
学校で友人の会話に溶け込むには、流行りのTVドラマや音楽のこととか、車の免許を取ることとか、どこそこのお店が安くて旨いだとか、誰それがつき合っていて別れたとか、そういった話題に波長を合わさなければやって行けないし、会社に行くようになればなるで、上司の馬鹿げた思いつきに愛想笑いとともに相槌を打ったり、したり顔のお得意さんには平身低頭接して話しを合わせたり、俗物の博覧会のごときまったく意味のないパーティにも出席しなけりゃならない。テレビのニュースを見れば、曽我さん一家の機内食は洋風料理と和風料理のお寿司から選べます、なんてことを面白いと思わなきゃならないし、スーパーマーケットに行けば、ポイントカードをお持ちですか? と必ず言われて、持ってません、と明瞭的確に答えなければならないし、電話を取ればマンション販売らしく、奥様はいらっしゃいますか? と言われ、いません! と答えると、旦那様ですか? って言われて、違います! って答えなければならない。
「馬鹿ほど人間関係が得意なのよ」って『ゴーストワールド』のソーラ・バーチ演じるイーニドが言う。馬鹿という表現が適切かどうかわからないけど、社会の中の“一般的”と言われる部分に何の疑いも抱かずに組みしなければ、その社会の中で人間関係を幅広く築き上げることが出来ないのは確かだ。しかし、そんな社会の中の大多数になりたくないからこそ反発してしまうのがこの映画のイーニドなわけで、“醜男”スティーブ・ブシェーミ演じるシーモアのことを「イケてる」なんて言うのは、みんながみんなイケメンやスタイルの良い美女に靡くのに対して、本当は自分の思いに反しているにもかかわらず、ただ単純に反対方向を指差しているにすぎない。そして、人と違う方向ばっかり指差して、そっちの方角ばっかり進んで行けば、いずれ人里離れた暗闇に迷い込んでしまう。
数少ない同胞だったスカーレット・ヨハンソン演じるレベッカが就職し、何の変哲もないアパートに引っ越してしまい、もてあそんだシーモアが薬漬けとなって精神に破綻を来してしまったその時に、イーニドは完全に社会から孤立する。頼れるのは、来る予定のないバスを延々と待ち続ける老人ノーマンだけだ。そんなノーマンにも、来るはずのないバスが来てしまう。もうイーニドもバスに乗らなければならない。安住の地の無いことがわかっているのに。