ハドソン川の奇跡

監督:クリント・イーストウッド
出演:トム・ハンクス、アーロン・エッカート、ローラ・リニー、ヴァレリー・マハフェイ、デルフィ・ハリントン、マイク・オマリー、ジェイミー・シェリダン、アンナ・ガン、ホルト・マッキャラニー、アーメド・ルーカン
原題:Sully
制作:アメリカ/2016
URL:http://wwws.warnerbros.co.jp/hudson-kiseki/
場所:明治安田生命ホール(試写会)

2009年1月15日、ニューヨーク・ラガーディア空港発ノースカロライナ州シャーロット経由シアトル行きのUSエアウェイズ1549便は、離陸直後に大量の鳥の群れに遭遇し、左右のエンジンともに鳥を吸い込んだために停止してしまった。1549便のチェズレイ・サレンバーガー機長はラガーディア空港に引き返すのは時間的に困難と判断してハドソン川に不時着水した。この事件は乗客全員が助かったこともあって日本でもとても大きなニュースになった。

この有名な事件をクリント・イーストウッドは事実関係を正確に映画化していた。それはエンドクレジットに流れる実際の事故の映像を見ればよくわかる。映画本編の事故映像とそっくりだ。どっちがどっちだかわからないほどに瓜二つに見える。ただ、そこまで正確に映像化したのなら、とても細かいところが気になってしまう。

国家運輸安全委員会(NTSB)が事故調査をした時に、どちらかのエンジンがかろうじて動いていたことを示唆していたような気がする。その推力でもってラガーディア空港に引き返せたのになぜハドソン川に不時着水したのかと機長の責任を問うようなシーンがあった。でも、最終的な公聴会のような会議では、完全に両エンジンともにダメになったことを前提にエアバス社のシミュレーションが行われていた(ように見える)。それでもって、そのシミュレーション検証のあとに、海から引き上げたエンジンを調べたところ鳥によって完全に破壊されていたことがわかったとの報告がされる。ここが、おーそうだったのか! の感動的なシーンとなっている。

これは順序が逆なんじゃないのかなあ。

まずは海から引き上げたエンジンがどのような状態だったかを報告したあとで、それをもとにエアバス社のシミュレーションが行われるべきなんじゃないのかなあ。まさかあの瞬間に、リアルタイムに報告があがってきたのかなあ。

もちろんこの順序で描けば劇的な要素が失われてしまうわけだけれど。

と云うようなことを、一緒に試写会を観た人たちと酒を飲みながら、あーだこーだしゃべった。映画好きと、あーだこーだしゃべるのはやっぱり大切だ。

→クリント・イーストウッド→トム・ハンクス→アメリカ/2016→明治安田生命ホール(試写会)→★★★☆

グッバイ、サマー

監督:ミシェル・ゴンドリー
出演:アンジュ・ダルジャン、テオフィル・バケ、ディアーヌ・ベニエ、オドレイ・トトゥ、ジャナ・ビトゥネロバ
原題:Microbe et Gasoil
制作:フランス/2015
URL:http://www.transformer.co.jp/m/goodbyesummer/
場所:シネマカリテ

スパイク・ジョーンズの『マルコヴィッチの穴』を観たときに、なんだこりゃ! になった。俳優のジョン・マルコヴィッチを実名で出演させて、その頭の中に入ってしまうと云う奇想天外なストーリーをどうやったら考えつくんだろうと脚本を書いたチャーリー・カウフマンの自由奔放なアイデアに感嘆した。

そこからチャーリー・カウフマンを注目するようになって、ミシェル・ゴンドリー監督の『エターナル・サンシャイン』に行き着いた。(その前に『ヒューマン・ネイチュア』があったんだけどなぜか見逃した。)その『エターナル・サンシャイン』もまた奇抜なストーリーで、『マルコヴィッチの穴』と同じように先の読めない面白さがあって、ますますチャーリー・カウフマンのことが気になるようになってしまった。

このようにチャーリー・カウフマン繋がりでミシェル・ゴンドリーを追いかけるようになり、さらに彼の監督作『僕らのミライへ逆回転』をDVDで見たら、ゴンドリー自身の脚本ながらも絶対にチャーリー・カウフマンに影響を受けているだろうとおもわれる、なんだこりゃ! な映画で、2013年に作った『ムード・インディゴ うたかたの日々』もチャーリー・カウフマン的「なんだこりゃ!」度がますますアップしていた。

この『グッバイ、サマー』もストーリーを要約すれば、

クラスメイトからはちょっと浮いている14歳の少年“Microbe(チビ)”が「変わり者」の転校生“Gasoil(ガソリン)”と出会って、夏休みに親に内緒で二人で旅行をするうちにいろいろな体験をして、次第に自分の中にもある普通とは違う部分に自信を持つようになって行く。

と、ごく普通の青春友情ストーリーに見える。でもさすがはチャーリー・カウフマンを継承するミシェル・ゴンドリーだった。これをごく一般的な青春ドラマだけにはしなかった。外見はロブ・ライナーの『スタンド・バイ・ミー』のように見えつつも、ことごとく先の展開が読めなくて、次から次へと現れる登場人物たちにも主人公との関わり方にまったく意味を見い出せない。それでもトリックスターのような役割を持つ“Gasoil(ガソリン)”が作った「動く城」を駆って、奇妙なモンスターたちをなぎ倒して経験値を上げるがごとく、少年たちはひと夏の経験のあとに大人へと成長して行くのだ。

スパイク・ジョーンズ、チャーリー・カウフマン、ミシェル・ゴンドリーの作る世界はどこか共通していて、なぜか日本的な要素が入り込んでくることが多い。今回もコリアンタウンで働く風俗嬢が日本語を話すし、“Microbe(チビ)”はサムライ・カットにはなるし。ちょうどチャーリー・カウフマンが作った人形アニメーション『アノマリサ』で、日本のからくり人形のようなロボットが「桃太郎」を日本語で歌うのを見たばかりだから、また出た日本、とおもってしまった。そのような部分も確認しつつ、これからもこの3人の映画は追いかけて行きたいとおもう。

→ミシェル・ゴンドリー→アンジュ・ダルジャン→フランス/2015→シネマカリテ→★★★☆

イレブン・ミニッツ

監督:イエジー・スコリモフスキ
出演:リチャード・ドーマー、ボイチェフ・メツファルドフスキ、パウリナ・ハプコ、アンジェイ・ヒラ、ダビド・オグロドニク、アガタ・ブゼク、ピョートル・グロバツキ、アンナ・マリア・ブチェク、ヤン・ノビツキ、ウカシュ・シコラ、イフィ・ウデ、マテウシュ・コシチュキェビチ、グラジナ・ブウェンツカ=コルスカ、ヤヌシュ・ハビョル
原題:11 minut
制作:ポーランド、アイルランド/2015
URL:http://mermaidfilms.co.jp/11minutes/
場所:ヒューマントラストシネマ有楽町

イエジー・スコリモフスキの新作はたった11分間の群像劇。

さまざまな困難に遭遇する人たちのいくつものエピソードが折り重なって、時間を行きつ戻りつしながら、時にはエピソード同士がすれ違いながら語られる映画の群像劇がとても大好きだ。古くはエドマンド・グールディングの『グランド・ホテル』から、最近ではジョニー・トーの『奪命金』とか。

でも、イエジー・スコリモフスキはもうそんな使い古されたスタイルをそのまま持ってくるようなことはせずに、たった11分間の群像劇に挑戦した。17時から17時11分までに起きた主に次の7つのエピソードを平行させて描いて行く。

・映画監督と女優、そしてその夫
・ホットドック屋の親父とバイク便の息子
・窓拭きの男とポルノビデオを見せる女
・医者と妊婦と死にかけた男
・質屋に押し入る少年
・画家
・犬を連れて歩く女

それぞれのエピソードがたった11分間しかなくて、これらを同時平行で見せるためにさらに切り刻んで、その細かくなった断片をモザイクのように並べて見せて行くのは、まるでパケット化されたデータ通信のようだった。

この映画のエンドクレジット直前のイメージが、並べられた監視映像のモニターがどんどんと小さくなっていって、スクリーン狭しと無数に増えて行くのはまさにデジタル符号化のイメージだった。その右上にあったモニターの一つが黒く何も映っていなくて、そこはまさしく「ドット落ち」に見える。そこで、あっ! と気が付いた。それぞれのエピソードの中の何人かが空を指さして「あれは何だ?」と云う。カメラは何も映さない。でもそれは「ドット落ち」だったんじゃないのか? 転送ミスだったのだ。

見終わってから冷静に考えれば、それぞれのエピソードの時間的な整合性は取れていないとはおもうけれど、そのことはあまり関係ないような気がする。データ通信なわけだから。

→イエジー・スコリモフスキ→リチャード・ドーマー→ポーランド、アイルランド/2015→ヒューマントラストシネマ有楽町→★★★★

ヤング・アダルト・ニューヨーク

監督:ノア・バームバック
出演:ベン・スティラー、ナオミ・ワッツ、アダム・ドライバー、アマンダ・セイフライド、チャールズ・グローディン、アダム・ホロウィッツ
原題:While We’re Young
制作:アメリカ/2014
URL:http://www.youngadultny.com
場所:TOHOシネマズみゆき座

『イカとクジラ』や『フランシス・ハ』で夫婦、家族や友人関係を不思議な切り口できめ細やかに描いていたノア・バームバック監督の新作。

『ヤング・アダルト・ニューヨーク』は、最初に「子供を持つ」と云う価値観から二つの夫婦を対比させて描いていて、今回のノア・バームバックの視点はここか、とおもわせておいて、さらに若い夫婦が絡んできて、なるほどジェネレーション・ギャップも加えるのか、と徐々にいろんな要素が加わって行って、主としてベン・スティラーとナオミ・ワッツの中年夫婦とアダム・ドライバーとアマンダ・セイフライドの若い夫婦の関係がストーリーの核となって行く。でもそこから、著名なドキュメンタリー作家(チャールズ・グローディン)の娘(ナオミ・ワッツのこと)を妻にもらった自身もドキュメンタリー作家のベン・スティラーに、ドキュメンタリー作家として有名になろうと野心に燃えるアダム・ドライバーの若夫婦が巧く取り入っていたのだとわかると一気にサスペンス調になって、今までのノア・バームバックの映画にはない調子に変わって行く。

さらに、アダム・ドライバーが撮っているドキュメンタリー映画が「やらせ」であることが発覚すると、今度はドキュメンタリー作家としての倫理的な問題も絡んできて、やたらと要素がてんこ盛りの映画になって、この収拾はどうするんだろうと心配になってしまった。

でもそこはさすがにノア・バームバックだった。ドキュメンタリー映画は、扱う題材が引き立てば、どのようにアプローチするかは問題にならない、と著名なドキュメンタリー作家(チャールズ・グローディン)に云わしめる。これはつまり、夫婦関係も、友人関係も、その関係が良好であれば、そこには「やらせ」があっても良いんじゃないかとも受け取れる。子供なんてほんとうは嫌いなのに、素敵な夫婦関係を保つために子供好きを装うのだ。別に若々しく振る舞いたいわけではないけれど、そのようにしている自分が美しいからばんばるのだ。

で、ラスト、赤ちゃんを見つめるベン・スティラーとナオミ・ワッツ夫婦。ああやっぱり俺たちには、子供を儲けると云うアプローチ方法はいらないと。

→ノア・バームバック→ベン・スティラー→アメリカ/2014→TOHOシネマズみゆき座→★★★☆

シン・ゴジラ

監督:庵野秀明(総監督)、樋口真嗣(監督・特技監督)
出演:長谷川博己、竹野内豊、石原さとみ、高良健吾、大杉漣、柄本明、余貴美子、市川実日子、國村隼、平泉成、松尾諭、津田寛治、塚本晋也、高橋一生、岡本喜八、野村萬斎
制作:東宝映画、シネバザール/2016
URL:http://www.shin-godzilla.jp/index.html
場所:109シネマズ木場

あまりにも情報量が多いので、やはり、どうしても2回目に行かざるを得ない『シン・ゴジラ』。でも、2回も観たらアラばかりが気になって、まったくツマラナイ、なんてことになったらどうしよう、と云う杞憂も何のその、『シン・ゴジラ』の評価は変わらなかった。素晴らしかった。

もちろん評価の低い人たちの云っていることもよくわかる。この映画はただ単に、東京湾岸に現れた得体の知れない生物を日本の政府が如何にして対処したか、の映画でしかない。そこには主に日本の「政府」と云うシステムの中での段取りがものすごいスピードとテンポで描かれているだけであって、とても狭い範疇の中での、内に向いている映画でしかない。それに、あまりにも「庵野の映画」でしかなくて、自分のように庵野の掌の上で転がされるのが好きな人間ならまだしも、お前のプライベートな空間に付き合わされるのかよ、と鼻白んじゃう人もいるとおもう。どうやらこの映画はヱヴァンゲリヲンを作り続けるための庵野のリハビリ映画らしい!

それでも、誰もが共通の恐怖として東日本大震災の原発事故を経験しているから、その事故になぞらえてドキュメンタリー・タッチにしている『シン・ゴジラ』に対して、庵野もエヴァも知らない人でも面白さを見い出せるんだとおもう。もし、この一般的なポイントがなかったら、おそらく『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』みたな「なんじゃこれ」な映画になってしまって、ここまで普通の人に受け入れられなかったとおもう。

→庵野秀明、樋口真嗣→長谷川博己→東宝映画、シネバザール/2016→109シネマズ木場→★★★★

トランボ ハリウッドに最も嫌われた男

監督:ジェイ・ローチ
出演:ブライアン・クランストン、ダイアン・レイン、ヘレン・ミレン、マイケル・スタールバーグ、ルイス・C・K、エル・ファニング、ジョン・グッドマン、アドウェール・アキノエ=アグバエ、デビッド・ジェームズ・エリオット、アラン・テュディック、ジョン・ゲッツ、ダン・バッケダール、ロジャー・バート、メーガン・ウルフ、ミッチェル・ザコクス、ディーン・オゴーマン、クリスチャン・ベルケル
原題:Trumbo
制作:アメリカ/2015
URL:http://trumbo-movie.jp
場所:TOHOシネマズシャンテ

脚本家のダルトン・トランボが1940年代末から50年代のはじめにかけて行われた「赤狩り」で、ジョセフ・マッカーシー上院議員と非米活動委員会によって共産主義者と断定されて、「ハリウッド・テン」の一人としてハリウッドから干されたエピソードは断片的にいろいろと聞きかじってはいた。そのいわゆる「マッカーシズム」は、友人の名前を共産主義者として告発しなければいけなかったり、擁護してくれていた友人が途中から急に口を閉ざしてしまったりと、疎外される恐怖に陥った人間の弱さばかりが目立つような暗くて悲惨なイメージでしかなかった。でもダルトン・トランボは、70年代に入って名誉が回復されるまでに名前を変えていろいろな仕事をしていて、そのあいだには『ローマの休日』や『黒い牡牛』でアカデミー賞脚本賞を獲得してしまうと云うバイタリティあふれるエピソードが残っていて、このドロドロとした「赤狩り」の中に放り込まれた人間にしては茫洋としていて掴みどころのない人物像だった。

ジェイ・ローチの『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』は、そのぼんやりとした人物像を明確にしてくれた映画だった。

ダルトン・トランボの凄さは、現在の境遇に嘆かない、他人の所為にはしない、うしろを振り返らない、だった。普通の人間だったら、なんでオレばっかり、とか、あいつは汚ねえ、とか、あの時にああしておけば良かった、とか、不満や憎悪や未練がタラタラだ。でもダルトン・トランボにはそんなところが微塵もなく、どんなものでもすべてを受け入れて、そして現在の状況で出来る最大限のことをやろうと邁進できる特異まれなる性格の人間だった。(もちろんその人間としての特異さは、たとえば周りの家族にしわ寄せが行ってしまったりするのだけれど)そんな部分を自分と照らし合わせてしまうと、狡猾で、狭小で、他力本願な自分のことを反省しきり。あ〜あ、ダルトン・トランボのような人間になりたいけど、まあ、無理だ。

ハリウッドの裏幕ものとして実在の監督や俳優が出てくるのも面白かった。ジョン・ウェインは似てねえな、とか、カーク・ダグラスが小っちぇえ! とか、やっぱりキューブリックは描けねえな、とか、自分の中では大盛り上がり。そんな中でも、ダルトン・トランボを演じたブライアン・クランストンが素晴らしかったのはもちろんのこと、エドワード・G・ロビンソンを演じたマイケル・スタールバーグとオットー・ブレミンジャーを演じたクリスチャン・ベルケルも素晴らしかった。ヘッダ・ホッパーはもっともっと嫌みでいけ好かない女だったんじゃないのかなあ。ヘレン・ミレンじゃ上品すぎる!

→ジェイ・ローチ→ブライアン・クランストン→アメリカ/2015→TOHOシネマズシャンテ→★★★★

シン・ゴジラ(IMAX)

監督:庵野秀明(総監督)、樋口真嗣(監督・特技監督)
出演:長谷川博己、竹野内豊、石原さとみ、高良健吾、大杉漣、柄本明、余貴美子、市川実日子、國村隼、平泉成、松尾諭、津田寛治、塚本晋也、高橋一生、岡本喜八、野村萬斎
制作:東宝映画、シネバザール/2016
URL:http://www.shin-godzilla.jp/index.html
場所:ユナイテッド・シネマ浦和

この夏公開の映画の中で、特にTwitter界隈でダントツな人気を誇るのが『シン・ゴジラ』で、そのムーブメントは『パシフィック・リム』や『マッドマックス 怒りのデス・ロード』の時と同じような様相を呈して来ている。公開と同時に映画を絶賛するTweetが雨あられのように飛んできて、その絶賛クラブに加わらなければまるで人間であることを否定されているような気分にさせられて、否定的な意見を述べようものなら四方八方から集中砲火を浴びせられてコテンパンにやっつけられてしまいそうな、なんとも気持ち悪い状態になって来ている。

だから私も人間であることを維持するために、そのクラブに入るべく『シン・ゴジラ』を観に行った。

みなさんがおっしゃるようにめちゃくちゃ素晴らしかった。『パシフィック・リム』や『マッドマックス 怒りのデス・ロード』ではさすがに冷めてしまったわたくしでも、今回ばかりは最大限に同意しなければならない。やはり庵野秀明は凄い。

もちろん、あまりにも政府の意思決定プロセスを描くことに腐心するあまり人間が描けていないとか、あまりにも自作の「エヴァンゲリオン」を引用しすぎるとか、あまりにも「ヤシオリ作戦」がご都合主義で簡単に成功してしまうだとか、あまりにも石原さとみが惣流・アスカ・ラングレーのようなアニメキャラになっているとか、あまりにも石原さとみの英語が次期大統領を狙っているネイティブとしては酷いとか、あまりにも石原さとみのメイクが酷いとか、あまりにも石原さとみが……(以下略)。それぞれ指摘されている批判はごもっともです。

それでも、ハリウッドVFXに目が肥えている日本の人たちが納得する東宝怪獣映画とはどのようなものなのかを一つの答えとしてはっきりと導き出しているし、低予算であったとしてもハリウッド版ゴジラと遜色のない日本の特撮映画を作り上げているし、「ゴジラ」シリーズから見れば傍流の「ゴジラ」としてしか存在し得ないのかもしれないのだけれど、日本映画の歴史に名を残す特撮映画を作りあげたんじゃないかとおもう。

この「オタクと変人の集まり」の真摯な闘いにしか「日本特撮の申し子が作った日本特撮の神髄」がないのだとしても、そこには「わびしさ」よりも「よくやった!」の感想以外になかった。

→庵野秀明、樋口真嗣→長谷川博己→東宝映画、シネバザール/2016→ユナイテッド・シネマ浦和→★★★★

骨までしゃぶる

監督:加藤泰
出演:桜町弘子、久保菜穂子、宮園純子、桑原幸子、小島恵子、沢淑子、石井トミコ、三島雅夫、三原葉子、菅井きん、岡島艶子、夏八木勲、横山アウト、芦屋小雁、芦屋雁之助、汐路章、遠藤辰雄
制作:東映/1966
URL:
場所:フィルムセンター

加藤泰監督の仁侠映画『緋牡丹博徒 花札勝負』に惚れ込んでから、もっと彼の映画を見たいとおもっているのだけれど、全46本中、まだ10本程度しか見ることができていない。そんなことではいけないとおもい直し、今回のフィルムセンターの特集上映に駆け込んだ。

いやあ、凄い映画だった。加藤泰監督作品の特徴であるローアングルとクローズアップがこれでもかと多用されていて、主演女優の桜町弘子が不細工に見えてしまうほどの極端なカメラワークだった。さらに汐路章や三島雅夫の悪役連中もその近いカメラのために、汚さ、意地悪さ、気味悪さが爆発していて、州崎遊廓にうごめく人間模様が気持ち悪くもあり、あまりのデフォルメに笑ってしまうほどでもあり、そこに娼妓の哀しさ、わびしさも加わって、映画が見せる人間の大博覧会のような様相を呈していた。

加藤泰監督作品としては『緋牡丹博徒 花札勝負』『緋牡丹博徒 お竜参上』と同等の、いやそれ以上の出来栄えの映画だった。どんなタイプの映画であったとしても、画面から熱気が伝わってくる映画にはほんと脱帽する。

→加藤泰→桜町弘子→東映/1966→フィルムセンター→★★★★

ブルックリン

監督:ジョン・クローリー
出演:シアーシャ・ローナン、ジュリー・ウォルターズ、ドーナル・グリーソン、エモリー・コーエン、ジム・ブロードベント、フィオナ・グラスコット、ジェーン・ブレナン、アイリーン・オイヒギンス、ブリッド・ブレナン、エミリー・ベット・リッカーズ、イブ・マックリン
原題:Brooklyn
制作:アイルランド、イギリス、カナダ/2015
URL:http://www.foxmovies-jp.com/brooklyn-movie/
場所:TOHOシネマズシャンテ

アイルランドからアメリカに渡った移民のストーリーはいくつもの映画に題材として取り上げられていて、パッとおもいつくだけでもマーティン・スコセッシ監督『ギャング・オブ・ニューヨーク』、ジム・シェリダン監督『イン・アメリカ/三つの小さな願いごと』、アラン・パーカー監督『アンジェラの灰』と枚挙にいとまがない。そしてそのほとんどの映画が、貧困のあまり新天地に希望を見い出さざるを得ない人びとのストーリーだった。

ジョン・クローリー監督の『ブルックリン』は、そのような今までのアイルランド移民のストーリーとはちょっとばかり趣が変わっていて、アメリカ経済が急速に成長した1950年代が舞台設定の所為か、せっぱ詰まった悲壮感がまったく無かった。主人公シアーシャ・ローナンのアメリカでの生活も、ブルックリンのデパートで働きながら大学に通って簿記の資格を取ろうとする前向きな姿勢が強調されているし、アメリカで知り合ったイタリア移民のエモリー・コーエンにも安定した仕事があるし、結婚してロング・アイランドに家を建てようと将来を語り合うシーンも前途洋々の希望しか見いだすことは出来なかった。

じゃあ、そこにどんなドラマが生まれるかと云うと、アイルランドに残してきた姉が突然亡くなって、ひとりぼっちになってしまった母親を見舞うためにアイルランドへ帰郷したことからはじまる顛末だった。生前に姉が行っていた仕事を引き継いだり、昔なじみの男と再会してそれなりの仲になったりと、アメリカで密かに結婚したことを隠してこのままアイルランドに残るのか、ブルックリンにいる夫のエモリー・コーエンの元に帰るべきなのか、シアーシャ・ローナンの内なる葛藤が映画の後半のテーマとなっていて、そこがちょっとサスペンスフルでなかなか面白かった。

ジョン・クローリーが巧かったのは、シアーシャ・ローナンのアメリカでの生活について(特に住み込む寮の女たち!)もしっかりと描いていて、すでにブルックリンへの郷愁も生じさせるように仕向けていたことだった。どちらの国に残ったっとしても、片方への郷愁が残ってしまう八方ふさがりな状況は胸が締めつけられるようで見ていてなんとも辛い映画だった。救いだったのは、アイルランドの国の色でもあり、アイルランドの生活の場のそこかしこにも見られる奇麗な「緑」が、アメリカのロング・アイランドにも見られることだった。「緑」こそが郷愁の色だったのだ。

→ジョン・クローリー→シアーシャ・ローナン→アイルランド、イギリス、カナダ→TOHOシネマズシャンテ→★★★★

白い夏

監督:斎藤武市
出演:青山恭二、織田政雄、芦川いづみ、中原早苗、坪内美詠子、近藤宏、天草四郎、長谷川照容、相原巨典、西村晃
制作:日活/1957
URL:
場所:神保町シアター

昨年の9月と今年の2月に神保町シアターで行われた特集「恋する女優 芦川いづみ」には、ハッと気付いたら一つも行けなかった。今回はしっかりと「名画座手帳」にスケジュールを書き込んで、まずは(と云っても観られるのはこれだけかもしれない)今までに観たことのない斎藤武市監督の『白い夏』を観に行った。

斎藤武市(さいとうぶいち)監督は、同僚の日活の江崎実生監督と共に平凡な監督であることを揶揄されて「斎藤コンブ、江崎グリコ」と云われていたと何かの本で読んだ気がする。そのイメージからか今まではあまり注目することもなく、もしかすると吉永小百合と浜田光夫の『愛と死をみつめて』をテレビで見たか? 程度の監督だった。

はじめてこの『白い夏』をしっかりと映画館で観て、ああ、たしかに、とりたてて特異な作風を持っているわけでもなく、何か注目すべきテクニックがあるわけでもなくて、でも、悪い作品でもなく、しっかりと芦川いづみを奇麗に撮っているし、職人監督としては腕のある人なんだなあ、と云うイメージだった。青山恭二が芦川いづみに対して「好きなんだあ〜」と床を転げ回る演出とか、うわぁ、なんだこれ、とおもったりはしたけれど。

映画の内容が平凡でも、今回は「恋する女優 芦川いづみ」特集なんだから、芦川いづみが奇麗に映っていたので100点満点!

→斎藤武市→青山恭二→日活/1957→神保町シアター→★★★