ハンナ・アーレント

監督:マルガレーテ・フォン・トロッタ
出演:バルバラ・スコバ、アクセル・ミルベルク、ジャネット・マクティア、ユリア・イェンチ、ウルリッヒ・ノエテン、ミヒャエル・デーゲン
原題:Hannah Arendt
制作:ドイツ・ルクセンブルク・フランス/2012
URL:http://www.cetera.co.jp/h_arendt/
場所:吉祥寺バウスシアター

伝記映画の一つの手法として、その人の生涯の中でもとりわけて重要な事件に焦点を当てて、そこから人物像を浮かび上がらせる方法があるんだけど、この『ハンナ・アーレント』は、彼女が1961年にイスラエルで行われたナチス戦犯アドルフ・アイヒマンの裁判を傍聴し、ザ・ニューヨーカー誌に「彼は思考を停止した凡人にすぎない」とレポートを書いたことから世論から糾弾された事件にフォーカスを当てた映画だった。沈思黙考することもなしに感情をむき出しにしてハンナ・アーレントを攻撃する人々を、思考を停止して仕事をこなしたアドルフ・アイヒマンと重ね合わせて、いかに「思考すること」が大切なことなのかを明らかにして行く手法はとても巧かった。生涯をジェットコースターのように突っ走る伝記映画よりも、この映画のようにしっかりとしたテーマを中心に置いて描く伝記映画のほうが断然に面白い。

一般大衆がいっときの感情によって反射的に批判的な言動をする行為は、情報過多のいまの時代にこそ顕著になって来ていて、最近でもテレビ番組やコマーシャルや、コンビニの弁当にまで! 及んでいる。その点においてもまったくタイムリーな映画だった。

→マルガレーテ・フォン・トロッタ→バルバラ・スコバ→ドイツ・ルクセンブルク・フランス/2012→吉祥寺バウスシアター→★★★★

もらとりあむタマ子

監督:山下敦弘
出演:前田敦子、康すおん、伊東清矢、中村久美、富田靖子、鈴木慶一
制作:『もらとりあむタマ子』製作委員会/2013
URL:http://www.bitters.co.jp/tamako/
場所:新宿武蔵野館

AKB48には興味がないけど、渡辺麻友や柏木由紀や篠田麻里子が上位に来るのは理解できる。大島優子も最初は理解できなかったけど、『闇金ウシジマくん』を見てからは、ひらひら衣装のアイドルよりは素のほうが断然良いじゃん、と理解するようになって来た。でも、前田敦子だけはどうしても理解できない。どこが良いのかさっぱりわからない。どうして彼女がダントツのNo.1だったんだろう。自分とアイドルヲタの人たちとそこまでアイドルを見る視点が違うものなんだろうか。(ポット出版から出ている岡田康宏「アイドルのいる暮らし」を読んでもそんなに違いは感じられないんだけど)

山下敦弘監督の『苦役列車』に続いてスクリーンでの前田敦子を観たわけだけれども、『苦役列車』よりは良かったとおもう。でも、AKB48総選挙1位と云う肩書きが無くてもスクリーンテストに合格するようなビジュアルなのかは、やっぱり、疑問だ。ごめん。映画は良かったです。

→山下敦弘→前田敦子→『もらとりあむタマ子』製作委員会/2013→新宿武蔵野館→★★★☆

かぐや姫の物語

監督:高畑勲
声:朝倉あき、高良健吾、地井武男、宮本信子、高畑淳子、田畑智子、立川志の輔、上川隆也、伊集院光、宇崎竜童、古城環、中村七之助、橋爪功、朝丘雪路、仲代達矢
制作:スタジオジブリ/2013
URL:http://kaguyahime-monogatari.jp
場所:109シネマズ木場

高畑勲と云えば世界名作劇場のアニメーション「赤毛のアン」で、「赤毛のアン」と云えば高畑勲が演出をして、近藤喜文がキャラクターデザイン・作画監督をして、宮崎駿が場面設定・画面構成をした世界名作劇場のアニメーションなわけで、それ以外は考えようもないほどに自分の中では固定してしまっている。もちろん高畑勲には『火垂るの墓』があるわけだけれども、それでもやっぱり「赤毛のアン」以外には考えられない。

この『かぐや姫の物語』は、高畑勲の演出作品としては『ホーホケキョとなりの山田くん』以来の14年ぶりの長編アニメーションになるわけだけど、考えてみたら『平成狸合戦ぽんぽこ』も『ホーホケキョとなりの山田くん』も観ていない。やはり「赤毛のアン」を基本とした場合に、この二つの映画にまったく魅力を感じなかったからだろうとおもう。

でも今回は宣伝効果も手伝って、内容的にも観ようと云う気にさせられたので映画館に足を運んでみた。

『火垂るの墓』と同様に素晴らしい映画だった。1コマごとのクオリティの高さはまるでユーリ・ノルシュテインやフレデリック・バックの短編アニメーションを見ているようだった。ただ、公開からだいぶ時間が経ってしまったので、そのあいだにいろんな情報が、知らなくても良いような情報が入って来てしまったので、そのような芸術的な短編アニメーションと同等のクオリティを求める劇場長編アニメーションと云うものの意味を考えられずには観られなかった。

知らなくても良いような情報とは以下のようなblogの記事。

高畑勲監督作品『かぐや姫の物語』が出来るまで – 1年で365本ひたすら映画を観まくる日記

途中から出典が不明確になってしまうblogではあるのだけれど、以下のインタビューなども合わせて読めば、まあ、現場はめちゃくちゃ大変だったのではないだろうかと想像できる。

【私の時間 シネマ】日常を懸命に生きる大切さを 「かぐや姫の物語」プロデューサー語る

高畑勲は素晴らしい演出家ではあるとおもうんだけど、その気難しさが作品そのものにそのまま出てしまっているような気がして、なぜか「赤毛のアン」以外は愛着を感じることができない。そうだとすると「赤毛のアン」は何だったんだろう? 当時の世界名作劇場と云うアニメーションの制作状況が何か不思議な化学作用を起こさせていたんだろうか。

→高畑勲→(声)朝倉あき→スタジオジブリ/2013→109シネマズ木場→★★★☆

ゼロ・グラビティ

監督:アルフォンソ・キュアロン
出演:サンドラ・ブロック、ジョージ・クルーニー、エド・ハリス(声のみ)、ファルダット・シャーマ、エイミー・ウォレン
原題:Gravity
制作:アメリカ/2013
URL:http://wwws.warnerbros.co.jp/gravity/#/home
場所:ユナイテッドシネマとしまえん

ネットの予告編を見た時から、宇宙空間を浮遊する無重力感と視点移動のダイナミックさにいやがうえにも期待が高まっていた『ゼロ・グラビティ』だけど、そんな中途半端な期待感を軽く越えるほどの出来栄えの良さだった。しかも3Dの効果が素晴らしく、破壊された人工衛星の破片が映画を観ているこちらに向かってバチバチとぶつかってくる感覚は、おもわず身体をよけてしまうくらいだった。いや、そんな見せ物としての3D効果だけではなくて、地球に帰ってきたサンドラ・ブロックが、ようやく岸にたどり着いて浜辺に倒れ込むシーンの奥行き感がまた効果抜群だった。宇宙船の中の胎児が、成層圏と云う産道を通って、広々とした空間に生まれ落ちる生命体を感じさせる感動的なシーンだった。

このように全体的には『2001年宇宙の旅』を意識させるシーンの連続だったけど、地球側のオペレーターとしてエド・ハリスが声だけで出演していたのも嬉しかった。エド・ハリスと言えば『ライトスタッフ』で、アメリカ初の地球周回軌道を飛行したジョン・グレンを演じていた。サンドラ・ブロックが地球に再突入するシーンは、このジョン・グレンの再突入シーンとまったくオーヴァーラップしてしまった。

それから、絶体絶命のサンドラ・ブロックが懸命にヒューストンと連絡を取ろうとした時に、おもわず地球の電波を受信してしまうシーンがあった。相手が何語をしゃべっているのかまったくわからないが、名前が「アニンガ」であることを理解し、一緒に聞こえてくる犬の鳴き声や赤ん坊の泣き声に癒されるシーンがあった。この地球側のシークエンスをアルフォンソ・キュアロン監督の息子、ホナス・キュアロンがスピンオフとして撮っていた。これは面白い。

→アルフォンソ・キュアロン→サンドラ・ブロック→アメリカ/2013→ユナイテッドシネマとしまえん→★★★★

清洲会議

監督:三谷幸喜
出演:役所広司、大泉洋、小日向文世、佐藤浩市、妻夫木聡、浅野忠信、寺島進、でんでん、松山ケンイチ、伊勢谷友介、鈴木京香、中谷美紀、剛力彩芽、阿南健治、染谷将太、篠井英介、戸田恵子、梶原善、瀬戸カトリーヌ、近藤芳正、浅野和之、中村勘九郎、天海祐希、西田敏行
制作:フジテレビジョン、東宝/2013
URL:http://www.kiyosukaigi.com/index.html
場所:109シネマズ木場

WOWOWで昨年末に放送された三谷幸喜のドラマ「大空港2013」は面白かった。地方の小さな空港で繰り広げられる家族5人+伯父+父親の愛人+娘の婚約者+空港職員+詐欺師のドタバタ喜劇は、まさに三谷幸喜ワールドが全開だった。やっぱり三谷幸喜は根っからの演劇人で、コンパクトなシチュエーションの中でストーリーを展開させて行くのにものすごく長けている。それは「やっぱり猫が好き」や「古畑任三郎」から続くテレビドラマには充分に生かされていて、特に「王様のレンストラン」は日本のテレビドラマ史上のベストの作品じゃないかとおもうくらいだ。

ところが映画となると、処女作の『ラジオの時間』はまだしも、その後の作品がまったく面白くない。笑えないのだ。笑ったとしても、クスリ、ぐらいだ。この『清洲会議』もすべてがダダ滑りしている。笑わせようとしているところが空回りしている。それなのに、まったく必要のないシークエンスも追加し放題。途中に何度も差し挟む阿南健治の滝川一益が必至で清洲会議へ駆けつけるくだりはいったい何の意味があるんだろう。天海祐希の忍びが大泉洋の羽柴秀吉を襲うくだりもまったくいらない。冗長になるだけだ。

三谷幸喜はもっとコンパクトな映画を作るべきだとおもう。出来たら1時間30分くらいのプログラムピクチャーを撮るべきだ。でも周りがそうさせないんだろうなあ。フジテレビと組むことによって三谷幸喜が死んでしまっている。

→三谷幸喜→役所広司→フジテレビジョン、東宝/2013→109シネマズ木場→★★