監督:フレデリック・ワイズマン
出演:ニューヨークのモデルエージェンシー「Zoli」に所属するモデルたち
原題:Model
制作:アメリカ/1980
URL:
場所:アテネ・フランセ文化センター

1980年ごろのニューヨークのモデル業界にカメラを向けたこの映画を観て、なにが一番おもしろかったのかと云えば、女性モデルのファッションや髪型や化粧がまるでそのまま80年代音楽のMTVに登場してくるようなイメージで、この映画の中でCM撮影を行っているモデルの人たちも、もしかしたらデュラン・デュランなどのミュージック・クリップに出ていたんじゃなかろうかと見えるところだった。それだけでも懐かしくて、そして今よりもどこか脳天気な時代をうらやましくも感じてしまった。ドキュメンタリーは、時代の断片を切り取って記録しているとろが素晴らしい。フレデリック・ワイズマンの映画がなければ、誰も80年代のモデル業界を振り返りもしないとおもう。

デジタル技術が進んで、なんでも修正ができる今現在のモデル業界って、80年代と比べて何が違うんだろう? フレデリック・ワイズマンの『モデル2』が観たいような気がする。

→フレデリック・ワイズマン→ニューヨークのモデルエージェンシー「Zoli」に所属するモデルたち→アメリカ/1980 →アテネ・フランセ文化センター→★★★☆

監督:フレデリック・ワイズマン
出演:ニューヨーク州のジャクソンハイツの人びと
原題:In Jackson Heights
制作:アメリカ/2015
URL:http://child-film.com/jackson/
場所:シアター・イメージフォーラム

フレデリック・ワイズマンの『ニューヨーク、ジャクソンハイツへようこそ』は、ニューヨークのクイーンズ地区にあるジャクソンハイツに住む人びとにカメラを向けていた。このジャクソンハイツはマンハッタンに近いわりには家賃も安く、治安もそれほどひどくないこともあって中南米からの移民の人も多く、さらにそのような多様性に惹きつけられてかLGBTの人びとも多く住むようになって、まるで『スター・ウォーズ』に出てくるチャルマンの酒場のような様相になっていることに驚いてしまった。これって、もしかするとわれわれの「未来」じゃないのか! 日本も高齢化で労働人口も減って、海外からの労働力に頼らざるを得なくなって、いつしかジャクソンハイツになって行くのかもしれない。そのときに、いかにして多様な文化を受け入れることができるんだろうか? ひとつの民族(正確には違うけど)、ひとつの言語、そして宗教にも無関心。おなじときに休んで、おなじような場所に行って、おなじことをすることで安心しているわれわれがジャクソンハイツになれるのかなあ。ならざるを得ないときのひずみがとても心配だった。

→フレデリック・ワイズマン→ニューヨーク州のジャクソンハイツの人びと→アメリカ/2015→シアター・イメージフォーラム→★★★★

監督:フレデリック・ワイズマン
出演:コロラド州のモンフォート・ミート・パッキング・ファームの人びと
原題:Meat
制作:アメリカ/1976
URL:
場所:アテネ・フランセ文化センター

牧場で飼われている牛たちがどのような経緯を経て我々の食卓に並ぶのかは、なーんとなく理解はしているけれど、それを深く考えると肉が美味しく食えなくなってしまうかもしれないので、そこは無理やりスルーしておきましょう、ってはなしになっていたはずだった。でもそれをフレデリック・ワイズマンは許さなかった。つぶらな瞳をしたいたいけな牛や羊たちが集められて、運ばれて、吊るされて、血を抜かれて、バラバラにされて、小分けにされて、梱包されて出荷される過程をまざまざと見せつけてくれた。うーん、やっぱり辛い。辛すぎる。我々はどうしてそこまでして生きている動物を殺して食わなければならないのだろう。動物性タンパク質は、なにか、他のもので補えるはずだ。もう、可愛い動物たちを食べるのはよそう…。

と決意した帰り道、いつのまにかラーメン屋でチャーシューを食っていた。ああ…。

→フレデリック・ワイズマン→コロラド州のモンフォート・ミート・パッキング・ファームの人びと→アメリカ/1976→アテネ・フランセ文化センター→★★★★

監督:フレデリック・ワイズマン
出演:ベネディクト会エッセネ派の人びと
原題:Essene
制作:アメリカ/1972
URL:
場所:アテネ・フランセ文化センター

エッセネ派とは紀元前2世紀から紀元1世紀にかけて存在したユダヤ教のグループの呼称らしい。そして現代では、その厳格な教えを受け継いだキリスト教のグループなどの呼称にも使われているらしい。フレデリック・ワイズマンはベネディクト会のエッセネ派の人びとを追った。

どんな宗教でも聖職に身を置く人たちは、一般の人たちよりも人間としてのステージを上げることを目的とした人びとだろうと勝手に解釈しているんだけど、このフレデリック・ワイズマンの『エッセネ派』の中に登場する神父たちは、やたらと俗っぽい人間関係で悩みを抱えていて、それだったら我々のコミュニティで起こる問題と何ら変わることがなくて、修道会で行われる厳しい修行とはいったい何のためなんだろう? と、あきれて映画を観続けていた。

どんなところへもズケズケと入り込んでいくフレデリック・ワイズマンのカメラが客観的に捉える人間たちはどこまでも可笑しすぎる。

→フレデリック・ワイズマン→ベネディクト会エッセネ派の人びと→アメリカ/1972→アテネ・フランセ文化センター→★★★☆

監督:フレデリック・ワイズマン
出演:メトロポリタン病院の人びと
原題:Hospital
制作:アメリカ/1970
URL:
場所:アテネ・フランセ文化センター

いつのころからか「病院」に関連するすべてのものを忌み嫌うようになってしまった。建物も備品も医師も看護婦も病人も、とにかくすべて。でも、いつしか自分も大病を患って「病院」に世話にならざるを得ない状況が生まれるんだろうなあ。そうしたときに、どんな顔をして「病院」へ行くことになるんだろう? 不安、不信、怖れ、動揺、混乱、心労、そのすべてがにじみ出ているに違いない。

フレデリック・ワイズマンの『病院』は、まさにそんな感情を抱えた人たちの表情がスクリーンいっぱに広がっていた。病院を訪れる病人やその家族にぴったりと寄り添ったカメラに映る人間はまさに自分だった。そこまでのめり込んで観てしまった映画は、あっという間の84分だった。

→フレデリック・ワイズマン→メトロポリタン病院の人びと→アメリカ/1970→アテネ・フランセ文化センター→★★★★

監督:サミュエル・マオズ
出演:リオル・アシュケナージ、サラ・アドラー、ヨナタン・シライ、シラ・ハイス、ユダ・アルマゴル、カリン・ウゴウスキー
原題:פוֹקְסטְרוֹט‎
制作:イスラエル、ドイツ、フランス、スイス/2017
URL:http://www.bitters.co.jp/foxtrot/
場所:新宿武蔵野館

レバノンの『判決、ふたつの希望』に続いて今度はイスラエルの映画。

とても不思議な映画だった。大きく3つのパートに別れているこの映画は、人物のクローズアップ多様の「怒り」のパートで衝撃を与えて、次にロングショット多様の「静寂」のパートで落ち着かせて、そして最後に最初のパートと同様にクローズアップ多様の「受容」とも云うべきパートで穏やかに終わらせている。この3つのパートのあいだで波打つ人間の感情の振幅がまるで交響曲の旋律のようで、ベートーヴェンの「運命」を聞いているようだった。特に、2つ目の「ラクダが通る検問所」のパートは、静けさの中の突然の衝撃が強烈で、ちょっとデヴィッド・リンチの映像をも彷彿とさせて、映画館をあとにしてもその残像が尾を引く変わった映画だった。

サミュエル・マオズ監督がヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞した『レバノン』を観なければ。

→サミュエル・マオズ→リオル・アシュケナージ→イスラエル、ドイツ、フランス、スイス/2017→新宿武蔵野館→★★★☆

なら国際映画祭の3日めは、NIFFユース審査員プログラムの「短編部門:SSFF & ASIA セレクション」。

●マティア・ヴクシキ『Goran’S Street ゴランの道』(8分、2015/クロアチア)
●クリストフ・デアク『Sing 合唱』(25分、2015/ハンガリー)
● アニヤ・リンド『Agnes アグネス』(15分、2015/スウェーデン)
● ダーニ・デ・ラ・オルデン『Swimmer プールサイドの初恋』(15分、2014/スペイン)
● アンダース・ヴェルター『Helium ヘリウム』(23分、2013/デンマークン)

この中ではハンガリーのクリストフ・デアク監督『Sing 合唱』が面白かった。下手な子は口パクさせられる合唱部の子どもたちの先生への反乱。一昨日のイランのコヴェ・マザヘリ監督『Retouch』と同じように、短編映画は1つのシチュエーションのインパクトが大切で、それをテンポよく4コママンガのように起承転結してくれると気持ちがいい!

なら国際映画祭を参加しての感想は、インターナショナルコンペティションをもうちょっと盛り上げないと、映画祭としての芯が無いと云うか。もっと地元に根付いて、奈良市民も多数参加できる映画祭に出来れば良いんじゃないかなあ。そう云った意味では「尾花座 復活上映会」は成功してたとおもう。

●藤元明緒『僕の帰る場所』(2017/日本)
日本で難民申請をしているミャンマー人夫婦の二人の子供は日本語しか話せない。なのに、日本での生活に疲れた母親とともに強制的にミャンマーに帰国することになってしまう。日本人でもない、ミャンマー人でもない、アイデンティティを失った特に長男の彷徨を描く。
この映画を観はじめて、はたしてこれはドキュメンタリーなのか、ドラマなのか、まったくわからないところが面白かった。津田寛治が出てきて一気にドラマ色になったけど。とにかく、二人の子供が凄かった。とても演技とはおもえない。是枝裕和がやりたいことはこれなんじゃないのかなあ。

●道本咲希『昔の恋人』(28分、2017/日本)
●横田浩樹『同じ歩幅でなんて歩かない』(65分、2017/日本)
NARA-wave(学生映画部門)の短編2作品。昨日の玄人はだしの海外の作品に比べるとしっかりとアマチュアの学生が作った映画だった。海外の作品はさすがにスタッフはプロなんじゃないのかなあ。
2作品ともおもしろかたけど、『昔の恋人』は、主人公の「麻美」が父の昔の恋人に会いに行って、その昔の恋人にビンタされるシーンまでの過程をもうちょっと丁寧に撮ってたらなあ、と。

●ダスティン・フェネリー『STRAY』(2018/ニュージーランド)
やっとインターナショナルコンペティションの作品を奈良国立博物館講堂で。
仮釈放中の男と精神病院を退院した女のはなし。孤独な二人の行き場のないストーリーが落ち込ませるけど、うっすらと希望が見えて行くままに終わるラストシーンは良かった。

奈良市で行われる、なら国際映画祭にはじめてやってきた。この映画祭は、監督の長編デビュー作または2作目のみを扱うコンペティション部門と学生映画コンペティション(NARA-wave)部門がメインの、映画制作に携わる若い人たちに向けて特化しているところが特徴的。仕切りとか段取りとか通訳とかグダグダなところは、まあ、若いと云うことで。

●ラナ・ウィルソン『いのちの深呼吸』(2017/アメリカ)
現在、東京ではポレポレ東中野で上映中のこの作品。東大寺南大門のすぐ横にある「東大寺 金鐘ホール」で観ることが、「自殺防止活動に取り組む日本の僧侶の日々を追うドキュメンタリー」の内容にぴったりだった。
映画が終わったあとの、この映画の主人公、根本一徹住職(岐阜県大禅寺)と東大寺僧侶とのトークも面白かった。葬式と法要でしか一般の人と関わらない日本の僧侶が、死のうとしている人たちと向き合ってくれたらどんなに良いことか。

●フロリアン・クーネルト『Oh Brother Octopus』(27分、2017/ドイツ)
●イネス・デ・リマトレス『De Madrugada』(30分、2018/ポルトガル)
●コヴェ・マザヘリ『Retouch』(20分、2017/イラン)
NARA-wave(学生映画部門)の短編3作品。この中では、重いダンベルをベンチプレス中に首に落としてしまって苦しがっている夫を放置して殺してしまう妻、のコヴェ・マザヘリ監督『Retouch』が面白かった。30分くらいでテンポよくストーリーテリングする短編映画は基本的に大好き。

監督:ジアド・ドゥエイリ
出演:アデル・カラム、カメル・エル・バシャ、リタ・ハーエク、クリスティーン・シュウェイリー、カミール・サラーメ、ディアマンド・アブ・アブード
原題:L’insulte
制作:レバノン、フランス/2017
URL:http://longride.jp/insult/
場所:TOHOシネマズ・シャンテ

2009年の山形国際ドキュメンタリー映画祭で観たエリアーン・ラヘブ監督の『されど、レバノン』は、キリスト教マロン派を信仰する監督から見たレバノンと云う国の、宗教的にも民族的にも複雑さを抱える国の実情をアジアの東の端にいる我々にも知らしめてくれるドキュメンタリーだった。で、この映画の中で、狂信的なキリスト教民兵(レバノン軍団)がイエス・キリストの名において「キリスト教徒のコミュニティを守る」というスローガンのもとで、イスラム教徒、パレスチナ人、シリア人、および自分たち以外のキリスト教徒を敵対視するシーンが出てきたときに、イスラム教徒はわかるんだけど、パレスチナ人を名指しして排斥する理由がいまいちピンとこなかった。

ジアド・ドゥエイリ監督の『判決、ふたつの希望』は、キリスト教マロン派のレバノン人男性とパレスチナ難民の男性との口論がきっかけで起きる裁判を描いた映画だった。この映画を観て、レバノン国内の難民キャンプなどにいるパレスチナ人に対しての国内感情が決して良いものではなく、どこか差別的な感情があることに驚いた。イスラエルへの反発感情から単純にパレスチナ人擁護になるなんてことを考えていた自分がバカだった。でも、パレスチナ人たちが自分たちを排斥する人たちに向かって「シオニスト!」と叫んでいるシーンは、いやいや、そんな短絡的な、と笑ってしまった、

映画のストーリーでは裁判を重ねるうちに、次第にキリスト教のレバノン人男性がパレスチナ人を嫌う理由が判明して行き、彼が父親とともに1976年1月20日に起きた「ダムールの虐殺」の被害者であることが明らかになって行く過程がサスペンスフルですごく面白かった。レバノンでは、1976年1月18日の「カランティナの虐殺」(キリスト教徒の民兵組織がベイルート東部のカランティナ地区のパレスチナ人とイスラム教徒を殺害)、1976年1月20日の「ダムールの虐殺」(レバノン国民運動(LNM)と提携したパレスチナ人の民兵がダムールの村のキリスト教徒を殺害)、1976年8月12日の「テルザアタルの虐殺」(キリスト教徒の民兵がテルザアタルの難民キャンプに侵入してパレスチナ難民を殺害)と内戦時に3度も虐殺があって、この時のわだかまりがキリスト教徒やイスラム教徒、そしてパレスチナ人のあいだにまだまだくすぶっていると云う事実が怖くもあった。レバノンもシリアのような状態になる可能性を充分に秘めているのだった。

ただ、映画としては、伏線なしの衝撃的な事実判明はちょっとやりすぎな感じがしないでもなく、中東の国の映画と云うよりも、ハリウッド映画を真似た韓国映画あたりのアグレッシブさをおもいだしたりもしてしまった。

→ジアド・ドゥエイリ→アデル・カラム→レバノン、フランス/2017→TOHOシネマズ・シャンテ→★★★★