監督:パブロ・ラライン
出演:ナタリー・ポートマン、グレタ・ガーウィグ、ピーター・サースガード、マックス・カセラ、ベス・グラント、ジョン・ハート、ビリー・クラダップ
原題:Jackie
制作:アメリカ、チリ/2016
URL:http://jackie-movie.jp
場所:ユナイテッド・シネマ浦和

ジョン・F・ケネディの夫人であるジャクリーン・ケネディは、夫が暗殺された直後(1963年11月29日)にライフ誌のセオドア・ホワイトからインタビューを受けていた。パブロ・ラライン監督の『ジャッキー/ファーストレディ 最後の使命』はそのインタビューを中心に据えて、そこから過去を回想する形式にしていた。ただ、その過去の回想は主に次の点だけに絞っていた。

・ホワイトハウスを紹介するテレビ番組『A Tour of the White House with Mrs. John F. Kennedy』(1962年2月14日放送)の制作過程。

・ホワイトハウスの中でジョン・F・ケネディはミュージカルの「キャメロット」のレコードを聞いていた。

・暗殺から葬儀の段取り、ホワイトハウスを辞去するまで。

ダニー・ボイルの『スティーブ・ジョブズ』もスティーブ・ジョブズを描くのに、1984年の「Macintosh」プレゼンテーション開始直前、 1988年の「NeXTcube」プレゼンテーション開始直前、 1998年の「iMac」プレゼンテーション開始直前の3点のみに絞っていた。その人の人生をかいま見るときに、ある時期のみにスポットライトを当てて、そこでの内面的葛藤を描くことによってその人の正体をあきらかにする方法は、2時間弱で伝記映画を作るのに一つの正解だとおもう。

『ジャッキー/ファーストレディ 最後の使命』も主に上記の3点を描くことによって、ジャクリーン・ケネディのジョン・F・ケネディに対する想いが徐々に浮き彫りになって行く方法を取っていた。ケネディの女性関係など下世話な話題も盛り込みたいところだろうけど、そこはきっぱりと二人の、表面的な関係であったにせよ、良好な関係にテーマを絞っていたところも清々しかった。ジャクリーン・ケネディがライフ誌のインタビュワーに「私の書いて欲しい話題だけしてもらう」と云っていることが、つまり、この映画のことも代弁していたようにおもう。

→パブロ・ラライン→ナタリー・ポートマン→アメリカ、チリ/2016→ユナイテッド・シネマ浦和→★★★☆

監督:フレデリック・ワイズマン
出演:
原題:Sinai Field Mission
制作:アメリカ/1978
URL:
場所:シネマヴェーラ渋谷

毎年必ずシネマヴェーラ渋谷でフレデリック・ワイズマンがかかるので、空いた時間に少なくとも1本は観ようとおもってる。今年はうまいこと都合の取れた『シナイ半島監視団』。

1970年代の後半、エジプトのサダト大統領が対イスラエル強硬路線を転換してアメリカに急接近したとは云え、エジプトとイスラエルの間に横たわる緩衝地帯ではまだまだ緊張関係が続いているんじゃないかとおもっていた。そこのピリピリした雰囲気がフレデリック・ワイズマンのフィルムに収められているんじゃないかと勝手に想像していた。

ところがまったく違っていた。

そこで起こる問題と云えば、手続きの順番が違うだろう、とか、国連に協力しているガーナ軍のやつらが食堂で食い散らかしている、とか、エジプトからイスラエルへの移動の手続きが複雑過ぎる、とか。

そして、ところどころに挿入されるヤンキーたちのリクリエーションは、ロバート・アルトマンの『M★A★S★H』とまでは行かないまでも、さらに脱力感を感じさせるイメージショットだった。その後のイラクやシリアの事を考えれば、なんと牧歌的な時代だったことか。

→フレデリック・ワイズマン→→アメリカ/1978→シネマヴェーラ渋谷→★★★☆

監督:ナ・ホンジン
出演:クァク・ドウォン、ファン・ジョンミン、國村隼、チョン・ウヒ、キム・ファンヒ
原題:곡성(哭聲)
制作:韓国/2016
URL:http://kokuson.com
場所:楽天地シネマ錦糸町

ナ・ホンジン監督の第1作目の『チェイサー』は、画面から溢れるパワーには脱帽したけど、全体的なストーリーの運びにもたついた感じがあって、見ている間中たえず苛ついていたような感想しかなかった。

ところが次作の『哀しき獣』はめちゃくちゃ凄かった。捕まらないし、殺しすぎだし、死ななさすぎだし、物事が錯綜しすぎだし。やっていることはもしかすると『チェイサー』と同じなのかもしれないけれど、徹底的に押し切るパワーが尋常ではなかった。おもわず笑ってしまうほどだった。

今回の『哭声/コクソン』も、これもまたあっけに取られてしまった。この映画は、い、いったいなんなんだ? ゾンビ映画のようでもあるし、エクソシストのようでもあるし、ヴァンパイアのような「種族」の映画のようにも見えるし。

この映画の面白さは、山に住む日本人(國村隼)と、うろつく女(チョン・ウヒ)と、祈祷師(ファン・ジョンミン)をどのように捉えるかによって映画のイメージががらりと変わってしまうところにあった。でも、それぞれの人物の役割がいったいどのようなものなのかを判断することがとても難しい。そこが魅力的でもあった。はたして「悪霊」はいったい誰なのか。「善」と「悪」はどこにあるのか。ナ・ホンジン監督はこの映画のことについて「混沌や混乱、疑惑について描いています」と語っていた。だから、単純に正解を導き出すべき映画ではなくて、ああじゃないか、こうじゃないかと混乱すること自体が正解なんだとおもう。そして、そのあなたの勝手な思い込みは間違っていて、それが事態を「悪」へと導いているですよ、と云っているような映画だった。

→ナ・ホンジン→クァク・ドウォン→韓国/2016→楽天地シネマ錦糸町→★★★☆

監督:エドワード・ヤン
出演:張震(チャン・チェン)、楊静恰(リサ・ヤン)、張國柱(チャン・クォチュー)、金燕玲(エイレン・チン)、張翰(チャン・ハン)、美秀瓊(チェン・シャンチー)、王啓讃(ワン・チーザン)、柯宇綸(クー・ユールン)、林鴻銘(リン・ホンミン)、譚至剛(タン・チーガン)
原題:牯嶺街少年殺人事件
制作:台湾/1991
URL:http://www.bitters.co.jp/abrightersummerday/
場所:角川シネマ有楽町

ビデオの発売元だったヒーロー・コミュニケーションズが倒産して、その権利が特殊な会社に渡ってしまったことから長いこと日の目の見ることのなかったエドワード・ヤン監督の『牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人 事件』が、どんないきさつで公開できるようになったのか良くわからないのだけれど、やっと映画館で観ることが可能になった。それも4Kレストア版で。

『牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人 事件』と云えば、新宿TSUTAYAにある2巻もののVHSテープでしか見たことがなくて、それも多くの人が見たテープのために同期がところどころ飛んでいて、画質もやけに暗くて、ひどい状態での観賞しか見る手だてがなかった。それがいきなりの大画面、4Kレストア版での観賞で、もう、それだけで感激してしまって、4時間の長尺があっと云う間だった。

そんな感動している人間の傍らでは、グーグー寝てる人もいた。それも、わからないでもない。エドワード・ヤン監督の映画は、物事が起きたあとの結果の描写を省略する場合があるので、そこを読み解くことを怠れば簡単にストーリーから置き去りにされてしまう。それに『牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人 事件』は引き(遠景)での描写が多いので、画面の暗さも相まって誰が誰だかよくわからない。中国名も、愛称と実際の名前の両方が出てきて、さらに混乱に拍車がかかる。

まあ、そのような描写の省略を自分なりに想像して埋めて行かなければならないところもエドワード・ヤン監督の映画の魅力なんだけど、丁寧な描写のドラマに浸りきった人であれば、そこを魅力とおもう人は少ないのかもしれない。いろんな手だての映画を数多く見て来ればありきたりな手法に飽きて来て、このようなエドワード・ヤンの手法こそがゾクゾクするもんなんだけどなあ。

今回、『牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人 事件』を観直して気が付いたことは、小明、シャオミン(楊静恰、リサ・ヤン)の表情をクローズアップなどで捉えることが少ないので、自分から「誰でも私のことを好きになるんだわ」と云い切ってしまう小明の小悪魔姓が微妙にボンヤリしているところがリアリティさを増していてなんとも怖いところだとおもってたけど、若い医者を目の前にして、傍らにあった医者の帽子をひょこんと被って可愛らしさをアピールするところなんて、いやあ、そのものずばり小悪魔を見せつけていた。どっちにしたって、怖い、怖い。

→エドワード・ヤン→張震(チャン・チェン)→台湾/1991→角川シネマ有楽町→★★★★

監督:マノエル・デ・オリヴェイラ
出演:ルイス・ミゲル・シントラ、ディオゴ・ドリア、ミゲル・ギレルメ、ルイス・リュカ、ローラ・フォルネル、レオノール・シルベイラ
原題:’Non’, ou A Vã Glória de Mandar
制作:ポルトガル、スペイン、フランス/1990
URL:
場所:アテネ・フランセ文化センター

2015年に106歳で亡くなったポルトガルのマノエル・ド・オリヴェイラ監督のアテネ・フランセ文化センターでの追悼特集にやっと行くことができた。

マノエル・ド・オリヴェイラが1990年に撮った『ノン、あるいは支配の空しい栄光』は、アフリカにあるポルトガルの植民地(雰囲気として島国には見えないからアンゴラかモザンビークと云う設定か?)に派遣されたポルトガルの兵士の中に歴史の詳しい人物がいて、主にその彼によるポルトガルの戦争の歴史についての講釈によってストーリーが進行して行く。

以下、この映画で語られたポルトガルの歴史。

・紀元前2世紀、ローマ帝国軍は「ルシタニア」と呼ばれていた現在のポルトガルを侵略するが、この地の族長であったヴィリアトを中心としたルシタニア人たちに激しく抵抗に遭う。力では勝てないと考えたローマ軍はヴィリアトの部下を買収し彼を暗殺させる。

・1143年、アフォンソ1世を創始者とするブルゴーニュ(ボルゴーニャ)王朝ポルトガル王国が創始される。

・15世紀後半、カスティーリャ(今のスペイン中部を占める王国)の王位継承者の娘であるフアナ・ラ・ベルトラネーハと共謀したアフォンソ5世はカスティーリャのイサベル1世を支持する軍と戦い1476年3月にトロの戦いで敗れる。

・1490年4月、ジョアン2世(アフォンソ5世の子)は息子アフォンソ王子とカスティーリャのイサベラ王女を政略結婚させる。しかし8月、王子が落馬して死去したためイベリア半島の平和的統一の夢は潰える。

・ポルトガルは植民地主義へ向かい、海洋帝国を目指す。ヴァスコ・ダ・ガマはインド航路を確立し、新世界への道を開いた。

・1578年、セバスチャン王はモロッコ遠征を強行し、アルカセル・キビルで壊滅的な敗北を喫する。国王も戦死し、ポルトガルの歴史上、最大のダメージを被る。

以上、このような歴史が、ちょっとチープな寸劇で挿入される。このチープさはなんなんだろう? 戦争の歴史がまるっきり馬鹿らしく見えてくる。

ペドロ・コスタの『ホース・マネー』でポルトガルの近代史を勉強させてもらったけど、マノエル・ド・オリヴェイラの『ノン、あるいは支配の空しい栄光』ではさらにポルトガルの負の歴史を勉強させてもらった。ポルトガルって、日本人にとってはちょっと中途半端なイメージがあるけど、国の歴史としては奥深いところがあって面白すぎる。

→マノエル・デ・オリベイラ→ルイス・ミゲル・シントラ→ポルトガル、スペイン、フランス/1990→アテネ・フランセ文化センター→★★★

監督:デミアン・チャゼル
出演:ライアン・ゴズリング、エマ・ストーン、ジョン・レジェンド、ローズマリー・デウィット、フィン・ウィットロック、ジェシカ・ローゼンバーグ、ソノヤ・ミズノ、J・K・シモンズ
原題:La La Land
制作:アメリカ/2016
URL:http://gaga.ne.jp/lalaland/
場所:ユナイテッド・シネマ浦和

今年のアカデミー賞で一度は作品賞と発表されながら、担当者があやまって主演女優賞の名前が入っている封筒をプレゼンター(ウォーレン・ベイティ&フェイ・ダナウェイ!)へ渡してしまったことが判明して、受賞が取り消されてしまった『ラ・ラ・ランド』。それでも聞こえてくる評価は絶賛の声ばかりで、メインとなるナンバーも軽快で、ポップで、耳障りも良くて、期待感のボルテージが高まったまま映画を観に行くことになってしまった。

今までに何度も書いてきたように、期待感が高ければ高いほど作品の完璧さが要求されてしまうわけで、それを上回るためのハードルはめちゃくちゃ高くなってしまう。それを超えた作品として最近では『この世界の片隅に』があるにしてもそれは例外中の例外で、周りが騒げば騒ぐほど、うーむ、となってしまう作品が多い。

今回もその、うーむ、になってしまった。

映画のストーリーも、色彩も、カメラワークも、どうしも『巴里のアメリカ人』に見えてしまうのは、デミアン・チャゼルが昔のMGMミュージカルにオマージュを捧げているからなんだろうけど、となると、まずはその『巴里のアメリカ人』と比較してしまう。

『巴里のアメリカ人』の素晴らしさはジーン・ケリーのキャラクターに負うところが多くて(これは彼のすべての映画に云えることなんだけど)、そして相手役のレスリー・キャロンの可愛らしいキャラクターに負うところが多かった。その二人を『ラ・ラ・ランド』のライアン・ゴズリングとエマ・ストーンと比べてしまうと、まあ、何と云うか、月とスッポンと云うか。快活で、愛嬌があって、子供たちにも好かれるジーン・ケリーに比べて、表情が乏しいが故にすべてに於て世を拗ねているように見えるライアン・ゴズリング。清純に見えながら、はからずも二股をかけてしまう、そのギャップが愛おしさを倍増させるレスリー・キャロンに比べた「Crack whore(コカイン使いの売春婦?)」にしか見えないエマ・ストーン。

うーん、どうしてもこの二人をキャスティングしたことが正解だったとはおもえなかった。音楽も良いし、ラスト・シーンもシドニー・ポラックの『追憶』のようなロマンチックな恋愛映画にはなっていたとはおもうけど、主役の二人に最後まで感情移入することができなかった。残念。

→デミアン・チャゼル→ライアン・ゴズリング→アメリカ/2016→ユナイテッド・シネマ浦和→★★★

監督:スコット・デリクソン
出演:ベネディクト・カンバーバッチ、キウェテル・イジョフォー、レイチェル・マクアダムス、ベネディクト・ウォン、マイケル・スタールバーグ、ベンジャミン・ブラット、スコット・アドキンス、マッツ・ミケルセン、ティルダ・スウィントン
原題:Doctor Strange
制作:アメリカ/2016
URL:http://marvel.disney.co.jp/movie/dr-strange.html
場所:109シネマズ木場

「マーベル・シネマティック・ユニバース」のシリーズとしては第14作品目の映画で、「ドクター・ストレンジ」と云う新しいキャラクターがこれに加わった。

この映画の中でエンシェント・ワン(ティルダ・スウィントン)が「アベンジャーズは物理的な脅威と戦い、我々は神秘的な脅威と戦っている」と云っているとおり、『ドクター・ストレンジ』(のシリーズになるとおもわれる)は人間の内面にある精神世界での戦いをテーマとしていて、すでに「ダーク・ディメンション」の世界に陥ってしまったカエシリウス(マッツ・ミケルセン)と、そのカエシリウスに対抗はするが彼と似たような境遇に陥る可能性が高いドクター・ストレンジ(ベネディクト・カンバーバッチ)、そして大義のためならば「ダーク・ディメイション」を利用することも厭わないエンシェント・ワンと、その三者の「ダーク」な面とのかかわり合いが、ブラック、ホワイト(潜在的ブラック)、グレイと、奇麗に描き分けられている構成が面白かった。そこに原理主義的なホワイト(モルド)も加わって、我々の現実世界にあるそれぞれのパーソナリティの分類要素が凝縮している世界観も面白かった。

多次元宇宙(マルチバース)のイメージがクリストファー・ノーランの『インセプション』や『インターステラー』の域を出ていないことや、「ダーク・ディメンション」を支配している「ドルマムゥ」のイメージが『ロード・オブ・ザ・リング』の「冥王サウロン」にしか見えないことを差し引いても、最近の「マーベル・シネマティック・ユニバース」の中で一番面白かった。体調が良かった所為かもしれない。

→スコット・デリクソン→ベネディクト・カンバーバッチ→アメリカ/2016→109シネマズ木場→★★★☆

監督:グザヴィエ・ドラン
出演:ギャスパー・ウリエル、レア・セドゥー、マリオン・コティヤール、バンサン・カッセル、ナタリー・バイ
原題:Juste la fin du monde
制作:カナダ、フランス/2016
URL:http://gaga.ne.jp/sekainoowari-xdolan/
場所:新宿武蔵野館

グザヴィエ・ドランの前作『Mommy/マミー』は、そのスタイリッシュな映像が鼻に付いて、それが「ADHD(注意欠陥・多動性障害)」の人物を描くにふさわしいとはおもえずにもうひとつ映画にのめり込むことができなかった。

『たかが世界の終わり』もそのスタイリッシュな映像は相変わらずなので、また今回も同じような感情が芽生えるのかとおもいきや、死期が近いことを伝えるために実家へ帰郷した若手劇作家(ギャスパー・ウリエル)と云う設定にはとても感傷的かつノスタルジックな面が大きく作用するので、キレイな映像がそれを引き立てはすれど妨げると云うことはなかった。

ただ、ギャスパー・ウリエルの帰郷に関して言い争う兄と妹の感情の爆発が尋常ではないので、特にバンサン・カッセルが演じた兄に対しては嫌悪しか感じることができなかった。

この不快な部分をどう捉えるべきなんだろう?

この映画のような「帰還もの」(と勝手に名付ける)の映画によくあるパターンは、最初は歓迎するも次第に本音が出てきて言い争うが最後は雨降って地固まる、のようなものが多いのだけど、いきなり感情のぶつかり合いが起きて、それが繰り返されて、本題を切り出せずに帰らざるを得なくなってしまう、と云う、そんなワンパターンを覆す映画として不快感はあれど面白くもあった。映画って、不快=つまらない、にはならない場合もあることが面白いところだ。

→グザヴィエ・ドラン→ギャスパー・ウリエル→カナダ、フランス/2016→新宿武蔵野館→★★★☆

監督:ゲイリー・ロス
出演:マシュー・マコノヒー、ググ・バサ=ロー、マハーシャラ・アリ、ケリー・ラッセル、クリストファー・ベリー、ショーン・ブリジャース、ジョー・クレスト、ジェイコブ・ロフランド
原題:Free State of Jones
制作:アメリカ/2016
URL:http://newtonknight.jp
場所:新宿武蔵野館

アメリカの歴史の中でも南北戦争についてはハリウッド映画に題材としてよく使われてきた。だから、カスター将軍とかリー将軍とか、そこらへんの人物についてはそれなりの知識がある。でも、じゃあ南北戦争がどのように起こり、どのように終結したかを時系列に説明しろと云われてもまったくぼやっとしている。リー将軍がゲティスバーグで敗けて、次第に南軍が劣勢となって行って、リンカーンが奴隷解放宣言をして終結した、みたいな、ざっくりとしているうえに時系列がズレていたりする。

ゲイリー・ロスの『ニュートン・ナイト 自由の旗をかかげた男』は、南北戦争についてそんな曖昧な知識しか持たない者にさらに細かい歴史を教えてくれる。

南北戦争の時代、ミシシッピ州ジョーンズ郡の沼地は南軍脱走兵の隠れ家となり、自称「大尉」のニュートン・ナイトが彼らを統率して、脱走容疑の逮捕のために派遣された州や南軍の部隊と戦闘を行った。彼は北軍と連携を取ろうとするが断られ、結局、南軍からも北軍からも独立した「ジョーンズ自由州」を宣言することになる。この自由州は、出自や肌の色で差別することのない、当時としてはとても先進的な考えの元に統治されていた州だった。

と云うような南北戦争の一つの細かい逸話を教えてくれる映画だった。歴史と云うものはどんなものでもロマンチックなので、映画としてはとても面白く観てしまったけど、それ以上でも、それ以下でもなかった。

→ゲイリー・ロス→マシュー・マコノヒー→アメリカ/2016→新宿武蔵野館→★★★

監督:矢口史靖
出演:小日向文世、深津絵里、泉澤祐希、葵わかな、時任三郎、藤原紀香、大野拓朗、志尊淳、渡辺えり、宅麻伸、大地康雄、菅原大吉、徳井優、桂雀々、森下能幸、田中要次、有福正志、左時枝、ミッキー・カーチス、柄本明
制作:フジテレビジョン、東宝、電通、アルタミラピクチャーズ/2017
URL:http://survivalfamily.jp
場所:109シネマズ木場

もし今の生活からライフラインがなくなったら、と想像することは今までにもたくさんあった。特に東日本大震災後の原発事故の時にそれを強く意識したわけだけど、でも、もし水がなくなったらなんて想像してもどうしても非現実的で、やはりそれを一度経験してみないと身にしみて実感することはまず不可能だ。

とはいえ、アウトドアの生活を長い期間体験することもやっぱり非現実的なので、今回のこの矢口史靖監督の映画を観て、それをちょこっとでも実感するのが今のところの精いっぱいの経験なのかもしれない。

矢口史靖監督の映画は、取り扱う題材についてとことん調べ上げ、そのことについての情報をめいっぱい盛り込んでくるので、とてもめまぐるしい展開になることが多い。ところが今回の『サバイバルファミリー』は一つの家族をドキュメンタリータッチで追いかけているので、いつもよりはじっくりと、それでいていつものシニカルな笑いは忘れずに、人間がしっかりと描けていた。特にチャチャラしていたイマふうの息子と娘が人間的に成長して行く過程は素晴らしい。

で、肝心のライフラインがなくなった時の対処方法だけど、映画の中に出てくるナチュラリストとサイクリストを結びつけたような時任三郎と藤原紀香の家族が云っていることがまずは大切なことなんだとおもう。

・体温を確保すること
・火を確保すること
・水を確保すること

これがあまりにも正論なので、小日向文世と同じように、ケッ! と反応してしまうが、まあ、この3箇条を肝に銘じておくことにする。

それに、サバイバルには自転車が不可欠だと確認できる素晴らしい映画でもあった。でも、時任三郎、藤原紀香の家族ようなガチガチのサイクリストってのはやっぱりウザいので、泥臭い自転車人になろうと決意する映画でもありました。

→矢口史靖→小日向文世→フジテレビジョン、東宝、電通、アルタミラピクチャーズ/2017→109シネマズ木場→★★★★