FAKE

監督:森達也
出演:佐村河内守、佐村河内香
制作:「FAKE」製作委員会/2016
URL:hhttp://www.fakemovie.jp
場所:ユーロスペース

2014年に起きた佐村河内守のゴーストライター問題は、彼のことをまったく知らなかったので、一人の人間がどうしてあそこまで罪人のようにマスコミにつるし上げられなければならないのかいまいちよくわからなかった。

おそらく、

・耳が聞こえるのに、聞こえないと嘘をついた。
・まったく作曲ができないのに、自分で作曲していると嘘をついた。

の2つの嘘を元に、不当に自分をイメージアップさせてお金を稼いだ(だまし取った)ことに我慢がならないと云うことなのかなあ。

しかし、ゴーストライターだった新垣隆が楽曲の権利を主張しているわけでもないし、そのCDを買った人は曲の完成度に満足しているらしくて、佐村河内守を「詐欺師」と刑事告発するものでもないらしい。舛添要一と同じように、違法ではないが不適切、らしい。

その佐村河内守を追った森達也のドキュメンタリーは、その2点の嘘を解明することに絞り込んだコンパクトなドキュメンタリー映画だった。

まずは、本当に耳が聞こえないのかどうか。そこを執拗に森達也のカメラは追いかける。でも、耳が聞こえるか聞こえないかなんて、第三者にはその程度はまったくわからない。完全に聴力を失っているのなら明確な診断書が医者から発行されるのだろうけど、微妙な差異は他人には確認しようがない。ただ、一つ云えることは、この問題が明らかになる前に放映されたNHKスペシャル「魂の旋律 音を失った作曲家」では「完全に音を失った」ことを強調し、耳鳴りに悩まされて日常生活にまで支障を来している様子を強調して、佐村河内守の作曲は命を削ってまで行われていることをやたらと視聴者に訴えかけていた。この番組を見た人は、その描写で持って佐村河内守に同情を寄せたかも知れないし、それで佐村河内守を知ってCDを買った人が多数いたのかもしれない。

ところが今回の『FAKE』では「完全に音を失った」ではなくて「音がねじ曲がって聞こえる」に変わっているし、耳鳴りやそれを抑えるために飲む薬についての描写はまったくなかった。NHKスペシャルの時よりも病状が回復しているんだろうか。いや、おそらくは、佐村河内守の耳には何かしらの問題はあるのだろうけど、その程度はNHKスペシャルで描かれたほど酷くはないと云う感じなんじゃないかとおもう。そこに明確な、それでいてささやかな「嘘」が存在するのは確かなような気がする。

次に作曲についてだけど、佐村河内守は新垣隆に丸投げしたのではなくて「共作」であることをやたらと強調していた。その指示書も多数出てくる。自分には音楽的なイメージは湯水のように湧くけど、それを楽譜に起こすことが出来ないので、その部分だけを新垣隆に手伝ってもらっただけだと云う。うーん、曲のイメージを形作ることと実際に音符を書くことの分担が出来て、その作業を「共作」と呼べるのかどうかは音楽的な知識がないのでまったく判断のしようがない。なので、この映画ではその疑惑を素人でも判断できるように、佐村河内守がシンセサイザーを購入して作曲するシーンをラストに持ってきた。おお、作曲できるじゃん、とは一瞬おもったけど、でもこれ、ただの打ち込みだよなあ、とすぐさま冷静になる。これを持ってして、彼の非凡な作曲能力が示される訳ではなくて、ただただ、フツーに打ち込みをする姿が映し出されるだけなのですべてが微妙なままだった。

この森達也のドキュメンタリーは「佐村河内守を信じる」宣言をして、一緒に泥舟に乗って漕ぎ出しているような構成にはなっているので、ラストに佐村河内守が作曲をするシーンを持ってくることによって、どうだ、佐村河内守は白だろう、と訴えかけているような作りになっていた。しかし、森達也が云っている「ドキュメンタリーは嘘をつく」をすぐさま思い出した。ああ、これは確信犯だな、と。本当は、佐村河内守のことを白だなんてまったく考えてないと。それがエンドクレジット後の佐村河内守への問いかけにかいま見える。おお、そこがタイトルの『FAKE』なのか!

いやいや、とても面白い映画でした。

→森達也→佐村河内守→「FAKE」製作委員会/2016→ユーロスペース→★★★★

ホース・マネー

監督:ペドロ・コスタ
出演:ヴェントゥーラ、ヴィタリナ・ヴァレラ、ティト・フルタド、アントニオ・サントス
原題:Cavalo Dinheiro
制作:ポルトガル/2014
URL:http://www.cinematrix.jp/HorseMoney/
場所:ユーロスペース

昨年の山形国際ドキュメンタリー映画祭でこの映画を観たときは、立て続けに何本も映画を見て疲れていた所為か、その時の調子も悪かったのか、まるで映画の内容と同調したかのように生きているのか死んでいるのかわからないほどに朦朧となってしまって、ゾンビのような男が暗い廃虚を彷徨っているイメージしか記憶に残らなかった。

その雪辱戦として観た今回は体調も良く、周りには寝息を立ててぐっすり眠っている人もいる中でしっかりと映画を観ることができた。しかし、その内容を理解するには自分の知識の範囲内では到底無理で、元ポルトガル領の国カーボベルデからリスボンに移住してきた男ヴェントゥーラが、その死に際に自分の生きてきた過去と現在、そして未来をも彷徨い歩く姿を構図豊かなイメージの奔流として見せられただけとしか捉えようがなかった。

おそらく、ヴェントゥーラの妻ズルミラへの手紙のこととか、同じカーボベルデ出身の女ヴィタリナのことなどは記憶の迷路に迷い込んだ幻想として捉えるだけでも許してくれそうだけど、後半の多くを占める顔を黒く塗って鉄かぶとを被った兵隊とのまるでテレパシーのような会話はそれだけで済ませてしまうのはもったいないような気がする。でもそこを理解するには1974年にポルトガルで起きたカーネーション革命のことをもっと知らなければならないし、それがなければ最後に出てくるケースに入ったナイフの意味も理解することはできないような気がする。(途中にカーボベルデの音楽バンド、オス・トゥバロスの曲が流れるが、その曲名は「アルト・クテロ(高貴なナイフ)」だそうだ!)

http://creatorspark.info/musicmovie/26299
ここのインタビューを読むとペドロ・コスタはナイフのことさえ忘れている!
結局、映画なんてそう云うものなんでしょう。映画の解釈なんて、後付けで評論家がするもの。

イメージ豊かなこの映画はそれだけでも見るに値する映画ではあるけれど、ポルトガルの歴史を知らなければこの映画の本質を理解するには至らないので、自分の知識のなさを悔やむ結果に終わるだけだった。

→ペドロ・コスタ→ヴェントゥーラ→ポルトガル/2014→ユーロスペース→★★★☆

疑惑のチャンピオン

監督:スティーブン・フリアーズ
出演:ベン・フォスター、クリス・オダウド、ギョーム・カネ、ジェシー・プレモンス、リー・ペイス、ドゥニ・メノーシェ、エレイン・キャシディ、ダスティン・ホフマン
原題:The Program
制作:イギリス、フランス/2015
URL:http://movie-champion.com
場所:新宿明治安田生命ホール(試写会)

ちょうどタイラー・ハミルトンがダニエル コイルと書いた「シークレット・レース ツール・ド・フランスの知られざる内幕」(児島修訳、小学館文庫)を読んだばかりだから、ツール・ド・フランスを7連覇したランス・アームストロングを描いた『疑惑のチャンピオン』の公開はとてもタイミングが良かった。ベン・フォスターが演じるランス・アームストロングはいったいどんな感じに仕上がっているのか、はたしてタイラー・ハミルトンは出てくるのか、期待を込めて試写会に臨んだ。

「シークレット・レース ツール・ド・フランスの知られざる内幕」を読めば、ドーピングをやらなければまったく勝てない(勝てないどころか20位内にも入れない!)レースのシステムの中に放り込まれて、泣く泣くドーピングをやらなければならなくなる過程が痛いほど良くわかる。そのようなシステムの中でランス・アームストロングはミケーレ・フェラーリと云う怪しげな医師の協力を得て、一番頭良く立ち振る舞っただけだった。もしランス・アームストロングを責めるとすれば、悪賢く立ち振る舞ってレースで優勝して莫大な金を稼いだこともそうだけど、そう云ったことに手を染めざるを得なくなる状況をも同時に責めなければならないはずだ。

タイラー・ハミルトンは自分自身もドーピングに染まって行ってしまった当事者として、姑息な策略で他人を出し抜いてまでもレースの頂点を勝ち取ろうとするランス・アームストロングの人間性は非難していたけれども、彼もまたドーピング・システムの中に放り込まれてしまった被害者であることを一生懸命強調しようとしていたとおもう。「シークレット・レース ツール・ド・フランスの知られざる内幕」を読んでいて、内幕を暴いたルポルタージュであったとしても好印象を持ったのはその点があるからだった。

スティーブン・フリアーズの『疑惑のチャンピオン』は、短い時間でランス・アームストロングのドーピング疑惑を描かなければならない制約があるからだろうけど、彼もまた犠牲者であるとの配慮が少し欠けていたようにおもう。もちろんランス・アームストロングの過激な人間性を面白可笑しく描くことは映画として大切だ。でも、作り出された環境によってはどんな人間であったとしても誘惑に負けてしまう可能性があることを少しばかり加味して欲しかった。

シークレット・レース ツール・ド・フランスの知られざる内幕
タイラー・ハミルトン、ダニエル・コイル著
児島修訳
¥957
小学館文庫

→スティーブン・フリアーズ→ベン・フォスター→イギリス、フランス/2015→新宿明治安田生命ホール(試写会)→★★★

女性No.1

監督:ジョージ・スティーヴンス
出演:スペンサー・トレイシー、キャサリン・ヘプバーン、フェイ・ベインター、マイナー・ワトソン、レジナルド・オーウェン
原題:Woman of the Year
制作:アメリカ/1942
URL:
場所:シネマヴェーラ渋谷

スペンサー・トレイシーがキャサリン・ヘプバーンとはじめてコンビを組んだのがこの映画。

キャサリン・ヘプバーンの自伝「Me」を読むと『女性No.1』はスペンサー・トレイシーとキャサリン・ヘプバーンの二人にあてて書かれたものであることがわかる。『我は海の子』(1937)と『少年の町』(1938)で2年続けてアカデミー主演男優賞を受賞したスペンサー・トレイシーと『フィラデルフィア物語』(1940)が大ヒットしたキャサリン・ヘプバーンを組ませようと企画した映画だった。そして、そのキャサリン・ヘプバーンの自伝のスペンサー・トレイシーにあてた章を読むと「最初に共演したとき、私はすぐ思った。ああ、この人には抵抗できない。どうにもこうにも「抵抗できない」という感じだった。」と、すぐにスペンサー・トレイシーに夢中になったことが書かれてある。つまり、このあと25年もの関係が続くきっかけを作った映画でもあった。

そう考えてこの映画を見ると、最初は「へえ。おれたちふたりがうまくいくと思うかね? おれたち、かなり水と油じゃないかな」(自伝「Me」からスペンサー・トレイシーのキャサリン・ヘプバーンに対する最初の印象)だったのが次第に「ただ、これだけはいえると思う。もし私のことが好きでなかったら、彼は私のそばにいなかったろうということだ。」(同じく自伝からキャサリン・ヘプバーンのスペンサー・トレイシーに対する印象)に変わって行く過程が見えるような映画だった。ジョージ・スティーヴンスなのでちょっとメロドラマ調が鼻に付くのと、突然、家庭のことは何もできないキャサリン・ヘプバーンがスペンサー・トレイシーのために朝食を作ろうとしてハチャメチャになるマルクス・ブラザース風のコメディ調が入ったりと、いまいちバランスの悪い映画ではあるのだけれど、でも、二人の関係のはじまりを見る映画であることを考えると感慨深い映画ではあることは確かだった。

→ジョージ・スティーヴンス→スペンサー・トレイシー→アメリカ/1942→シネマヴェーラ渋谷谷→★★★☆

アダム氏とマダム

監督:ジョージ・キューカー
出演:スペンサー・トレイシー、キャサリン・ヘプバーン、ジュディ・ホリデイ、トム・イーウェル、デヴィッド・ウェイン
原題:Adam’s Rib
制作:アメリカ/1949
URL:
場所:シネマヴェーラ渋谷

スペンサー・トレイシーとキャサリン・ヘプバーンがコンビを組んだ映画は全部で9作品。

『女性No.1』Woman of the Year(1942、ジョージ・スティーヴンス監督)
『火の女』Keeper of the Flame(1942、ジョージ・キューカー監督)
『愛はなく』Without Love(1945、ハロルド・S・バックキット監督)
『大草原』The Sea of Grass(1947、エリア・カザン監督)
『愛の立候補宣言』State of the Union(1948、フランク・キャプラ監督)
『アダム氏とマダム』Adam’s Rib(1949、ジョージ・キューカー監督)
『パットとマイク』Pat and Mike(1952、ジョージ・キューカー監督)
『デスク・セット』Desk Set(1957、ウォルター・ラング監督)
『招かれざる客』Guess Who’s Coming to Dinner(1967、スタンリー・クレイマー監督)

この中で見たことがあるのは『愛の立候補宣言』『アダム氏とマダム』『招かれざる客』の3本だけ。もっと見たいけど、なかなか見ることのできない作品ばかりで、今回のシネマヴェーラ渋谷でのジョージ・キューカー特集上映でやっと『女性No.1』を観ることができることになった。出来ることなら『火の女』と『パットとマイク』も観たかったけど、たぶん、日本にプリントはないんだろうなあ。

で、『女性No.1』の併映と云うことで『アダム氏とマダム』を再見。やはりスペンサー・トレイシーとキャサリン・ヘプバーンのやりとりが楽しい! もうちょっとテンポがあったら良かったとおもうけど、それでも二人の魅力があふれんばかり。全9作品が収められたDVDのセットボックスとか出ないかなあ。買うのに。

この映画の脚本を書いたのは女優のルース・ゴードンだそうだ。そう、『ハロルドとモード 少年は虹を渡る』でバッド・コートと60歳以上離れたカップルを演じたあの女優だ!

→ジョージ・キューカー→スペンサー・トレイシー→アメリカ/1949→シネマヴェーラ渋谷谷→★★★☆

教授のおかしな妄想殺人

監督:ウディ・アレン
出演:エマ・ストーン、ホアキン・フェニックス、ジェイミー・ブラックリー、パーカー・ポージー、ソフィー・ヴォン・ヘイゼルバーグ、イーサン・フィリップス
原題:Irrational Man
制作:アメリカ/2015
URL:http://kyoju-mousou.com
場所:ユナイテッド・シネマウニクス南古谷

ウディ・アレンも80歳になって、はたして次の作品を撮ることができるのかどうかが心配になってくる歳だけれど、カンヌ映画祭では新作の『カフェ・ソサエティ』が上映されたのでひとまず安心。でも、もうカウントダウンになって来ているのは確かだ。

『教授のおかしな妄想殺人』はそのカウントダウンの一つとして観てしまったので、ロシアン・ルーレットや青酸カリに対して敏感に「死」そして「終了」を連想してしまったのだけれども、もともと神経症ぎみのウッディ・アレンにとっては自殺願望のある人物が出てくることは平常運転で、さしてそこにウディ・アレンの「遺書」的な映画として捉えることもなかった。とはいえ、主人公のホアキン・フェニックスにウディ・アレン自身が投影されていると考えると、80歳になってもコンスタントに映画を撮ることのできる恵まれた環境にありながらも生きる意味を見いだそうとしている姿に、そしてそれを求めるあまりに足をすくわれる不条理さに、またしてもウディ・アレンから教訓を得たような気がした。

これでエマ・ストーンとは連続して仕事をすることとなった。これもカウントダウンに関連しての話しになるけど、そんな若い女優にうつつを抜かさないで、最後にまたダイアン・キートンと仕事をしないかなあ。キャサリン・ヘップバーンがスペンサー・トレイシーと最後に一緒に仕事をしたみたいに。

→ウディ・アレン→エマ・ストーン→アメリカ/2015→ユナイテッド・シネマウニクス南古谷→★★★☆

満月の夜

監督:エリック・ロメール
出演:パスカル・オジェ、チェッキー・カリョ、ファブリス・ルキーニ、クリスチャン・バディム、ラズロ・サボ
原題:Les nuits de la pleine lune
制作:フランス/1984
URL:
場所:角川シネマ有楽町

エリック・ロメールの7本目は『緑の光線』に続いて相当に「めんどくさい女」が主人公の映画だった。でも今回は男たちも相当に「めんどくさい男」だし、主人公の「孤独」に対する考察にも納得できるものがあるし、全体的に当時の女と男の新しい在り方を提示しているような未来志向の映画にも見えたので、これはこれで充分に楽しめる映画になっていた。

今回の角川シネマ有楽町でのエリック・ロメール特集上映では8本の映画がかかり、そのうち『コレクションする女』を除いて7本の映画を観ることができた。どの映画も女と男の会話劇が中心となっているけど、そのバリエーションが驚くほど豊富で、それぞれが同じ傾向の映画にはまったく見えない。スタイリッシュで舌鋒鋭い『モード家の一夜』からゆるーい『レネットとミラベル 四つの冒険』まで、映画の最適な尺(と自分はおもっている!)である1時間30分から40分で楽しめるこれらエリック・ロメールの映画群をずっと観ていたい衝動に駆られる。もっと、DVDやBlu-rayのソフト化をしてくれないかな。

→エリック・ロメール→パスカル・オジェ→フランス/1984→角川シネマ有楽町→★★★☆

殿、利息でござる!

監督:中村義洋
出演:阿部サダヲ、瑛太、妻夫木聡、竹内結子、寺脇康文、千葉雄大、西村雅彦、きたろう、橋本一郎、中本賢、上田耕一、堀部圭亮、山本舞香、重岡大毅、羽生結弦、松田龍平、草笛光子、山崎努
制作:『殿、利息でござる!』製作委員会/2016
URL:http://tono-gozaru.jp
場所:丸の内ピカデリー2

本当はエリック・ロメールを観たかったけど、動員と云う名の付き合いで『殿、利息でござる!』を観る。

御上から搾取されている貧しい宿場町を救うために農民+商人たちが立ち上がり、その中でも裕福な有志がお金を出し合って、それを殿様に貸して、その利息を取って、宿場町の困窮を救うと云う実話に基づいたストーリーは面白いのだけれど、それをシナリオとしてまとめるときにあまりにもフツーと云うか、工夫がないと云うか、映画的な興奮がないと云うか。

少なくとも山崎努と阿部サダヲと妻夫木聡の親子関係が明らかになるくだりは、もうちょっとひとひねりもふたひねりもないと、そうだったのか!の快感がまったく湧かなかった。それに、ファーストシーンに持って来た山崎努と夜逃げする家族のエピソードは、途中で何かしら触れてくれないと、真実が明らかになった時の唐突感がはなはだしい。妻夫木聡の目のこともそうだけど、すべてのエピソードが羅列してあるだけで、その前後の繋がりが希薄すぎる。

俳優は、農民たちからの陳情を最終的に受け付ける出入司(財政担当者)を演じた松田龍平が素晴らしかった。あの冷たい演技は『野獣死すべし』の松田優作をおもいだした。

→中村義洋→阿部サダヲ→『殿、利息でござる!』製作委員会/2016→丸の内ピカデリー2→★★☆

レネットとミラベル 四つの冒険

監督:エリック・ロメール
出演:ジョエル・ミケル、ジェシカ・フォルド、フィリップ・ローデンバック、マリー・リヴィエール、ベアトリス・ロマン、ファブリス・ルキーニ
原題:Quatre Aventures de Reinette et Mirablle
制作:フランス/1986
URL:
場所:角川シネマ有楽町

ロメールの6本目は、今までの映画の中でも一番どーでも良い内容な映画だった。お嬢様キャラが入っている芸術家肌のレネットとクールな女子大生ミラベルとの、見るからにアンバランスな二人組がフランスの片田舎で出会ってからパリで一緒に住むようになる過程で起こるいろいろなエピソードは以下のような些細な事件ばかり。

・青い時間
レネットは、夜明け前の一瞬、完全に音のない世界になる「青い時間」をミラベルに見せようとする。
・カフェのボーイ
ミラベルと待ち合わせたモンパルナスのカフェで、レネットは融通の利かないボーイに出会う。
・物乞い、万引、ペテン師の女
ミラベルがパリの街中で、物乞い、万引、ペテン師の女に出会う。
・絵の販売
家賃の払えなくなったレネットがミラベルと共謀して自分の絵を画商に売りつける。

どれもこれも、どーでも良い話しばかりだけど、でもエリック・ロメールの映画って、このような取るに足らないようなエピソードを真正面から丁寧に描いているところに共感するのかも知れない。だって、女の子が自転車のパンク修理を完璧にこなしているシーンをしっかりと手順通りに見せている映画ってのはいったいどんな映画なんだよ。素晴らしすぎる。

→エリック・ロメール→ジョエル・ミケル→フランス/1986→角川シネマ有楽町→★★★★

緑の光線

監督:エリック・ロメール
出演:マリー・リヴィエール、リサ・エレディア、ヴァンサン・ゴーティエ、ベアトリス・ロマン
原題:Le Rayon Vert
制作:フランス/1986
URL:
場所:角川シネマ有楽町

エリック・ロメールの5本目の映画は、相当に「めんどくさい女」が主人公の映画だった。一人でいるのがイヤなくせにあいつとは一緒にいたくないだとか、こういうことをやったら良いんじゃない?との提案にそんなことはやりたくないだとか、ちょっと気に入らないことがあると「なんて可哀相な私」を演出して泣き出すとか、うーん、これは酷い、酷すぎる。この主人公には何も共感するところがない。最後、その「めんどくさい女」と付き合うことになって、一緒に「緑の光線」を見ることになる男に対して、おいおいその女でいいのかよ、とおもうしかなかった。

でも、『モード家の一夜』の宗教に支配された男の煮え切らなさ、『友だちの恋人』のちょっと内向的で繊細な感じ、『海辺のポーリーヌ』の解放感、『クレールの膝』のフェティシズムもどき、と来て、この『緑の光線』が来るのはバリエーションとしてベストだったのかもしれない。

それにしてもパリに住んでいる人たちにとっての、夏の長期休暇にバカンスにも行かずにそのままパリにいるのは恥ずかしい、と云う焦燥感を持つ残念さは、「周囲と同じことをする」安心感でみんなと同じ時にしか長期休暇を取れない日本人の残念さと似ているなあ。

→エリック・ロメール→マリー・リヴィエール→フランス/1986→角川シネマ有楽町→★★★☆