水牛だより

2005年12月1日

「冬の旅」東京の自主公演が3日ともほぼ満席で無事に終了し、松本と金沢でもあたたかな拍手につつまれました。その地でしか食べられないものをごちそうになって、出演者は毎夜少々飲み過ぎのきらいはあるものの、元気で旅を続けています。神楽坂のシアターイワトへ、まつもと市民芸術館へ、金沢市民芸術村へ聞きに来てくださったみなさんありがとう。
3日は札幌に向けて次ぎの旅立ちです。北海道のみなさん、待っていてね。

「水牛のように」を2005年12月号に更新しました。
予期しないことに出会ったとき、それがいいことでもよくないことでも、おおげさでなく引き受けて楽しんでしまおうというのが今月の「水牛のように」のテーマのように、そこここに感じられます。

江村夏樹さんのピアノソロコンサートのお知らせです。
江村夏樹ピアノ独奏2005 「戦争と風景」
12月8日(木)19:30 公園通りクラシックス tel 03(3464)270
バッハ、モンポウ、戸島美喜夫、江村夏樹など。
予約・問い合わせは太鼓堂 taikodo@taikodo.org

それではまた!(八巻美恵)




2005年11月12日

「冬の旅」に山形公演が加わりました。2006年1月16日(月)、会場は山形テルサアプローズホールです。
昨年「まぎれ野へ」の朗読を録音するために木村迪夫さんのお宅にうかがったのはちょうど同じころでした。ごちそうになったあめ色の青菜漬け、固い干し柿、蕎麦、そしてお酒。なによりおどろいたのは山形新幹線の一部が単線だったことです。

東京公演は来週、18、19、20日の三日間です。当日まで予定がきまらない方も多いと思い、当日券も用意してあります。当日時間があって(なければ作って)、その気になったら(その気になって)、ぜひぶらりとおでかけください。寒い日になるといいなあ。

青空文庫の本が出版されました。タイトルは『インターネット図書館 青空文庫』といいます。インターネット上の青空文庫は、日々拡大・拡散する傾向にあり、全体像を一目で見ることはなかなかできません。それを本というかたちに閉じこめたわけですね。中心になったのは野口英司さん。わたしも手伝いました。ふだんはあまり会うことのない仲間といっしょに編集するのは楽しかったし、長いあいだ名前だけ知っている工作員の方たちにはじめて会うというのもこれまで味わったことのない経験でした。本はDVDと一体になっていて、DVDには青空文庫に収録されている作品がすべて入っています。これで1500円とは安すぎる!との声もきこえてきます。
本の詳細は http://www.harushobo.jp/2005_11_01.html
お求めはamazon


それではまた!(八巻美恵)



2005年11月1日

冬の足音がたしかに聞こえる今日、水牛レーベル8枚目のCD、日本語で歌う「冬の旅」を発売しました。ジャケットぜんたいのデザインが独特です。水牛のCDはいつも紙のジャケットにしていますが、これまでのようにボール紙に別の紙を貼ったタイプではなく、厚紙に直接印刷して、折りたたみ糊付けしてあります。二つある入口の片方にCD、もう片方に歌詞カードが入っています。作ってくれたのは旭川にある印刷所です。親切できちんとしていて安くて速い! 電話とメールで連絡とデータをやりとりし、翌朝配達の宅急便があるおかげで、距離を感じることはあまりないのです。

11月19日はシューベルトが亡くなった日です。「冬の旅」東京公演はこの命日をはさんだ三日間。出演者と会場の都合をあわせて決めた日程が偶然こうなっていたのでした。はたして偶然なのだろうか、と思ってみるのも興味深いものです。コンサートのための新作の詩をご紹介します。おそらく死を意識していたころのシューベルトの詩です。どんな歌なのか、それは当日のお楽しみ。

   民衆に訴える
     フランツ・ペーター・シューベルト(作曲・訳詞:高橋悠治)

  時代の青春は終わった
  民衆の力も
  流れ行く群衆のなかに埋もれて
  使いはたされた

  苦しみにさいなまれ
  あの力の名残りさえ
  時代にさまたげられて
  実りなく消える

  民衆は歌を忘れて
  病んだ時代をさまよう
  あの日の夢を捨てて
  顧みることもなく

  ただ歌だけが運命に
  立ち向かう力をくれる
  かがやく思い出をえがき
  苦しみを和らげて

「水牛のように」を2005年11月号に更新しました。
雑誌の目次のように、原稿の順番をきめるのは更新のための最後の楽しみです。今月はタイからはじまってインドネシア、イラク、イタリア、ドイツとめぐり、どこともわからないふしぎの国に足をふみいれ、日本へというふうにしてみました。テーマをもうけることはしないので、「水牛のように」は目的のない旅のようなものです。

新しく出た藤本和子さんの翻訳を2冊。
『不運な女』は1982年にピストル自殺をしたリチャード・ブローティガンの遺品の中からひとり娘が発見した最後の小説です。藤本さんが書いた『リチャード・ブローティガン』をあわせて読むとよりおもしろいと思います。
『闇の夜に』はブルーノ・ムナーリの絵本。イタリア語版とおなじくイタリアで印刷されています。黒や半透明の紙が効果的に使われていて、ページをめくるのが楽しい。簡素な日本語にもつい見入ってしまいます。

11月30日には金沢で「冬の旅」の公演があります。翌日12月1日に帰ってから作業をしますから、更新はいつもよりおそく、1日夜になると思います。そして3日からは北海道ツアーです。どこでもおいしいものが待っていてくれそう。暗い冬の北に旅する者の特権です。

それではまた!(八巻美恵)




2005年10月17日

日本語で歌う「冬の旅」東京公演のチケットを発売しました。全席自由、3500円です。
11月18日(金)と19日(土)は午後7時、20日(日)は午後5時開演です。会場のシアターイワトは100人ほどのちいさな劇場です。三日で300人しか入れません。早めのご予約をおすすめします。

電話で予約なら黒テントへ 03-5225-3634
メールで予約なら水牛へ info@suigyu.com

「冬の旅」ができたころのウィーンはいまの日本のように季節も政治も暗く寒く、しかもシューベルト自身は梅毒に苦しめられて死がせまっていたのでした。そのころにシューベルトが書いた詩「民衆に訴える」をこのコンサートのために高橋悠治が訳詩・作曲しました。もちろん斎藤晴彦が歌います。

それではまた!(八巻美恵)



2005年10月1日

「冬の旅」の公演情報をアップしました。東京で初演し、松本、金沢、北海道、岩手県など、主に北へ行きます。公演地はふえる可能性もあります。追加や変更があればその都度更新しますので、ときどきチェックしてください。そしてぜひお出かけください。CDはコンサート会場でも販売します。
シューベルトは暗い時代のウィーンで作曲家となり、死ぬまで自分の住まいを持つことなく過ごしました。背が低く太っていてメガネをかけているという「三重苦」(とどこかの本に書いてありました)だったようですが、友人にはめぐまれていたのですね。
1822年、25歳のシューベルトは「わたしの夢」という文章を書いています。その中の一節。「わたしはまた家を出て、遠くの地へと去った。わたしの愛を拒む人たちすべてに無限の愛を抱きながら。わたしはそれから長い年月のあいだ歌をうたって過ごした。わたしが愛をうたおうとすると、それは悲しみになった。そこで悲しみをうたおうとすると、それは愛になった。」
「冬の旅」を作曲する前に書かれたものですが、これは「冬の旅」の世界そのものです。日本語で聞くと、そのことがよくわかります。そしてついつぶやいてしまいます。なぜこんなに暗いの?

「水牛のように」を2005年10月号に更新しました。
人間の剥製やうつくしい解剖学蝋人形。ホットルケンはポルトガル? 金魚はアラブ人のペットである。スマトラ島リアウの州都は石油でうるおっているのだな。イサーンの蒸したもち米はおいしい。タイ語で「おかず」は「ごはんと」と言うのだからやはりごはんがまずあらねばならない。というような10月です。御喜美江さんと四釜裕子さんは今月は充電中です。

それではまた!(八巻美恵)




2005年9月1日

斎藤晴彦が日本語で歌う「冬の旅」のCDは11月1日に発売します。冬に発売するためには暑いさなかにあれこれ準備しなくてはなりません。コンサートツアーもあるため、月に一度はピアノとあわせたいという斎藤さんがやってきて、「凍った雫が転がり落ちる/泣いていたことも 忘れていた」(「凍った涙」)などと、盛大に西陽の入る部屋で汗をふきふき、寒さにふるえる心を歌います。暑さを逃れた喫茶店でつめたいジンジャーエールを飲みながら、チラシには雪をいっぱい降らせようと平野甲賀さんは言います。季節にぴったりな本も雑誌も音楽も演劇も、準備するのは正反対な季節。冬を想像することはできても、寒さを感じることまではできません。
「冬の旅」については毎月1日の更新に限らず、順次お知らせしていこうと思っています。

「冬の旅」には主人公のそばに犬とカラスが何度も登場します。カラスは棲息している土地の人間の暮らしと密接な関係を持ちすぎているようで、このへんのカラスが遠いところ、たとえば東北や九州のカラスの群に入れられると、まずその土地特有のカラスのことばが理解できず、パニックに陥ってしまうらしいのです。「冬の旅」のカラスはみな暗い。家のあたりのカラスの中にカア〜ではなく、ワッハッハッハッハ、ワッハッハ、とさわいでいるのがいるので、笑子《えみこ》という名を進呈しました。笑子の声を聞く限り、「冬の旅」のカラスたちとは仲良くなれそうにないと思うのでした。

「水牛のように」を2005年9月号に更新しました。
この「水牛だより」はブログなのですが、その形式がもっとも有効なのは中東に限らず日本の中でもでもあちこち移動している佐藤真紀さんのくろよん平和主義かもしれません。ネットにアクセスできれば、どこからでも書き込みができるというのは、強力なことだと思います。でも、どこからでもと言っても、そのどこからでもは世界のなかではまだ限られたところ。佐藤さんはいまチェルノブイリにいて、どうやらつながってはいないないようですね。
冨岡三智さんはインドネシアのスマトラ島リアウに行っています。さきほど届いたインターネットカフェからのメールによれば、原稿を添付して送ろうとしたけれどもどうしてもできないと。う〜む、残念。来月を待ちましょう。
藤井貞和さんの詩による「ふしぎの国から」をききました。いじめられて死んでいったこどものことを歌うこどもの声。おとなになってはじめてわかるそのことの意味。

それでは、また!(八巻美恵)




2005年8月1日

毎年やってくる敗戦記念日、ことしは60回目を迎えようとしています。1945年8月15日に生まれた友人は、誕生日には毎年「あれから××年」と言われ続けているため、自分の年齢を意識せずに生きることは一生できないのだわ、と言います。わたしは戦後の生まれですが、小学生のころは上級生にはおとうさんのいない人がかなりいました。おとうさんはみな戦死したのです。戦後に生まれたこどもにとってもそれは当たり前のような日常でしたから、「姉の同級生には父親が戦死した人がたくさんいたから、わたしの父も戦死したのだと思いこんでいたのよ」と津島佑子さんから聞いたとき、さもありなんと思ったものです。津島さんのおとうさんは太宰治、亡くなったのは1948年です。

タイの尼僧、メーチー・サンサニーさんの一筆書きの作品展が(東京では)一日だけありました。その日の午後に行ってみると、お客はわたしひとりだけ。作品を一通り見て、「智慧の歩み」という1時間ほどのドキュメンタリーを見ていると、メーチー・サンサニーさんが会場に入ってきました。ワイをして微笑みをかわしました。尼僧と書きましたが、正しくは今のタイでは女性は出家しても僧侶にはなれず、メーチーと呼ばれる修行者にとどまります。黄色ではなく白い僧衣しか着ることが許されません。その白い僧衣の着こなし(?)が美しくおしゃれに見えるのは、メーチー・サンサニーさんが以前はタイのトップモデルだったことと無関係ではなさそう。でもそのたたずまいはしんと落ち着いて静かです。作品やドキュメンタリーやウエブをいくら見ても伝わらないものがその人そのものにあることを忘れてはいけないと思った、夏のはじめの午後でした。

「水牛のように」を2005年8月号に更新しました。
森下ヒバリさんは京都からタイに避暑に行く? いいなあ。いまごろのタイなら空気もすこし乾いていてすごしやすそう。
いつもスラチャイの詩を訳してくれる荘司和子さんはタイの語学書の執筆でいそがしく、今月もお休みです。そのかわり、タイ風空心菜ミソ炒めをおしえてもらいました。空心菜は朝顔菜ともいい、中国や東南アジアではおなじみの葉ものです。茎が中空になっているので、空心菜という名があるのだと思います。みそ、醤油、ナムプラー、オイスターソースを自分の口にあう味に混ぜ合わせて、フライパンで熱します。そこに空心菜を2つか3つに手でちぎってバッと入れ、全体に調味料がからまったらすぐに火を止めて出来上がり。火を通しすぎると水っぽくなっておいしくありません。好みでニンニクをいれるのもよし。
おいしい夏を過ごしましょう。

今月の一冊は『祖父の恵み』(レイチェル・ナオミ・リーメン 藤本和子訳 中央公論新社)を。まだ一冊ぜんぶを読み通していないけれども、前作の『失われた物語を求めて キッチンテーブルの知恵』よりおもしろいという感触があります。リーメンが7歳のときに亡くなった、ユダヤ人のラビで神秘主義者だったおじいさんとの関係がひとつの軸となっていて、そこに興味をそそられるのです。おじいさんのいうとおり、「いまも自由はこわいもの」だと思います。amazonにリンクしようと検索したら、あれ? この本はありませんでした。なぜでしょうか? まさかもう売り切れ??

それでは、また!(八巻美恵)



2005年7月1日

6月の中旬、水牛レーベル次のCDのために、2日間かけてシューベルトの「冬の旅」を録音しました。歌うのは黒テントの斎藤晴彦、ピアノは高橋悠治です。このふたりの組み合わせですから、やはりふつうのクラシック演奏というわけにはいきません。水牛楽団のコンサートで、ショパンのポロネーズやモーツアルトのトルコ行進曲、ベートーベンのアパッショナータにあわせて歌う斎藤さんを覚えていらっしゃるかたもあると思います。わたしはあれ以来これらの曲をきくたびに、斎藤さんが歌ったことばの一部が浮かんでくるありさま。今度の「冬の旅」は日本語版です。ミュラーのもとの詩に忠実に斎藤晴彦、高橋悠治、山元清多、平野甲賀、田川律の5人が訳しました。日本語で聞くと考えている以上によくわかるのは、あたりまえとはいえ、どこか不思議な気がします。発売は11月、東京をはじめ、松本、北海道などで公演の予定もあり。文字通りの冬の旅、となりそうです。詳細をお知らせできるまで、心のどこかに留めておいてください。斎藤さん自身はこんなふうに書いています。

「水牛のように」を2005年7月号に更新しました。
森下ヒバリさんがアジアのごはんのことを書いてくれることになりました。ビーフン炒め煮はおいしそう。ハチクはないけど、ちがう具をいれて作ってみよう。カラワンの「ノーマイ(たけのこ)」はなつかしい歌です。森から戻ってきたばかりのモンコンがはじめて東京に来る前に送ってくれたテープの中にこの歌も入っていたからです。食べ物に苦労した森の生活のこともずいぶん聞きました。カクメイを助けてくれたのはたけのこと味の素。塩と味の素を入れたお湯で、食べられそうなものは何でも煮て食べたと。
杉山さんちのぼうやが大きくなったら、今月のお父さんの原稿はぜひ読んでもらいたいものだと思います。手製本の師匠と仰ぐ四釜さんに交差式ルリユールを教えてもらって、ちいさな本にしておこうかな。
ひとの不幸をよろこぶ趣味はないけれど、御喜さんの不幸な体験、おじいさんのゴホン、には思わず笑ってしまいました。

7月13日発売のCDのお知らせです。
「yuji takahashi」(ATAK006) 2200円。以下は制作者による宣伝文です。
高橋悠治、12年振りの電子音楽によるフルアルバム。1963-2005、42年間の集大成!
電子音楽作品によるフルアルバムとしては「翳り(1993)」以来12年ぶりとなる本作は、ライブでのみ発表されてきた2000年以降の最新作から'95年の傑作「雲輪舌260795(1995)」、'89年に発表されたカフカのテクストによる作曲者自身の朗読とコンピュータシステムによる「それとライラックを日向に(1989)」、1963年に作曲された電子音楽の処女作にして幻の音源とされていた自身25歳(!)のテープ音楽「TIME」(真鍋博のアニメーション作品に提供した日本最初期の電子音楽作品)といった異なる時代の傑作を網羅した、最新作にして集大成、問題作にして最高傑作と言える豪華な内容です。
詳しくはATAKへどうぞ。

それではまた!(八巻美恵)




2005年6月1日

外に出るときはジーンズをはくことが多いのですが、このところ、帰宅するとすぐに作務衣のズボンにはきかえます。気持ちよく楽なこのズボンはタイの綿の藍染めです。新品のうちは着ていると指が藍に染まります。腰まわりはたっぷりしていて、ユルすぎるほど。この作務衣は、松本の神宮寺にあるNGO組織アクセス21が、タイのチェンマイ郊外にある小さな村のお寺でHIVに感染している女性たちと協同でつくっているものです。春まだ浅いころ訪ねた神宮寺では、住職の高橋卓志さんが何度も洗われてほどよく水色になった、見るからに柔らかそうなこの作務衣を着ていて、しばし見とれました。着れば着るほど体になじんで恰好よく見えるのがタイの綿の特徴です。俗人のわたしが住職のように上下をあわせて着てしまうと、信心はないのにカタチだけイカニモという感じになるので、どちらかひとつを着て、ちょっとだけおしゃれに。

「水牛のように」を2005年6月号に更新しました。
今月はにぎやかにお届けします。石田秀実さんがみずから連載をはじめてくださったのはうれしいことです。「「ビレッジにもはやすまない人々」からなる「グローバル・ビレッジ」




2005年5月1日

もう二ヶ月ほど前から予定していた不忍ブックストリートの一箱古本市に一日店主となって、段ボール一箱分の本を売ってきました。根津駅と千駄木駅のあいだ、不忍通り沿いの書店の前や、少し入った路地にあるあちこちのカフェの軒先に、あわせると80近い段ボールが並びました。その段ボール箱ひとつひとつが古本店というわけです。店番を担当する時間以外は自分もお客になって、全店見てまわります。よく歩いた一日でもありました。たった一箱のお店ですが、実際に売ってみると、品揃えや値段のつけかた、並べ方など考えさせられました。次の機会のためのアイデアがすでにあれこれ浮かびます。またやってみたい! お昼は「オトメ」という中華料理屋で。「すみれ」という喫茶店もありました。ありそうであまりない、「不忍通り」によく似合う名前だと思ったのでした。

「水牛のように」を2005年5月号に更新しました。
「しゃしゃむしゃしゃ、思い」はメタクタ(めちゃくちゃ)緑の虱風。藤井さんは第一回目に、「シラミが環境汚染で緑色に染まってしまい頭髪に住み始めたという童話だと思ってください。」と書いています。
冨岡三智さんが大阪現代演劇祭の一環として、hmpの公演「cage」に出演します。原作はカフカの「流刑地」。5月13、14、15日です。ジャワ舞踊とはかけはなれたキャラクターを演ずる冨岡さんと、その上演場所である大阪港の突堤の仮設劇場を見てみたいものです。
カラワンのモンコンによれば、あのツナミのあと、復興したのは観光地だけで漁村と漁民はなおざりにされたままだとのこと。カラワンが被災した漁民のために歌をうたっていることは彼らを知っていればすぐに想像できるとしても、そうしたことはほとんど伝わってこないのも事実です。情報はあふれるほどだと信じられているのに。

今月も「メントール・ユーカリプト」に3編の詩を追加しました。片岡さんの詩は1編だけ読むのと、こうしてたくさん読むのとではかなり違う感じがします。なぜでしょう?

それではまた!(八巻美恵)




2005年4月1日

水牛のアドレスを変更しました。新居はhttp://www.suigyu.comです。ブックマークの書き換えをお願いします。

CD「Like a Water Buffalo」(水牛のように)を本日発売しました。4月1日という日付にちょっとあやしさがただよいますが、うそではありません。御喜美江さんと水牛との共同プロデュース、2年がかりで実現しました。

「Like a Water Buffalo」(高橋悠治作曲)というアコーディオンのための曲ができて20年たち、御喜さんの提案を受け入れて、フリードリヒ・リップス(ロシア)、エルスベート・モーサー(スイス)、マッティ・ランタネン(フィンランド)が演奏に参加してくれました。曲のもとになった詩を書いてくれたオーストラリアのウェンディ・プサードともインターネットを通じて連絡がとれて、彼女のあかるい声の朗読もいれることができました。CDとしては現代音楽に分類されることになるのでしょうが、そこからはみだす部分が微妙ながらも確実にあるのが水牛的なところです。御喜さんという演奏者をはじめに得て、そこから幸福な20年間をスタートさせた曲の歴史というようなものも感じます。楽譜もきょうからダウンロードできるようになりました。楽譜を見ながら4人のソリストの4人4様の演奏と朗読を楽しむ、という趣向はいかがですか?

「水牛のように」を2005年4月号に更新しました。
杉山さんのところにやってきたちいさなひとについてはメールで知らせが届きました。原稿にも書いてくれるといいなと思いましたが、黙っていました。そしたら、ほら、願いのとおりに。御喜さんは13歳のときにははやくもアコーディオンを弾くひとになろうと決めていたのですから、筋金入りです。でも、彼女の筋金はとてもしなやかで、それがあることすら感じさせないこともあるのです。その御喜さんのコンサート、アコーディオン・ワークス2005は本日、4月1日午後7時から東京文化会館小ホールで。今回のテーマは、「風景のなかで」。「たとえば、「風景」「風」「鳥」といったテーマ別の本棚に納まったさまざまな本をひもとくのを想像してください。まるで呼吸するような、クライマックスのない演奏会があっても、いいですよね?」水牛のCDの出店もあります。

それではまた!(八巻美恵)




2005年3月1日

昨年誕生した出版社「アメーバブックス」(編集長は山川健一さん)から五月に出版される片岡義男さんの短編小説集『物のかたちのバラッド』の編集を担当しています。

2002年に「水牛楽団」のCDを作ったとき、片岡さんにも1枚お送りしました。収録した「フジムラ・ストア」は片岡さんがおしえてくれた曲だったからです。しばらくして、津野海太郎さんと3人で食事をする機会がありました。藤井貞和さんの自作詩朗読のCD「パンダくるな」の録音をひかえていたわたしは、そのとき片岡さんの声や話す調子をしみじみ味わいながら、片岡さんの詩の朗読のCDも作ろう! と勝手に決心したのでした。「パンダくるな」のようにCD1枚のなかに、朗読と詩のテキストと写真のスライドショーを入れることを考えついて、電子出版の魅力全開だと思ったものです。片岡さんはこのアイデアには賛成してくださって、でもモノとしての詩集もぜひつくりたいとおっしゃいました。水牛に片岡さんの詩のコーナー「メントール・ユーカリプト」ができあがったのは、こうした話のつづきの出来事です。近い将来のいつの日か朗読のCDをつくるためのものでもあると、わたし自身はそうとらえているのですが、どうなるでしょうか。朗読はあまり気がすすまないと最近の片岡さんは言っています。

「アメーバブックス」から出る片岡さんの本の最初の予定は詩集だったので、わたしはその編集者として抜擢(!)されたのでした。本は詩集から短編小説集に変更になりましたが、片岡さんの編集者としてそのまま居座り、本文のDTPやブログ「今日という昔」にまで手をひろげてしまいました。ブログでは片岡さんの書き下ろし小説「もう痛くない彼女」の連載もはじめました。ふしぎな小説です。ぜひ読んでください。

「水牛のように」を2005年3月号に更新しました。
佐藤真紀さんの原稿はヨルダンから届きました。佐藤さんもそのひとりであるらしい「おやじ」たち、おかあさんを亡くしたファートマちゃんをよろしくね。森下ヒバリさんはバンコクから。タイはマンゴーのおいしい季節だそうです。いいなあ。スラチャイの「子守唄」の息子は、さすがにあの父の血をひく子、家出などしたりもしたけれど、むずかしい年ごろを越えて、この前会ったときは落ち着いてやさしい青年になっていました。おとなになるっていいことだと彼を見て思ったものです。
次の更新は4月1日。この日は御喜美江さんのリサイタルの日でもあり、CD「水牛のように」の発売日でもあります。完成まで、まだまだたくさんの行程があるので、ちょっと不安もきざす日々です。

●江村夏樹さんのプリペアドピアノコンサートのお知らせ
 ジョン・ケージ「ソナタとインタリュード」全曲
 3月9日(水) 19時半開場 20時開演
 渋谷 公園通りクラシックス tel 03(3464)2701
 予約 2500円 当日 3000円 学割 1000円(要学生証)
 予約・お問い合わせは太鼓堂、またはティコ・ディコへ。

それではまた!(八巻美恵)




2005年2月1日

世はブログに人気があつまっています。実はこの「水牛だより」もブログの形式を使っています。はじめにテンプレートさえ(助っ人の手を借りて)つくってしまえば、レイアウトを気にせずに、原稿さえ書けばいいのですし、ファイルの管理もHTML よりずっとラクであることは、じっさいに使ってみると身にしみてよくわかります。

たくさんの書き手がいる「水牛のように」も、書き手ごとのブログの集合体のようなものにすることはできるし、そのほうが今を感じさせるかもしれないと思います。でもそうしてしまうと、たがいの関係性の質が変わってしまうとも思うのです。もうしばらくは、あいまいさをじゅうぶんに持って、ひとが出会える空間としての「水牛」のままでいよう。そんなことを考えたのは、1月22日におこなった木村迪夫さんの『まぎれ野へ』の出版記念朗読会が、「水牛のように」を現実の土曜日の午後に移したような、ふしぎな魅力にあふれた集まりになったからです。声に出して読まれ語られ歌われて、耳から入ってくることばは、詩人たちのたたずまいとともに、あの日あの時の空間をみたし、こころに残る全体として機能したのでした。

「水牛のように」を2005年2月号に更新しました。
巻上公一さんの「目に鳩」はメールマガジン「マキブリ」最新号から。巻上さんとそっくりのかわいい坊やとの会話(?)がかわいらしくて、転載をお願いしました。
スラチャイが企画、制作、販売までひとりでやったという自主制作のCDの話。「何部売れないともとがとれない」とか、「どうして売れないのか」とかいう制作会社の損得勘定とつきあう必要がなくてとてもしあわせで自由につくった、というところに強く同感です。
自主制作だからといって、採算がとれなくていいというわけではないし、売れなくてもいいというわけじゃない。もちろん売れてほしいと願います。それをだれかの損得勘定から言われるのはどこかおかしいということです。

4月1日発売予定のCD「水牛のように」のファーストエディットが出来上がり、はじめて全体を通して聴きました。アイディアがかたちになってゆくときの「しあわせで自由」な瞬間です。オーストラリアの詩人ウェンディー・プサードが「水牛楽団の歌」という詩を書いて送ってくれたのが1981年だったと記憶しています。この詩がそもそもの発端であるなら、CDができるまでに24年という時間が必要だったことになります。この間のことは、きっと御喜さんが来月書いてくれるはず。幸福なCDの誕生のために、さて、これから作業を開始しなければ。

それではまた!(八巻美恵)




2005年1月1日

あけましておめでとうございます。
悪くなるいっぽうの世界ですが、こうして年のはじめを迎えると、あらためて平和とやすらぎを願わずにはいられません。呼びかけ人のひとりとしてわたしも名を連ねる青空文庫では、あらたな年のはじまりに「著作権保護期間の70年延長に反対する」という声明を出しました。水牛も「反対に賛成」です。

2005年最初のお知らせは木村迪夫さんの朗読会について。
「まぎれ野へ 木村迪夫自作詩朗読」は詩人たちの間で評判になっているそうです。木村さんの朗読のすばらしさを詩人たちだけに独り占めさせるわけにはいきません。ぜひいらしてください。
1月22日(土)14:00 会場は四谷駅から5分ほどのところにある、アート・ステュディウム一階Gallery Objective Correlative(地図はこちら)。
木村迪夫、藤井貞和、小泉英政による詩の朗読と、富山妙子・高橋悠治 「けろけろ ころろ」、岡崎乾二郎・ぱくきょんみ「れろれろくん」の2冊の絵本をもとにした、映像と朗読による紙芝居を予定しています。後援は近畿大学国際人文科学研究所。入場料はカンパです。

「水牛のように」を2005年1月号に更新しました。
年末という締め切りのせいか、いつもよりすこし少なめです。スラチャイのように、「好きなことは/屋台の本を見て回ること/気に入ったヤツとつきあうこと/高価なものには縁がない」という暮らしが今年もわたしを待っています。佐藤真紀さんが書くこどもたちの話を読むと、こどもたちだけは悪くなるいっぽうの世界での生きかたを知っているのだと感じます。

「水牛の本棚」は杉山洋一さんの「しもた屋之噺」を。これまで「水牛のように」に連載してきたものの総集編です。TTZ製作はまたも浜野智さんの早技です。ほんとうはこのように順次まとめていけるといいのですが。。。

片岡義男さんの詩のコーナー「メントール・ユーカリプト」も更新です。『yours』をひもといて、くらべてみるのも興味深いと思います。BGMには片岡さんが選曲したCD「カーメン・キャヴァレロ」をどうぞ! 詩のタイトルにもなっている「Misty」という曲もはいっています。

ことしはCDを少なくとも2枚発売します。1枚は御喜美江さんのプロデュースによる「水牛のように」。この曲をはぐくんできた4人のアコーディオン奏者が、曲のもとになった詩をそれぞれの母国語で朗読し、それぞれのスタイルで演奏します。詩をかいてくれたウェンディ・プサードさんの朗読と水牛楽団の演奏も入ります。御喜さんのリサイタルにあわせて、4月1日の発売です。
もう1枚はシューベルトの「冬の旅」。斎藤晴彦さんが全曲を日本語でうたいます。斎藤さん自身に3人のひとが加わって、ウイルヘルム・ミュラーの詩をあたらしく日本語にしています。ピアノは高橋悠治さん。この冬に練習をして、夏に録音、次の冬に発売の予定。CDができあがったら、コンサートもしたいと思っています。楽しみに待っていてください。

それではまた!(八巻美恵)





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