
前々から行こうとおもっていた山形国際ドキュメンタリー映画祭にやっと乗り込む。
ということで、1日目に観た映画は以下の通り。
『オート*メート』(チェコ/2009/マルチン・マレチェク監督)
プラハ市内の車を規制して自転車専用道路を作ろう、と訴える「オート*メート」の運動を追いかける。自分にぴったりの主題だけど、あまりに抑揚のない描写が続くので少し飽きてしまう。「オート*メート」のリーダーが交通事故で亡くなるところなど、もうちょっとインパクトを与える絵を持って来てもよかったのに。たくさんの自転車で交通を妨害してしまうなど、ところどころ過激な運動が見られるのに、全体として優しさが感じられるのは、そんな淡々とした描写の追うところが大きいのは確かなんだけど。
『アポロノフカ桟橋』(ドイツ/2008/アンドレイ・シュヴァルツ監督)
黒海に面したウクライナのセヴァストポリ湾に暮らす人々を追いかける。ペレストロイカを生き抜いたウクライナ人が現在、どのようにして自由を謳歌しているんだろう? ソビエト時代と比べて本当に幸せになったんだろうか? そして、この経済不況の21世紀に、いったいどんな生活をしてるんだろう? という疑問が前々からあったんだけど、この映画でそれが解けた。みんな生き生きとしている。人生を楽しんでいる感じ。でも、なんだか変! たがが外れてしまった感じ。中心にあった太い芯が無くなってしまった感じ。もしかするとその芯がソビエト共産主義なのかもなあ。と、変に深読みできるくらい、面白い映画だった。
『稲妻の証言』(インド/2007/アマル・カンワル監督)
1947年のインド・パキスタン分離独立から現在にいたるまで繰り返される女性への人権侵害を描く。主題の重さからすると、ビデオ・インスタレーションのようなアーティスティックな画像が鼻についてしまう。蹂躙されている女性の写真も、こんな見せ方をされては綺麗に見えてしまう。主題からして、もっと画面から残酷さがにじみ出てくるように撮るべきだろうなあ。一つの手法だとはおもうし、面白い試みだとはおもうけど。
ギー・ドゥボール特集『サドのための絶叫』『かなり短い時間単位内での何人かの人物の通過について』
『サドのための絶叫』は実験映画。最初、真っ白な画面に字幕とともに朗読のような音声のみが聞こえる。ところが、しばらく経つとぷっつりと切れてしまう。まるでフィルムが切れてしまったかのように。またしばらく経つと白い画面で音声が入る。でもまたぷっつりと切れる。その繰り返し。
はじめは映写の問題ではないかと疑うんだけど、そのうち、ははぁん、こういうもんなんだな、観客が試される映画なんだな、ということがわかってくる。そこは日本人、シーンとしている。真面目にじっと待ってる。フランスで上映した時は暴動が起きたそうだけど、自分も含めて、こういう時の日本人の対処はじっと待つのみ。最後のほうでは音声付きの白い画面も出なくなって真っ黒のままなのに、じっと待つのみ。
このまま70分続くのかとおもいきや、携帯電話に出る若い奴がいた。でかい声でしゃべりはじめる。いま、ギー・ドゥボール特集を観てるんですよ、でも真っ黒なままなんですよ、と大声でしゃべってる。それを受けて場内大爆笑。ところがそれに対して「うるせえよ!」「出てけよ!」なんて声も上がる。さらにそれに対して「いいじゃん!」という声も。
と、少しは騒動が起きたけど、まあ、小騒動でした。ただ、いま考えてみると、あの携帯電話の奴は、もしかして、さくら、だったのか? なんて気が。場内で何も起きなければ携帯電話をかけるからと、織り込み済み? だったのかもしれない。それくらい日本人は何もしないからね。