督:デイミアン・チャゼル
出演:マーゴット・ロビー、ブラッド・ピット、ディエゴ・カルバ、ジーン・スマート、ジョヴァン・アデポ、リー・ジュン・リー、ルーカス・ハース、マックス・ミンゲラ、エリック・ロバーツ、ローリー・スコーヴェル、キャサリン・ウォーターストン、トビー・マグワイア
原題:Babylon
制作:アメリカ/2022
URL:https://babylon-movie.jp
場所:109シネマズ菖蒲

1989年に日本でも翻訳されたケネス・アンガーの「ハリウッド・バビロン I」(明石三世訳、リブロポート、2011年にPARCO出版で再販)は、映画制作黎明期の1920年代から1960年代にかけての監督や俳優によるスキャンダラスな殺人、自殺、性犯罪、ドラッグによる事件を扱っていて、チャーリー・チャップリンやエロール・フリン、マリリン・モンローにいたるまで何となく風聞として知っていた下世話な逸話が事細かく(ちょっと誇張気味?に)記載されていてめちゃくちゃおもしろかった。普段は文春オンラインなんかのゴシップ記事を毛嫌いしていながらも、そういったたぐいのモノは読むと面白い。自分の中の人間の性がさせる矛盾がなんとも悩ましい。

このケネス・アンガー「ハリウッド・バビロン」にインスパイアされたとおもわれるデイミアン・チャゼル監督の映画『バビロン』は、1920年代当時のバブルな映画製作者たちの乱痴気騒ぎのパーティーへ本物のゾウを運ぶシーンからはじまる。ゾウと云えば「ハリウッド・バビロン I」の巻頭も飾るD・W・グリフィス『イントレランス』(1916)のソウの石像のシーン(ベルシャザールの祝宴)を連想させて、オープニングから一気に盛り上がってしまった。

そのゾウが運び込まれた大豪邸での肉欲の饗宴のさなか、デブの男が一人の女を殺してしまう。これはまさしく「ハリウッド・バビロン I」にも出てくるロスコー・アーバックルが女優のヴァージニア・ラッペを性的暴行によって殺害してしまった事件がモデルななっていることは間違いない。

ヴァージニア・ラッペが亡くなったことで、穴が空いてしまった女優の代役として起用されるのが、ニュージャージーから出てきて女優になろうと野心満々のネリー・ラロイ(マーゴット・ロビー)だった。このネリー・ラロイのモデルはクララ・ボウであることに間違いないとおもう。でも企画当初は、デイミアン・チャゼルと『ラ・ラ・ランド』でコンビを組んだエマ・ストーンがネリー・ラロイを演じる予定で、もっとよりクララ・ボウに近い人物像になる予定だったらしい。それがマーゴット・ロビーが演じることになって、当時のスキャンダラスな女優の要素がいろいろと盛り込まれる人物像になって行った。例えばこの映画の中でネリー・ラロイが乳首を目立たせるために氷でアイシングするシーンがでてくるけれど、それはジーン・ハーロウの十八番だった。

他にブラッド・ピットが演じているジャック・コンラッドのモデルはジョン・ギルバート。ネリー・ラロイとコンビを組む女性映画監督のモデルは、クララ・ボウの初のトーキー映画『底抜け騒ぎ (The Wild Party)』(1929)を撮ったドロシー・アーズナー。映画ゴシップ・コラムニストのエリノア・セント・ジョンのモデルはルエラ・パーソンズと、ケネス・アンガーの「ハリウッド・バビロン」に取り上げられている人物をモデルとした登場人物たちが次から次へと登場してきた。

『バビロン』は同時にサイレント映画からトーキー映画への転換期の時代も描いているので、となると真っ先におもい浮かぶのがジーン・ケリー&スタンリー・ドーネンの『雨に唄えば』(1952)だった。アーサー・フリード作詞、ナシオ・ハーブ・ブラウン作曲の“Singing in the Rain”が最初に使われた映画『ハリウッド・レヴィユー』(1929)らしきのミュージカルシーンも登場する。この映画にはジョン・ギルバートをはじめとしたMGMスターが多数出演していた。

トーキー映画が一般的になるにつれて、イメージとは違う甲高い声や訛りを発することによってイメージダウンしてしまう俳優が出てきてしまったことは『雨に唄えば』に描かれているとおりで、ジョン・ギルバートもクララ・ボウもそれで失墜して行った。ジョン・ギルバートの場合は、彼との契約を切ろうとしたルイス・B・メイヤーがわざとサウンド技師に命令して甲高い声にさせたとの逸話も「ハリウッド・バビロン I」には書かれてある。たしかにジョン・ギルバートがモデルのジャック・コンラッドを演じているブラッド・ピットは低音の良い声だ。ところが観客がその声を聞いて大笑いするシーンが出てくる。彼らがなんで笑っているのかは、そんな逸話を知らなければまったくわからない。

と、マーゴット・ロビーやブラッド・ピットのことばかり触れてきたけれど、この映画の主人公は冒頭にゾウを運んできたメキシコ系アメリカ人のマニー・トレスだった。映画のアシスタントから始まって会社の重役にまで上り詰める人物をアメリカではまだ無名のディエゴ・カルバが演じている。彼の目を通して描かれているこの映画は、メキシコ系だろうが黒人だろうが中国系だろうが、実力があれば肌の色に関係なく稼げた当時の映画界へのリスペクトも含まれていた。

で、このゴシップとリスペクトが混在するてんこ盛りの映画のための映画をどんな結末にするんだろうかと期待していたら、ネリー・ラロイのギャングからの借金問題に巻き込まれてメキシコに逃げざるを得なくなったマニー・トレスが、1950年代のハリウッドへ家族とともに観光で戻ってきて、映画館でジーン・ケリー&スタンリー・ドーネン『雨に唄えば』を観て涙するシーンをラストに持ってきた。そして、彼の脳裏にフラッシュバックする様々な映画(『2001年宇宙の旅』もあったので時空を超えてる)のシーンはまるでジュゼッペ・トルナトーレ『ニュー・シネマ・パラダイス』のようで、ちょっとベタでありきたりなお涙頂戴の結末のような気がしないでもなかった。

デイミアン・チャゼルの映画は人間を過剰に描くきらいがあって、今回の『バビロン』はまさに彼のやりたい放題の、これがやりたかったんだ! の真骨頂の映画だった。この脂ぎったしつこさをどのように感じるのか、それは人さまざまで、まったく胃が受け付けないと云う人も大勢いいるとおもう。でも自分にとってデイミアン・チャゼルはとてもしっくりと来てしまう。『バビロン』も面白くてあっと云う間の3時間だった。

→デイミアン・チャゼル→マーゴット・ロビー→アメリカ/2022→109シネマズ菖蒲→★★★★

監督:マーティン・マクドナー
出演:コリン・ファレル、ブレンダン・グリーソン、ケリー・コンドン、バリー・コーガン、シーラ・フリットン
原題:The Banshees of Inisherin
制作:アイルランド、イギリス、アメリカ/2022
URL:https://www.searchlightpictures.jp/movies/bansheesofinisherin
場所:ユナイテッド・シネマ浦和

子どものころから不思議におもうのは「友達」ってものの関係性だったりする。おそらくは赤毛のアンが云うような「ウマが合う」が基本だとはおもうのだけれど、双方向に「ウマが合う」と感じることはまれで、なんとなくその場を取り繕って「友達」に収まっていたりする場合も多い。それは大人になったとしても同様で、つまんねえ奴だなあ、っておもいながら飲み友達だったりする。

アイルランドのイニシェリン島(架空の島?)に住むパードリック(コリン・ファレル)にはコルム(ブレンダン・グリーソン)と云うパブ仲間がいる。毎日、午後2時には二人連れ添ってパブへ行く。ところがある日、いきなりコルムに無視されて、一人でパブへ行くはめになってしまう。納得がいかないパードリックはコルムに問いただす。彼が云うには、これからあとの老い行く人生にお前のくだらない話を聞いて無為に過ごしたくない。好きなバイオリンで作曲などをして有意義に暮らしたい、と絶縁宣言を云い渡される。

この導入からはじまった『イニシェリン島の精霊』は、あれよあれよと、まるでゴーギャンとの関係に絶望したゴッホが耳を切り落としたような凄惨な展開へと進んで行って、さらには全面戦争の様相を呈して取り返すことの出来ない事態へと陥っていく。「友達」なんてものが儚い関係性の上に成り立っていることを見せつけられて、やりきれない気持ちになると同時に、取るに足らないことで極端な行為をしてしまう馬鹿な人間に半笑いさえ起きてしまう。

この映画の舞台は1923年。アイルランドが独立する際にかわされたイギリスとの条約の是非をめぐっての内戦はゲリラ戦へと泥沼化し、イニシェリン島から見えるアイルランド本土でも時々砲撃が聞こえて土煙があがる。それを見てパードリックは、彼らが何を争っているのか知らない、と云う。それは彼の時事への興味の無さから来るのか、皮肉を云っているのかはよくわからない。皮肉であるならばアイルランド内戦のミニマムな状態がパードリックとコルムの諍いにも見えるので自虐的だった。

この映画を引き締めているのが脇役の存在だった。とくにパードリックの世話をしている妹のシボーンを演じているケリー・コンドンが素晴らしかった。妹は兄と違って読書が大好きで頭の回転も早い。イニシェリン島のような寒村の人間関係に嫌気が差しているものの、朴訥な兄のことを見捨てられずに「行き遅れ」などと陰口を叩かれながら島での暮らしに甘んじている。その彼女が島を出ることを決意して、就寝中に枕を濡らすシーンが見ていて辛い。この映画で唯一と云っても良いほどの優しさにあふれるシーンだった。

そしてもうひとりの重要な脇役、シェークスピアの「マクベス」に出てくる魔女のような老婆を演じているシーラ・フリットン。彼女がが言い放つ「これから二人の死者が出る」の予言はてっきりパードリックとコルムのことだとおもっていた。でも一人は、たえずパードリックにちょっかいを出してくる島の青年ドミニク(バリー・コーガン)だった。じゃあ、もう一人は誰なんだ? で映画は終わる。

提示されるテーマの興味深さやそれを演じきる芸達者な俳優たち。加えて、寒村でありながら風光明媚なイニシェリン島。何もかもが映画を見ているものの心に刺さる良い映画だった。

→マーティン・マクドナー→コリン・ファレル→アイルランド、イギリス、アメリカ/2022→ユナイテッド・シネマ浦和→★★★★

監督:S・S・ラージャマウリ
出演:N・T・ラーマ・ラオ・ジュニア、ラーム・チャラン、アジャイ・デーヴガン、アーリヤー・バット、シュリヤ・サラン、サムドラカニ、レイ・スティーヴンソン、アリソン・ドゥーディ、オリヴィア・モリス
原題:RRR
制作:インド/2022
URL:https://rrr-movie.jp
場所:109シネマス木場

1998年に日本で公開された『ムトゥ 踊るマハラジャ』が話題になってからと云うものの、続々とインドの娯楽映画がシネコンでも公開されるようになった。そんなに映画館で観ているわけではなくて、Netflixなどの追いかけ鑑賞の範囲内での感想なのだけれども、インド映画を観ていつも感じることは、彼らの面白い映画を作ろうとするひたむきな努力が画面から伝わってくること。ケレン味のまったく無いところところに感心してしまう。それは韓国映画にも感じることで、残念ながらいまの日本映画にはそれを感じることがとても少ない。

S・S・ラージャマウリ監督の『RRR』は、ふたりの男が関わり合う数奇な運命を、これでもか!の映像テクニックでこってりと味付けている楽しい映画になっていた。強引なストーリー展開があっても、そのパワフルな映像に乗って観てしまえばさほど気にならない。『アバター:ウェイ・オブ・ウォーター』と同じようにアトラクションを楽しむ感覚の映画だった。

ただ、製作者が映画の途中にインターミッションを入れているのなら、日本でもそれを再現すべきじゃないのかなあ。『アラビアのロレンス』でも『80日間世界一周』でもインターミッションがあっての作品だったような気もする。

→S・S・ラージャマウリ→N・T・ラーマ・ラオ・ジュニア→インド/2022→109シネマス木場→★★★☆

監督:香港ドキュメンタリー映画工作者
出演:
原題:理大圍城/Inside the Red Brick Wall
制作:香港/2020
URL:https://www.ridai-shonen.com
場所:ポレポレ東中野

2019年の香港民主化デモの中で香港理工大学包囲事件は起きた。中高生を含むデモの参加者と大学生が警察によって包囲された香港理工大学の構内に取り残されてしまった。その構内での学生らの統率を欠いた右往左往ぶりを追ったドキュメンタリーが『理大囲城』だった。

この香港理工大学構内の映像を誰が撮ったのかと云うと複数の「匿名人士」だった。「匿名人士」とは報道機関に属さないセルフメディアなどと呼ばれた人たちらしい。この映画の中には「PRESS」の腕章をつけた人たちが大学構内を駆け巡って写真や動画を撮っているシーンも出てくる。セルフメディアの人たちはこの「PRESS」と同じ扱いをうけて動画を撮影していたんじゃないかとおもう。

警察側は力ずくで大学構内へ突入するような手荒な真似をするわけでもなく、完全に兵糧攻めを狙って来ている戦法だった。包囲網を無理やり突破しようとしてくる学生たちを待ち構えて逮捕するだけで、警察側が大きく行動に移すことはまったくなかった。時間が経過するだけの学生側は、顔にぼかしが入っているものの次第に追い詰められて焦燥感を増している状況が痛々しいほど映像から伝わってくる。

でも、ここで不思議な感覚に襲われた。その学生たちの苦境を収めた映像がこうして映画としてまとめられている以上、「PRESS」の人たちは映像を没収されることなく開放されたんだろうとおもう。かたや学生たちはほとんどが逮捕されてしまった。自由な映像と縛られた学生たち。そのアンバランスが不思議だった。

最後は、デモに参加している中高生の通う学校の校長(とおもわれる人)たちが突然大学構内に現れて、生徒たちは警察への学生証の登録だけで家へ帰れると説得にかかる。この策略がデモ参加者全員を動揺させ、結果この香港理工大学包囲事件は、1377人が逮捕される事態となって終わった。

この映画が中国政府の理不尽さを訴えるドキュメンタリーになっていたのかどうか。リーダーのいないデモ隊内部の罵り合いばかりが目について、中国政府のしたたかさが強調されたドキュメンタリーだけだったような気もする。記録としては貴重だけれども、どこか腑に落ちないもどかしさがあとに残ってしまった。

→香港ドキュメンタリー映画工作者→→香港/2020→ポレポレ東中野→★★★☆

監督:原恵一
声:當真あみ、北村匠海、吉柳咲良、板垣李光人、横溝菜帆、高山みなみ、梶裕貴、麻生久美子、宮﨑あおい、芦田愛菜、藤森慎吾、滝沢カレン、矢島晶子、美山加恋、池端杏慈、吉村文香
制作: A-1 Pictures/2022
URL:https://movies.shochiku.co.jp/kagaminokojo/
場所:109シネマズ菖蒲

辻村深月の小説を原恵一監督が映画化。

今回の映画ではじめて辻村深月と云う名の作家がいることを知ってネットでいろいろと調べてみた。ああ、そうだ、著作のドラマ化でNHKと裁判沙汰になっていた作家がいたなあ。あれが辻村深月か。直木賞や本屋大賞も受賞している。どうやら「物語」を構築することに長けている作家らしい。

原恵一監督はその「物語」を巧くアニメ化していたとおもう。長い小説を脚本家の丸尾みほが手際よくまとめていたので、スムーズに「物語」の世界に没入できたし。でも、映画が面白かったのは「物語」の上手さであって、原恵一監督の特色が出ていたようにはおもえなかった。それは『バースデー・ワンダーランド』のときにも感じた違和感だった。原恵一監督の作品は『河童のクゥと夏休み 』から『百日紅 〜Miss HOKUSAI〜』までわくわくしながら追いかけてきたのだけれど、そんなときめきがまた欲しいなあ。

辻村深月の著作にちょっと興味が出たので読んでみようかな。伊坂幸太郎のときもそう云いながら読んでいないので、また読まないかもしれないし、読むかもしれない。

→原恵一→(声)當真あみ→ A-1 Pictures/2022→109シネマズ菖蒲→★★★

監督:三宅唱
出演:岸井ゆきの、三浦誠己、松浦慎一郎、佐藤緋美、中原ナナ、足立智充、清水優、丈太郎、安光隆太郎、渡辺真起子、中村優子、中島ひろ子、仙道敦子、三浦友和
制作:「ケイコ 目を澄ませて」製作委員会/2022
URL:https://happinet-phantom.com/keiko-movie/
場所:ヒューマントラストシネマ有楽町

今年最初の映画はTwitter界隈で話題になっていた三宅唱監督の『ケイコ 目を澄ませて』。

障害のある人を主人公とする映画を作る場合に、その障害に真正面から向き合うことを目的とする映画があってももちろんOKだとおもう。でも、ハンデのある部分をストーリーの中に溶け込ませてしまう映画のほうが個人的には好きだったりする。『ケイコ 目を澄ませて』は後者だった。

耳の聞こえないケイコ(岸井ゆきの)は、なぜか日々ボクシングに打ち込んでいる。プロライセンスを取るほどの力の入れようだ。彼女のトレーナーは記者からの「耳の聞こえない人がボクシングをやるのは危険じゃないですか?」の問いに「もちろん危険だ」とも答えているのに。なぜそんなにボクシングを続けるのか? の疑問の答えを得るためにこの映画を観続けていた。

その手がかりとなるーンがひとつあった。それはケイコがおもわずサラリーマンとぶつかってしまって怒鳴りつけられるシーンだった。耳の聞こえない人は、目の見えない人や手足のない人に比べて健常者に見られやすい。だからこのシーンように何かに付けて相手に嫌悪感を抱かせる場面があるんじゃないかと想像してしまう。そんな場面に対して絶えず受け身でなければいけないのか。いや、そこはかえってアグレッシブさが無ければ生きて行くのが辛いんじゃないのかと、健常者の自分が勝手に推測してしまった。

彼女のボクシングスタイルは、耳の聞こえないことから当然アウトボクシングに徹するだろうとおもっていた。ところが意に反して、メキシコや韓国のボクサーのように打たれても打たれても絶えず前へ出るインファイトだった。ディフェンスをしっかりしろとトレーナーに注意されるが、それでも前へ出て相手に打ち勝とうとしている。まるでアグレッシブさが自分に課せられたスタイルであると云わんばかりに。

この映画のように屈折している人物を淡々と追いかけるシーンを観ていると昔のATG映画をおもいだしてしまった。経営がおもわしくないボクシングジムの経営者を演じている三浦友和もATGに出てくるような脇役だった。こんな感じの映画は少なくなってしまったなあ。作られてはいるのだろうけれど、昔とは環境が変わってしまったので目に触れる機会が少なくなってしまった。

→三宅唱→岸井ゆきの→「ケイコ 目を澄ませて」製作委員会/2022→ヒューマントラストシネマ有楽町→★★★☆

今年、映画館で観た映画は昨年より増えたとはいえたったの40本。埼玉くんだりに住んでいるとシネコンでしか映画を観る機会がないので、そのシネコンでバラエティよく映画を公開してくれないとますます観る本数が減って配信だのみになってしまう。

その40本の中で良かった映画を10本に絞ると以下の通り。

香川1区(大島新)
マクベス(ジョエル・コーエン)
ハウス・オブ・グッチ(リドリー・スコット)
偶然と想像(濱口竜介)
ベルファスト(ケネス・ブラナー)
カモン カモン(マイク・ミルズ)
英雄の証明(アスガー・ファルハディ)
リコリス・ピザ(ポール・トーマス・アンダーソン)
みんなのヴァカンス(ギヨーム・ブラック)
スペンサー ダイアナの決意(パブロ・ラライン)

以上、観た順。
配信で云えば、Netflixでのジェーン・カンピオン『パワー・オブ・ザ・ドッグ 』ぐらいかなあ。配信では見るべき映画を探すのが大変。

監督:ジェームズ・キャメロン
出演:サム・ワーシントン、ゾーイ・サルダナ、シガニー・ウィーバー、スティーヴン・ラング、ケイト・ウィンスレット、ジェイミー・フラッターズ、ブリテン・ダルトン
原題:Avatar: The Way of Water
制作:アメリカ/2022
URL:https://www.20thcenturystudios.jp/movies/avatar2
場所:109シネマズ菖蒲

今年のしめくくりの映画はジェームズ・キャメロンの『アバター:ウェイ・オブ・ウォーター』を大晦日に観ることにした。それも109シネマズ菖蒲のIMAXレーザーで3D字幕版。

IMAXレーザーの大画面、大音響で、そのうえに3D映画となると、サーカスやイリュージョンのような大きなイベントを観に行ったようなものだった。それはあたかも活動写真の原点に立ち返ったような経験で、ジェームズ・キャメロンの目指しているものがわからないでもない。でもやっぱり3時間12分は長すぎる。それも3Dだから目が疲れる、肩がこる。年寄りには酷な体験だった。

ストーリーも『ターミネーター2』『エイリアン2』『アビス』『タイタニック』をぐるぐるポン!と混ぜたような内容でまるで自分自身を回顧しているような映画だった。ジェームズ・キャメロはもう引退するの?死ぬの?

→ジェームズ・キャメロン→サム・ワーシントン→アメリカ/2022→109シネマズ菖蒲→★★★

監督:ケイシー・レモンズ
出演:ナオミ・アッキー、スタンリー・トゥッチ、アシュトン・サンダース、タマラ・チュニー、ナフェッサ・ウィリアムズ、クラーク・ピータース
原題:I Wanna Dance with Somebody
制作:アメリカ/2022
URL:https://www.whitney-movie.jp
場所:109シネマズ菖蒲

大学を卒業してはじめて就職した会社はレーザーディスクというものの中に収める映画や音楽などのコンテンツを作るところだった。レーザーディスクとは、昔のLPレコードくらいの大きさになったDVDを想像してもらえれば何となくイメージできるんじゃないかとおもう。つまり、まだデジタル技術の黎明期で、2時間の映画を収めるのに直径12cmのDVDくらいの大きさにはできず、直径30cmもの大きさが必要な時代だった。

その会社に入社したころ、普通の30cmレーザーディスクよりも一回り小さい20cmのLD(レーザーディスク)シングルを普及させようと躍起になっていて、おもに音楽系のソフトを安価で発売させていた。そのなかにホイットニー・ヒューストンのミュージック・クリップを収めたものがあった。それを何度も何度も見ていた記憶があって、とくに「How Will I Know」や「Greatest Love Of All」のミュージック・クリップが強烈な印象を自分の中に残していた。

ケイシー・レモンズ監督の『ホイットニー・ヒューストン I WANNA DANCE WITH SOMEBODY』には、その「How Will I Know」のミュージック・クリップや、生中継で見ていた第25回スーパーボウルでの国歌斉唱とか、日本でも大ヒットした映画『ボディガード』の撮影シーンなどが忠実に再現されていた。ホイットニー・ヒューストンが、自分にとって社会人となってバブル期を駆け抜けた時代の象徴のような存在でもあったので、映画の出来とはまったく関係なくノスタルジックな風景に打ちのめされて、彼女の楽曲が流れるたびに鳥肌が立つような映画だった。

普通の人がこの映画を観たらどうなんだろう? 自分がジェットコースター伝記映画と呼んでいるようなシロモノなので、最近のパブロ・ラライン監督『スペンサー ダイアナの決意』のようなかっこよさはまったくなく、彼女の曲におもい入れがないのなら退屈な映画なのかもしれない。

→ケイシー・レモンズ→ナオミ・アッキー→アメリカ/2022→109シネマズ菖蒲→★★★

監督:新海誠
声:原菜乃華、松村北斗(SixTONES)、深津絵里、染谷将太、伊藤沙莉、花瀬琴音、花澤香菜、神木隆之介、松本白鸚
制作:「すずめの戸締まり」製作委員会/2022
URL:https://suzume-tojimari-movie.jp
場所:109シネマズ木場

新海誠監督の新作は、今まではぼんやりとイメージできる範囲に留めて置いた日本でのリアルな震災被害のことを、そのものずばりストレートに訴えかける内容にしてきた。そしてそこへ、茨城県鹿嶋市の鹿島神宮、千葉県香取市の香取神宮、三重県伊賀市の大村神社、宮城県加美町の鹿島神社に存在していて、地震を鎮めているとされる「要石」を重要なアイテムとして登場させ、日本古来の神話をもじかに絡めてきた。

となると、真っ先におもい浮かべてしまったのは、2008年にフジテレビでドラマ化もされた万城目学の小説「鹿男あをによし」だった。「鹿男あをによし」での「鎮めの儀式」がそのまま『すずめの戸締まり』での「後ろ戸」を閉める行為に見えてしまった。

ただ、『すずめの戸締まり』に「鹿男あをによし」を連想はしても、新海誠の脚本が万城目学の小説ほど日本古来からの神仏的な薀蓄に長けてはいないので、やたらと底の浅いストーリーに見えてしまった。押井守のアニメのような衒学趣味的なものにしろとは云わないまでも、もうちょっと万城目学くらいの日本故事の造詣の深さがあったら良かったのに。

→新海誠→(声)原菜乃華→「すずめの戸締まり」製作委員会/2022→109シネマズ木場→★★★