あけましておめでとうございます。
水牛は4年目、青空文庫は8年目(かな?)、それぞれの春をむかえたことになります。はじめたころは続けることが最大の目的でしたが、続いた結果バックナンバーやら登録作品やら、たくさんのテキストがたまってきました。それらを必要とする切実な人はだまっていてもアクセスしてくれることでしょう。が、それだけではなんだかもったいない。デジタルのみにこだわることなく、たくさんのデータをうもれさせずに読んでもらう工夫があってもいいと思います。
そんなことを考えていたら、「本とコンピュータ」2003冬号に「オンデマンド移動図書館」の記事を見つけて、感慨深く読みました。それはブルースター・カールさんの主宰する「インターネット・アーカイヴ」のひとつのこころみです。ラップトップコンピュータ、カラープリンタ、裁断機、製本機、そしてパラボラアンテナを積んだミニバンを「book mobile」と名づけ、各地を移動するのです。事務所のサーバーに蓄積されたデジタルテキストデータは本の版下の状態でダウンロードできるようになっているので、これだけの装備があれば、どこでも本がつくれるわけです。今はこども用が中心のようですが、読みたい本のデータをプリントし、紙を自分で折って縁を裁断して本にするらしい。教育もかねているのかもしれません。
青空文庫のデータを使った100円ショップの100円文庫もおもしろい試みですけれど、技術そのものを自分たちの手にするほうが楽しいにちがいありません。ことしはそのような一歩を踏み出してみたいと思っています。
「水牛のように」を2004年1月号に更新しました。
初登場の鎌田慧さんは月刊誌「水牛」時代の編集委員のひとりでした。むかしのなかまをこうして迎えるのもいいものです。あたらしい年のお年だまのよう。「敗残兵」というのは半分冗談、半分本気かな、と思います。鎌田さんが進歩主義者以外のものになるとは到底信じることができませんから。
12月は佐藤真紀さんの名前を何度か新聞で見ました。しゃべっているところはテレビで見ましたが、たしかに胸の平和バッチは見えませんでしたね。
“Close your eyes and listen”はピアソラの曲のタイトルだそうですが、ことばや音だけでなく、ことばにならないものや音にならないものにも目をとじて耳をかたむけるようにと言われているような気がします。
「水牛の本棚」は藤本和子「喉をつまらせている女たち」です。
「女たちの同時代――北米黒人女性作家選」第三巻「死ぬことを考えた黒い女たちのために」(ヌトザケ・シャンゲ、藤本和子訳)について。
「死ぬことを考えた黒い女たちのために」は20の詩がならんでいますが、それは読むだけのものではなく、演じるためのものです。なりたちや上演の経緯についての文章がはじめに置かれていて、そこにシャンゲはこんなことを書いています。
「ソノマはほんとによろこびと昂奮にみちていた。やがてわたしはそこからサン・フランシスコまで六十マイルの道を通って、レイモンド・ソーヤーとエド・モック、そしてハリフについてダンスを習うようになった。女の頭と心を知ることによって、わたしはダンスを通して、それまでに想像もしていなかったほどの深さをもって自らの肉体を発見することができた。わたしの太腿と臀部の民族性を受けいれると、こんどは女としてのわたしの声、詩人としてのわたしの声にいついても、ずっと明確に理解できるようになったのだ。空間を動くことにある自由と、知られざるものながらも、たえず目ざすことのできる完璧さをわたしの汗に要求すること、これはわたしにとって詩だった。おそらく生まれてはじめて、わたしの肉体と心が重なったのだ。女性学によって、わたしが女たちの伝統と責務について深く理解するようになったように、レイモンド・ソーヤーやエド・モックによって明らかにされたダンスは、アフリカ的なるもののすべて、わずかでも方言的であるすべての言葉、顰っ面、気取ったような歩き振り、あくびをすると弓なりにそる背中など、それらはすべてわたしのものだと断固として主張した。わたしは黒い女(カラード・ガール)の肉体をもつことの無意識の知識を、意識的な日常性に連結させた。」
この本を読んだあとでヌトザケ・シャンゲの朗読のカセットテープを聴いたことがあります。彼女のことを何も知らなくても、深くて少しかすれた声をきくと、彼女が黒人だということがすぐわかるのは、こうしたわけだったのです。
日本語の「死ぬことを考えた黒い女たちのために」はすでに絶版ですが、英語版(原語)は手に入ります。
ハードカバー/ペーパーバック
「水牛通信電子化計画」は1986年9月号を公開しました。
黒テントの山元清多がモンゴルをおとずれた話を、平野甲賀、田川律、佐藤信、津野海太郎の四人がわいわいと聞いていて、おもしろい。「ぼくらはヒツジを動物と思ってるけど、モンゴルの人たちはちがうみたいなんだよね。草とヒツジっていうのは、ほとんどつながってるものなんだね。」とか、「ひとつには、あそこはフンの世界なのよ。草原のいたるところに、家畜のフンがある。だから、ああ、気持がいい! って寝ころぶと、からだがフンだらけになっちゃう。あとニガヨモギというアブサンをつくる有毒な草が一面にはえてて、そのハッカにちかいような、かろやかな、ほろにがい香りが草原をつつんでる。家畜のフンとニガヨモギの香り――それが草原の世界なんだよ。」とか、「ジンギスカン帝国の痕跡だって、なんにも残ってないもんね。あんなとこから、どうして全ユーラシア大陸を制覇したような人物がでたんだろう? 結局、制覇というものの質がちがうんだろうな。ただダーッと行っちゃう。そこにとどまって宮殿や神社仏閣をつくるなんてことはしない。」とか。
それではまた! (八巻美恵 suigyu@collecta.co.jp)