ているのかと云うと麻薬製造に手を出している。その麻薬に絡んだ行方不明の父親を探す娘の話しがこの映画のストーリーなんだけど、日本の田舎にもありがちな血族の繋がりだけで生活が成り立っている閉鎖的なコミュニティーの怖さが映画全体を支配していて、警察も介入しない、しないどころかグルになって自分たちの掟の下に結束している姿はまるで『悪魔のいけにえ』のようなホラー映画だった。日本が舞台ならばさしずめ横溝正史的な湿気を帯びた怖さになるんだろうけど、アメリカではチェーンソーで無理矢理ぶった切っちゃうような殺伐とした怖さだった。どっちが怖いかと云えば、やはり人間の情を感じさせないアメリカのほうだよなあ。
こんな暗澹としたストーリーの終わり方はどうするんだろうとおもったら、思い掛けないお金を得て、かすかな希望を感じさせて終わらせていた。まったく笑顔を見せなかったジェニファー・ローレンスが弟たちに見せるラストのかすかな笑顔が良かった。
メインン州ベルファスト
監督:フレデリック・ワイズマン
出演:メインン州ベルファストの人びと
原題:Belfast, Maine
制作:アメリカ/1999
URL:
場所:ユーロスペース2
『パブリック・ハウジング』ではシカゴの貧しい黒人社会にカメラを向けていたのに対して、この『メインン州ベルファスト』では歴史のある土地の中流白人社会にカメラを向けている。この二本を立て続けに観ることによって二つを対比することが出来たのが面白かった。シカゴの黒人社会ではドラッグ問題が大きな位置をしめているのに対して、ベルファストの白人社会ではそれがまったく無く、どちらかと云うと生活習慣から来るとおもわれる病いに冒されている人たちが目につく。ベルファストでは漁業、農業、工場、IT企業など様々な産業が描写されるのに対して、シカゴの公共住宅の人びとが地元の産業に大きく関わっているような描写はあまりなくて、高校生に対しては起業しろなどと云う。大きな括りとしては90年代のアメリカ社会ではあるのだけれど、細部でそれぞれのコミュニティーの地域差がはっきりと現れていた。そこが克明になるのはフレデリック・ワイズマンの撮る丹念な映像が何層にも積み重なっているからこそだった。ただ、この二つの映画を比較すると、社会的な問題を多く抱えている『パブリック・ハウジング』のほうがバラエティに富んで面白く、『メインン州ベルファスト』のほうがいくぶん平凡な生活の描写が多くて映像としての起伏が乏しかった。それでも247分もの長尺を飽きずに見させるフレデリック・ワイズマンのカメラを通しての着眼点は素晴らしいのだけれど。
監督:ダンカン・ジョーンズ
出演:ジェイク・ジレンホール、ミシェル・モナハン、ヴェラ・ファーミガ、ジェフリー・ライト、キャス・アンヴァー、ラッセル・ピーターズ、マイケル・アーデン
原題:Source Code
制作:アメリカ/2011
URL:http://disney-studio.jp/movies/mission8/
場所:ユナイテッドシネマとしまえん
一つのアイデアだけでグイグイ引っ張って行く映画を好きだったりする。一つのアイデアだけを拠り所にしているので辻褄が合わなくなってしまったりもするんだけど、そんなことはお構いなしに突っ走って行くパワーがある映画は面白い。この『ミッション: 8ミニッツ』もそんな映画だった。それに、これはダンカン・ジョーンズ監督の前作『月に囚われた男』から共通するテーマなんだろうけど、自分としてのアイデンティティの探求をこの映画にもうまく持ち込んでいて、パワーだけで押し切るような映画だけにはしていないところも良かった。
ダンカン・ジョーンズ監督が父親のデヴィッド・ボウイとどのような関係にあったのかは知らないけれど、SF寄りの映画を立て続けに2本も撮るのはやはりニコラス・ローグ監督のデヴィッド・ボウイ主演『地球に落ちてきた男』に影響するところが多いんじゃないのかなあ。『地球に落ちてきた男』も見方によっては異星人のアイデンティティの探求を描いているとも云えるし。
映画のクレジットを見ていて、ジェイク・ジレンホールの「ホール」が「hole」ではなくて「haal」であることに気が付いた。aが二つの綴りなんて珍しいんじゃないかとおもってネットを調べていたら、なんと Gyllenhaalはスウェーデンの由緒正しい家系だった。
監督:鎌仲ひとみ
出演:菊川慶子、坂井留吉、上野幸治、小笠原聡、岡山勝廣、哘清悦、苫米地ヤス子、荒木信義、荒木聖子、斑目春樹、小出裕章、ジャニン・アリス・スミス、土本典昭
制作:グループ現代/2006
URL:http://www.rokkasho-rhapsody.com/
場所:明治大学御茶ノ水地区リバティタワー1011教室
「被爆者の声をうけつぐ映画祭2011」のチケットをもらったので前から観たかった『六ヶ所村ラプソディー』を明治大学で観てきた。
福島の原発事故が起きてからずっと原子力発電関係のドキュメンタリー映画を見続けている。本も読むべきかもしれないけど、やはり原発関連について云えば映像のパワーは絶大だ。放射線のためフィルムにノイズが入っているチェルノブイリの映像やベラルーシの甲状腺ガンに冒された子どもたちの映像などは、文字で表される情報よりも多くのイメージを見るものに伝えてくれる。この青森県六ヶ所村にある核燃料の再処理工場についてのドキュメンタリーを観ても、地元の人びとに及ぼす様々な影響が広大な自然と共に提示されて、そのコントラストにえも言われぬもどかしさを映像によって感じることができる。それはNHKドキュメンタリーで「被曝の森はいま」を見ても同じように感じたことだった。
被曝の森はいま 1/5 from sonar on Vimeo.
放射線に冒されても自然は美しい。そこに住む動物たちもうまく適応してくらしている。それは何を意味するんだろうか。もし神が作りし放射線によって倒れるものがあるとすれば、それは排除されるべきものだけが取り除かれたにすぎないのではないのか、と考えたりもする。
このような映像の数々を見て、震災以降ずっと原発の是非について考え続けている。いろんな映像を見れば、どう考えてみても人間は原子の核分裂を制御する方法をしっかりと確立できていないことがわかる。それに10万年も放射線を出し続ける核廃棄物の処理方法も確立できていないこともわかる。そんなものが安全なわけがない。じゃあなぜそんな危険なものを人びとを騙して国は推進しているのか。この映画の中で斑目春樹も、上映後の鎌仲ひとみ監督が講演でも云っていたように、単純に、金(かね)がからんでいるからだ。つまり人間は欲望のかたまりだからだ。欲望のかぎりを尽くして文明を発展させて来て、それをさらに発展させようとすればそこに何かしらの破綻をきたすのは、しごく、あたりまえだ。
繁栄はもういい、だからエネルギー消費も抑えよう、と云う考え方もある。でも、マイナスに向かうことほど難しいものはない。それを行うには、今以上の微妙なバランスが要求される。そんな剣の刃渡りのようなことが欲望のかたまりである人間にできるわけがない、とはおもう。
と云うことを、ああでもない、こうでもないとずっと考え続けている。この映画を観ても、さらに沈思黙考をし続ける。
監督:ルパート・ワイアット
出演:ジェームズ・フランコ、アンディ・サーキス、フリーダ・ピントー、ジョン・リスゴー、ブライアン・コックス、トム・フェルトン、デヴィッド・オイェロウォ、タイラー・ラビーン、ジェイミー・ハリス、デヴィッド・ヒューレット、タイ・オルソン、マディソン・ベル、ジョーイ・ロッチェ
原題:Rise of the Planet of the Apes
制作:アメリカ/2011
URL:http://www.foxmovies.jp/saruwaku/
場所:ユナイテッドシネマとしまえん
子供の頃に見て、ラストシーンに衝撃を受けた映画のベスト3に絶対に入るのが『猿の惑星』だ。まあ、そんな人は多いとおもう。でもよくよく考えてみると、なぜ猿が人間を支配するようになったのかは描かれていない。原作者であるピエール・ブールが第二次世界大戦中に日本軍の捕虜になった体験から書かれた小説が元となっているので、支配が逆転することのみをコンセプトとして書かれているだけであって、そこに“なぜ”は必要なかったのかもしれない。とは云え、そこのところ気になるでしょう、と後付けで考えて作られたのがこの『猿の惑星: 創世記(ジェネシス)』だった。
こんなふうな、ヒット映画の過去なりその後を描く映画の場合、無理矢理ストーリーを作り上げているのが見え見えで、元映画の呪縛から逃れられず、まったく窮屈な映画になってしまうことが多い。ただ単純に元映画のネームバリューだけで興行収入を上げようとしている駄作が多い。でも、この『猿の惑星: 創世記(ジェネシス)』は面白かった。元映画の『猿の惑星』に束縛されることもなく(まあ、もう43年も前の映画だからね)、自由な発想を元に、CGを使ってるからこそ出来る奇抜なカメラアングルも手伝って、一気にテンポよく、てらいもなくストレートに見せてくれる映画だった。『創世記2』では生き残った人類との覇者争いかな。そうしたら、ニューヨークの自由の女神のもとで最終決戦だ。
監督:フレデリック・ワイズマン
出演:シカゴの公共住宅の人びと
原題:Public Housing
制作:アメリカ/1997
URL:
場所:ユーロスペース2
フレデリック・ワイズマンのドキュメンタリーが面白いのは、カメラが向けられている被写体である人間が面白いからだとおもう。この『パブリック・ハウジング』でも、シカゴ郊外の公共住宅に住む貧しい黒人たちが何とも魅力的だ。でも、そこに映し出される人たちは、何か特別なことをしているわけはない。電話の相手に向かってまくしたてている中年女性だったり、ドラッグを止めようとカウンセリングを受けている中年男性だったり、延々と青菜を包丁で切っている老婆の手元を追いかけているだけだったりする。ところがそれが面白い。『州議会』の時の州議員や『パリ・オペラ座のすべて』の時のバレリーナが面白いのは何となくわかる。自分たちの知らない世界を垣間見る面白さがそこにはあったからだ。ところがこの『パブリック・ハウジング』の人たちは、黒人のカルチャーやドラッグ問題はあるものの、日本で言えば高島平や多摩ニュータウンに住む人たちにカメラを向けているのと何ら変わりはなかった。それが面白い。おそらく、どんな人間でも面白い生き物なんだとおもう。その生態をしっかりとカメラに収めれば、まるで希少動物のドキュメンタリーがごとく面白いんだとおもう。そこにはもちろん、被写体のしぐさを逃さず、外さす、タイミング良くカメラで捉えるフレデリック・ワイズマンのようなテクニックは必要なんだけど。
この映画の中でもう一つ面白いとおもうことがあった。それは、アメリカは個人主義で日本は和の社会だなんて言われているのに、このシカゴの公共住宅でのコミュニティが驚くほどしっかりとしていると感じたことだった。みんな絶えず集まって話し合っている。住宅の補修の問題はもちろんのこと、女性の就職問題のこと、ドラッグから身を守ること、若くして子供を産む人が多いことから避妊の教育など、これらの話し合いがこの映画の根幹と云っても良いくらいだ。日本って、たしかに団地のコミュニティとかあるんだろうけど、どこかよそよそしい。アメリカの黒人のコミュニティのほうが人間味があふれていた。
フレデリック・ワイズマンの特集上映は11月25日まであるようだ。なんとか時間を見つけてもう何本か観ないと。6時間の『臨死』も観たいけど、まあ、それは無理だろうなあ。
監督:ポール・ハギス
出演:ラッセル・クロウ、エリザベス・バンクス、ジェイソン・ベギー、アイシャ・ハインズ、オリヴィア・ワイルド、ダニエル・スターン、ブライアン・デネヒー、リーアム・ニーソン、RZA、ケヴィン・コリガン、レニー・ジェームズ、アラン・スティール
原題:The Next Three Days
制作:アメリカ/2010
URL:http://threedays.gaga.ne.jp/
場所:シネマスクエアとうきゅう
初監督作品の『クラッシュ』が良かったポール・ハギス監督の3作目。2008年のフランス映画『すべて彼女のために』のリメイク。
サスペンス映画としては良く出来てるとおもう。ラッセル・クロウとエリザベス・バンクスが警察の追っ手から逃げおおせるかどうかの単純なサスペンスにも主人公たちに対して感情移入が出来るし。ただ、映画の序盤で、どちらかと云うと意気軒昂な妻をなだめる役割だったラッセル・クロウのおとなしい性格をもっと強調出来ていたら、リーアム・ニーソン(チョイ役だけど凄く良い!)の助言を受けてからの常軌を逸した変貌ぶりにコントラストが出てたんだろうけど。ラッセル・クロウって、ただ単純に撮っただけでも常軌を逸している人間に見えてしまうからね。それに、おもった以上に緻密な計画を立てていることが明らかにされるところは、後出しじゃんけんな感じに見えてしまうのも、いまひとつ。もうちょっと伏線があったら良かったのに。
ポール・ハギスはもともと脚本家で、クリント・イーストウッドの『ミリオンダラー・ベイビー』『父親たちの星条旗』『硫黄島からの手紙』などの脚本を手がけている。初監督作品の『クラッシュ』も自分の脚本で撮っているし、この作品もリメイクながら自分の名前がクレジットされている。脚本家としての特徴は、ちょっと複雑な構成にするんだよね。この映画も、しょっぱなにクライマックス近くの逃走シーンを持って来ている。それも誰かの死を予感させながら。そして、ばーんと3年前に戻す。でも、この死んで行く奴って、あんまりストーリーに関係ないんだよね。なんだよ、って感じ。こんなに複雑な構成にする必要はなかったんじゃないのかなあ。元の映画の『すべて彼女のために』はどうなんだろう。
監督:ジョン・カーペンター
出演:アンバー・ハード、メイミー・ガマー、リンジー・フォンセカ、ダニエル・パナベイカー、ローラ=リー、ミカ・ブーレム、ジャレッド・ハリス
原題:The Ward
制作:アメリカ/2010
URL:http://ja-jp.facebook.com/kankinmovie.jc
場所:銀座シネパトス
ジョン・カーペンターの監督作品は『ニューヨーク1997』(1981)以来ずっと劇場公開時に観てきたけど『光る眼』(1995)を最後に途絶えてしまった。なぜ大好きな『ニューヨーク1997』の続編である『エスケープ・フロム・L.A.』を観なかったのか不思議でならないのだけれど、そこでプッツり途絶えて以降カーペンター作品は観ることがなくなってしまった。でもなぜか、またTwitterの後押しか、新作を観る気持ちが盛り上がってしまった。
ジョン・カーペンターの映画の魅力は、どんなに製作費をかけようとも見た目のチープさを保ち続けるところだ。あれ? それって魅力なんだろうか? いや、魅力だ! なんでもマイケル・ベイのように派手にすれば良いってもんじゃない。それから、情報を詰め込み過ぎない、ごちゃごちゃさせない、無理な繋ぎ方をしない等々も魅力だ。そんなにこじんまりさせないでもっと派手にすれば良いのに、とおもったりする時もあるけど、いやいや、それが彼のスタイルで、絶対にそこから逸脱させない信念が貫かれている映画は見ていて気持ちいい。この『ザ・ウォード/監禁病棟』もまったく自分のペースで作っている。CG全盛の時代にも、そんなものにはまったく左右されずに、ゾンビメイクやショック演出で人を驚かせようとしている健気さ。ファンタスティック映画祭とかだったら、目に鋭利な刃物が突き刺さるシーンなんて拍手喝采だ。でも、そんなカーペンターのスタイルを知らなきゃ、つまんない映画だろうなあ。
『密告者とその家族』(アメリカ、イスラエル、フランス/2009/ルーシー・シャツ、アディ・バラシュ監督)
密告者としてイスラエルに通じていた男の家族の苦悩を描く。観ていて、なぜ男はイスラエルに通じてしまったのかが気になってしかたがなかった。でも、そこはわざと仄めかす程度(イスラエルの子どもたちを救うとか、何とか、、)だったので、映画を観ている我々も男の行動に共感するわけでもなく、妻や子どもたちが置かれる理不尽な状況にイライラさせられるだけの映画だった。
以上、3日間で合計8本の映画を観ました。良かったのは、『アルマジロ』『失われた町のかたち』『何をなすべきか?』あたりかなあ。良い、と云っても三者三様、良い、の意味合いがそれぞれ違うのがドキュメンタリー映画の面白いところ。ただ、2年前の時と比べて、扱う題材のバラエティさがなくなったと云うか、明るいものが無くなって、どんより暗いものが多くなってしまったのが残念。『何をなすべきか?』で描かれていたエジプトでも、映画祭の期間中にコプト教徒らのデモ鎮圧が起こったりして、映画の中に登場していた貧乏でも明るいアレキサンドリアの人たちは今現在、この民主化デモの中どんな暮らしをしているんだろうかとおもいを馳せたり。