水牛だより

2004年12月1日

カラワンのツアーが終わったあと、ひとりで一週間ほど残っていたモンコンを誘って、アルタイを代表する歌手ボロット・バイルシェフのコンサートに行きました(11/19トッパンホール)。巻上公一さんがあれこれ工夫して、ボロットを毎年のように招いています。労は多い、でも楽しみも多いのだと思います。
モンコンは小学生のころに、タイ人はアルタイからやってきた民族である、と習ったといいます。いまでは異なった学説もあるので、信じているひとはあまり多くないようですが、それでもアルタイとはタイ人にとって伝説的な土地の名前です。民族としてのアルタイ人は8万人くらい、と話すボロットに、それじゃあタイに来ればいい、子孫がたくさんいるよ、とモンコン。ボロットは二弦のトプシュール、モンコンは三弦のピン、伝統楽器を弾くという共通点もあって、雨の夜は思いがけず楽しいものになったのでした。

「水牛のように」を2004年12月号に更新しました。
森下ヒバリさんとはカラワンの東京でのコンサートで会いました。会ったのはそのときがはじめてというわけではないのですが、かわいらしくて便利な『カラワン・ソングブック』に編集者として彼女の名前を見たとたん、ふと正気になって、原稿を頼もう、と思ったのでした。『陽気なタイランド――アジアの子どもに帰る旅』は森下さんの今月の原稿のように、やわらかさのなかにすっきりと芯の通った本です。
本は中身とともに、その姿が大事です。わたしの製本の師匠(と勝手にそう呼んでいる)、四釜裕子さんが書いているように、「本のかたち」の超人的な移動能力、を思ってみてください。本の姿としての製本を少し意識してみれば、四釜さんのレポートはすぐにカタチとなってリアルに感じられるはずです。

「水牛の本棚」はミラノに暮らす杉山洋一さんの「ミラノ日記」を。
TTZという電子ブックの編集と製本(!)は浜野智さんによるものです。浜野さんの推薦のことば。「杉山さんの日記の美質の1つは「静かさ」にある。押しつけがましい自己宣伝、自己暴露の類はかけらもなく、淡々と記述されていく。そして、その中に「人間をつかみとる確かな眼」がある。いかにも音楽家らしく、文章の「音(おん)の美しさ」もきわだっている」。

ことしはじめに公開した片岡義男さんの詩のコーナー「メントール・ユーカリプト」もひさびさの更新です。加わった2つの詩は詩集『yours』に載っている、と気がつく人がいるだろうと思います。でもまったく同じではありません。片岡さんがどこかを書き直したものなのです。これからは毎月少しずつ加えていけそうです。楽しみにしていてください。

高橋悠治さんの本とCDがいくつか発売になっています。
『音の静寂 静寂の音』はウエブ上の書庫から浜野智さんが一冊にまとめたものです。すばやい編集の精神をまなばなくては。
『けろけろころろ』は富山妙子さんと作った絵本。カエルたちのカエル語による、ある日の夕方から夜明けまでのおはなしです。ピアノ演奏のシングルCDが付いています。
CD「ゴルトベルグ変奏曲」については説明の必要はありませんね。ことしの夏まっさかりの頃の録音です。

最後にお知らせをひとつ。
「まぎれ野へ」の発売を記念して、木村迪夫さんの朗読会をします。来年1月22日(土)午後2時から、四谷の近畿大学ギャラリーで。ゲストもあり。詳しくは来月お知らせします。真新しい手帳に予定を書き込んでおいてください。

それではまた来年!(八巻美恵)




2004年11月1日

10月30日、カラワンの東京でのコンサートに行きました。caravanをタイ語で読むとカラワンなのです。その名のとおりに終わりのない旅を続けて、バンドはことし結成30周年を迎えました。それを記念して、今ではあまりいっしょに演奏することのないオリジナルメンバー4人そろっての来日です。
最初はモンコンの「ピンのうた」でした。ピンはいつもモンコンが弾いている東北タイの三弦の楽器で、彼の娘の名前でもあります。「人生はピンを奏でるようなもの/音色にあわせ弦にあわせて流れていく/この心 この手で 奏でていく/暮らしは音楽とともにある/ピンの音は誠実と平等を伝えるもの……」(作詞ウィサー・カンタップ)以前紹介したモンコンのCDブックによれば、「『ピンの歌』はリクエストが一番多い歌だ。あちこちのコンサートで「聴いていると元気が出る」とか「歌い手の人生が伝わってくる」とか言われる。歌い手、つまりぼく、は、ピンを弾きながらうたっている。聴いている人ひとりひとりの人生を重ね合わせて意味を感じているんだね。ぼくにとっても『ピンの歌』はメロディはシンプルで美しいし、歌詞がまた人と楽器が共に生きて、社会に正義を求める運動を共有していくという、つまりカラワンのピンの弾き手モンコン・ウトックとピンのはなしなのさ。」
トングランは大きな体に似合わないやさしい声で遺伝子組替に反対する歌をうたいます。微妙にくるっているようなチューニングもそれぞれの歌をひきたてているようで、つくづく魅力というのは不思議なものだと思ったのでした。水牛楽団のバンドマスターだったひとは幸せそうに聞き入って、水牛楽団も続けていればよかったな、などとつぶやいたりする、なにやら特別な夜でした。これからのスケジュールは豊田勇造さんのサイトをどうぞ。近くにお住まいなら、ぜひ聞きにいってください。

「水牛のように」を2004年11月号に更新しました。
自分が読んでみたいと思うひとに書いてくださいとお願いしているうちに、にぎやかになってきました。最初の読者としては、統一感がまったくないところもなかなかいいものだと思います。初登場の石田秀実さんは東洋思想の研究者で作曲家でもあります。最近の著書は『気のコスモロジー 内部観測する身体』(岩波書店)。CDは「神聖な杜の湿り気を運ぶもの 石田秀実作品集」(ALCD-60)。すてきなタイトルです。

水牛の新作CD「まぎれ野へ 木村迪夫自作詩朗読」も引き続きよろしくお願いします。木村さんには詩集以外にも『百姓がまん記』(新宿書房)などの著作があります。そのうち木村さんを招いて朗読会をやろうと計画中です。

11月はピアノをきいてみませんか。コンサートをふたつお知らせします。
●江村夏樹ピアノ独奏2004『ピアニスト』
11月13日(土)7時30分開演
渋谷 公園通りクラシックス tel 03-3464-2701
バルトーク:組曲 作品14/江村夏樹:ファンファーレ集/ヴィラロボス:白いインディアンの踊り/甲斐説宗:ピアノのための音楽/米倉香織:委嘱作品(ピアノと場内音声のための)/ヒンデミット:ピアノ連弾のためのソナタ/ムソルグスキー:展覧会の絵
客演 大須賀かおり(ピアノ)
チケットは太鼓堂、あるいはティコ・ディコで。
●高橋悠治/ゴルトベルク変奏曲
11月22日(月)7時開演
浜離宮朝日ホール tel 03-5541-8710
J.S.バッハ:イタリア協奏曲 ヘ長調 BWV971/J.S.バッハ:ゴルトベルク変奏曲 BWV988
東京以外の公演も予定されています。全公演のお問合せはクリスタル・アーツ03-5210-9071へ。

それではまた!(八巻美恵)




2004年10月1日

水牛6枚目のCD「まぎれ野へ 木村迪夫自作詩朗読」を発売しました。100ページほどの詩集付きです。

まぎれ野とは木村迪夫さんが生まれてからずっと暮らしている山形県の牧野村のことです。農業の村の歳時記と、木村さんのおかあさん、おばあさんのかたったことば。「いまもこの村に澄語はない」というまぎれ野のことばのひびきをぜひ聞いてください。
水牛楽団のレパートリーのひとつだった「祖母のうた」は、この朗読にもはいっている木村さんの詩です。「ふたりのこどもをくににあげ/のこりしかぞくはなきぐらし …… にほんのひのまる/なだてあかい/おらがむすこの ちであかい」

牧野の木村さんのお宅で録音したのはことしのはじめ、まだ雪のあるころでしたから、発売までにずいぶん時間がかかりました。読まれている詩をなんとか本にしたくて、どのようにするのがいいのかと考えているうちに春が過ぎ、そしてめぐりあったのが四釜裕子さん考案の「糸だけ製本」でした。四釜さんも詩人であることと関係あるのでしょうか、この製本方法は詩集にぴったり。しかもデジタルテキストとレイアウトソフトと紙とプリンタと糸と、これだけあれば、自分の手を使って、誰にでもできる方法です。タイトル文字は平野甲賀さんの書き文字でありながら、フォントとして誰でも使える「コウガグロテスク」をはじめて使いました。できあがったのは本というかたち、でもデジタルの世界に足を踏み入れなければ決してめぐりあわなかったやり方の成果です。

手作りの製本というと、ルリユールのように、自分だけの大切な一冊の本を作り上げるイメージが強いのですが、あまり趣味的にならず、素材や綴じかたのこだわりを少しひろげれば、自分以外のひとに手渡していける軽やかなものにできるはずだと思ってきました。「まぎれ野へ」詩集、というよりはブックレットというほうがふさわしいかもしれませんが、木村さんの詩と朗読に寄り添うものになってくれているといいなと思います。

「水牛のように」を2004年10月号に更新しました。
というわけで、製本の師匠とあおぐ四釜裕子さんが、製本について書いてくださることに。どんな製本が登場するのか、楽しみです。
読書の秋だからか、今月は盛りだくさんです。小泉英政さんの「循環だより」といっしょに届いた「島にんじん」は沖縄のもので黄色のにんじん。甘くておいしい。水をもらえずに育った野菜は野菜じたいに含まれている水分もすくないらしく、しっかりとしているのが特徴で、できるだけ調理せず、そのまま食べるのが一番です。いわば野菜のお刺身ですね。

タイのバンド「カラワン」が結成30周年記念をむかえて、日本にやってきます。
10月30日から11月9日まで、東京、大和市、松本市、島根県大社町、広島市、大阪府豊能町、高槻市、京都市などをまわります。タイの民主化をになった歌の魅力にぜひふれてください。詳しくは今回も彼らを呼んでくれた豊田勇造さんのサイトのスケジュールをごらんください。
東京でのコンサートは10月30日(土)新大久保「R'sアートコート」で午後5時から。また29日には「歓迎会&カラワンの30年を語る会」が早稲田奉仕園「50人ホール」で午後6時30分から。問い合わせは白石さんへどうぞ。電話は090-2302-4908、メールはshiratlk@jcom.home.ne.jpです。

それではまた!(八巻美恵)



2004年9月1日

深夜になにかやっていて、ふと窓から外をみると、目に入る建物のなかで一番高いマンションの最上階にいつも電灯のともっている部屋があります。わたしと同じ夜型のひと(たち)がそこには住んでいるらしく、どんなに遅くても電灯が消えていることがありません。どのようなひとなのかとつい想像をたくましくしてしまうとき、妄想の入口に立っていることに気づきます。

「水牛のように」を2004年9月号に更新しました。
あつい夏だったので、原稿を書いてと頼む気にならず、したがって今月はゲストはありません。いつものメンバーが書いています。夏のせいか、世界にちらばっているみんないつもとは少しちがうような。。。

「水牛通信電子化計画」は夏休みです。
先月公開した1982年5月号のあとがきに短く「ゆうなの会」のことが書いてあります。「「ゆうなの会」は、在関東の沖縄青年たちのあつまりである。かれらは政治集会をやるかわりに、休日にアルバイトをして、そのカネで東京の各所に寄りあいの場所を確保する。デモではなく、原宿の竹の子族たちにまじって、エイサーを踊る。東京にきて、はじめてサンシンをひき、エイサーを踊ったという連中がおおい。沖縄にいたときは、東京のほうを見ていた。」この号を入力してくれた川原栄一さんから、入力ファイルといっしょに届いたメールによると、学生だったちょうどこのころ、「ゆうなの会」の若者たちといっしょに休日ビル清掃のアルバイトをしていたのだそうです。偶然でしょうか。どこかに因果関係があるようにも思えてきます。

10月1日には水牛のCDの6枚目を発売します。木村迪夫自作詩朗読『まぎれ野へ』。
木村さんは山形県上山市で農業をいとなみ、詩をかいています。ことしのはじめ、まだ雪のあるときに、木村さんの家でこたつにあたりながら録音しました。読む詩も、その順番もあらかじめ木村さんご自身が決めたもので、まぎれ野の歳時記と木村さんのおばあさんやおかあさんの残したことばが木村さんの声でよみがえります。
こたつはとてもあたたかく、でも中には熱源がありません。石油ストーブの前から直径15センチくらいのチューブの端がこたつの中に入っています。チューブを通って、熱風がこたつの中に充満するというしくみなのでした。

10月にはタイからカラワンがやってきます。なんとカラワン結成30周年! コンサートの詳細は次回お知らせします。

それでは、また!(八巻美恵)




2004年8月1日

セミの声をきいたのはつい数日前で、夕暮れどきに白粉花のかおりが強くたちのぼるようになったのはおとといのこと。もうずっと夏のさなかにいる感じがしているけれど、夏はこれからが本番なのです。ことしは長い夏になりそうですね。

「水牛のように」を2004年8月号に更新しました。
「自分の顔や身体がまるで揚げ物をしている中華鍋の底ででもあるかのようにべとべとの不快感」とスラチャイが書くバンコクの4月の暑さはことしの東京の7月のものでもありました。バンコクではどんなに暑くても、汗にもまみれていない真っ白なシャツを着てすずしい顔をして歩いているひとを見かけます。でもわたしの友人のタイ人たちはいつも「あつい、暑い」と文句ばかり言っていますが。佐藤真紀さんのねこのくろよんがいまもどこかで元気でいますように。はじめてメールをもらったとき、どんなひとなのだろうとサイトを訪ねたら、そこには佐藤さんが黒いねこといっしょに写っている写真がありました。あれはくろよん?

「水牛通信電子化計画」は1982年5月号を。
本橋成一さんが上野駅、サーカス、筑豊のひとびとの写真について語っています。通信には写真ものっているのですが、ウェブはとりあえずテキストだけなのが残念です。いろいろなところへ出かけて写真や映画の撮影をする本橋さんによると、かの有名な惹句は「世界はたくさん、人類はみな他人」となります。拍手!

7月に出た本
「バグダッド・バーニング――イラク女性の占領下日記」
バグダッド在住の20代の女性リバーベンドがブログに書き続けた日記(2003年8月17日から2004年5月22日まで)の翻訳です。「私は女性でイラク人、24歳。戦争を生き延びた。あなたが知らなければならないのはこれで全部。」と始まるこの日記、イラクの現実を伝えるためには書いているひとの素性はあかすことができません。でもリバーベンドの書くことばのもつ力はリバーベンド・プロジェクトという9人の女たちからなる翻訳のグループを生み、日本語訳がネットにのりました。それを1冊にまとめたのは女性編集者です。そして印税はリバーベンドの希望によってイラクの女性と子供たちを助ける基金となるのだそうです。「世界はたくさん、人類はみな他人」とはこういうことだと思います。

「高橋悠治 コレクション1970年代」(平凡社ライブラリー)
1970年代の著書『ことばをもって音をたちきれ』、『音楽のおしえ』、『たたかう音楽』を浜野智さんが再編集して1冊にまとめたものです。「失敗者としての高橋悠治」という解説を書いたのは水牛の三橋圭介さん。著者の70年代の写真(知り合ったのはこのころだけど、こどもみたい!)が表紙をかざっています。テキストはこうしてあたらしくよみがえっても、からだはそうはいかないということを感じさせてくれます。
最近見た2本のドキュメンタリーのビデオでも同じことを感じました。ジョスリン・バルナベの「グレン・グールド エクスタシス」と、ブルース・ウェーバーの「チェット・ベイカー レッツ・ゲット・ロスト」です。このふたりの演奏家の晩年の姿はバランスというものを完全に失っている老人のよう。グレン・グールドは49歳、チェット・ベイカーは57歳、まだ老人とはいえない年齢なのに、おそらく薬物の影響なのでしょう、ほんとうの老人よりもずっと老人に見えます。音楽は彼らのそのからだをとおして生み出されるものですから、当然病的なところがあります。でもそこが魅力だったりもするわけで、ちょっと複雑な気分におちいりました。

それではまた! (八巻美恵)




2004年7月1日

水牛のトップページにある「水牛」という描き文字は平野甲賀さんによるものです。水牛、とじっさいに紙にペンや筆で書いてみるとわかるのですが、この二つの文字はけっこうカタチがとりにくいのです。それがこんなにうつくしい描き文字になって、いくら見ても見飽きない。見ればみるほど、うつくしさが増すといったほうがいいかもしれません。平野さんはこれまで描いてきた文字のすべてに「kouga grotesque」という名前をつけて、おなじ名前のCD-ROMを出しました。200本の描き文字タイトル(本や芝居やコンサートの)と、4本の仮名フォント(ひら仮名、カタ仮名、数字、アルファベット小文字などあり)がはいっています。見るだけでなく、使えるところがすばらしい。発売はBZBZ。くわしい情報はときどきの平野甲賀で見ることができます。

「水牛のように」を2004年7月号に更新しました。
スラチャイの詩は「水牛の挽歌」。平野さんの描き文字とともに、水牛という名前とはながいつきあいです。ともに生きるものとして水牛とはどのような動物なのか、きちんと調べたいと思っているのですが、情報はあまりありません。ウェブで検索すると、なんといっても一番多いのは水牛の角の印鑑のことで、台湾や中国にもたくさんあります。でも、八重山にいるかわいい水牛の写真にであったこともありました。
小泉英政さんの「循環だより」は循環農場でできた野菜の箱にいっしょに入って、毎月届けられます。A4判の紙のおもてには野菜の説明や調理のしかたなどが書いてあり、うらにコレが書いてあります。野菜も循環だよりもおいしい。野菜はともかく、おいしい文章をひとりじめにしてしまう手はありません。そのための水牛なのですから。
「水牛のように」には、いつもだれかひとり青空文庫の工作員の書いたものがあるといいと思い、これまで何人かに声をかけてきました。わたしの個人的な予定では、今月登場するのは大久保ゆうさんのはずでした。そろそろ大久保さんにメールを書こうと思っていたころ、aozora blogに大久保さんの「郡山総一郎×岡真理『イラクで何が起こっているか』聴講記録」がアップされました。長いけれど、きちんとした報告です。今月の「水牛のように」のひとつとして読んでいただきたいと思います。

「水牛の本棚」「水牛通信電子化計画」は今月はおやすみです。暑いので、ちょっとはやい夏休み。

今月のおしらせです。
「弦と絲(いと)のアラベスク」(イラクの子どもたちのために)
7月3日 19時 光明寺(地下鉄神谷町より徒歩1分) 絵画の展示も行います
出演:上條充(江戸糸あやつり人形)常味裕司(ウード)佐藤真紀(話)有馬理恵(朗読)
Tel:090-9373-5891(担当:枝木)

「ナンダロウアタシゲな日々――本の海で溺れて」南陀楼綾繁著
南陀楼綾繁さんをどう紹介すればいいのでしょう。古本が好きで編集者で超ミニコミを出していて名前もいくつかあってとっちらかってアヤシゲなひと。とてもひとことでは……。出版している無明舎は秋田市にあります。水牛とも無関係ではありません。やがて水電子化計画で社長の安倍甲さんが登場するはずです。

●江村夏樹作品コンサート『夢』
7月23日(金)18:30会場 19:00開演
江東区・門仲天井ホール tel 03-3641-8275
前売3000円 当日3500円
平川和宏(男声)/三橋美香子(女声)/山田百子、甲斐史子(ヴァイオリン)/西陽子(筝)/松本健一(テナーサックス)/江村夏樹(ピアノ)/声の出演 寺本実里、江村夏樹/須藤力(音響技術)/場内日本画展示 青柳恵子、萩原まい子
太鼓堂で前売予約を受け付けています。

それではまた! (八巻美恵)




2004年6月1日

CRAFT碧鱗堂BOOKS第一回展示会「本の世界のはじっこから」にでかけ、内澤旬子さん手づくりの豆本や絵巻物、絵はがき帖などを見てきました。ウェブにあるテキストが縦書きの和綴じの本に変身しているものもあって、綴じてみると別の魅力が加わることをあらためて感じました。

先日おとずれたニュージーランドの町には大きな本屋がいくつかあるのでした。英語の本はアメリカのものもイギリスのものもたくさん置いてあり、ニュージーランドで出版されているのはその中の1割あるかないか。でも、コンピュータと人の手とが助け合って出来たようなちいさなエッセイのシリーズや、かんたんな糸かがりの詩集なども堂々と並んでいるのです。ひとつの世界を綴じて手わたすことに優劣はないということでしょう。御喜美江さんのエッセイを「たんぽぽ畑」という冊子にまとめたことがきっかけで、綴じる方法をいろいろとかんがえました。本格的な製本機も持たない身にはなかなか難題だったのですが、最近は四釜裕子さん考案の糸だけ製本をしっかりマスターし、さて、そろそろ水牛文庫(仮称)でもはじめようかという気分です。

「水牛のように」を2004年6月号に更新しました。
佐藤真紀さんは先月の続きで、高遠菜穂子さんやイラクのことなど。こうした現場からの報告を読み、同時に最近出版された「影の外に出る 日本、アメリカ、戦後の分岐点」(片岡義男)などを読むと、いまの世界の複雑なありようがよくわかってきます。
先月も紹介したように、武石藍さんは本棚の「女たちの同時代――北米黒人女性作家選」を途中から入力してくれました。水牛の中で本棚がいちばんおもしろいと言ってくれたのも彼女。そういう出会いがおきたことを知るのは望外のよろこびです。
フィリピンの作曲家ホセ・マセダが5月に亡くなりました。その通知はメールで届いたもの、日本の新聞にはひとことも載ることはなかったのでした。高橋悠治さんはマセダとの思い出を。

「水牛の本棚」は「女たちの同時代――北米黒人女性作家選」全7巻についての藤本和子の解説をいましばらく楽しんでください。

「水牛通信電子化計画」は1980年10月号を公開しました。「軽印刷のすすめ」という一冊まるごとの特集です。水牛通信は、出版という技術をできるだけ自分たちの手でとかんがえました。その方法をオープンにしたマニュアルのこころみの号です。「流言蜚語なしでは真実を手にいれることはできない。……わたしたちの側にも流言蜚語生産のための技術がいる」「わたしたちの運動は、歩いてどこへいくのかということと同時に、それ以前に、まず、わたしたちが歩くという現実からなりたっている。「正しい道という概念は、正しい歩行という概念よりも劣っている」(ブレヒト)。印刷もふくめての文化の運動は、この「正しい歩行」の技術に直接にかかわる。」この号に書かれている技術のいくつかはすでに過去のものといっていいと思いますが、技術をとりもどそうという想像力はいまもいきいきとしています。

今月の催しのお知らせを以下に。
●「終わらない戦争、イラクの子ども絵画展」
6月18日〜7月1日(11:00〜19:00 最終日は17:00まで)
ストリートチルドレンの描いた絵や、白血病の子どもの描いた絵を展示します。
また会場では、本や絵葉書、CDなど販売しますのでお楽しみに。
東京のギャラリー日比谷で。
詳しくはJVC tel:03-3834-2388 まで。

●「文字の文字 平野甲賀と字游工房展」
2004年5月21日〜6月18日(日・月・祝 休館)11:00〜18:00
ユニークな文字をつくりつづけている平野甲賀。
スタンダードなデジタルフォントの開発をめざしてきた字游工房。
文字にこだわるデザイナーの仕事の手の内を明かにし、タイポグラフィーの可能性を展望します。
Gallery5610
港区南青山5-6-10 tel:3409-9496

●「volcano girl 平野さくら絵画展」
2004年6月4日(金)〜15日(火)12:00〜18:00
ことしの春大学を卒業した平野さくら初の個展、大注目です。
タイトルがすてき。女の子は噴火しているのです。
NO.12 GALLERY
渋谷区上原2-29-13 tel:03-3468-2445
小田急線東北沢駅、京王井の頭線駒場東大前駅から徒歩8分

●江村夏樹作品コンサート『夢』
7月23日(金)18:30会場 19:00開演
江東区・門仲天井ホール tel 03-3641-8275
前売3000円 当日3500円
平川和宏(男声)/三橋美香子(女声)/山田百子、甲斐史子(ヴァイオリン)/西陽子(筝)/松本健一(テナーサックス)/江村夏樹(ピアノ)/声の出演 寺本実里、江村夏樹/須藤力(音響技術)/場内日本画展示 青柳恵子、萩原まい子
太鼓堂で前売予約を受け付けています。

今月からこのコーナーにコメント欄をつくりました。下にある「コメント」をクリックすると書き込み用のウィンドウがひらきます。水牛についてのご意見など、書いていただけるとうれしいです。

それではまた! (八巻美恵)




2004年5月1日

青空文庫のオフ会では、いつも文字のことが話題になります。じぶんの好きな本をだれもが読めるようにしたいという動機ではじめる人のおおい入力や校正ですが、じっさいには、そうかんたんではありません。好きな作品を何もかんがえずにそのままデジタルテキスト化できたとしたら、それは幸運な例外なのです。

コンピュータで使える文字は、まだ限られていて、青空文庫では不自由だと感じることのほうが多いのです。そのために、コンピュータに搭載されていない文字をどうするか、あれこれみんなでかんがえるのがおおきな柱のひとつとなっています。青空文庫は不自由が育ててくれたといってもいいくらいです。作業のために底本をじっくり見るので、もちろん誤植も見つけるし、やがて底本の善し悪しまでわかるようになってきます。権威のある出版社のものでも、ひどいものはひどい、だめなものはだめ。編集者でもないのに、いつの間にか、編集にふかくコミットしているへんな集団だなと、オフ会に出てくれたひとたちの顔をみながら、あらためてそう思うのでありました。

「水牛のように」を2004年5月号に更新しました。
イラクで人質となった高遠菜穂子さんはこどもたちを助けていたと知って、すぐに佐藤真紀さんを思いうかべてたのは、きっとわたしだけではないと思います。やっぱりいっしょに活動をすることがあったのですね。
青空文庫のLUNA CATさんが「青空文庫的生活ツール」azurについて書いています。このソフトは青空文庫の集団的編集能力(!)のひとつのみのりです。ウェブブラウザとして使えます。ぜひためしてみてください。

「水牛の本棚」は藤本和子「反悲劇」です。
「女たちの同時代――北米黒人女性作家選」第7巻「語りつぐ」(ゾラ・ニール・ハーストン、ルシール・クリフトン)について。ゾラ・ニール・ハーストンの「騾馬とひと」、ゾラ・ニール・ハーストンについてのメアリ・ヘレン・ワシントンとアリス・ウォーカーの論考、そしてルシール・クリフトンの回想「末裔たち」がおさめられています。この本は絶版ですが、収録されている「騾馬とひと」は平凡社ライブラリーの1冊となって、いまも生き延びています。ハーストンの作品集は新宿書房からも出ています。「彼らの目は神を見ていた」「路上の砂塵」「ヴードゥーの神々――ジャマイカ、ハイチ紀行」英語版はたくさんあります。検索してみてください。
「女たちの同時代――北米黒人女性作家選」はこれでおわりです。途中から入力を引き受けてくださったのは武石藍さん。ありがとう、ごくろうさまでした!

「水牛通信電子化計画」は今月はおやすみです。たのしみに待っていてくださるかた、ごめんなさい。来月はきっと。

ブックフェアで本を物色しているとき、エリック・ホッファー「波止場日記」に呼ばれました。本のほうから読者として呼ばれるというひさしぶりのこと。ホッファーは放浪ののちにサンフランシスコで港湾労働者としてはたらきながら、ひとり図書館で読書と思索をつづけたひとです。こうした知性のありかたにはほれぼれします。

それではまた! (八巻美恵)




2004年4月1日

4月は毎年ブックフェアが開催されるので、その期間中の週末にオフ会をするのが青空文庫のならわしとなっています。水牛はまだ一度もそのような集まりをもったことがありません。やってみたいとは思うものの、タイ、イタリア、ドイツ、インドネシア、などなどに散らばっているので、なかなか実現しません。ウエブ上でながいこと知っているひとに、はじめて会うのはとても興味ぶかい経験なのにね。

「水牛のように」を2004年4月号に更新しました。
御喜美江さんが見に行ったイラクのこどもたちの絵は、2月13日に発売された「おにいちゃん、死んじゃった」という本の原画展でした。谷川俊太郎さんの詩がついています。佐藤真紀さんは「こどもたちはいつもけらけらわらっている」と書いていますが、絵にはどこかによろこびがあり、そして、まよいがありません。
さて、今夜(1日)は御喜美江さんのアコーディオン・ワークス2004「ロシアへ」です。19時から上野の東京文化会館小ホールで。ことしは会場で「たんぽぽ畑3」を売ることができません。でも、4月中にはつくりますので、ご希望のかたはメールでご注文くださるようお願いします。

「水牛の本棚」は藤本和子「衰弱そして再生」です。
「女たちの同時代??北米黒人女性作家選」第6巻「真夜中の鳥たち」(メアリ・ヘレン・ワシントン編)について。9人の作家による15篇の短篇がおさめられています。日本語のものは絶版。もとの英語版(Random House)は手にはいります。

「水牛通信電子化計画」は1986年12月号を公開しました。
1986年4月には東京サミットがおこなわれて、警察官総動員ともいうべき警備体制がしかれていました。そのおまわりさんを酔眼で木製の人形と見まちがえ、殴って、現行犯で逮捕された横堀幸司さんの「はじめて逮捕されました」。警察権力への反感はそうとうなものです。ワープロ筆談の家庭版というのもあります。

ことし最初に発売する水牛のCDは、木村迪夫さんの自作詩朗読です。木村さんは山形県の牧野村で農業をし、詩をかいてきました。水牛楽団の「祖母のうた」は木村さんの詩です。牧野村のおたくで、石油ストーブから出る温風をとりこむ新式(?)こたつにあたりながら朗読の録音をしたのは、まだ雪のあるころでした。完成までもう少しです。

CDや本にして、出版しようとかんがえるのは、それをきいてほしい、読んでほしいと願うからです。たとえば「本」といっても、100円文庫から世界に一冊のルリユールまで、すがたかたちはさまざま。安ければいいというものではないし、豪華であればいいというものでもありません。制約はたくさんあるけれど、音や声、そしてテキストを風とおしよく伝えるかたちをゲットするべく、あれこれかんがえたり、つくってみたり……

それではまた! (八巻美恵)




2004年3月1日

つよい風がまいにちのようにふいて、あらあらしい春の到来を感じます。マスクをかけたひとが目立つのは、インフルエンザと花粉のせいでしょうか。わたしはインフルエンザにはやられていないし、花粉には不感症。ときどきくしゃみが止まらなくなるのは、図書館で本棚の前にいるときです。本のアレルギー?

「水牛のように」を2004年3月号に更新しました。
佐藤真紀さんの文体は、こどもたちとつきあっていることと関係がありそうです。どのようなひととつきあうか、それはほんとにだいじなこと。
御喜美江さんのアコーディオン・ワークス2004「ロシアへ」は4月1日(木)19時から、上野の東京文化会館小ホールで。ショスタコーヴィチ、ロシア民謡集、グヴァイドゥーリナ、ストラヴィンスキーなどの曲がならんでいます。全席指定で3500円。お問い合わせは03−3239−5491。
高橋悠治さんの「月光からはじまる」は3月12日(金)19時から、東京浜離宮朝日ホールで。3月14日(日)14時から、札幌Kitaraホールで。ベートーヴェン「月光の曲」、高橋悠治「ボクハソンケイスル」、ショスタコーヴィチ「ヴィオラとピアノのためのソナタ」など。ヴィオラは川崎雅夫さん。4000円。お問い合わせは03−3239−5491。

「水牛の本棚」は藤本和子「衰弱そして再生」です。
「女たちの同時代――北米黒人女性作家選」第五巻「メリディアン」(アリス・ウォーカー、高橋茅香子訳)について。
日本語の「メリディアン」は文庫になっています。現在品切れとなっていますが、絶版ではないので、チェックしてみてください。訳者の高橋茅香子さんのサイトも魅力的でおすすめです。英語版(原語)は各種手に入ります。
ハードカバーペーパーバックHarvest 版ペーパーバックReissue 版

「水牛通信電子化計画」は1986年11月号を公開しました。
一台のワープロにかわるがわる言いたいことをうちこんで、編集会議というのをこころみ、それをそのまま座談会のような原稿にしました。大成功とはいいがたいできばえですが、それでもおもしろいしかけ(?)だったせいか、楽しんではいるようです。「青空文庫へようこそ」というオンデマンド本をつくったときには、編集にかかわったふたりは広島と東京に離れてくらしていたので、メールのやりとりで対談をしたのでした。おたがいを知っていたからこそできたことだったと今では思います。

この号に小泉英政さんの「人とミミズ」という詩が載っています。カラワンの「人と水牛」の替え歌です。小泉さんは有機農法をはじめて、しだいに過激さをまし、ついに循環農場というシステムをあみだすまでになってしまいました。いまは有機農法もさかんですが、それでもビニールハウスをつくったり、土に黒いビニールをかけてあたためたりしています。小泉農場ではいっさいそういうことをしていません。落ち葉の堆肥で野菜はゆっくり育つので、みなこぶりで、とてもおいしいのです。むかしから毎月野菜の箱にはいってくる「みみず物語」をおもしろいと思い、その都度入力したものを集めて、青空文庫に置いたのですが(「みみず物語」「みみず物語2」の2冊)、それがついに本になりました。タイトルはやはり「みみず物語」(コモンズ)。ワクワク、ドキドキの30年の物語、ぜひ読んでください。小泉さんから送られてきたその本は新聞紙につつんでありました。あのぷちぷちの緩衝剤はプラスチックですからね、小泉さんは使わないのです。

それではまた! (八巻美恵)




2004年2月1日

日本語の本や原稿のなかに英語の文章がそのまま引用されたり、参考文献としてあげられたりして、英語の混じるものがふえてきました。編集のしごとをしていて、英語の表記について疑問をかんじたときに助けてくれるのが、Chigago Manual of Style というぶあつい本。英語の書き方ならたいていのことはこれでわかります。日本語にもこのようなマニュアルがあるといいと思いつづけてきましたが、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所の共同研究プロジェクトとして、芝野耕司さんたちが取り組んでくれることになったと知りました。「青空文庫みずたまり」に芝野さんご自身が書いています。3年後には「日本語正書法」が手にできそう。うれしいな。

「水牛のように」を2004年2月号に更新しました。
「人間の鎖」の大野裕さんは青空文庫をたがやすなかまのひとりです。青空文庫の目的にそって、それぞれが作業をつみかさねているうちに、それぞれのひとの持っている、性格とまではいえない、ちょっとした特徴というようなものが見えてきます。大野さんのメールの最後に、"Be the change you wish to see in the world." -- Mahatma Gandhi とあるのを見ると、それはまっすぐに「人間の鎖」につながっているように見えます。
冨岡三智さんの「心をとらえるもの」を読むと、ふるいもののなかにこそ、あたらしいものの芽があることをあらためて知らされます。「人に見せる意識のない舞踊は、人の目を魅きつけようとするどんなパフォーマンスよりも、かえって見る者の心をとらえる」とは、なんと魅力的な思想でしょう。なにであれ、表現の専門家にとっては、なかなか到達するのがむつかしそうですが、これが舞踊家としての冨岡さんのめざすところなのです。

「水牛の本棚」は藤本和子「新たなる沈黙に声を」です。
「女たちの同時代――北米黒人女性作家選」第四巻「強き性、お前の名は」(ミシェル・ウォレス、矢島翠訳)について。

日本語の「強き性、お前の名は」はすでに絶版ですが、英語版(原語)は手に入ります。
ハードカバー

「強き性、お前の名は」はミシェル・ウォレスの最初の著作ですが、以後もいくつかの作品を書いていて、作家として健在なようす。アマゾンで検索した結果です。

「水牛通信電子化計画」は1986年10月号を公開しました。
「なまえがかわるとき」というへんな座談会があり、如月小春、楠原理枝子、志沢小夜子、津野海太郎、平野公子、八巻美恵があれこれ、おもに姓名の姓のほうについてしゃべっています。このメンバーの中には、あれから結婚したひと、離婚したひと、そして「如月小春という名前にして人格がかわった」のに、若くして死んでしまったひともいます。20年ちかくたった今、このテーマではおもしろい座談会はできないな、と感慨をおぼえます。

それではまた! (八巻美恵)




2004年1月5日

片岡義男さんの詩のコーナー「メントール・ユーカリプト」を作りました。片岡さんと水牛から2004年のお年玉です。

片岡さんの詩にはメントール・ユーカリプトを嗅いだときの、あのス〜ッとする、香りでもあり風でもあるような感じがあります。片岡さんと日本語の距離なのか。使われていることばは抽象の度合いが高く、これ以上ないというほどに単純に見えますが、イメージは単純ではありません。

片岡さんの小説やエッセイをずっとリアルタイムで読んできました。すべてを読んだわけではないけれど、これはと思うものを読むと、かならずそのときのわたし自身と世界のありようにピッタリきてしまう。そうであるからこそ、読みつづけてきたのだと思います。
片岡さんの著作のタイトルは



2004年1月1日

あけましておめでとうございます。

水牛は4年目、青空文庫は8年目(かな?)、それぞれの春をむかえたことになります。はじめたころは続けることが最大の目的でしたが、続いた結果バックナンバーやら登録作品やら、たくさんのテキストがたまってきました。それらを必要とする切実な人はだまっていてもアクセスしてくれることでしょう。が、それだけではなんだかもったいない。デジタルのみにこだわることなく、たくさんのデータをうもれさせずに読んでもらう工夫があってもいいと思います。
そんなことを考えていたら、「本とコンピュータ」2003冬号に「オンデマンド移動図書館」の記事を見つけて、感慨深く読みました。それはブルースター・カールさんの主宰する「インターネット・アーカイヴ」のひとつのこころみです。ラップトップコンピュータ、カラープリンタ、裁断機、製本機、そしてパラボラアンテナを積んだミニバンを「book mobile」と名づけ、各地を移動するのです。事務所のサーバーに蓄積されたデジタルテキストデータは本の版下の状態でダウンロードできるようになっているので、これだけの装備があれば、どこでも本がつくれるわけです。今はこども用が中心のようですが、読みたい本のデータをプリントし、紙を自分で折って縁を裁断して本にするらしい。教育もかねているのかもしれません。
青空文庫のデータを使った100円ショップの100円文庫もおもしろい試みですけれど、技術そのものを自分たちの手にするほうが楽しいにちがいありません。ことしはそのような一歩を踏み出してみたいと思っています。

「水牛のように」を2004年1月号に更新しました。
初登場の鎌田慧さんは月刊誌「水牛」時代の編集委員のひとりでした。むかしのなかまをこうして迎えるのもいいものです。あたらしい年のお年だまのよう。「敗残兵」というのは半分冗談、半分本気かな、と思います。鎌田さんが進歩主義者以外のものになるとは到底信じることができませんから。
12月は佐藤真紀さんの名前を何度か新聞で見ました。しゃべっているところはテレビで見ましたが、たしかに胸の平和バッチは見えませんでしたね。
“Close your eyes and listen”はピアソラの曲のタイトルだそうですが、ことばや音だけでなく、ことばにならないものや音にならないものにも目をとじて耳をかたむけるようにと言われているような気がします。

「水牛の本棚」は藤本和子「喉をつまらせている女たち」です。
「女たちの同時代――北米黒人女性作家選」第三巻「死ぬことを考えた黒い女たちのために」(ヌトザケ・シャンゲ、藤本和子訳)について。
「死ぬことを考えた黒い女たちのために」は20の詩がならんでいますが、それは読むだけのものではなく、演じるためのものです。なりたちや上演の経緯についての文章がはじめに置かれていて、そこにシャンゲはこんなことを書いています。
「ソノマはほんとによろこびと昂奮にみちていた。やがてわたしはそこからサン・フランシスコまで六十マイルの道を通って、レイモンド・ソーヤーとエド・モック、そしてハリフについてダンスを習うようになった。女の頭と心を知ることによって、わたしはダンスを通して、それまでに想像もしていなかったほどの深さをもって自らの肉体を発見することができた。わたしの太腿と臀部の民族性を受けいれると、こんどは女としてのわたしの声、詩人としてのわたしの声にいついても、ずっと明確に理解できるようになったのだ。空間を動くことにある自由と、知られざるものながらも、たえず目ざすことのできる完璧さをわたしの汗に要求すること、これはわたしにとって詩だった。おそらく生まれてはじめて、わたしの肉体と心が重なったのだ。女性学によって、わたしが女たちの伝統と責務について深く理解するようになったように、レイモンド・ソーヤーやエド・モックによって明らかにされたダンスは、アフリカ的なるもののすべて、わずかでも方言的であるすべての言葉、顰っ面、気取ったような歩き振り、あくびをすると弓なりにそる背中など、それらはすべてわたしのものだと断固として主張した。わたしは黒い女(カラード・ガール)の肉体をもつことの無意識の知識を、意識的な日常性に連結させた。」
この本を読んだあとでヌトザケ・シャンゲの朗読のカセットテープを聴いたことがあります。彼女のことを何も知らなくても、深くて少しかすれた声をきくと、彼女が黒人だということがすぐわかるのは、こうしたわけだったのです。

日本語の「死ぬことを考えた黒い女たちのために」はすでに絶版ですが、英語版(原語)は手に入ります。
ハードカバーペーパーバック

「水牛通信電子化計画」は1986年9月号を公開しました。
黒テントの山元清多がモンゴルをおとずれた話を、平野甲賀、田川律、佐藤信、津野海太郎の四人がわいわいと聞いていて、おもしろい。「ぼくらはヒツジを動物と思ってるけど、モンゴルの人たちはちがうみたいなんだよね。草とヒツジっていうのは、ほとんどつながってるものなんだね。」とか、「ひとつには、あそこはフンの世界なのよ。草原のいたるところに、家畜のフンがある。だから、ああ、気持がいい! って寝ころぶと、からだがフンだらけになっちゃう。あとニガヨモギというアブサンをつくる有毒な草が一面にはえてて、そのハッカにちかいような、かろやかな、ほろにがい香りが草原をつつんでる。家畜のフンとニガヨモギの香り――それが草原の世界なんだよ。」とか、「ジンギスカン帝国の痕跡だって、なんにも残ってないもんね。あんなとこから、どうして全ユーラシア大陸を制覇したような人物がでたんだろう? 結局、制覇というものの質がちがうんだろうな。ただダーッと行っちゃう。そこにとどまって宮殿や神社仏閣をつくるなんてことはしない。」とか。

それではまた! (八巻美恵 suigyu@collecta.co.jp)





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