水牛だより

2003年12月1日

ときに大長編小説というものが無性に読みたくなります。去年の夏に『大菩薩峠』を読み始めたものの、秋に病人が出たため第5巻の途中でストップしてしまいました。大水で流された家の屋根にのったままの盲目の机竜之助はどうなったのだろう。そろそろ続きを読もう。
小説のタイトルにもなり、物語の冒頭で机竜之助が最初にひとを斬るのが大菩薩峠。学生だった最後の春、山登りの好きな友人がその大菩薩峠に連れていってくれました。だからわたしは峠がどのようなところなのか知っています。まだ雪の深い南アルプスの山々が間近にそびえていて、峠も2000メートルに近い高度。竜之助はそこに博多の帯に黒の着流しでやってきて、意味なく巡礼の老人を斬る。リアリズムとは無関係な小説です。
ことしになって、その友人からメールが届きました。昔話のひとつとして大菩薩峠に行ったことを話題にすると、いや、あれは丹沢のヤビツ峠だったはずだ、と彼は主張するのです。記憶というのはこんなものなのかもね、とそこは意見が一致して、くい違いはそのままにしてあります。だからアレは大菩薩峠だったのです。
中里介山は権力も財力も持たず、大菩薩峠の東京側にあたる奥多摩の家に印刷機を持ち、雑誌や自分の作品を出版していました。いいなあ。その家は公開されているらしいので、そのうち出かけてみようと思っています。

 →青空文庫の「大菩薩峠」(公開は文庫本の6巻まで)
 →ちくま文庫全20巻セット(わたしはこちらを読んでいます)

「水牛のように」を2003年12月号に更新しました。
30日のお昼のニュースでイラクで日本人が銃殺されたことを知ったとき、真っ先に佐藤真紀さんはだいじょうぶなのだろうかと思いました。ほんとうに「世の中、間違っている」

「水牛の本棚」は藤本和子「たましずめの歌」です。
「女たちの同時代――北米黒人女性作家選」第二巻「獅子よ藁を食め」(エリーズ・サザランド、藤本和子訳)について。
森崎和江さんの巻末エッセイにはこうあります。「未来へむけて、核兵器をもつ地球の支柱となるものは、兵器による自衛ではなく、科学の発展でもなく、ハブルシャムかあさんの体温のような人間性の世界的規模に於ける確立しかない。が。それへの道程は、単純ではなく、単一な方法論では手がつけられない。はっきりしていることは、きのうまでに体験した手段のすべては、その使命は終わっているということである。そしてまた人間たちは、それぞれが踏んできたきのうまでの歴史を土台にすることなく、明日という文明の扉は引きあけられない。いっせいにスタートに立って歩き出す鳥のように、晒されている同時代のわたしたちは、先達のいない時空へむけて歩かねばならない。事実、先輩がいないのである。たとえ心のくにへ回帰しひとときの呼吸をしようとも、その幾千年の先祖たちの血と汗を抱きしめて浮上するほかにない。その中に、先人の生の確かな手ごたえのあることを自ら確かめて、自分自身に立つことを告げるほかにない。」
残念ながら日本語の「獅子よ藁を食め」は絶版です。
でも英語のペーパーバックは手に入ります。

「水牛通信電子化計画」は1986年8月号を公開しました。

ことしはCDの新作を出せずにおわります。来年は今年のぶんも含めて、いくつか世に送りたいと思っています。発売が具体的になったらお知らせしますので、待っていてください。
水牛のCDはウエブでの販売が基本ですが、↓でも手に入ります。
・タワーレコード新宿店
ザリガニヤ(札幌)
・ホワイトエレファント(姫路)
タワーレコードは説明の必要なしですね。ザリガニヤとホワイトエレファントの店主はミュージシャン、本もCDも、新しいのや古いのや、店主の個性で集められているのだろうと想像しています。爆発的に売れるということはなさそうですが、置いてもらえるのはうれしい! 近くにお住まいのかたはぜひお訪ねください。

それではまた来年! よい年をおむかえください。(八巻美恵 suigyu@collecta.co.jp)
















e-mail info@suigyu.com

水牛だよりへトップページへ

水牛だより2008年へ
水牛だより2007年へ
水牛だより2006年へ
水牛だより2005年へ
水牛だより2004年へ
水牛だより2003年へ