小さな出版社の日々
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 2005年03月02日
 終焉しつつあるパッケージ
Posted by ag at 08:49 / カテゴリー: 本

人間が生きていく上で、必要不可欠なモノじゃないけど、その生活を豊かにするために必要なものとして存在してきたのが、最近の言葉を使ってしまえば“コンテンツ”だと思う。古くは、古代エジプトのヒエログリフで書かれた伝承も“コンテンツ”だし、古代ケルトの吟遊詩人の口承も“コンテンツ”だ。日々の辛い生活にちょっとした安らぎを与える、そんな“コンテンツ”たちを数多くの人たちに愉しんでもらおうと思って考え出されたのが“本”であり“レコード”であったり、“コンテンツ”を収めるための様々な“器”だった。

しかし本来ならば、伝承や物語や音楽など、そして最近では映像など、そんな“コンテンツ”は元々形あるものではなく、まるでSFの世界の話しになってしまうのだけれど、その“コンテンツ”を創造した人の脳に格納された段階で、そこからコピーして頂けるものなら頂くだけで済んでしまう。そのコピーは、記憶というモノが確かなモノであると仮定して、さらにいろいろな人へコピーされ続けて増殖していく。

ところがまだ、そんなサイバーパンクな世の中ではもちろんなく、人間の潜在的能力がどこまであるのか解明されているわけでもないので、そんな“コンテンツ”を配布するには必ずそれを収めた“器”が必要になってしまう。いつしか“器”はいろいろな付加価値を呼び、貨幣経済とも密接に結びついてしまって、“コンテンツ”をやり取りするには必要欠くべからず存在となってしまった。

そして現在、インターネットが普及し始めて、少しばかり様相が変わってきた。“コンテンツ”が格納されている擬似的な脳(サーバー)から、手元にある擬似的な脳(パーソナル・コンピュータ、またはモバイル)へ、インターネットを通じて簡単にコピーすることが出来るようになったのだ。“コンテンツ”を配布する形としては、だいぶ本来の形に近くなってきた。

さあこれで、みんながみんなハッピーになったかというとそういうわけにもいかず、ちょっとばかりまずいことになってしまっている。“器”の段階に生まれた付加価値がいろんな意味で足枷になってしまっているのだ。お金のやりとりが発生するのは、もう、こういう世の中なんだからしょうがないとして、著作権なんてものが生まれてしまったり、“器”そのものに価値を見出してしまっていたり。

とはいえ、“コンテンツ”の“器”が無くなって行くのは本来の姿だと思う。まず、先陣を切って音楽がその方向に向かい始めている。Apple社のiPod & iTunesMusicStoreや、AUの着うたフルなど。そして映像もそれを追随していくだろう。さあ、問題は一番古い“器”の部類に入る“本”だ。歴史があるがゆえ、その“器”に文化が生じている。がゆえに、“器”がなくなった段階での“本”に求める欲求は非常に敷居が高い。それをすべてクリアして行くのはまだしばらく時間がかかりそうだ。

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