
レスリング、男子グレコローマン60キロ級で笹本睦(ささもとまこと)が、ブルガリアのアーメン・ナザリャンにどう見ても誤審と思われる判定で負けてしまった。その判定の時点では泣き崩れていた笹本も、試合後のインタビューでは「審判の判定だからしょうがない」というような感じの至って冷静な受け答えしている。それを聞いたフジテレビ「すぽると!」のレスリング解説者が「サムライですね」なんてことを言いだした。
そう、そう、これ、これ。
日の丸を背負って、ガチガチになって、実力を存分に発揮できなかった過去のオリンピック選手よりも、北島康介を代表するように、自分がいかに「チョー、キモチイイ!」状態になるかを求める若い奴らが増えつつある今のオリンピック選手の方が、大舞台でも萎縮せずに活躍できるのかもしれない。でも、そんな中で、おそらく日本人として、どんなに世代が移り変わってもずっと受け継がれていってしまうだろう遺伝子の一つにこの“散り際の美学”がある。どんなに理不尽な判定を下されても不平を言わずに静かに立ち去るのが日本人。その時にガタガタ文句を言うのは見苦しい。
これが韓国人だったら、ソウル・オリンピックの時のボクシング判定のように、会場の電気を消してまで抗議するかもしれない。いや、アメリカ人だったら国を挙げての抗議に出るかもしれない。ブッシュが審判団を批判するコメントを出したりするかもしれない。しかし日本人は、日本レンスリング協会が抗議文を出すとは言え、他の人種に比べればおとなしいもんだ。グッと涙をこらえて「無念なり!」
こんなことが、だから日本人はなめられるんだ、ということに繋がっていってしまうんだろうけど、まあ、その辺をどうとらえるかはとても微妙。自分としては最近、なめられてもいいんじゃないかなあ、と思うようになってきている。なめられたくないがために、相手を踏みにじるような行為をしたくはないし、結局、国と国との戦争なんて、そんな馬鹿げた意地の張り合いから始まっているような気もするし。かといって、あんまり自己を主張しないのもまずい。かえって相手に失礼だったりする。そのバランスは本当に微妙だ。日本人は、このバランスをうまく取らざるを得ない民族なんだろうなあ。