監督:ホン・サンス
出演:イ・ヘヨン、キム・ミニ、ソ・ヨンファ、パク・ミソ、クォン・ヘヒョ、チョ・ユニ、ハ・ソングク、キ・ジュボン、イ・ユンミ、キム・シハ
原題:소설가의 영화
制作:韓国/2022
URL:https://mimosafilms.com/hongsangsoo/
場所:ヒューマントラストシネマ有楽町

ホン・サンスの会話劇はいつもところどころで緊張感を生んでいる。そこでのちょっとしたピリピリ感がたまらなく大好きなので、だから延々とその会話を聞いていられる。今回の『小説家の映画 』では、いきなり誰かが誰かを叱責している声が聞こえるシーンからはじまる。イ・ヘヨンが演じる小説家が、ソウルから少し離れた河南(ハナム)市にある後輩のソ・ヨンファが営んでいる書店を訪ねたファーストシーンだった。その怒鳴り声にも聞こえる強烈な叱責は最後まで誰から誰へ発したものかはわからない。いや、わかると云えばわかるのだけれど、その二人にそこまでの張り詰めた関係性があるとは最後までわからなかった。(ちょっとだけ手がかりがあって、ああ、この子はダメな子なのかな、と微妙にわかるシーンが素晴らしい)

そこからイ・ヘヨンの小説家は彷徨し、クォン・ヘヒョが演じる映画監督の夫婦に偶然出会う。そこでの会話のぎこちなさから過去のふたりのあいだに何かしらの確執があったことをうかがい知ることができる。実際にイ・ヘヨンの小説を原作にクォン・ヘヒョが映画を撮る予定だったことが、プロデューサーの意向からか破綻した経緯があることが明らかになる。

そしてさらに彼らはキム・ミニが演じる第一線を退いた人気女優のギルスと出会い、クォン・ヘヒョがキム・ミニに発したちょっとした言葉から小説家と映画監督との間に、昔の確執も影響してなのか、ちょっとした諍いが起きる会話の流れも素晴らしかった。

いたたまれなくなったクォン・ヘヒョの映画監督と妻は去って行き、イ・ヘヨンの小説家はキム・ミニの女優に昔からの大ファンだったと告げ、あなたと一緒に短編映画を撮りたいと告げる。はたしてそのいきなりのオファーをキム・ミニは受けるのか? ここでもちょっとした緊張感を生んでいる。

キム・ミニへ突然かかってきた携帯によって、近くの知り合いに会いに行かなければならなくなり、イ・ヘヨンも一緒に行くことになった。驚いたことに向かった先はイ・ヘヨンが最初に訪れた後輩が営む書店だった。そしてそこでイ・ヘヨンの昔からの知り合いでもある詩人のキ・ジュボンと久しぶりに出会う。またまた二人のあいだの関係性が微妙で、ここでまたちょっとした緊張感を生んでいる。

それから時は過ぎ、イ・ヘヨンはキム・ミニと短編映画を撮り、その試写に彼女を呼ぶ。映画が終わって出てきた微妙な表情のキム・ミニ。ここでも緊張感を生んでいる。彼女の、なんだこの映画は! の雰囲気が最高。いや、彼女がどうおもっているのかはっきりとはわからないのだけれど。

こんな感じで今回の『小説家の映画』はいつもよりも緊張感の連続だった。ホン・サンスの会話劇はますます洗練されてきてるような気がする。ウッディ・アレンが映画を撮れなくなり、コンスタントに作る映画作家で公開が待ち遠しいのはホン・サンスだけになってしまった。

→ホン・サンス→イ・ヘヨン→韓国/2022→ヒューマントラストシネマ有楽町→★★★★

監督:パオロ・タヴィアーニ
出演:ファブリツィオ・フェラカーネ、マッテオ・ピッティルーティ、ロベルト・ヘルリッカ(声)
原題:Leonora addio
制作:イタリア/2022
URL:https://moviola.jp/ihai/#modal
場所:新宿武蔵野館

映画をたくさん観始めたころ、キネ旬ベストテンの常連だったのがヴィットリオとパオロのタヴィアーニ兄弟の映画だった。キネ旬読者としては、キネ旬ベストテンに選ばれた映画を見に行こう! の機運から、『父 パードレ・パドローネ』(1977、第56回(1982年度) キネマ旬報ベスト・テン10位)や『サン★ロレンツォの夜』(1982、第57回(1983年度) キネマ旬報ベスト・テン10位)や『グッドモーニング・バビロン! 』(1987、第61回(1987年度) キネマ旬報ベスト・テン1位)を観に行った。でも、まだ様々な映画を理解する能力には乏しく、テオ・アンゲロプロスほど難解ではないにしろタヴィアーニ兄弟の映画も楽しむのには無理があって、とくにヨーロッパ映画の経験値がおそろしく不足していた。

あれからヌーベルバーグの映画などを観てヨーロッパ映画の経験値を上げていって、それなりに様々な映画を楽しめるようにはなっていったけれど、その後のタヴィアーニ兄弟の『太陽は夜も輝く』(1990年)や『フィオリーレ/花月の伝説』(1996年)もあまり面白いとはおもえなかった。

そのタヴィアーニ兄弟も兄のヴィットリオが2018年4月15日に亡くなってしまった。一人だけになってしまったパオロ・タヴィアーニが91歳になって撮ったのが『遺灰は語る』だった。

今回の『遺灰は語る』は、1934年のノーベル文学賞受賞者であるイタリアのルイジ・ピランデッロの「遺灰」にまつわる話しだった。ピランデッロの遺言には「遺灰」は海にまくか故郷のシチリアの岩の中に納めてくれとあるのに、当時の独裁者ムッソリーニはピランデッロの「遺灰」をローマに埋葬してしまった。戦争が終わってから、シチリアからの特使がピランデッロの「遺灰」を持ち帰るためにローマを訪れる。しかし、おもうようにことが運ばずに、なかなかシチリアに「遺灰」を持って行くことができない……。

最近はやたらとドラマティックな映画ばかり観て来たので、この映画のような単純なプロットありきで、さしたる大事件も起こらずに、人間の些細な行動の機微を静かに追いかける映画はとても新鮮に感じられてしまった。歳を重ねて、映画の経験値も上がり、いまやっとタヴィアーニ兄弟の映画を楽しめるようになったのだとおもう。

そして、ルイジ・ピランデッロの「遺灰」にまつわるエピソードは白黒映像であったけれど、エピローグとしてピランデッロの遺作短編小説「釘」を鮮やかなカラーで映像化してこの映画を締めくくっている。この短編もまあなんとも不思議な話しで、ちょっと凄惨なストーリーでもあり、日本人にはまったく馴染みのないルイジ・ピランデッロがどんな作家だったのかを手がかりとしてちょっとだけ残してくれたようなエンディングだった。

→パオロ・タヴィアーニ→ファブリツィオ・フェラカーネ→イタリア/2022→新宿武蔵野館→★★★☆

監督:是枝裕和
出演:安藤サクラ、永山瑛太、黒川想矢、柊木陽太、高畑充希、角田晃広、中村獅童、田中裕子
制作:「怪物」製作委員会/2023
URL:https://gaga.ne.jp/kaibutsu-movie/
場所:109シネマズ菖蒲

是枝裕和監督の『怪物』の予告編を観たとき、表面に見えるものからは計り知れない奥底に潜む本質があぶり出される過程を楽しむ映画ではないかと想像して、あんまり是枝裕和監督の映画を積極的に観ようとはしないのだけれど、今回ばかりは面白そうにおもえたので映画館に足を運んだ。

是枝裕和の映画を観ると、いつも何かに引っかかって、そこにこだわり続けて映画が楽しめなくなる場合が多い。今回もそうなってしまった。

『怪物』は3つのパートに別れていて、最初は自分の子どもが担任教師から不当に体罰を受けているのではないかと学校に乗り込む母親役の安藤サクラから見た視点のパートだった。そこでの学校側の対応があまりにも酷くて、とくに田中裕子が演じる校長先生にまったくリアリティを感じられなくて、そこに引っかかってしまった。母親の安藤サクラから見れば担任教師の永山瑛太や校長の田中裕子は「怪物」に見えて、その点を強調させるための人物像だったのだろうけれど、少なからず小学校教育に関わる身としてはどうしてもその校長像に真実味を見い出せなかった。たとえ校長自身に不幸があったとしても、あそこまで心の無い校長は日本全国どこを探してみてもいないとおもう。

2つめのパートは担任教師の永山瑛太から見たパート。永山瑛太から見れば、安藤サクラの息子の湊(みなと)は「怪物」だった。3つめのパートはその湊(みなと)からの視点で、湊(みなと)から見れば同級生の星川依里(ほしかわより)が「怪物」だった。このように、結局は他人のすべてを理解できることはできなくて、その知られざる部分に「怪物」を見出してしまう。

坂元裕二の脚本は、それなりに面白い構成にはなっていた。でもなあ、あの学校の対応はまったく無いなあ。安藤サクラの息子の湊(みなと)が以前に担任をしてもらった先生のことを「良い先生」と評価しているのに、その「良い先生」がまったく今回のことに意見を挟まないのも腑に落ちない。この学校側の対応部分をもう少し工夫してほしかった。

→是枝裕和→安藤サクラ→「怪物」製作委員会/2023→109シネマズ菖蒲→★★★

監督:アーロン・ホーバス、マイケル・イェレニック
声:宮野真守、畠中祐、志田有彩、関智一、楠見尚己、武田幸史、三宅健太、浦山迅
原題:The Super Mario Bros. Movie
制作:日本、アメリカ/2023
URL:https://www.universalpictures.jp/micro/super-mario-bros
場所:109シネマズ菖蒲

初代ファミコンが発売された1983年ごろ、すでにシャープのMZ-80Bと云うパソコンに手を出していて、ファミリーコンピューターと名付けられたおもちゃにはまったく興味を示さず、ゲームと云えばパソコンのゲームだった。だから当然のごとくゲームの「スーパーマリオブラザーズ」はやったことがなく、はじめて「スーパーマリオブラザーズ」をプレイしたのはNINTENDO64の「スーパーマリオ64」で、そこではじめて任天堂のゲームづくりの巧さを実感したのだった。そこから出遅れを取り戻すかのように「マリオカート64」や「ゼルダの伝説 時のオカリナ」にのめりこみ、とくに「ゼルダの伝説」が大のお気に入りで、最近のSwitch版として発売された「ゼルダの伝説 ティアーズ オブ ザ キングダム」も発売日には手に入れてプレイしてしまっている。

映画『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』は、NINTENDO64の「スーパーマリオ64」から続く3Dアクションゲームとしての「スーパーマリオブラザーズ」を映画として成り立たせているようで、そこに「マリオカート」や「ドンキーコング」を加味して、まるで任天堂のゲームづくりを映画として翻案しているように見えて、子供から大人まで楽しめるゲーム映画になっているのには嬉しかった。まあ、でも、ゲームをやればいいんじゃね? とはおもうけれど。

ところどころ「ヨッシー」の影が見えて、次回作は「ヨッシー」の映画化かな?

→アーロン・ホーバス、マイケル・イェレニック→(声)宮野真守→日本、アメリカ/2023→109シネマズ菖蒲→★★★☆

監督:シャーロット・ウェルズ
出演:ポール・メスカル、フランキー・コリオ、セリア・ロウルソン・ホール、ケイリー・コールマン、サリー・メッシャム
原題:Aftersun
制作:イギリス、アメリカ/2022
URL:https://happinet-phantom.com/aftersun/index.html
場所:MOVIXさいたま

スコットランドのシャーロット・ウェルズ監督の長編デビュー作。A24が北米配給権を獲得したとおり、とてもA24的な映画だった。

11歳のソフィが父親とふたりきりで過ごしたトルコでの夏休みを、その20年後、父親と同じ年齢になった彼女の思い出で振り返るこの映画は、そのときに撮っていたビデオ画像と記憶の画像が混在して、ビデオ・インスタレーションのような映画になっていた。そこが鼻につくと云えば鼻につくんだけれど、全体的にどこか不安を感じさせるイメージがサスペンス映画のようで、この父親はなに? どうなるの? で映画を引っ張って行くストーリーは観ていてい飽きなかった。

それに11歳のソフィに対して次第に迫りくる性的な大人の世界は、父親と娘の関係を親子以上の恋人関係へと発展させているようで、それでいて親子関係に踏みとどまっているような、女性監督ならではの繊細な描写が面白かった。

結局は父親のその後は描かれない。でも、どう考えてもハッピーなことにはならない予感が支配するエンディングもなかなか良かった。

→シャーロット・ウェルズ→ポール・メスカル→イギリス、アメリカ/2022→MOVIXさいたま→★★★☆

監督:トッド・フィールド
出演:ケイト・ブランシェット、ノエミ・メルラン、ニーナ・ホス、ゾフィー・カウアー、ジュリアン・グローヴァー、アラン・コーデュナー、マーク・ストロング、シルヴィア・フローテ、アダム・ゴプニク、ミラ・ボゴイェヴィッチ、ツェトファン・スミス=グナイスト
原題:TÁR
制作:アメリカ/2022
URL:https://gaga.ne.jp/TAR/
場所:MOVIXさいたま

トッド・フィールド監督の『TAR/ター』は、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団で女性初の首席指揮者となったリディア・ターと云う架空の人物をケイト・ブランシェットが演じている。ケイト・ブランシェットが大好きなので贔屓目もあるんだろうけれど、いやもう彼女が素晴らしくて、最近ではオリヴィア・コールマンと双璧をなす最高の女優だとおもう。

ジェンダーレスが一般的になりつつあるいまの時代は、男性ばかりが支配していた業界にも女性が進出するのは当たり前になってきた。音楽家の中でも、もっとも女性に向いていないと云われてきた指揮者の世界にも、例えば2005年にウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を女性として初めて指揮したシモーネ・ヤングのような人物が出てきた。

おそらくリディア・ターと云う架空の人物は、このあたりの女性指揮者をモデルにしているのかもしれないけれど、指揮者の業界を描いたのはひとつの象徴にすぎず、女性が男性と同等の地位に立ったときの、キャンセルカルチャー(ソーシャルメディア上で過去の言動などを理由に特定の人物を糾弾する行動)のこと、権力を持ったものが必ず行う恣意的行為、パワハラ、腐敗のこと、ストレスフルな状態から起こる心身のバランスのことなどを、ケイト・ブランシェットと云う女優に演じさせるために存在した映画に見えてしまった。

そしてそのケイト・ブランシェットの素晴らしさとともに、この映画の構成が特殊だった部分もとても面白く感じてしまった。

この映画は、まずはエンドクレジットからはじまる。そこから、状況の説明があまりないままに次から次へと場面が転換して行き、ほんの少しの手がかりだけで、映画を観ている我々はリディア・ターと云う人物を理解して行かなければならない。はっきりと画面には登場しない人物が重要だったり、この人は誰? なんてこともしばしばで、でも映画を観て行けば次第に状況がつかめて来るような形をとっていた。

つまり、この映画はエンドクレジットから逆行して行く映画だったのか? それはクリストファー・ノーランのようにあからさまに時間軸をいじる映画では無いにせよ、起承転結と普通に流れる映画では無かった。例えば映画が始まってすぐの、寝ているリディア・ターを誰かがスマホで隠し撮りしてSNS上でディスるシーンは、普通ならばオープニングシーンとしてはふさわしくなく、それがどのようなシチュエーションで行われているのかがまったくわからないために唐突感が否めない。でも、その隠し撮りをしているのは誰か? SNS上でディスり合ってる相手は誰か? が次第に明らかになって行く過程は面白く、映画が進むにつれて次第にリディア・ターと云う人物像が浮かび上がって来る過程はゾクゾクするほど面白かった。

とは云っても、一度観ただけでは謎の部分も多く、マーラーとか、バーンスタインとか、クラシックの知識をもう少し取り入れた上でもう一度観るともっと面白いんじゃないか、とおもえる映画だった。

→トッド・フィールド→ケイト・ブランシェット→アメリカ/2022→MOVIXさいたま→★★★★

監督:ジェームズ・ガン
出演:クリス・プラット、ゾーイ・サルダナ、デイヴ・バウティスタ、カレン・ギラン、ポム・クレメンティエフ、ヴィン・ディーゼル、ブラッドリー・クーパー、ショーン・ガン、マリア・バカローヴァ、ウィル・ポールター、エリザベス・デビッキ、シルヴェスター・スタローン
原題:Guardians of the Galaxy Vol. 3
制作:アメリカ/2023
URL:https://marvel.disney.co.jp/movie/gog-vol3
場所:109シネマズ木場

「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」シリーズで成功を収めたジェームズ・ガン監督がドナルド・トランプを批判したことから右派系の人に目をつけられて、過去の不謹慎なツイートを掘り起こされた結果、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:VOLUME 3』の監督を降ろされると云う事件が起こった。ところが、デイヴ・バウティスタを始めとする出演者の抗議やオンライン請願サイトに約35万人の署名が集まったことから、結局は監督に復帰すると云うドタバタで一応事態は収束した。このことはジェームズ・ガンとマーベル・スタジオとの関係にちょっとした禍根を残す結果となった。

それをふまえてこの映画を観てみると、事件が起こる前にシナリオが出来ていたとはおもうのだけれど、ジェームズ・ガンがこれでもか、これでもかと、最後におもいの丈のすべてをぶつけた映画に見えてしまってとても痛快だった。

主にロケットの出自を題材にしたこの映画は、ジェームズ・ガンのテーマとも云える、負け犬だっていいじゃないか、誰だって何かの役に立っているんだ、を様々なキャラクターを通して訴えかける映画に仕上がっていて、ヤカの矢をうまく扱えないクラグリンにまでスポットを当てているほどの盛り沢山だった。

ただ、個人的には、全ての生物を強制的に進化させようとする狂信的な科学者ハイ・エボリューショナリーによって言葉を話せるようになった動物たち、ロケットとライラ(カワウソ)とティーフ(セイウチ)とフロア(ウサギ)の友情物語はあまりにもベタで、いらなかったかなあ、とおもえなくもない。それに今回のメインヴィランであるハイ・エボリューショナリーも悪役のキャラクターとしてちょっと弱かったかなあ。

2022年10月25日、ジェームズ・ガンがワーナー・ブラザース傘下の「DCスタジオ」の共同会長兼CEOに就任することが発表された。今後4年の「DCスタジオ」の製作を統括し、ガンは主にクリエイティブ面を担当するらしい。これからの「DCスタジオ」の映画も追いかけるべきなのか、どうか。

→ジェームズ・ガン→クリス・プラット→アメリカ/2023→109シネマズ木場→★★★☆

監督:ベン・アフレック
出演:マット・デイモン、ベン・アフレック、ジェイソン・ベイトマン、マーロン・ウェイアンズ、クリス・メッシーナ、クリス・タッカー、ヴィオラ・デイヴィス
原題:Air
制作:アメリカ/2023
URL:https://warnerbros.co.jp/movie/air/
場所:MOVIXさいたま

はじめての海外旅行はニューヨークだった。飛行機がとてつもなく苦手だったけれど、ブロードウェイのミュージカルを観るために意を決した海外旅行だった。たしか、1989年のことだったとおもう。

で、その当時、大きなブームを巻き起こしていたのがNIKEのシューズだった。だからニューヨークへ行っておもわず買い求めてしまったのが「AIR MAX」だった。いま考えると、そんなに欲しくもないのに熱に浮かされて買ってしまったがために、流行りの「AIR MAX」なんて履いてるぜ、と云われるのがイヤで、日本に帰ってからは履かないまま放ったらかしにしてしまった。いつの間にか、接着剤がベロベロに溶けて靴底が剥がれてしまったので履けなくなってしまった。

とにかく1980年代の終わりごろから90年代にかけて、NIKEのシューズは日本でも品薄で、履いている人が襲われてシューズを強奪されるなんてとんでもない事件も起きた。ホンモノと見分けのつかない精巧なニセモノも氾濫していて、はたして自分の買ったシューズも本物かどうかもいま考えても怪しい。

自分の買った「AIR MAX」は1987年にNIKEから発売されたランニングシューズだった。でも「AIR」が付くシューズと云えば、1984年11月17日 に発売された「AIR ジョーダン1」が最初で、その「AIR ジョーダン1」の開発過程を描いたのがベン・アフレック監督の『AIR/エア』だった。

「AIR ジョーダン1」がどのように誕生したのかはまったく知らなかったけれど、なにかとてつもないものが生まれる過程には必ずと云って良いほどに大きな障害が立ちはだかるもので、それを苦労して乗り越えたからこそ反動は大きくなり、誰もが欲しがるヒット作が生まれる流れになるんだとおもう。だからそのドラマはNHKの「プロジェクトX」よろしく、やたらと感動秘話になりやすくて、お決まりのパターンになってしまうのが悲しい。

このベン・アフレック『AIR/エア』でも、そんな成功秘話のお決まりのパターンになりそうではあったものの、まったくNIKEに興味を示さなかったマイケル・ジョーダンと契約を結ぼうとするソニー・ヴァッカロを演じるマット・デイモンの、いつもながらの肩の力が抜けた演技がそうはさせなかった。ソニー・ヴァッカロが、1982年のNCAAトーナメントチャンピオンシップで決めたウィニング・ショットだけでもってマイケル・ジョーダンの才能を見抜くシーンは、マット・デイモンだからこそできる、おだやかでありながら、バスケットボールに対する愛情の深さをさり気なく示せる良いシーンだった。

だからこそ、マイケル・ジョーダンの母親デロリス・ジョーダン(ヴィオラ・デイヴィス)がソニー・ヴァカロを信頼して行くストーリーの流れも簡単に納得できてしまった。

そんな大ヒット作「AIR ジョーダン」を世に送り出したソニー・ヴァッカロのWikipedeiaを見ると記述内容がとても少ない。もしかすると実像も演じたマット・デイモンのようにさりげない人なのかな?とおもって、実際に行われたインタビューを読んでみたらやはりとても控えめな人だった。

【取材】エア ジョーダン生みの親、単独インタビュー ─ 映画『AIR/エア』主人公ソニー本人が語る秘話【前篇】
https://theriver.jp/air-vaccaro-interview1/

→ベン・アフレック→マット・デイモン→アメリカ/2023→MOVIXさいたま→★★★★

監督:オリヴァー・ハーマナス
出演:ビル・ナイ、エイミー・ルー・ウッド、アレックス・シャープ、トム・バーク、エイドリアン・ローリンズ、ヒューバート・バートン、オリヴァー・クリス、マイケル・コクラン、アーナント・ヴァルマン、ゾーイ・ボイル、リア・ウィリアムズ、ジェシカ・フラッド、パッツィ・フェラン、バーニー・フィッシュウィック、ニコラ・マコーリフ
原題:Living
制作:イギリス/2022
URL:https://ikiru-living-movie.jp
場所:109シネマズ菖蒲

黒澤明の『生きる』をカズオ・イシグロが脚色したこの映画は、うまく舞台をロンドンに移し替えていて、ひとつひとつのエピソードは忠実に再現しながらも、全体の構成は50年代のイギリス社会に置き換えるために少し変えていた。

黒澤版から大きく変更された点は、新入りの公務員(アレックス・シャープ)からの視点を取り入れたところだった。彼から見る課長のロドニー・ウィリアムズ(ビル・ナイ)の行動がこの映画のベースになっていた。

その新入りの公務員が黒澤版にはない新しいキャラクターかと云えばそうでもなくて、大勢の反対を押し切って公園を完成して死んでいった課長の熱意を引き継ごうと盛り上がった翌日に、いつもどおりのお役所業務に戻ってしまう課員に向かって無言の抗議をするシーンを見れば、おそらくは黒澤版の日守新一(木村役、あだ名は“糸こんにゃく”)を新入り公務員に置き換えて、それをちょっと含まらせたキャラクターじゃないかと想像がつく。このキャラクターが、おもっていたほどに邪魔にはならなくて、この映画をただの黒澤版のコピーにはしない効果をもたらしていた。

公開当初はなんとなく食指が動かずにいたこの映画だったけれど、見始めればまるで50年代のイギリス映画のようなオープニングクレジットからのめり込み、イギリスと云う風土に脚色された『生きる』はおもっていた以上に面白かった。

→オリヴァー・ハーマナス→ビル・ナイ→イギリス/2022→109シネマズ菖蒲→★★★★

監督:ダーレン・アロノフスキー
出演:ブレンダン・フレイザー、セイディー・シンク、ホン・チャウ、サマンサ・モートン、タイ・シンプキンス、サティア・スリードハラン
原題:The Whale
制作:アメリカ/2022
URL:https://whale-movie.jp
場所:ユナイテッド・シネマ浦和

サミュエル・D・ハンターが2012年に発表した同名舞台劇を『レスラー』『ブラック・スワン』のダーレン・アロノフスキーが映画化。体重が600ポンド(約272キロ)にもなってしまった男の最後の一週間を描いている。

舞台劇の映画化は場所が限定されるので、ドラマがその狭い範囲に凝縮されるのが大好きで、例えばエリア・カザンの『欲望という名の電車』(テネシー・ウィリアムズ作、1951)とか、ウィリアム・ワイラーの『噂の二人』(リリアン・ヘルマン作、1961)とか、ジーン・サックスの『おかしな二人』(ニール・サイモン作、1968)とか、好きな映画を数え上げたらきりがない。だから、この映画も好きなタイプの映画のであることに間違いはなかった。

ただ、重度の肥満症からまったく動けなくなってしまった主人公の、医療も拒否した破滅的な生活は気持ちの良いものではなくて、場所がほとんどソファーの上だけってのもかえって閉所恐怖症ぎみの自分にとってはちょっと辛かった。

舞台劇の映画化なので登場人物は6人だけ。国語の教師で肥満症のチャーリー(ブレンダン・フレイザー)、チャーリーと疎遠になっていた娘エリー(セイディー・シンク)、チャーリーの唯一の友人である看護師のリズ(ホン・チャウ)、チャーリーの元妻でありエリーの母であるメアリー(サマンサ・モートン)、ニューライフ教会の宣教師トーマス(タイ・シンプキンス)、ビザの配達人ダン(サティア・スリードハラン)。

ストーリーはおもに主人公チャーリーと娘エリーとの関係修復にあてられている。そこに看護師リズとチャーリーとの関係、そしてリズの兄アランとチャーリーとの関係が次第に明らかになって行き、単にドラマに膨らみを持たせるためだけの添え物とおもえた宣教師トーマスに関しても彼らとの繋がりが明らかになって行く。家族や友人(恋人)関係だけが題材とおもわれたこの映画が、いつのまにか宗教と云うものの在り方にまで踏み込んで行く流れは、おそらくは原作の戯曲の素晴らしさなんだろうけれど、とても巧かった。

この映画を観はじめて、題名に使われている「ホエール(鯨)」とはなんだろう? と考えていた。まず目が行くのはチャーリーの肥満からくるイメージだけれども、映画の冒頭に彼が心臓発作に陥ったときに心拍を落ち着かせるために読むメルビルの「白鯨」に関するエッセイも関係していることがわかる。

この誰が書いたかわからない「白鯨」に関するエッセイは、メルビルの「白鯨」は悲しい物語だと云う。なかでも一番悲しい部分は、クジラを描写するだけの退屈な章から、実際に不幸な作家人生を送ったメルビルによるわずかな救いの手を感じ取ったからだと云う。

映画のなかに何度も登場するこのエッセイが、このストーリーの鍵となっているのは間違いない。でもそれが何なのかは判断が難しい。おそらくは、この映画のもうひとつの鍵であるニューライフ教会をおだやかに批判していると云うことなのかもしれない。人間に対する救いなんてものは、あからさまに、大仰になされるものではなくて、平凡なものから感じ取るべきものなんだと云っているようにも見える。

そして、このストーリーの一番の軸であるチャーリーと娘エリーとの関係。8歳のときからまったく会えていない娘は、父親に対する敵意がむき出しで、自分の感情をうまくコントロールできない人間に育っていた。傍から見れば、それは片親だけによる子育の失敗から出来上がった娘だった。でもそんな娘をチャーリーは元妻に対して素晴らしい娘に育て上げてくれたと絶賛する。チャーリーにとって、久しぶりに会えたからと云って本心を隠して当たり障りのない会話をする親子関係よりも、ストレートに思いの丈をぶつける親子関係こそが理想だったのかもしれない。

そんな直球なエリーだから、ひょんなことから訪ねてきた宣教師トーマスに対しても、ニューライフ教会をボロクソにこきおろす。神を信じることなんて人々の救いにはまったくならないと。

この映画には救われなければならない人間ばかりが登場する。その全員がニューライフ教会との関わりがあることがわかってくる。でも宗教は誰も救わない。とくにチャーリーは、その宗教によって恋愛関係にあった看護師リズの兄アランを自殺で亡くしてしまう。心のバランスを崩した彼は体重が600ポンド(約272キロ)にまでなり、医療も拒否して死を待つのみとなってしまった。ただ、唯一の救いを感じたのが「白鯨」のエッセイだった。

では「白鯨」のエッセイを書いたのは誰なのか?

それは娘のエリーだった。元妻によって交流を遮断されていたチャーリーは、ひとつだけ、エリーの書いた「白鯨」のエッセイを送ってもらっていたのだった。そこに書かれていた内容も去ることながら、自分が娘とつながるたった一つの拠り所だった。映画のラストは、エリー自身による「白鯨」のエッセイの朗読だった。それでもってチャーリーは救われ、と同時に画面は光り輝き、彼は死とともに昇華する。

この映画はどんな終わり方をするんだろうとおもっていたけれど、とても納得の行く終わり方だった。

→ダーレン・アロノフスキー→ブレンダン・フレイザー→アメリカ/2022→ユナイテッド・シネマ浦和→★★★★