小さな出版社の日々
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 2005年08月10日
 仮称「砂アサリ」に思う
Posted by みやこ at 02:29 / カテゴリー: 食・農・村

たとえば、アサリの味噌汁に蓋の閉まったままのアサリが入っている。取り出して、こじあけると砂がぎっしり。面白かった。
2つ目の目玉焼きでちょっと得した気持ちになったり、しらす干しに混ざっている小さな蟹を発見して嬉しくなったこともある。炊き上がったご飯の中の小石は、食べる前に気づけば、何だか不思議な感じがして、それはそれで楽しかった。

こうしたことが、いつからか無くなった。少なくても大手スーパーで買ったものなら、完全に無くなったのではないか。なぜか? 食品に対する消費者の見方が厳しくなったのが第一の理由? それに応えようという科学や技術の進歩があるということか。
ま、しばらく前に、死んだアサリを排除する機械だかを大学だか水産試験場の先生が開発したという話をラジオで紹介していて、アサリ漁業者が「あれだったら、私らの(選別技術のほうが)上だ」とコメントしていたから、先進技術と“問題の排除”を結びつけるのは短絡しているかもしれないけれど、やはり科学や技術の進歩が関係している気がする。

科学・技術が進歩したから可能になった、だからやる、それでいいのかしら。お米がかびることが無くなったのは、乾燥技術のせい? 虫が湧くってことも無くなった。別にお米に農薬を入れたりしているわけじゃない。(虫やネズミが「湧く」って表現すごいよね。)

人が、人にとって完全なものを求めることってどうなんだろう。有害なもの、邪魔なもの、目障りなもの、あっては欲しくないものを排除する感性は、日々培われているように思う。近年だんだん「排除の感性」が育っている、私のなかで、あなたのなかで。と思うのは考えすぎ? 食卓に上るアサリの原産国を問題にするより、砂アサリ(仮称)のことを考えたい、このごろの私です。