監督:ヴァーツラフ・マルホウル
出演:ペトル・コトラール、ステラン・スカルスガルド、ハーヴェイ・カイテル、ジュリアン・サンズ、バリー・ペッパー、ウド・キア、イトゥカ・ツヴァンツァロヴァ、アレクセイ・クラフチェンコ
原題:Nabarvené ptáče / The Painted Bird
制作:チェコ、スロバキア、ウクライナ/2019
URL:http://www.transformer.co.jp/m/itannotori/
場所:シネプレックス幸手

ポーランドの作家イェジー・コシンスキの同名小説の映画化。

ユダヤ系ポーランド人であるイェジー・コシンスキは、第二次世界大戦中に両親と別れて、カトリック教徒を装って田舎に疎開してホロコーストから逃れた。そのときのトラウマから5年間、口がきけなくなってしまったらしい(Wikipediaから)。小説「異端の鳥」はおそらくはそのときの体験をベースに書かれた小説で、それを忠実に映画化したのがこのヴァーツラフ・マルホウルの映画だった。

東ヨーロッパの寒村に住む叔母のもとに疎開した男の子が、叔母を亡くしたことから各地をさすらう行動描写は、映画の題材としては格好の素材で、その先々で出会う醜悪な大人たちによる酷い仕打ちによって、次第に心を失って、言葉も無くして行く過程は、まるでロードムービーを観ているようで面白くもあり、もちろん辛くもあった。

ヨーロッパの映画を観ていていつもおもうことだけれど、貧しい人々がカトリックという宗教にすがることによって得られるものが「平穏」ではなくて「残酷さ」なのはどうしてなんだろう。この映画でも、姦通した男の目をくり抜く行為や、男をたぶらかす不浄な女を魔女のように扱って虐待するシーンや、いろいろな動物が残酷な行為に関わる部分は宗教から来るものとしてしか考えられない。自分たちとは違うものを叩ことうとする姿勢やそれを排除するときの苛烈さは、いまもってキリスト教やイスラム教を信じる一部の人々にあることが「宗教」に対する不信を強める要因になっている。

で、この映画を観ていくうちに、あれ? ステラン・スカルスガルドに似ている人が出ている、いや、ステラン・スカルスガルド本人じゃないか。おお、ハーヴェイ・カイテルも出ている。ジュリアン・サンズもこんな役か! と豪華な出演陣だったのはびっくり。

→ヴァーツラフ・マルホウル→ペトル・コトラール→チェコ、スロバキア、ウクライナ/2019→★★★☆

監督:刁亦男(ディアオ・イーナン)
出演:胡歌(フー・ゴー)、桂綸鎂(グイ・ルンメイ)、廖凡(リャオ・ファン)、レジーナ・ワン
原題:南方車站的聚会 The Wild Goose Lake
制作:中国、フランス/2019
URL:http://wildgoose-movie.com
場所:新宿武蔵野館

前作の『薄氷の殺人』がとても印象的だったディアオ・イーナン監督の新作。

湖北省の省都でもある武漢市と云えば、なんと云っても、新型コロナウイルス(COVID-19)の震源地として有名になってしまった。それ以前には、サッカーファンにとっては、AFCアジアカップ2004の舞台として、反日運動の高まりのなか日本代表が決勝で中国を破って優勝したおもいでの地でもあった。

その武漢市の勝手なイメージは、人も熱くて、気候も暑い。2004年のころの反日運動の暴徒化はすさまじかったし、内陸部の滞っているような熱い空気はそんな人々の不満をさらに駆り立てているようでもあった。だから、その人の多さから、そして衛生面の欠如から、何やら怪しげなウイルスが出てきてもおかしくないようなイメージだった。

ディアオ・イーナン監督の『鵞鳥湖(がちょうこ)の夜』の舞台である「鵞鳥湖」は架空の湖だったけれど、どうやらロケは武漢市の有名観光地「東湖」で行われたらしい。だから、映画を支配している全体的なイメージは武漢市の暑さだった。ただ、そこで暗躍する男と女は、どこか疲れ切ったような、広角泡飛ばして言葉をまくしたてる中国人のイメージとは違って冷めた人間ばかりだった。それがかえって不気味さを増していて、ちょっと入り込んだ路地裏にもいる人の多さからも、ソンビ映画に似た怖さを感じてしまった。まるでゾンビに襲われるがごとく、いろいろなものが、病気だけではなくて、負のオーラも、不満の爆発も、簡単に感染しそうだった。それをうまく映像化している映画だった。

ディアオ・イーナン監督のカットのつなぎ方は、なんだか、昔の日本映画を観ているようだった。黒澤明の『野良犬』とか。ファーストシーンの男と女が駅前で出会うシーンに懐かしさを感じるとともに、ああ、映画ってこういうものだよなあ、とおもうことしきり。

→刁亦男(ディアオ・イーナン)→胡歌(フー・ゴー)→中国、フランス/2019→★★★★

監督:クリストファー・ノーラン
出演:ジョン・デヴィッド・ワシントン、ロバート・パティンソン、エリザベス・デビッキ、ディンプル・カパディア、マイケル・ケイン、ケネス・ブラナー
原題:Tenet
制作:アメリカ、イギリス/2020
URL:https://wwws.warnerbros.co.jp/tenetmovie/index.html
場所:109シネマズ木場

クリストファー・ノーランの『ダークナイト』が大絶賛されていたときに、それはどうなの? と全面的に異議を唱えるものの、次回作の『インセプション』があんがい自分のツボにはまったものだから、クリストファー・ノーランはそんなに悪くないのかもしれない、と『ダークナイト』を評価してしまう気持ちさえ芽生えてしまった。

でも、そのあとの映画群を観るにつけて、うーん、この監督はハッタリが巧いだけなのかもしれない、とだんだんとおもうようになってきた。『インターステラー』なんて次元と時空の映像化で目を眩ませて、なんだ結局はペーソスで泣かせるのか、だったし、『ダンケルク』は実際の軍艦や戦闘機を使うリアリズムにかまけてドラマの部分は薄っぺらだったし。

そしてこの『テネット』。クリストファー・ノーランが「時間の挟み撃ち」を映像化するにあたって、この手法で良しと判断して、映画を観に来るお客さんにこれを提供したとするならば、あまりにも自分勝手で尊大な気がしてしまった。なにやら新しいことをやろうとしていることはわかるのだけれど、映画を観ているだけでは、いまどんな状況なのかさっぱりわからない。どんどんと映画から置き去れにされる人が続出! だった。もちろんいままでにも、語ろうといている思考が複雑で難解な映画というものはたくさんあった。でも、アクション部分が難解! だなんて聞いたこともない。それを読み解く面白さはあるのだろうが、自分はダメだった。ひどい映画だった。

→クリストファー・ノーラン→ジョン・デヴィッド・ワシントン→アメリカ、イギリス/2020→★★

監督:ビン・リュー
出演:ザック・マリガン、キアー・ジョンソン、ニナ・ボーグレン、ビン・リュー
原題:Minding the Gap
制作:アメリカ/2018
URL:http://www.bitters.co.jp/ikidomari/
場所:新宿シネマカリテ

ウィスコンシン州のケノーシャで8月23日、警官が黒人男性を背後から複数回銃撃する事件が発生して、それに端を発した黒人差別の抗議デモは日本でもニュースに取り上げられた。それを見た感想としては、またか! しかなかった。だから、そこには差別意識や銃規制以外の、なにかもっと根源的な問題があるんじゃないかとおもわざるを得なかった。

そのケノーシャから南西に100kmくらい行ったところにあるのがイリノイ州ロックフォードで、ビン・リュー監督の撮ったドキュメンタリー映画『行き止まりの世界に生まれて』の舞台だった。中国系のビン・リュー監督は、シングルマザーの母親とともに8歳になるまで、中国、アラバマ州、カリフォルニア州、イリノイ州ロックフォードを転々として、やっと腰を落ち着けたロックフォードで、黒人のキアー、白人のザックと友だちとなる。そしてスケートボードを一緒に楽しむうちに、そのスケーティングをビデオに撮るようになり、撮り溜めた12年間の軌跡がこの映画だった。

この映画にはもちろんかっこいいスケートボードのスケーティングが最初から登場するのだけれど、そんな自由なスケートシーンとは裏腹に、監督のビン・リューも含めたキアー、ザックの3人の複雑な家庭の事情も明らかになっていく。そこには、うまく行かなくなった父母や、家庭内暴力、先々の希望の見えない雇用状況のことなど、この映画のタイトルの「行き止まりの世界」が見えてくる。

中国系と黒人と白人が仲良くスケートボードを楽しむシーンを見れば、このあたりの地域に人種差別があるようにはとても見えない。とはいえ、もちろん根深い差別意識はいろんな人の心に巣食っていて、黒人やアジア系はその対象になりやすいのだろうとはおもう。その差別意識が芽生える土壌は必ずこの「行き止まりの世界」にはあって、子どもたちの育った家庭環境が大きく影響していることは確かなような気がする。日本の状況以上に、とくにこのイリノイ州ロックフォードあたりの経済状況の落ち込んだ地域では、ビン、キアー、ザックの家庭状況と似たような人たちが数多くいることが簡単に想像できてしまった。

彼らの鬱屈を晴らす場としてのスケートボードが救いのこのドキュメンタリー映画は、次第に大人になるにしたがって、スケートボードもやらなくなってしまって、三者三様の新たな環境で生まれる鬱屈を晴らす場は何になるんだろうかと考えてしまった。とくに白人のザックは、自身の子供が生まれて、それでいて妻のニナに暴力を振るうという、遺伝子ともおもえる親からの負の連鎖に巻き込まれてしまって、それを断ち切れないところにアメリカの問題があるんだろうなあ、と考えてしまった。

ビン・リュー監督は、おそらくまだ彼らを撮り続けているのだろうから、それをまとめた続編を必ず発表してほしい。アメリカ中西部の、このような環境の人々を撮り続ければ、おのずとアメリカに巣食う問題が見えてくるような気がする。フレデリック・ワイズマンが精力的に撮っていたアメリカの実情を、同じようにビン・リュー監督も撮って行ってほしいなあ。

→ビン・リュー→ザック・マリガン→アメリカ/2018→★★★★

監督:ダン・スキャンロン
声:志尊淳、城田優、近藤春菜(ハリセンボン)、浦嶋りんこ、村治学、宗矢樹頼
原題:Onward
制作:アメリカ/2020
URL:https://www.disney.co.jp/movie/onehalf-magic.html
場所:109シネマズ木場

ピクサーのアニメーションには家族愛や友情、成長や変化をテーマにしたものが多いんだけれども、それがうまくエンターテインメントしていて、工夫のないストレートな表現はなるべく避けて、説教臭くなったりもせずに、期待と失望、愛情と憎しみが交錯しながら、スピード感あふれるアクションを盛り込んで、最後には、ああ成長したんだなあ、になるところがとても良い。

ダン・スキャンロン監督の『2分の1の魔法』は、幼い頃に亡くなった父親に会いたがために中途半端な魔法を使ってしまって、下半身だけ復活してしまった父親とともに、そして隣人には変人と見られている兄と一緒に、完全な魔法を探し求める冒険ストーリーだった。

嫌われ者の兄と引っ込み思案の弟が協力して、そして母親とライオンの体にコウモリの羽を持つマンティコアのサポートを得て、この4人のパーティが多くの謎を解きながら最終的には完全な魔法を復活させるための「不死鳥の石」を探し求める旅はロールプレイングゲームでもあって、ゲーム好きにとっても楽しい映画だった。

日本の劇場用アニメーションも、もっとゲームの要素をうまく盛り込んだこの『2分の1の魔法』のような映画を作れないものなのかなあ。あれだけコンシューマゲームで素晴らしいものが作られるのなら、ピクサーのアニメーションのようなものが作られても良いのに。ああ、これはいつも云ってることか。

→ダン・スキャンロン→(声)志尊淳→アメリカ/2020→★★★☆

監督:大島新
出演:小川淳也
制作:ネツゲン/2020
URL:http://www.nazekimi.com
場所:ポレポレ東中野

自分のTwitterのタイムラインを見ていると、絶えず安倍政権への批判のTweetが流れてくる。それは、Twitterってものは趣味嗜好の似ている人たちをフォローしているわけだから、自ずと政治的信条も似たような人たちの集まりとなって、当然の結果としての安倍批判のタイムラインになってしまっている。自分自身としては、Twitterごときで政権批判をしたところで、不満のはけ口ぐらいの行為にしかなってないよなあ、としかおもってないところが申し訳ないところです。

じゃあ、自分のタイムラインに流れてくる安倍批判の人たちの理想とする政治家とはどんな人だろうと考えると、ひとつだけはっきりしていることがあった。それは、たとえ自分たちに不利益なことであっても、しっかりとした説明をしてくれる人、と云うことだろうとおもう。TwitterなどのSNSでしっかりとした情報発信が出来る人物が人気だった。例えば、熊谷俊人・千葉市長とか、保坂展人・世田谷区長とか。

香川1区から選出された立憲民主党(現在)の衆議院議員、小川淳也を17年間も追いかけたこのドキュメンタリー映画を観て、ああ、この人はしっかりとした言葉を持っている人だなと感じた。批判的な人に対しても、しっかりとした説明の出来る人じゃないのかな? とは感じた。

でも、このようなしっかりと言葉を持った人が政権与党にいて、それなりの役職につくことができたとしても、自分の発したい言葉と党利党益優先で発しなければならない言葉とのあいだに挟まれて、次第に言葉を失ってしまうんだろうなあ、とはおもう。それは、この映画の、小池百合子が「民進党の全員を受け入れる気持ちはさらさらありません」と言い放った2017年の衆議院選挙のときの状況を見ても想像がついてしまう。

小川淳也議員を「なぜ君は総理大臣になれないのか」としたのは、もちろん野党にいる限りは無理なんだけど、たとえ立憲民主党が政権を獲ったとしても、自民党が築き上げた古い政治体質が日本に残る限りは、小川淳也議員の良さを残したままの総理大臣になることは無理! ってことなのかもしれない。自分の言葉によって国民に説明をしながら、日本の古い政治気質を浄化させていくのは、よっぽどのことが起こらないかぎり無理なんだろうなあ。それは『日本沈没』が起きた後の日本か、王蟲が食い尽くしたあとの世界か。

→大島新→小川淳也→ネツゲン/2020→ポレポレ東中野→★★★★

監督:小原浩靖
出演:加賀美幸子(ナレーション)
制作:Kプロジェクト/2020
URL:https://wasure-mono.com
場所:ポレポレ東中野

第二次世界大戦によって多くの日本人が国策に翻弄されて人生を狂わされてしまったことを、過去を振り返るテレビ番組などで知ること以外で実感することがあまりない。自分の親や親戚は確実にその戦争を生き抜いて来たわけで、そして大変な苦労があったことも事実だとはおもうけれども、そこには当時の個人的な境遇の差が大きくあって、苦労の差のブレも相当に激しいんだろうとはおもう。

戦争当時に国策によって満州に渡って、そこで終戦を迎えて、親と死に別れたりはぐれたりして、幼いながらひとりぼっちで中国に残された人の苦労は、本土で終戦を迎えた人よりも相当なものだった。それが、1981年3月に初めて「残留孤児訪日調査団」が行われて以降、肉親とめぐり合うことのできた中国残留日本人が多数現れたことをマスコミが大々的に報道することで、まるでハッピーエンドを迎えたようなイメージを我々に植え付けてしまっていた。ああ、良かった、で、おしまいになった人は、自分も含めて大多数だったろうとはおもう。

ところが、日本人として認められて帰国しながらも、日本語を覚えられず、日本の文化に馴染めることもできないで孤立無援になってしまう人がいることは、いっときのブームの過ぎ去ったマスコミは報道もしない、とは云わないけれど、あまりにも少なかった。中国残留日本人は、結局はその人の人生をすべてダメにしてしまったとも云えるほど、戦争の影がついて回ってしまった。

さらに悲惨なのは、フィリピンの残留日本人だった。戦争当時にフィリピンに住んでいた日本人は、経済的な活動として自発的にフィリピンに住んでいた人が多く、親が殺されたり、本土に強制送還されたあとにフィリピンに残された子供のことは、満州に残された子供以上にほったらかしにされて、今なお、国はフィリピン残留日本人についての調査や日本国籍を認めることをしようともしていなかった。

中国残留孤児とフィリピン残留日本人の国籍取得支援を行っているのが、この映画を企画・制作した弁護士の河合弘之さんを中心とする「中国残留孤児の国籍取得を支援する会」と「フィリピン日系人リーガルサポートセンター」だった。そして、その活動をこの映画『日本人の忘れもの フィリピンと中国の残留法人』で知ることになる。

ドキュメンタリー映画って、このような意義ある活動をしている人たちがいることを知らしめるために存在していて、なるべく多くの人にこの映画を観てもらいたいはずだ。ところが、この新型コロナが蔓延する中、客席も間隔を開けて座ることになるし、映画館へ足を運ぼうとする意欲も削がれるし、まったくひっそりと公開が終わってしまうのは残念でならない。いつもおもうことだけれど、Netflixなどでもっとドキュメンタリー映画を公開できないものなのかなあ。もちろん、映画館で観ることがベストなことを承知の上で。

→小原浩靖→加賀美幸子(ナレーション)→Kプロジェクト/2020→ポレポレ東中野→★★★☆

監督:エミリオ・エステベス
出演:エミリオ・エステベス、アレック・ボールドウィン、クリスチャン・スレーター、ジェフリー・ライト、ジェナ・マローン、テイラー・シリング、ジェイコブ・バルガス、ガブリエル・ユニオン、マイケル・ケネス・ウィリアムズ、リチャード・T・ジョーンズ
原題:The Public
制作:アメリカ/2018
URL:https://longride.jp/public/
場所:新宿武蔵野館

子供の頃からそんなに本を読む方ではなかったので、図書館にはあまりお世話にはならなかった。ところが、インターネットで著作権の切れた作品を公開するプロジェクトに関わってからは、やたらと図書館へ行くようになった。どこそこにあの本があるとわかれば、東京23区のあちこちの図書館に自転車で出向いたものだった。

そのあちこちの図書館へ行って気づいたことの一つに、新聞や雑誌を読むコーナーにはいつもいろんなタイプの人がくつろいでいるものなんだなあ、と云うことがあった。お年寄りや、何らかの理由で会社に勤めていない人、ちょっとホームレスっぽい人など。図書館は本を借りたり読んだりする場所だけではなくて、自分の居場所として、時間をつぶす場所として機能していたことに驚いた。

それはアメリカのシンシナティでも同じだった。エミリオ・エステベスが主演し監督もした『パブリック 図書館の奇跡』は、お年寄りやホームレスたちが毎朝、図書館の開館を待ちわびるシーンからはじまる。トイレはみんなの身繕いの場でもあり、コミュニケーションの場でもあった。パソコンは時間をつぶすのに最適のツールだし、司書に対して無理難題を質問する楽しみもある。

そして、ホームレスの凍死者が増える真冬のシンシナティで、いつものように図書館に集うおなじみのホームレスたちは、外に出ると死ぬ恐れがあるとして閉館後も図書館に籠城してしまう。過去にホームレスになった経験もある図書館員のエミリオ・エステベスは、彼らと一緒に籠城する覚悟を決める、というストーリーの流れの映画だった。

図書館は公共の場として位置づけられていて、おそらくは法律で融通の効かない状態に守られているのだろうから、そこが市民にとっての最後の牙城にになることはありえないのかもしれない。でも、この「知の集積場所」は、その集積の結果として人権においてもやさしい場所であって欲しいような気がしてしまって、ホームレスが最後の砦として図書館に籠城するのは正しい行為に見えてしまった。

映画としての『パブリック 図書館の奇跡』は、伏線のはり方とか、ステレオタイプの悪役の配置とか、教科書どおりの映画ではあったけれど、図書館のあり方について考えさせられる点においては良い映画だった。

→エミリオ・エステベス→エミリオ・エステベス→アメリカ/2018→★★★☆

監督:ダグラス・サーク
出演:ジョン・キャラダイン、パトリシア・モリソン、アラン・カーティス、ハワード・フリーマン、ラルフ・モーガン、エドガー・ケネディ、ルドウィッグ・ストッセル、アル・シーン、エリザベス・ラッセル、ジミー・コンリン
原題:Hitler’s Madman
制作:アメリカ/1943
URL:
場所:シネマヴェーラ渋谷

ドイツで映画を撮っていたダグラス・サーク監督は、妻がユダヤ人であることからナチスの迫害を恐れ、1937年にアメリカへと亡命し、ハリウッドへ渡ってからはじめて撮った映画が反ナチスの映画『ヒットラーの狂人』だった。

『ヒットラーの狂人』の中に、ナチスの親衛隊大将および警察大将、そしてボヘミアの護民官であるラインハルト・ハイドリヒが出てくる。演じているのはジョン・キャラダイン! ジョン・キャラダインと云えばジョン・フォードの映画でおなじみの俳優で、『怒りの葡萄』での演技は忘れられない(このブログのタイトルバックに勝手に写真を使っている)。で、そのジョン・キャラダインが演じているラインハルト・ハイドリヒが素晴らしい! 「金髪の野獣(Die blonde Bestie)」とあだ名を付けられた極悪非道の人物像をイメージ通りにビジュアル化させている。この映画の中のどこに目が向いてしまうかと云えば、間違いなくジョン・キャラダインだった。

ダグラス・サーク監督と云えば、のちにユニヴァーサルでの一連のメロドラマが代表作になるんだけど、このハリウッド初の映画でもそのスタイルはすでに固まっていて、自分の生まれたチェコの町へパラシュート降下するカレル(アラン・カーティス)とその恋人ヤミラ(パトリシア・モリソン)の描写や、ナチスとレジスタンスとのあいだで苦悩するヤミラの父(ラルフ・モーガン)の行き場の無さなどはまさしくダグラス・サークだった。

→ダグラス・サーク→ジョン・キャラダイン→アメリカ/1943→★★★☆

監督:イ・ウォンテ
出演:マ・ドンソク、キム・ムヨル、キム・ソンギュ、ユ・スンモク、キム・ユンソン、チェ・ミンチョル
原題:The Gangster, the Cop, the Devil
制作:韓国/2019
URL:http://klockworx-asia.com/akuninden/
場所:Movixさいたま

相も変わらず映画に関する事前情報をまったく入れないので、イ・ウォンテ監督の『悪人伝』をなんとなく、ポン・ジュノ監督の『殺人の追憶』のような重苦しい映画をイメージしてしまっていた。映画のオープニングからはまさしく、そのイメージ通りのはじまりで、凄惨な殺人シーンが多くて、そこに連続殺人犯を追う刑事の描写が続いたので、ああやっぱり『殺人の追憶』のような映画なんだな、と納得していた。

ところが、刑事役のキム・ムヨルがどこかおちゃらけた、軽いのノリの演技なので、これはもしかすると『殺人の追憶』のような映画とは違うんじゃないのか、とおもいはじめたところの、「アベンジャーズ」のサノスよろしく凶暴さを前面に押し出したヤクザのマ・ドンソクの登場だった。

まさしく文字通りの「袋叩き」をするシーンで登場するマ・ドンソクは、チンピラの前歯を力ずくで抜いたり、兄弟関係にある一味を皆殺しにしたりと、これでもかと悪人面を強調させてはいるのだけれど、なぜだろう? どこか憎めないオーラを発散させていて、刑事のキム・ムヨルと共闘して連続殺人犯を追いかけるシーンは、ルパン三世と銭形警部が奇しくも同じ敵を追い詰めるために共闘した『ルパン三世カリオストロの城』のような痛快さがあったのには驚いてしまった。

韓国映画に見えるエンターテインメントな部分は、ときに演技が大仰で鼻につくことがあるのだけれど、そこの部分が映画を観ているものの感覚にぴったりと嵌ってくれば、これでもかと畳み掛けるサービス精神に乗せられて、嬉しいくらいに翻弄させられて充分に楽しませてくれる。今回のイ・ウォンテ監督の『悪人伝』もそのたぐいの映画だった。

→イ・ウォンテ→マ・ドンソク→韓国/2019→★★★☆