主戦場

監督:ミキ・デザキ
出演:トニー・マラーノ、藤木俊一、山本優美子、杉田水脈、藤岡信勝、ケント・ギルバート、櫻井よしこ、吉見義明、渡辺美奈、加瀬英明
原題:Shusenjo The Main Battleground of the Comfort Women Issue
制作:ノーマン・プロダクション/2019
URL:http://www.shusenjo.jp
場所:シアター・イメージフォーラム

過去の歴史の中で起きた出来事は、そのことについての信頼のおける記録が無いかぎりは、数年前のことでさえすぐに事実が不透明になってしまう。なので、第二次世界大戦中に起きた慰安婦の問題については、それがあったのかなかったのか、あったとしたらどんな実態でおこなわれていたのかは、正確な記録が出てこない限り、そこに議論の焦点を持っていってもしょうがない気がする。ただ、慰安婦であったことを証言する人が数多く現れている以上は、慰安婦にされた人がいたことは事実だろうし、それがたとえ韓国の家父長制からくるものであったとしても心情的には何かしらの補償をするべきだろうとはおもってしまう。でも、日韓の歴史上のわだかまりから来る双方の信頼関係の無さから、どんな補償を行ったとしても全員が納得することは難しいだろうけれど。

だから慰安婦問題を扱ったミキ・デザキ監督のドキュメンタリー『主戦場』を見ても、もやもやとした気持ちしか残らない。落とし所のない底なし沼を見ているようだった。しかし、その底なし沼の中にひとつだけはっきりしたことがあった。「どんなに頑張っても中国や韓国は日本より優れた技術が持てない」の発言が代表的な、日本を特別な国と云い張っている人たちの、得意満面の勝ち誇ったような「顔」が大嫌いだ、と云うことだった。何か得体の知れないものに取り憑かれている顔に見えた。それがわかっただけでもこの映画を観た価値があった。

→ミキ・デザキ→トニー・マラーノ→ノーマン・プロダクション/2019→シアター・イメージフォーラム→★★★☆

きみと、波にのれたら

監督:湯浅政明
声:片寄涼太、川栄李奈、松本穂香、伊藤健太郎
制作:「きみと、波にのれたら」製作委員会/2019
URL:https://kimi-nami.com
場所:109シネマズ木場

湯浅政明監督の新作は、前作の『夜明け告げるルーのうた』と同じような「海」をテーマにしたアニメーションではあるけれども、ラブストーリーとファンタジー要素を強めにしたことから、大ヒットを記録した新海誠監督のアニメーションを意識しているのかなあ、と云うのが第一印象だった。でもそこは湯浅政明監督のアニメーションなので、キャラクターのデフォルメが新海誠風ロマンティシズムを中和させてくれたので、『君の名は。』のようなこっ恥ずかしくっていたたまれなくなるような気持ちは起きなかった。ただ、『夜は短し歩けよ乙女』でも『夜明け告げるルーのうた』でも見せてくれた、めくるめく湯浅政明風絵巻とも云えるハチャメチャでダイナミックなアニメーションが抑えられていたのはちょっと寂しかった。

この映画を観たのが、公開から2週間経った木曜日の109シネマズ木場の19時10分の回。観客はたった3人だけだった。やっぱり『君の名は。』の亜流のように見られちゃったのかなあ。湯浅政明監督のアニメーションも大ヒットして欲しいなあ。

→湯浅政明→(声)片寄涼太→「きみと、波にのれたら」製作委員会/2019→109シネマズ木場→★★★☆

ゴジラ キング・オブ・モンスターズ

監督:マイケル・ドハティ
出演:カイル・チャンドラー、ヴェラ・ファーミガ、ミリー・ボビー・ブラウン、ブラッドリー・ウィットフォード、渡辺謙、サリー・ホーキンス、チャールズ・ダンス、トーマス・ミドルディッチ、アイシャ・ハインズ、オシェア・ジャクソン・Jr、デヴィッド・ストラザーン、チャン・ツィイー
原題:Godzilla: King of the Monsters
制作:アメリカ/2019
URL:https://godzilla-movie.jp
場所:109シネマズ木場

ハリウッドで作られる「ゴジラ」映画も3作目になって、最初のローランド・エメリッヒ版から比べるとだいぶ見られる「ゴジラ」になったような気がするけれど、庵野の『シン・ゴジラ』を観てしまうと、ああやっぱり「ゴジラ」は日本人が作らないとなあ、とはおもってしまう。ハリウッド版「ゴジラ」のキャラクターがまだモンスターとしか捉えてないのに対して、庵野版「ゴジラ」には生物としてそうなってしまった哀しみ、憐れみが絶対的にそのベースにあるからなあ。そこは被爆国として譲れない線だ。

でも、伊福部昭の「ゴジラのテーマ」や古関裕而の「モスラの歌」が使われていたりすると、日本版ゴジラ・シリーズへのリスペクトがしっかりと感じられて鳥肌が立ってしまう。単なる安直なリメイクではないことは端々の細かな設定からも見えるのはやはり日本人としては嬉しい。

次は『ゴジラVSキングコング』かあ。「キングコング」はハリウッドが本家なわけだから、これは絶対に面白くなるぞ。

→マイケル・ドハティ→カイル・チャンドラー→アメリカ/2019→109シネマズ木場→★★★☆

アイアンホース

監督:ジョン・フォード
出演:ジョージ・オブライエン、マッジ・ベラミー、シリル・チャドウィック、フレッド・コーラー、グラディス・ヒューレット、J・ファレル・マクドナルド
原題:The Iron Horse
制作:アメリカ/1924
URL:
場所:アテネ・フランセ文化センター

戦後のジョン・フォードの映画には、どの映画にも通底しているテーマやキャラクター造形があって、そのブレない共通した映画作りがジョン・フォードの映画を追っかけてやまない要因のひとつなんだろうとおもう。特に、『黄色いリボン』や『リオ・グランデの砦』のヴィクター・マクラグレンが象徴的な、酒好きでだらしないけど人が良くて憎めない軍曹、のようなキャラクターを必ず配置させるところが大好きで、彼らの出演部分を見るだけでもジョン・フォードの映画を見た気分になってしまう。おそらく、宮崎駿もこのキャラクター造形に影響を受けていて、『天空の城ラピュタ』のドーラの手下や『紅の豚』の空賊たちは絶対にジョン・フォードの影響だろうと想像できてしまう。

じゃあ、その共通したテーマやキャラクター造形がいつからはじまったのだろうかと考えたときに、驚いたことに1924年の『アイアンホース』の時点ですでにそれは完成されていた。家族愛、正義、男気、アイルランドへの郷愁や、酔いどれ軍曹のような憎めないキャラクターなど、ジョン・フォードが映画を撮り始めて、そして世間に認めらた時点でそのすべてがはじまっていたことには驚いた。

1937年の『ハリケーン』以降のジョン・フォードの映画は、そのほとんどを見ているので、ああ、もっとサイレント時代の映画を観たいなあ。

→ジョン・フォード→ジョージ・オブライエン→アメリカ/1924→アテネ・フランセ文化センター→★★★★

鄙(いなか)より都会へ

監督:ジャック・フォード(ジョン・フォード)
出演:ハリー・ケリー、モリー・マローン、L・M・ウェルズ
原題:Bucking Broadway
制作:アメリカ/1917
URL:
場所:アテネ・フランセ文化センター

ジョン・フォードはいつも使う俳優を固定させていることで有名で、それは主役だけではなくて脇役も絶えず同じ俳優を使っていて、その中にハリー・ケリー・ジュニアがいた。そのジュニアのお父さんも有名な俳優で、ジョン・フォードがサイレント映画時代によく使っていたことは映画関係の書籍などで知っていた。でも、実際に映画の中での演技で印象に残っているのはフランク・キャプラ監督の『スミス都へ行く』くらいで、もちろん主演映画を見たことはなかった。

『鄙より都会へ』でのハリー・ケリーの印象は、サイレント映画用のメイクのうえに肉声が無いので、いまの映画からすればだいぶ作られたイメージしか印象に残らないのだけれど、『スミス都へ行く』の上院議長と云う公正な立場を崩さないながらもジェームズ・スチュアートに温情を寄せる男の笑顔と同じものがこのサイレント映画にはあった。ジョン・フォードのサイレント映画でハリー・ケリーが主演をつとめた一連の「シャイアン・ハリーもの」をもっと観たいな。

→ジャック・フォード(ジョン・フォード)→ハリー・ケリー→アメリカ/1917→アテネ・フランセ文化センター→★★★

沈没家族 劇場版

監督:加納土
出演:加納土、加納穂子
制作:おじゃりやれフィルム/2018
URL:http://chinbotsu.com
場所:ポレポレ東中野

1995年当時シングルマザーだった加納土監督の母・加納穂子(当時23歳)は、共同で子育てをしてくれる「保育人」を募集する。「いろいろな人と子どもを育てられたら、子どもも大人も楽しいんじゃないか」という考えのもとに集まった独身男性や幼い子をかかえた母親など10人ほどの中で加納土監督は育てられていく。それは「沈没家族」と命名されてテレビでも取り上げられて話題となった。

大きくなった加納土監督は、武蔵大学在学中の卒業作品として自身が育てられた「沈没家族」のドキュメンタリーを制作し、それを再編集して劇場版として公開した。

映画を観はじめた第一印象として、やはりそこにはイエスの方舟のようなエセ宗教的な胡散臭さや、ヤマギシ会のようなカルト的な押し付けがましさを感じてしまった。でも、そんなありふれた感情は一瞬のうちに氷解してしまった。加納土監督の母・加納穂子の考えは、もっと自由だったし、いい意味でも悪い意味でも適当だったし、単純に一人でやらなければならない子育てが面倒くさかっただけだったのかもしれない。頭の固い人たちはそんなところに無責任さを感じてしまうのだろうけど、母と子だけの閉ざされた環境での子育てで起きてしまういろいろな問題を見れば、そのような環境よりは「沈没家族」のほうが良いに決まっているような気がしてならない。

こんな「沈没家族」のような環境が、それぞれの自治体のコミュニティにもあったら児童虐待とかは減るんじゃないかと単純に考えてしまう。本当に、単純に、だけど。

→加納土→加納土→おじゃりやれフィルム/2018→ポレポレ東中野→★★★☆

ロスト ロスト ロスト

監督:ジョナス・メカス
出演:ジョナス・メカス、アドルファス・メカス
原題:Lost Lost Lost
制作:アメリカ/1976
URL:
場所:シアター・イメージフォーラム

もし生まれたときからの自分の目で見た映像をなにかしらの媒体に記録ができて、それをいつでも再生することができたとしたら、それは嬉しいことなのか、それとも辛いことなのか。ジョナス・メカスの『ロスト ロスト ロスト』を観てふとそんなことを考えていた。自分の記憶をたどる行為はノスタルジックでセンチメンタルな行為のような気もするけど、そこにには自分の良いように改変された記憶だからこその甘さがあって、そのものズバリの事実を突きつけられてしまったら感傷的な気持ちも和らいでしまうだろうなあ。

1949年から約20年間にわたるリトアニアからの難民としてニューヨークの生活を綴ったこのメカスの映画日記は、そこに編集作業と云う行為が加わることによって、自分の良いように改変された記憶と同じような甘さが加わって、やはりノスタルジックでセンチメンタルなものになっていた。映画のナレーションでメカス自身が「わたしをセンチメンタルだと言うがよい。あなたたちは自分の生まれた国にいる人達。わたしは異国なまりの英語をしゃべり、どこから流れてきたヤツだろうと思われている人間。これは、国を追われた誰かが撮っておいた映像とサウンドなのだ」(飯村昭子訳)と云っているんだから、もうそれはメカス自身のひとつの大きなテーマになっている。

いつも云っているように、センチメンタルな映画が大好きな自分にとってはたまらない映画ではあったのだけれど、ちょっと180分は長すぎて、後半はくたびれました。

→ジョナス・メカス→ジョナス・メカス→アメリカ/1976→シアター・イメージフォーラム→★★★☆

ドント・ウォーリー

監督:ガス・ヴァン・サント
出演:ホアキン・フェニックス、ジョナ・ヒル、ルーニー・マーラ、ジャック・ブラック、マーク・ウェバー、ウド・キア
原題:Don’t Worry, He Won’t Get Far on Foot
制作:アメリカ/2018
URL:http://www.dontworry-movie.com
場所:新宿武蔵野館

車椅子を扱っている会社にいろいろとお世話になっていて、だから車椅子を利用している人たちとも少なからず話したことがある。そのときに感じることのひとつに、もし自分が車椅子のお世話になったとして、すぐにその生活に納得して順応することができるのだろうか? と云うことだった。今まで簡単に出来ていたことが出来なくなったり、誰かのサポートがどうしても必要になったり、人の目が憐れみに感じてしまったりと。おそらく、どんなに心穏やかな人であったとしても、人生の途中で健常者から車椅子の生活になったとしたら、少なからず心が乱れて自暴自棄になったり、他人に責任転嫁をするようになってしまって、大きく生活が乱れてしまうような気がする。

『ドント・ウォーリー』に出てくるホアキン・フェニックスが演じているジョン・キャラハンは、母親に捨てられたことへの強い私怨からアルコールに走ってしまって、酔っぱらい運転の車に同乗したことから交通事故にあって車椅子の生活になってしまう。もともと生活が乱れていた人間が車椅子の生活を余儀なくされた場合、自分だけでは何も出来ないもどかしさに対する不満をまわりに発散させるだけの、わがままし放題の手のつけられない「身体障害者」と云うやっかいなものになってしまう。

でも、「身体障害者」=「(人のお世話になっているわけだから)迷惑をかけない人間」なんて図式がまかり通っている世の中は、やはりどこか間違ってる。健常者と同じように「身体障害者」だって良い人もいればいけ好かないやつだっているはずだ。いろいろな人間の多様性が尊重されつつある世の中ならば、不良の「身体障害者」だって、いい意味でも悪い意味でももっと話題になるべきだ、とはおもう。

この映画の中での一番印象的なシーンは、電動車椅子に乗ったジョン・キャラハンがものすごいスピードで街なかを疾走するシーンだった。手のつけられない「身体障害者」を象徴する場面なんだけど、周りに迷惑をかけないような行動を要求されがちな車椅子生活者のイメージをぶち破る良いシーンだった。自分も、もし車椅子のお世話になったとしたら、これくらいのアナーキーさを持って生活したいとはおもう。すぐにSNSで叩かれて、シュン、となってしまうかもしれないけれど。

→ガス・ヴァン・サント→ホアキン・フェニックス→アメリカ/2018→新宿武蔵野館→★★★★

営倉

監督:ジョナス・メカス
出演:
原題:The Brig
制作:アメリカ/1964
URL:
場所:シアター・イメージフォーラム

いつものとおりに事前情報をまったく入れないで映画を観に行ったので、すっかりジョナス・メカスのドキュメンタリーを観ているものだとおもいこんでいた。だから海兵隊の「営倉」で行われている人間を人間ともおもわない非道な行為に、あの『愛と青春の旅立ち』や『フルメタル・ジャケット』で行われていた教官が兵士を口汚く罵る行為は、そうか、日常茶飯事に行われていた行為なんだな、なんてひとり納得して観ていた。

ところが映画を観ていくうちに、その行為があまりにもカリカチュアされすぎてやしないか、いやその前にカメラワークが的確すぎる、なんてところに気づきはじめて、終いにはカメラが手前に引いて行き、舞台の上の「営倉」の全貌があらわになってはじめて、そういうことだったのか! と分かったくらいに映画にのめり込んでしまっていた。

以下のブログを読むと、

https://blog.goo.ne.jp/sightsong/e/42baf17b68a1ca6a56d36652fed85d88

「営倉」と言うタイトルの演劇を観たジョナス・メカスがその芝居のフィルム化をおもいつき、それに賛同した俳優たちと一緒に内緒で撮りあげてしまったそうだ。いやあ、メカスのそんなアナーキーなところもすごい。

この日はクタクタに疲れたあとの映画鑑賞だったので、もしかすると寝ちゃうかな、なんて心配をしていたけれど、寝てる暇もないくらいの強烈な、ドキュメンタリーのような、映画だった。

→ジョナス・メカス→→アメリカ/1964→シアター・イメージフォーラム→★★★★

イメージの本

監督:ジャン=リュック・ゴダール
出演:
原題:Le livre d’image
制作:フランス、スイス/2018
URL:http://jlg.jp
場所:シネスイッチ銀座

ゴダールが84歳で『さらば、愛の言葉よ』を3D映画として撮ったとき、現在の3D方式ではどのような構図で撮れば効果的になるのかをしっかりと理解していることに、さすがゴダール、とおもってしまった。何歳になろうと、映画にどんなテクノロジーが加わろうとそれに対して貪欲な姿勢に嬉しくなってしまった。

で、その次にどんな映画を撮るんだろう? と期待していたら、ビデオ・インスタレーションのようなものがやって来た。ああ、だったら、映画館の座席に縛られることなく、なにか違った環境で観るべきなんじゃないかとムズムズしてしまった。不正や暴力や不和に満ちあふれていることに対する嘆きが一つの暗闇の中に限定されることなく、例えば実際に殺人が起きた現場でこの映画が見ることができたりしたら、もっとぐさりとくるんじゃないかと、まったくの後付けだけど、川崎市の事件を知ってから痛感してしまった。そんなインスタレーションは無理なんだろうけれど。

→ジャン=リュック・ゴダール→→フランス、スイス/2018→シネスイッチ銀座→★★★☆