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 2007年12月19日
 秋のソナタ
Posted by ag at 22:01/ カテゴリー: MOVIE

hostsonaten.jpg映画において、生涯のベストワンをあげよ、と言われたら、時にはフランク・キャプラの『素晴らしき哉、人生!』だったり、ビリー・ワイルダーの『アパートの鍵貸します』だったり、川島雄三の『しとやかな獣』だったりする。ちょっとマニアックに走ると、コリン・ヒギンズの『ファール・プレイ』だったり、ジョセフ・サージェントの『地球爆破作戦』だったりする。結局、自分にとって、映画のどの部分を面白く感じるのかというとエンターテインメントの部分であることは間違いないわけで、だからそこに、いわゆる芸術映画と呼ばれるものが入ってくる余地はまったくない。

でも、ただ一つだけ例外がある。それがイングマール・ベルイマンの映画だ。

映画において、生涯のベストワンをあげよ、と言われ時に、はからずも気どった行動を取ってしまった場合においてのみ、イングマール・ベルイマンの『秋のソナタ』をあげてしまう場合がある。

『秋のソナタ』は母娘の確執を描いた映画で、母をイングリッド・バーグマン、娘をリヴ・ウルマンが演じている。
7年ぶりに再会した母娘が、最初は表面的に、次第に感情的に、最後には理解し合おうと努力する過程を、クローズ・アップを多用する会話劇によって描いている。

自分にとって面白い映画とは、映画的な“動き”のある映画に他ならない。カットのつなげ方や、カメラの位置や動き、役者の位置や動き、VFXとの調和、音楽との調和。このような動的な部分に面白味を感じる。

しかしこの映画は、そのような動きが極端に抑えられている。そのかわり、セリフやモノローグがとても重要な位置を占めている。つまり映画というよりも演劇的な要素が多くを占めている。

ならば、なぜこの映画が好きなんだろうか? と自問してみる。

もう一度、イングリッド・バーグマンとリヴ・ウルマンの壮絶な会話劇を見直してみる。

一見、動きのない映画のように見えるが、その動きのないところに大きな感情の揺れを感じとることができる。たとえば、ピアノを弾くイングリッド・バーグマンをじっと見つめるリヴ・ウルマンのシーンになぜか動的な映画の興奮を覚えてしまう。カメラは固定、リヴ・ウルマンも固定、動いているのはピアノを弾くイングリッド・バーグマンだけなのに、そこにいろいろな“動き”を想像することができようにベルイマンは仕向けている。

夜中のキッチンにおける“対決”にも、そのクローズ・アップに多くの“動き”を見ることができる。目が赤く充血する、鼻が赤くなる、口が歪む。ここまで役者の表情をあからさまにできる映画も数少ない。その表情だけで映画の機微を作りだしている。

逆に、病気のもう一人の娘(レナ・ニーマン)に対して「死ねばいいのに」とイングリッド・バーグマンに言わせるシーンはカメラを引いて撮っている。今度は役者の表情が見えないからこそ、とても残酷なイメージを醸し出している。アップとロング。そこにも“動き”がある。

イングマール・ベルイマンの映画は、ハリウッド映画に比べると人間に深く入り込み過ぎるきらいがあり、それが取っつきにくい印象を受けさせる。しかし、そこには不思議と“動き”がある。それはハリウッド的な“動き”とは異質のものだが、あきらかに、動いている。その“動き”こそが、この映画を生涯のベストワンに、ごくたまにではあるが、推すきっかけとなっているのではないかとおもう。

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