一緒に来てた人たちがすべて帰ってしまって、孤独のシネマ。以下の4本

●足立正生『略称・連続射殺魔』(日本/1969)
審査員の一人、足立正生監督の作品。1968年から1969年にかけて「連続ピストル射殺事件」を起こした永山則夫が見たであろう景色を故郷の網走から逮捕された東京の地までを追いかけて行く。見ているうちに、なぜ彼は一つ場所に落ち着くことができなかったのだろうかと云う疑問に支配されるけど、この映画ではその理由を解題しないで、今から見れば汚れて雑然とした日本の町並みが延々と流れるだけなので、気持ちが次第によどんで行く。そう云った気分にさせられること自体がこの映画の狙いなのかなあ。

●亀井文夫『戰ふ兵隊』(日本/1939)
プロパガンダ映画を撮らせるつもりがプロレタリア映画になってしまって軍部によって処分されてしまった映画。見ながら木下恵介の『陸軍』をおもいだしていた。一方は廃棄処分、一方はかろうじて公開。その差はあんまりないのに。完全な形(オリジナルは80分、現存は66分)で見たかった。

●ルイス・ブニュエル『糧なき土地』(スペイン/1932)
スペインのポルトガル国境に近い山岳地帯「ラス・ウルデス」に住む貧しい人たちを記録した映画。ドキュメンタリー映画の一つのジャンルとして、文化人類学のフィールドワークを記録する分野があるんだけど、ロバート・フラハティやこのルイス・ブニュエルの映画が後の日本の民映研の映画に通じて行くんだなあと、山形国際ドキュメンタリー映画祭に通うようになってから3回目にしてやっと認識する。でも、この映画祭の大賞をロバート&フランシス・フラハティ賞としておきながら、その分野の映画があまりコンペに無いのはどうしてなんだろう。

●ディエゴ・グティエレス監督『家族のかけら』(オランダ、メキシコ/2012)
サラ・ポーリーの『物語る私たち』と同じように家族の歴史を記録したプライベートフィルム。サラ・ポーリーの映画に比べればオーソドックスな手法のドキュメンタリー映画だった。この二つの映画を見て、過去の映像が8mmフィルムなどで残っているような家族は、まあ、金持ちだなあと。ルイス・ブニュエルつながりで『忘れられた人々』をおもいだせば、メキシコシティでの貧富の差を憂うばかりの感想しかなくなってしまった。

今日の短編二本『戰ふ兵隊』『糧なき土地』を入れて3日間で合計10本となった。やっぱり映画祭の映画漬けは楽しくてやめられない。でも今回はジョシュア・オッペンハイマーの『殺人という行為』に集約されるなあ。どこの会場へ行っても引き合いに出されるほど衝撃的な映画だった。これでロバート&フランシス・フラハティ賞を取らないなんてことがあるんだろうか。