小さな出版社の日々
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 2007年08月16日
 「日本語の無料使用」を読んで
Posted by みやこ at 17:01 / カテゴリー: 日々

作家の柴田翔さんが、新聞コラムで、「日本語の無料使用」と題して著作権の保護期間延長問題に言及された(日経新聞07年8月14日夕刊)。

〈著作権のもとである作品は、決して無の空間から生成する訳では無い。〉として、〈無数の作品で構成される宇宙〉をイメージされている。そして、〈私たちは〉過去の日本人が〈作り上げてきた日本語、その表現力を無料使用して、作品を書いている。〉と。
保護期間を死後50年から70年に延長しようという動きについては、これまで何人かと素朴に話し合ったが、反対を表明している人を除けば、「延長がいいかどうかは分からないけれど、作品をつくった人の権利は、あくまでも尊重すべきだ」というのが主流派だったように思う。20年延ばすことが権利を尊重することになるとは思えないのだが、私の理解&説明不足で、なかなか話がすすまない。
深夜帰宅してボーっと、このコラムを読み始めて、どんどん頭がすっきりしていく感じがした。長い引用は、短文なのに失礼かとは思うが、ここに最後の段落を引かせていただく。
〈死後五十年も経てば、作品を古来からの広大無辺な日本語世界の時空の片隅に、長年の無料使用をお詫びしつつ、そっとお返ししてもいい頃ではあるまいか。〉
権利という言葉は、誰がどう使うかによって、中身は微妙に違ってくる。おおざっぱに、くくって言えば、保護されうる利益、それを持つ力ってこと、かな。印税生活と無縁な“私たち”までもが、70年延長を望んで、いったい何を保護しようというの? 数え切れない死者たちが遺したおびただしい作品がある。それが、作品として生き続けていくことこそ死者の、おそらく大多数の作者の望みではないか。延長は、作者とその遺族の権利を守るかのようであって、かえって、そうした願いを踏みにじることに繋がるのだと思う。私は、〈そっとお返し〉することを尊びたい。