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 2005年02月24日
 お米の値段
Posted by みやこ at 14:32 / カテゴリー: 食・農・村

お米はいくらぐらいが妥当だろうか。300円の仕出し弁当や500円の天丼とかあるわけだから、米はかなり安く見られていると思う。
友人が作ったお米はキロ800円。誰もが高いと言う。無農薬無化学肥料で、用水は溜池の天水、そして棚田――もの凄い労働(量&質)が必要とされる。それも“好きだから”できる(信念があるからか)。
大久保洋子さん編著の『江戸っ子は何を食べていたか』(青春出版社、05年2月)には、「江戸の米相場」として、文政年間の記録より庶民の家計を2例紹介してのち〈それにしても、この家計を見ても米代が非常に高いことがわかる。大工の一家の場合、収入の約二三%も占めている。〉とある。
言うまでもないことだけれど、物の値段は、需要と供給をはじめ条件やら駆け引きやら統制だの好みだののなかで決まっていくはずだ。「高い」だけでなく、「安い」にも理由があり、「安い」を支えているのは低品質や搾取・収奪だったりもする。だが、そんな“悪い”ものばかりとは言い切れないことが、私をせつなくさせるのである。
棚田の米づくりの大変さへの共感といったものを都会人に求めても、応える人は少ないだろう。では、棚田等によって守られる環境(守っている側の人)に、抵抗感なくお金を払えるか。デカップリング(農業者等への直接所得補償=支払い)が本格導入される日は来るのかしらん。
さしあたって、生産者・消費者、農山村の人・都会の人が、信頼しあえる関係を築くことに努めるべし、だよね? ……それぞれの欲望が瘴気となってユラユラ立ちのぼり、相手の顔さえよく見えない、そんな気もする。

 2005年02月14日
 ITと出版
Posted by ag at 11:50 / カテゴリー: 出版社

青空文庫をはじめたのは、まず、コンテンツを持つことが重要だと考えたからに他ならない。幾ら技術力を駆使して器を作っても、その中に注ぎ込むものが無ければ、まったくの無用の長物になってしまう。エキスパンドブック・ツールキットという電子出版作成ソフトの中に流し込むコンテンツが青空文庫だったわけだ。

 2005年02月11日
 決算資料づくり
Posted by 佐久間章仁 at 14:28 / カテゴリー: 日々

2月は決算ということもあり、そろそろそのための資料づくりをしなければなりません。いつもは3月半ば頃からようやく伝票の整理などに取りかかり、2週間ほどでなんとか作業を終えていますが、毎度そのたびに思うのはもう少し早くから「計画的」にということです。パソコンの有効利用などもこれまでとくに考えてきませんでしたが、さすがに見直さなければとの思いにも駆られています。昨年秋から、友人に頼んで週一でやってもらっているパソコン教室(私とみやこさんのほかに近所の出版社の仲間も参加)の成果を出す、よい機会となるかもしれないので、ちょっと頑張ってみようかという気になっています。

 2005年02月10日
 ボキャブラリー
Posted by ag at 18:36 / カテゴリー: 本

仕事の関係で、20歳くらいの女の子たちと接する機会がある。それで、そこで感じるのは、彼女たちのボキャブラリーの無さ。まず「表裏一体」なんてのは読めない。「しおらしい」なんてのもわかるわけがない。「万障お繰り合わせの上」なんてのはもっての他だ。つまり、おそらく、あまり本を読まないのだ。いや、読む子はいるんだけど、文学というジャンルのものはまったく読まない。出て来て「世界の中心で、愛をさけぶ」や「電車男」あたり。そして、やっと、やっと江國香織。雰囲気として9割方の子は、ここ1年の間に、文学と呼べる本は読んでいないんじゃないだろうか。

別に、文学を読まないことを責めるつもりはまったくない。読まないのは、彼女たちにとっての魅力のある文学が少ないからなんでしょう。いまの時代、小さいころから五感をガンガン刺激されまくってしまっているこの時代にしては、あまりにも文学はおとなしいし、パッと見た目でその魅力は充分に伝わらない。じっくり腰を据えて取り組まなければ、これ面白いじゃん、とはなかなかならない。

このめまぐるしい世の中に於いて、速攻でその真意が伝わらなければ誰もそれに見向きもしなくなってきている。このままじゃ、誰も文学を読まなくなって行く。そうなった場合に、どうやって日本語の語彙を後世に伝達して行くんだろうか? 映画や音楽がそれに取って代われるんだろうか? 少なくとも映画版「世界の中心で、愛をさけぶ」やORANGE RANGEじゃ無理なんだろうなあ。

 2005年02月05日
 追われるように生きる
Posted by みやこ at 21:01 / カテゴリー: 食・農・村

金曜夜10時半、東京駅丸の内側北口改札で、校正ゲラを渡すべく待ち合わせをした。この辺りは他の改札より人の流れは少ないのだけれど、それでもかなりの人びとが通り過ぎてゆく。飲んだ帰りらしきグループはさほど急いではいない様子だが、残業っぽい人は概して足早だ。10時35分、ケイタイが鳴る。「今、どこにいるの?」
私たちは改札口の内と外にいて、ともかく無事会えて仕事は終わる。2人で中央線のエスカレーターを階段にして昇り、発車寸前の電車に乗った。
のんびり、ゆっくり、スローな暮らし。それはどこかにあるのだろうか。
昨年観たドキュメンタリで、私がとても心を揺さぶられたシーンのひとつ――監督である澄川嘉彦さん編著の『タイマグラ通信―映画「タイマグラばあちゃん」制作ノート』(ハヤチネプロダクション、04年8月)に収載された完成台本から紹介すると、
〈ばあちゃん「何月が一番忙しいつうことはねえがねえ、百姓は、はあ。蒔けばすぐ後を立って草を取んねえばなんねえし。(中略)冬は冬、夏は夏。毎日忙しい。こうしてお客さんがあっ時がオレの日曜だ(笑い)」〉
忙しいというのは、しなくてはいけないことに追われているから。彼我の“忙しさ”の間に横たわるものは何? ばあちゃんは笑って言う、「毎日忙しい」。

 2005年02月03日
 二極化
Posted by ag at 12:09 / カテゴリー: 出版社

最近では、音楽の曲も映画の作品もデジタル化されてCDやDVDに収められている。つまり、アナログのデータが量子化されて、2進数のデータとしての「0」と「1」だけに変換されてしまっている。もちろん、デジタルカメラの写真も、電子メールの文章も、携帯電話の会話も、みんなみんな「0」と「1」だけの世界だ。

そんな2進化の波はデジタル機器だけにとどまらず、なんとなく、私達の日常生活にも波及しているような気がする。「Yes」か「No」かとか、「貧」か「富」かとか、「勝ち犬」か「負け犬」かとか、必ずそのどちらかに分類されてしまうような気がする。その中間に存在するモノはいったいどこに行ったんだろう? 「0.5」あたりにうろつくのが日本人の得意分野だったのに。

出版業界も、大規模なものと、小回りの利く小規模なものとに二極化しはじめているような気がする。真ん中当たりに存在する中規模なモノが今一番大変なんでしょう、おそらく。