
テレ朝「ロンドンハーツ」より、梨花のお言葉。
「私はいったいどこに向かっているの!」
日テレのドラマ「たったひとつのたからもの」を見るより、このお言葉の方が胸に響く。自分もいったいどこに向かっているんだろう?
木村カエラが彼女のブログに地震雲の写真を載せていた。その雲、確かに自分も見ていた。自転車で走っている時に。ああいうのが、地震雲っていうのかな? と思ってたんだけど。それから日にちが経っているので、果たしてその雲が今回の新潟の地震と関係があるのかわからないけど。
昨日、神田の三省堂を覗くと「電車男」が紙の本になって平積みになっていた。へえ〜、本になったんだ、と出版社名を見ると新潮社だって。こういうのって、もっとあざとい出版社がやるもんだと思ったんだけど。
この「電車男」が話題になった頃、ちらっと何となく読んではみたんだけど、みんなが絶賛するほど面白いとは思えなかった。まあ、2ちゃんねるのスレッド形式の小説といったらいいのか、そんなスレッドが実際にあったのか、ただ単にそういう形式で書き下ろされたものなのかは知らないが、そういう部分は確かに面白いとは思うんだけど。もう一回、ちゃんと読んでみようかな。
「電車男」はここで全文が読める。そういうものが紙の本になる時代になってきている。
今日は文京区教育センターで子供たちとFMラジオを作る。
いまどきのコドモは、満足にはさみも使えないと言うけれど、こんなはんだ付けだって教えてあげればヒョイヒョイ出来るようになる。コツを吸収するスピードは大人の比じゃない。もちろん、中には不器用な子もいる。でも、そんな子の出現率は自分たちの子供の頃とそんなに違わないんじゃないかと思うけど。問題は誰も教えなくなったことなんじゃないのかなあ。 |
昨日は、ちょっとした関係から、有明の東京ビッグサイトで行われている国際福祉機器展H.C.R.2004に行ってみた。そこで生まれてはじめて車いすに乗ってみた。乗ったのは、スウェーデンはパンテーラ社の競技用車いすで、よくパラリンピックなどで見かけるような、車輪が斜めに付いている車いす。この車輪が斜めに付いている訳は、この方が小回りが利くからなんだそうだ。ただ、段差があるようなところを走るのは適さないらしい。
車いすを動かすには、いったいどのくらいの力が必要なのか想像したことがなかった。何となく、長時間動かすとヘトヘトになっちゃうんじゃないかとおぼろげに想像していた。ところがまったく想像と違っていた。軽い! 軽い! ドンドン前に進める。それに競技用なので、簡単にクルクル回転する。行きたいところに、スクッと移動できる。ビックリ。
パラリンピックの選手を扱ったテレビなどのドキュメンタリー番組を見ると、下肢障碍の人の場合、何年か前は普通に会社勤めをしている人が多かったりする。突然、交通事故などに遭ってしまって、車いすの生活を余儀なくされる場合が多い。おそらく、普通の生活を営んでいた頃には、車いすのことなどまったく関心がなかったのかもしれない。自分もまったくそうだ。車いすにお世話になるなんてまったく想像もしていない。でも、自転車で移動する機会が多い自分にとっては、そういう機会が訪れる確率が少しは高いのかも。今から関心を持ってみても損はないなあ、きっと。
会場を見回っていると、ふと、先日亡くなったクリストファー・リーヴのことを思い出した。彼にとって、いつのまにかに忘れ去られる存在の俳優が良かったのか、脊髄を損傷してからの活動を評価される俳優が良かったのか。人生なんて、どんなところに転がるかまったく想像だにできない。
ついにtalbyが商品化されるようだ。これでおそらくドコモとは縁切り。電話番号が変わっちゃうけど、auに鞍替えさせてもらいます。日本のケータイの、横並びのデザインにはもううんざりだから。
ところで、この「talby」って名前、ジョン・カーペンターの映画『ダークスター』から来てたんだ。そりゃ知らなかった。 http://www.itmedia.co.jp/mobile/articles/0410/13/news019.html |
24時間営業のカフェでヘンリー・ミラーの小説「北回帰線」を読んでいる男がいる。それを見て、一つ向こうの席に座っている女が「私もその本、好きだわ」と声をかける。
何気ないシーンが延々と頭にこびりついていることがある。これはそんなシーンの一つ。映画はマーティン・スコセッシ監督の『アフター・アワーズ』。男がグリフィン・ダンで、女がロザンナ・アークェット。もしかするとスコセッシの映画の中では、『タクシー・ドライバー』や『レイジング・ブル』よりもこの映画が一番好きなのかも。とにかく変梃な映画だから。変梃な映画だからこそ当を得ているとも言えるし。いまの世の中は変梃な世の中だ。
それで、そんなカフェで本を読みたいと思うのだが、日本にはなかなか該当するところがない。いわゆる喫茶店ではなくて、もっと無機質なだだっ広いカフェ。真夜中なのに煌々と灯りが点っているようなカフェ。スターバックスやドトールのような感じじゃなくて、もっと平面な感じで、テーブルが四角で、明るくて、あんまり流行っていないようなチェーン店のカフェ。アメリカ映画にはよく出てくる。
まあ、日本にはそんなカフェは無いので、マクドナルドやロッテリアで代用している。スターバックスやドトールよりも、こっちの方が無機質な感じがするから。昨日も打ち合わせの場所へ行く前に、九段下のマクドナルドでローレン・バコールの自伝「私一人」を読む。別に、一つ向こうの席に座っているロザンナ・アークェットのような娘が「用があったら口笛を吹いて」と声をかけてくれたりはしない。
小田急ハルク裏にあるタイ料理屋「ピッチーファー2th」で、バスケ氏とユニークIDの宮田氏と関心空間がらみのことで打ち合わせ。
ここの料理はなかなか、どれも旨い。それでバクバク食っていたら、この写真のもので撃沈。一気に汗が噴き出す。でも心地よい汗。 |
最近何かと話題の量子コンピュータ。このコンピュータが実現すれば、今のコンピュータでは何千万年もかかってしまう計算が1秒たらずで出来てしまうのだそうだ。ヒトゲノムの解析なんて一発だし、いや反対に、複雑な暗号も一発で解読されてしまう。アメリカのTVドラマ「24」なんかは、IDカードの解析にチマチマと時間をかけているからこそサスペンスが生まれるのに、量子コンピュータを使って1秒で「はい、内部通報者は○○です」なんてやられたらドラマが成り立たなくなっちゃう。うわぁ、そんな世界は良い世の中なのか? 悪い世の中なのか?
それでその量子コンピュータのしくみなんだけど、いろいろと調べると難しい。一筋縄ではいかない。でも、ものすごく簡単に言ってしまうと、今のコンピュータが「0」か「1」の状態(ビット)で成り立っているものに対して、量子コンピュータは「0」か「1」か曖昧な状態(キュービット)で成り立っているということらしい。つまり量子力学の世界では「0」と「1」が同時に存在していて、それを重ね合わせた状態にすると、観測されるまではそれがどんな状態にあるか予測できないという性質を応用しているらしい。あれ? 観測されるまではそれがどんなものかわからない? 京極夏彦が「姑獲鳥の夏」で言っていたような? 骨壺の中身はそれが観測されるまでは何が入っているかわからない。
まあ、粒子の世界のことを原子、分子の世界にまで飛躍させてしまうのは無理があるんだろうけど、同じ量子力学の世界での「量子テレポーテーション」なんてものはそんな飛躍に想像が膨らんでしまう。物質が瞬時の内にA地点からB地点に移動してしまう。そんな「スタートレック」的なことが粒子の世界では実現しているのだ。飛行機嫌いの自分としては量子コンピュータよりもこっちを実現させて欲しい。うん? 量子テレポーテーションは、閉所恐怖症が原因の飛行機嫌いを解消できるのか? 少なくともハエが混入したら、それを異分子として判断するプログラムをちゃんと用意してくれるんだろうね。
今日は文京区教育センターで子供たちとFMラジオを作る。
ついに
小田急ハルク裏にあるタイ料理屋「