

青空文庫というネーミングをいつ誰が付けたんだろうと思い返すと、ネット上の電子図書館という構想を富田さんに話したときに、その場でポンと富田さんが自分のイメージのまま勝手にネーミングしたような気がする。
世界中、何処にいても、見上げると青空がある。
青空は誰のものでもない。
みんなのものだ。
その青空に本棚がある。
そこにある本は誰のものでもない。
みんなのものだ。
そのころはまだプロジェクト・グーテンベルグのことも知らなかったし、ローレンス・レッシグなんて名前もまったく知らなかった。
だから、共有性という概念に何か深い意義を見い出した結果が「青空文庫」というわけではなかった。
ただ単純に、本を共有する場としての青空というイメージがあっただけのような気がする。
その綺麗なイメージに共感して、富田さんのネーミングにすぐに倣ったんだとおもう。
しかし、青空文庫を開設した1997年当初、青空にある本を誰もが読めるという環境は整っていなかった。
パソコンの前に座ってネットに接続するという足かせがついて回って、必ず家の中から青空を見上げなければならなかった。
シャープのザウルス、Palmデバイス、AppleのNewtonなど携帯デバイスはあったけど、そこからすぐに青空を望むことは難しかった。
そして時は流れて携帯電話の時代。
やっと、何処にいても青空を望める時代がやってきた。
でもまだ、その青空にある本はボヤけていた。
まだまだ画面が小さすぎて読みにくい。
天窓から青空を見上げているようだった。
そしてついに、その時がやってきた。
青空文庫を作ってから11年目にして、本当の意味の青空文庫を実感できる時がやってきた。
iPhoneの登場だ。
どこにいようと簡単にネット接続が出来て、好きな作品をすぐにダウロードができて、綺麗な文字で、文字の大きさも行間も自由自在、文庫本のようにページをめくる感覚で、青空文庫を読める時代がついにやってきた。
特に、「i文庫」というアプリは、明朝のフォントが組み込まれているので、数あるiPhone用青空文庫ビュアーの中でも群を抜いている。
この「i文庫」の登場で、青空文庫開設時に思い描いた「青空文庫」を90%かた実現しているんじゃないかとおもう。
感慨ひとしおです。