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 2009年04月28日
 DNA すべてはここから始まった
Posted by ag at 23:51/ カテゴリー: BOOK_Database

DNA すべてはここから始まった著者:ジェームズ・D・ワトソン、アンドリュー・ベリー
訳者:青木薫
出版社:講談社
購入場所:BOO OFF 西台高島通り店

二重らせんを発見したジェームズ・D・ワトソンが書いたこの本は、メンデルの法則からその二重らせんの発見に至るまでの歴史から、さらに遺伝子の組み替え技術を使ったビジネス展開や、遺伝病やがんなどの病気治療の可能性、犯罪におけるDNA鑑定、ヒトゲノム計画が人間社会のモラルに与える影響にまで、DNA全般にわたって網羅されて書かれてある。

なかでも、306ページにあるミトコンドリアDNAをもとにしたヒトの系図が面白い。当然、この系図から日本人を探すんだけど、我々の枝は二つあって(もしかすると縄文人と弥生人?)、その同じグループにシベリアのイヌイット、南アメリカ先住民がいて、オーストラリアのアボリジニやモンゴル人やキルギス人も近いところにいる。では、地理的にはすぐ隣にいる韓国人はどうかというと、全然別の島に属している。それどころか、韓国人はどちらかというとイギリス人に近いというのが面白い。

DNAというヒトの設計図が、人間の性格や能力の決定にどれだけ影響を及ぼしているかを考察する章も面白い。

怒りやすい性格や、おだやかな性格というのは、生まれた時点のDNAの配列で決定してしまっているのだろうか?
運動能力や、頭の良さなども遺伝するのだろうか?

ジェームズ・D・ワトソンは、このような要素は複数の遺伝子が絡み合うので、環境変数が大きく関与しているのではないかと結論づけてはいるけど、ハンチントン病や脆弱X症候群のように完全に遺伝子が原因で起こる病気もあるわけだから、もっとDNAの解明が進めば、環境変数の関わりが少ない人間の性格決定遺伝子があるんじゃないかとおもったりもする。

ヒトのDNAをさらに解明していくと、もしかすると、遺伝病やがんの病気治療のみならず、もっと人間の根幹に関わる部分、それは人間哲学と呼ばれるのかもしれないし、人間の真理といわれるのかもしれないけど、そんな部分がつまびらかになっていくのではないかと、どちらかというと期待感が大きい。SFの世界では、DNAを利用することによってマイナス面を描くことが多いけど、ジェームズ・D・ワトソンが最後に結んだように、人間が新たなステージにステップアップするためには、なによりもDNAを理解することなんじゃないかとおもう。

 2009年04月27日
 ミルク
Posted by ag at 23:56/ カテゴリー: MOVIE

ミルク監督:ガス・ヴァン・サント
出演:ショーン・ペン、エミール・ハーシュ、ジョシュ・ブローリン、ジェームズ・フランコ、ディエゴ・ルナ、アリソン・ピル、ルーカス・グラビール、タ
ヴィクター・ガーバー、デニス・オヘア、ジョセフ・クロス、ハワード・ローゼンマン、ブランドン・ボイス、ケルヴィン・ユー
原題:Milk
制作:アメリカ/2008
URL:http://milk-movie.jp/enter.html
場所:ワーナー・マイカル・シネマズ板橋

今年のアカデミー主演男優賞は、ゲイの公民権運動家でサンフランシスコの市政執行委員にもなったハーヴェイ・ミルクの半生を演じたショーン・ペンが取った。

ショーン・ペンというとやっぱり『デッドマン・ウォーキング』の演技だよなあ。『ミスティック・リバー』ではなく、もちろんこの『ミルク』でもなくて、『デッドマン・ウォーキング』の演技こそ主演男優賞だとおもうんだけど、アカデミー賞というのはその時のタイミングだけで決まるので、ベストな人に賞が行くわけではないのがガッカリする部分でもあるし、面白い部分でもあるし。

この『ミルク』での演技も巧いとはおもうけど、もうちょっとゲイ特有のしなやかさやキッチリとした動き方があったほうが良かったんじゃないかと、映画ラストの実際のハーヴェイ・ミルクの映像やYouTubeにあるドキュメンタリー映像を観ておもう。

映画としても、ハーヴェイ・ミルクを撃つことになるダン・ホワイトの人物像が曖昧で、なぜハーヴェイ・ミルクとサンフランシスコ市長を殺すこととなるのかがまったく浮かび上がってこない。ダン・ホワイトを指して、ゲイを隠してストレートで生きているとミルクが言うシーンがあるので、政治的な確執だけで撃ったわけじゃなくて、アメリカ人特有の強い男性像と性的嗜好の狭間で軋轢死したようなニュアンスも受け取れるし、そこをもうちょっと明確にしてくれたら良かったのに。

演技と言えば、ショーン・ペンが監督した『イントゥ・ザ・ワイルド』にも主演していたエミール・ハーシュのほうが良かった。あまりのゲイっぷりに、彼がエミール・ハーシュとわからなかったくらい。

 2009年04月26日
 パラオ——ふたつの人生 鬼才・中島敦と日本のゴーギャン・土方久功展
Posted by ag at 22:29/ カテゴリー: BOOK_Database

Palau.jpg著者:中島敦、土方久功
出版社:世田谷美術館
購入場所:世田谷美術館

青空文庫をはじめてから、日本の文学を読むようになった。それまでは、ハリウッド映画の原作となるようなアメリカの小説しか読まなくて、読まないどころか日本文学を毛嫌いしていて、何をもってそういう固定的なイメージになったのかわからないけど、暗くてジメジメしていて野暮ったい日本の小説など読みたくもないとおもっていた。

でも、どういう巡り合わせか青空文庫というものをはじめてしまったので、否が応でも日本文学を読まざるを得なくなってしまった。入力もしなければならないし、校正もしなければならなくなってしまったのだ。

そうやって読まされてみると、驚いたことに、食わず嫌いの日本文学の印象がガラガラと崩れていく。

崩壊の最初の一石は、青空文庫の最初のラインナップに入っていた中島敦の「山月記」。「山月記」というと、中学生だったか、高校生だったか、学校の教科書に載っていた訳の分からない漢文が出て来る小難しい小説というイメージしかなくて、その子どもの頃に植え付けられた印象が、日本文学を読まない訳だから大人まで変わることはなかった。

ところが人間とは面白いもので、誰に教わらずとも知らず知らずの内に人生の機微や矛盾というものを理解していくもので、若いころにはわからなかったことが大人になってわかるようになるものだった。「山月記」に書かれてある、おもうにまかせない人生のもの悲しさをいつのまにか理解できるようになっていたのだ。それに、中島敦の漢文を元とするリズミカルな文体には、日本文学の野暮ったさなんてまるでなかった。ないどころか、そのスタイルに格好良さを感じてしまった。

さらに芥川龍之介「偸盗」や横光利一「機械」などを読むことによって、日本語を使った文章のスタイルの格好良さというものが何であるか、おぼろげながらにも理解していくようになるのだった。

この「パラオ——ふたつの人生 鬼才・中島敦と日本のゴーギャン・土方久功展」は、世田谷美術館の展覧会のカタログ。中島敦が病気療養を兼ねてパラオに渡ったときの彫刻家・土方久功との交流を照らし出すカタログなんだけど、晩年の中島敦の壮絶なる病気との闘いが、中島敦と土方久功の両方の日記から、それも同じ日付の日記から伺うことができるのが興味深い。とくに、中島敦の「鶏[#「鶏」は「奚+隹」、第3水準1-93-66]」(つまり、Unicode表記で「雞」)が、土方久功の経験が元になっていることがわかるのも面白い。

 2009年04月23日
 スラムドッグ$ミリオネア
Posted by ag at 23:59/ カテゴリー: MOVIE_Database

スラムドッグ$ミリオネア監督:ダニー・ボイル
出演:デヴ・パテル、マドゥル・ミッタル、フリーダ・ピント、アニル・カプール、イルファーン・カーン、アーユッシュ・マヘーシュ・ケーデカール、アズルディン・モハメド・イスマイル、ルビーナ・アリ
原題:Slumdog Millionaire
制作:イギリス/2008
URL:http://slumdog.gyao.jp/
場所:新宿ミラノ2

アカデミー作品賞を取った映画を期待して観に行くと、おもったよりもフツーだったりする。出来が悪くてガッカリするわけでなくて、いたってフツー。

この『スラムドッグ$ミリオネア』も、教育を受けていないスラム街の少年がクイズを連続して解答することによって大金を得てしまうというストーリーに、もっとカタルシスが得られるものかとおもったら、そこの部分はいたってフツーだった。

それにまったく勘違いしていたのは、主人公となる少年が、数学者のラマヌジャンのように、本当は実力があるんだけど貧困から教育を得られない天才少年だと勝手に想像していた。そうしたら、なんと、別に天才でもなんでもなく、スラム生活の中でたまたま得られていた知識が、偶然にクイズの出題と被っていただけだった。

ここの、まったくの偶然の描き方だけは面白かった。回想の中で、そのものズバリのクイズの解答が出てくるんじゃなくて、なんとなく答えをほのめかしているあたりが良かった。ただ、だったらラストの三銃士の問題も、それを踏襲して欲しかったなあ。回想の中での三銃士の話題のフリもあったわけだから、アッと驚くような解答の得られ方があっても良かったのに。最後の解答が単なるヤマカンだなんて、、、

この映画、どちらかというと、インドのムンバイの実情を描いている部分のほうが興味深い。だとしたら、イギリス人のダニー・ボイルではなくて、インド人の監督に撮ってもらいたかったような気もする。もちろん、異国人が撮ったほうが客観的に描ける利点はあるんだろうけど、例えばイギリス人が撮った日本人の映画を想像したりすると、それはないよなあ、とおもってしまったりするから。ダニー・ボイルは嫌いじゃないし、この映画での演出も素晴らしいとはおもうけど、『シティ・オブ・ゴッド』が良いと感じるのはブラジル人のフェルナンド・メイレレスが撮ったことが多分にあるだろうから、この映画もインド人の監督が撮ったら、もっと良くおもえただろうなあ。

 2009年04月21日
 はたらく一家
Posted by ag at 22:57/ カテゴリー: MOVIE_Database

hatarakuikka.jpg監督:成瀬巳喜男
出演:徳川夢声、大日方伝、椿澄枝、本間教子、生方明、伊東薫、南青吉、平田武、阪東精一郎、若葉喜世子
制作:東宝映画東京/1939
URL:
場所:神保町シアター

成瀬巳喜男の映画には必ずと言って良いほどお金の話しが出て来る。誰が幾ら給金をもらっているとか、誰それに借金するとか。最初は、そんなシーンをなぜか奇異な感じで受け止めていたんだけど、毎回そんな話しが出てくるもんで、ヒッチコック映画の中のどこにヒッチコック自身が出てくるのか探すようになったのと同じく、どこにお金の話しが出てくるのか期待するようになってしまった。

この古い成瀬巳喜男の映画の場合はどうなんだろう? と期待したら、なんと、全編、お金の話しだった。
すばらしい!
1939年の段階で、成瀬巳喜男のスタイルは、お金の話しだったんだ。

内容としては徳永直の小説の映画化なんでとても真面目な話しなんだけど、母親が中学生の息子から借金しようと企むところなんかもあって、そんなところが後の映画の登場人物とかぶって来る。『流れる』の賀原夏子とか、どの映画かは忘れたけど中北千枝子とか。

日本人の感覚から言うと、お金の話しをするのは端たないみたいな感じがあるけど、こんな昔からお金に執着する人間が出て来る成瀬巳喜男の映画はどう捉えられていたんだろう? 考えてみれば、黒澤明の映画も小津安二郎の映画も、映画評論家の評価ではなく、当時の一般の映画観客がどんな感覚で迎えていたのかさっぱり想像できない。

 2009年04月20日
 久田見まつりふたたび
Posted by ag at 08:57/ カテゴリー: SOCIETY

久田見まつり

今年も、岐阜県八百津町久田見で行われた「久田見まつり」に行ってきました。

なぜ、そんな祭りに行くかというと、久田見出身の知り合いがいるからで、普通ならまずは行かない場所。
八百津町から、ちょっと小高い山上に存在する村落で、なんとなく周りから隔絶された感じがあるので、まるで小野不由美「屍鬼」の外場村のよう。「死によって包囲されている」とはおもわないけど。


この久田見まつりのメインイベントは、神明神社で行われる「糸切りからくり」という手法の人形劇で、糸が直接人形と結びついていなからなかなかおもうように動かない。こんなところもまた今のコンピュータテクノロジーの世の中から隔絶された感じがあって、ますます不思議な感覚におちいってしまう。

久田見まつり

今年の出し物は、中盛地区が竜が出て来る神話か何か。

久田見まつり

松阪・後口地区は、釣りバカ日誌。

久田見まつり

入野地区は中日ドラゴンズ。

久田見まつり

野黒地区は、消防士。

久田見まつり

薄野地区もなぜか消防士。出し物は当日まで秘密にされるので、こんなふうに、かぶっちゃうこともあるんでしょう。でもなぜ、消防士? 何か久田見特有の出来事があったのかもしれない。

久田見まつり

小草地区は金太郎。

この6つの内で、出来が一番良かったのは、昨年に引き続き中盛地区じゃないかとおもう。ちゃんとストーリーがあって、落ちもしっかりしているし。

久田見まつり

人形の作りはとてもしょぼくて、動きもてきぱきしているわけじゃないけど、それがなんだか、ホンダのASIMOのようなロボットの対極にあるような感じがして、かえってとても貴重な感じが出ているし、その人形劇の時間だけでも、分刻みに動くことを義務づけられている我々を解放してくれているような感じがするのもなかなか良いし。

こんなふうに、いまの時代の流れに逆行するような祭りを、今度はどこか、「久田見まつり」ではないところへ行きたいような気もするけど、それがどこにあるのかもさっぱりわからず。インターネットだけじゃ、どんな感じの祭りなのか、なかなか分かりづらいからね。

 2009年04月08日
 ぶんげいしねうぃーくりい
Posted by ag at 14:41/ カテゴリー: MOVIE

ぶんげいしねうぃーくりい

むかしの名画座の小さなチラシ(上映スケジュールが書いてあって、入場すると必ず貰えたもの)がいっぱいあるんだけど、棄てるのが忍びなくて、ちょっとスクラップに貼ってみた。

まずは、「文芸座 ぶんげいしねうぃーくりい」「並木座」「高田馬場パール座」「早稲田松竹」「佳作座」「銀座ロキシー」「大塚名画座」だけを貼ってみる。「ぶんげいしねうぃーくりい」が一番多くて、他はパラパラとあるだけ。一番古いのは「並木座」の1978年のもの。「並木座」のものは一冊の本になっていて欲しいような気もするけど、ちょっと高くて買わずじまい。

そのチラシというか、プログラムというか、パラパラと見てみると面白い。

青年はいませんか?

「青年」という言葉は、古き良き昭和の時代を感じるなあ。
いまどき、そこの青年! なんて言葉を発する人はいなくなってしまいました。渥美清が死んで『男はつらいよ』が作られなくなってしまって、「青年」という言葉も死に絶えてしまった。

冷暖房完備

「冷暖房完備」が大々的に謳われた時代でもありました。
冷房が無かったのか、壊れていたのか、フィルムセンターでエメリック・プレスバーガー&マイケル・パウエルの『ホフマン物語』を汗だらだらで観た記憶がある。もし、今の時代にそんなことをしたら、お客はみんな帰ってしまうだろうなあ。でも当時はみんな汗だらだらで観てた。そんな程度の設備だから、フィルムセンターって火事になんてなってしまったんだよなあ。

八重洲スター座

他にも「八重洲スター座」「武蔵野推理劇場」「大井武蔵野館・大井ロマン」などのものがあるんだけど、スクラップがいっぱいになってしまったので、もう一冊買わないと。

 2009年04月01日
 ダウト ~あるカトリック学校で~
Posted by ag at 23:17/ カテゴリー: MOVIE_Database

ダウト ~あるカトリック学校で~監督:ジョン・パトリック・シャンリー
出演:メリル・ストリープ、フィリップ・シーモア・ホフマン、エイミー・アダムス、ヴィオラ・デイヴィス、アリス・ドラモンド、オードリー・ニーナン、スーザン・ブロンマート、キャリー・プレストン、ジョン・コステロー、ロイド・クレイ・ブラウン、ジョセフ・フォスター二世、ブリジット・ミーガン・クラーク
原題:Doubt
制作:アメリカ/2008
URL:http://www.movies.co.jp/doubt/
場所:TOHOスネマズ シャンテ

映画を観ているうちに、“真実”というものがこの世の中に存在するのならば、その“真実”とはいったい誰のものなのか、何の為にあるのか、という哲学的で深遠なテーマにはまってしまって抜け出せなくなってしまった。

例えば事件や事故の“真実”なんて当事者以外が知りようもなく、当事者だって何が“真実”なのか見失ってしまう場合が多いのに、テレビのニュースを見ると、あたかも実際の現場に居合わせたかのような“真実”とおぼしきものが報道されているし、そのニュースを見た我々は、あいつは悪い奴だ、オレたちを騙している、なんて思いに簡単に駆られたりする。

この映画の中で、フィリップ・シーモア・ホフマンがメリル・ストリープを問いつめたように、自分たちはいったい何を根拠に事件の容疑者たちに“疑い”の目を向けてるんだろう? ニュースで報道されているから? 2ちゃんねるに書き込んであるから? 知り合いから聞いたという知り合いに教えてもらったから?

二人の演技合戦を見ているうちに、こんなおもいにどんどん脱線していってしまう。

さらに、この“ダウト(疑い)”というテーマとともに“寛容”というテーマも一緒に語られる。

この“寛容”もやっかいなテーマだ。

映画の中のエイミー・アダムスのように、どんなことにも“寛容”であった人間が、学校の先生という職業をまっとうするために“非寛容”にならざるを得なくなった場合、どうしてメリル・ストリープのような人間性の喪失がともなってしまうんだろう。

寛容せざるを得ない状況を糾す場合に、相手に恐怖を与えなければそれを改めさすことができないからなのか。でも、未成熟な相手を教育する場合、寛容することによって相手の懐に飛び込むよりも、恐怖をともなった強制の方が効果をあげる場合が多いのは事実だし。

こんなふうに、この映画のテーマを突き詰めだしたら、『スキャナーズ』のように頭が破裂しそうだ。

破裂しそうに、好い映画です。

ag-n
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