スティーブ・ジョブズ

監督:ダニー・ボイル
出演:マイケル・ファスベンダー、ケイト・ウィンスレット、セス・ローゲン、ジェフ・ダニエルズ、マイケル・スタールバーグ、キャサリン・ウォーターストン、パーラ・ヘイニー=ジャーディン、リプリー・ソーボ、マッケンジー・モス、サラ・スヌーク
原題:Steve Jobs
制作:アメリカ/2015
URL:http://stevejobsmovie.jp
場所:イオンシネマ春日部

伝記映画の場合、単純にその人の生涯をそのまま追いかけただけでは忙しないジェットコースタームービーになってしまうだけだ。だから、一つのテクニックとして、その人の生涯の中で一番重要な出来事にだけにスポットライトを当てて、そこに回想を盛り込んで行く方法を取る場合がある。その方法のほうが、なんとなく、伝記映画として体をなすような気がする。

ダニー・ボイルの『スティーブ・ジョブズ』は、MacintoshとNeXTとiMacの製品発表会がはじまる数時間前だけにスポットライトを当てて、そこに過去の出来事の回想を盛り込んで行く形をとっている。ジョブズにとって、たしかにその3つの製品発表会は、彼の人生に於てもとても重要なイベントのような気もするけれど、その製品発表会そのものは描かないで、その壇上に立つ前の数時間だけに限定している構成にはとてもびっくりした。それも、主に登場するのはスティーブ・ウォズニアック、ジョン・スカリー、ジョアンナ・ホフマン、アンディ・ハーツフェルド、クリスアン・ブレナン&リサだけで、ジョブズと彼らの会話劇だけでドラマを進めている部分にも、おお、チャレンジャー! と感嘆せざるを得なかった。

これではもちろん「事実(と云われているもの)」を忠実に描いたことにはならないわけだけど、うまく「事実」のエッセンスを抽出して、それを再構成して、スティーブ・ジョブズの人物像を浮かび上がらせていることには成功していたとおもう。そんなダニー・ボイルの手腕にもびっくりした。

スティーブ・ジョブズがジョン・スカリーに云ったとされる有名な「このまま一生、砂糖水を売りつづけるのか、それとも世界を変えるチャンスをつかみたいか」のセリフが出て来そうで出て来ないし、ジョブズの不可能を可能であると信じさせてしまう能力を指した「現実歪曲フィールド」を堂々とセリフに登場させたり、Appleの歴史の中では注目もされずに忘れ去られたデバイスでしかないけど今でもファンの多数いるNewtonをわざとクローズアップさせたりと、何もかもが定石通りに作らない伝記映画としてなかなか楽しめる映画となっていた。万人に受ける映画とはまったくおもえないけど。

→ダニー・ボイル→マイケル・ファスベンダー→アメリカ/2015→イオンシネマ春日部→★★★☆

ボーダーライン

監督:ドゥニ・ヴィルヌーヴ
出演:エミリー・ブラント、ベニチオ・デル・トロ、ジョシュ・ブローリン、ジョン・バーンサル、ダニエル・カルーヤ、マキシミリアーノ・ヘルナンデス、ジェフリー・ドノヴァン
原題:Sicario
制作:アメリカ/2015
URL:http://border-line.jp
場所:角川シネマ有楽町

いま一番好きな監督は誰かと聞かれれば、真っ先にドゥニ・ヴィルヌーヴと答えるとおもう。だから、いつもはずるずるとして公開後すぐには見に行かないのに、この映画だけはさっそく観に行った。

70年代から80年代にかけて、中南米の政情不安定な国の裏側でアメリカのCIAが暗躍する映画が多数作られた。そこに巻き込まれる民間人や律義な軍人、役人などに焦点を当てて、正義とはいったいどこにあるのか? と問う映画がたくさん作られて、そんなジャンルの映画群が大好きだった。『戒厳令』『アンダー・ファイア』『サルバドル/遥かなる日々』とか。おそらくは、きれい事だけでは済まされない人間の世界の摂理がクローズアップされていてる部分に共感して、ありきたりで表面的な正義感だけの御託ばかりを並べているうすっぺらな人間の鼻柱をへし折っているような爽快感があったからだろうとおもう。

この映画ではエミリー・ブラントが正式な捜査手順を重んじる実直なFBI捜査官を演じていて、麻薬組織の大ボスを検挙するために上層部から命じられて国防総省のチーム(実際にはCIA)に加わるうちに、そこで行われている違法行為を隠すためだけに自分たちが参加させられ、利用されていることがわかって来る。

その国防総省のチームの中に、見るからに得体の知れない怪しげなベニチオ・デル・トロがいた。最初はただの脇役とおもっていた彼がどんどんと映画の中心に躍り出てきて、最後には完全に彼が主役となってしまったのにはびっくりした! 妻と娘を凄惨な方法で殺されて、その復讐のためには法を犯すことも厭わず、関係のない人間が巻き込まれて死ぬことにも良心が咎めることもなく、気持ちの良いくらいの一途な復讐心のみが絶対的な行動原理となって、人間としてあるべき姿の「ボーダーライン」を軽く超えてしまったそのベニチオ・デル・トロがなんともかっこよかった。麻薬組織の大ボスと家族を殺し終えたあと、夕暮れ時の薄日を背中から受けて、仰角からあおり気味で捉える彼のクローズアップは、ちょっと『セブン』のブラッド・ピットにさえも見えてしまった。

最後、FBI捜査官のエミリー・ブラントは、麻薬組織の大ボスと家族を殺害した一連の作戦をFBIの監視下のもとに行ったこととする書類(のようなものだとおもう)にサインさせられる。違法を許さないエミリー・ブラントはそれを頑なに拒否するが、ベニチオ・デル・トロによって喉元に拳銃を突きつけられて、自分の信念を曲げさせられてサインせざるを得なくなる。この二人が対峙するシーンの息の詰まるような緊迫感が凄かった。ついにサインをしてしまったエミリー・ブラントは、ベニチオ・デル・トロと同じように人としての「ボーダーライン」を超えてしまう。

このシーンのみならず、映画のはじまりに展開する麻薬組織の部屋に潜入して多数のビニールを被った死体を発見するシーンから、アメリカとの国境に近いメキシコの街フアレス(シウダード・ファレス)に潜入するシーン、ベニチオ・デル・トロが麻薬組織の大ボスの豪邸に潜入して家族の食卓に同席するシーンなど、そのすべてにおいて緊迫感が凄い。演出ドゥニ・ヴィルヌーヴ&撮影ロジャー・ディーキンスのとても素晴らしい仕事だ。

それにしても、いったいアメリカとメキシコの国境付近はいったいどうなってしまっているんだろう? イラクやシリアとまったく変わりがない。この映画を観たあとに、ちょうどタイムリーに「メキシコ麻薬戦争」(ヨアン・グリロ著、山本昭代訳/現代企画室)の情報がTwitterに流れてきた。読んでみようとおもう。

→ドゥニ・ヴィルヌーヴ→エミリー・ブラント→アメリカ/2015→角川シネマ有楽町→★★★★

ルーム

監督:レニー・エイブラハムソン
出演:ブリー・ラーソン、ジェイコブ・トレンブレイ、ジョアン・アレン、ウィリアム・H・メイシー、ミーガン・パーク、ショーン・ブリジャース、キャス・アンヴァー、アマンダ・ブルジェル、ジョー・ピングー、トム・マッカムス
原題:Room
制作:カナダ、アイルランド/2015
URL:http://gaga.ne.jp/room/
場所:ユナイテッド・シネマとしまえん

ブリー・ラーソンがこの映画でアカデミー主演女優賞を獲った。主演女優賞が獲れるのは、純粋に演技の技量だけで獲るわけではなくて、アカデミー会員内の人気や駆け引きやロビー活動などが大きく左右するのは分かっているけれど、やっぱり納得がいかない場合が多い。この映画のブリー・ラーソンが主演女優賞に値するかと云えば、うーん、どうなんだろう? 完全に子役のジェイコブ・トレンブレイに食われてしまっている。ブリー・ラーソンの演技はジェイコブ・トレンブレイの演技がなければまったく引き立たないくらいに子供の演技に依存してしまっている。なのに、アカデミー主演女優賞と云うのはやっぱり納得が行かない。演技の技量だけで云うなら『キャロル』のケイト・ブランシェットには遠く及ばない。

この映画は、まずは宣伝されている内容に引きずられて、監禁された親子が捕らわれの身から脱出するところに目が行きがちだ。でも、実際に観てみるとPTSDに苦しみながらも日常を取り戻して行く親子の姿にも多くの時間を割いていた。そしてそのPTSDとは、脱出後に取材を受けたブリー・ラーソンがテレビのインタビュアーから投げ掛けられた2つの質問の内容に大きく集約しているんじゃないかとおもう。

・必死に逃げようとしたのか?
・息子に父親は誰なのかを説明するのか?

この2つの質問を自分の中でどのように折り合いをつけるのかがPTSDを克服する一つの道筋で、そこにブリー・ラーソンの演技の技量が求められるとはおもうのだけれど、あまりにもその描写があっさりとしすぎていた。他に父親役のウィリアム・H・メイシーが娘、そして孫に嫌悪を示してしまう部分など、それに呼応したブリー・ラーソンの繊細な演技も欲しかった。そんな演技で唸ってこそアカデミー主演女優賞だったのに。

子役のジェイコブ・トレンブレイは素晴らしかった。捕らわれの身から脱出しようとして、ピックアップトラックの荷台から空を見上げるときの解放感と云ったら!

→レニー・エイブラハムソン→ブリー・ラーソン→カナダ、アイルランド/2015→ユナイテッド・シネマとしまえん→★★★

東京マダムと大阪夫人

監督:川島雄三
出演:三橋達也、月丘夢路、大坂志郎、水原真知子、坂本武、芦川いづみ、稲川忠完、高橋貞二、毛利菊枝、奈良真養、滝川美津枝、北原三枝、多々良純、丹下キヨ子、小藤田正一、竹田法一、桜むつ子、草香田鶴子、槙芙佐子、高橋とよ
制作:松竹/1953
URL:
場所:フィルムセンター

川島雄三の映画をすべてコンプリートすべく、ちょこちょこと特集上映やCS放送で拾って、やっとこの『東京マダムと大阪夫人』で51本中25本目。まだまだ志し半ば。まあ、レンタルDVDなどで一気に見ようとおもえば出来るんだけど、気が付いたら拾って行くことを主義としているので、いつコンプリートできるのやら。

川島雄三のコメディには非道いものもあって、まったく笑えないものもあるけれど、『東京マダムと大阪夫人』は大当たりだった。同じ会社の社員住宅地に住む月丘夢路の「東京マダム」と水原真知子の「大阪夫人」の意地の張り合いを軸に、それぞれの夫(三橋達也と大坂志郎)のニューヨーク支店栄転競争、「大阪夫人」の弟の高橋貞二をめぐった「東京マダム」の妹の芦川いづみと会社専務の娘の北原三枝との「恋のさやあて」問題などがテンポよく渾然一体となってストーリーが形成されていて、そこに人事部長の妻の丹下キヨ子をリーダー格とした同じ社員住宅地内の主婦連中がガアガアくちばしを突っ込む(この住宅地を俗に「あひるが丘」と云って、じっさいに住宅地内の池であひるも飼われていて、そのあひるの声が主婦連中のおしゃべりに被るのが最高!)タイミングも抜群に、最後はめでたく「東京マダム」と「大阪夫人」の手打ち、潔く身を引いた北原三枝によって高橋貞二と芦川いづみの恋愛成就と相成って、人事部長は九州に飛ばされ、丹下キヨ子の代わりに高橋豊子(とよ)が登場して、あいかわずの主婦連中のガアガアで幕、と最初から最後まで大笑いだった。このテンポの良い笑いの「間」は今の笑いにも通ずる普遍的な笑いだなあ。

芦川いづみはこの『東京マダムと大阪夫人』がデビュー作だそうだ。若い、可愛い!

→川島雄三→三橋達也→松竹/1953→フィルムセンター→★★★★

リップヴァンウィンクルの花嫁

監督:岩井俊二
出演:黒木華、綾野剛、Cocco、原日出子、地曵豪、和田聰宏、毬谷友子、佐生有語、夏目ナナ、金田明夫、りりィ、野間口徹、野田洋次郎、紀里谷和明
制作:ロックウェルアイズ/2016
URL:http://rvw-bride.com
場所:池袋HUMAXシネマズ

岩井俊二が、最近あっちこっちにひっぱりだこの黒木華をフィーチャリングした映画を撮った。それも3時間の映画だ! 普通に考えれば、映画館での上映回数なども考えて2時間くらいの映画にするような題材を3時間もの長尺で撮ってしまうところがやっぱり岩井俊二だった。やりたい邦題できるのは、それだけ岩井俊二ブランドが確立しているからなのか。

3時間もの長さで、いろんな角度から黒木華の表情をカメラに収めた映画だった。それも教師→花嫁→喪服→メイドと、めくるめくコスチュームプレイをさせて、そのそれぞれでとことん黒木華をいじめ抜き、その窮地に陥った表情を余すことなく撮ると云う岩井俊二のサド気質満開の映画だった。これは『夏至物語』の白石美樹、『PiCNiC』のCHARA、『四月物語』の松たか子の系譜に連なる映画で、それを岩井俊二ブランドが確立した今、やりたい放題に突き詰めた映画だった。

じゃあ、そんな映画が面白いのか? 岩井俊二ブランド好きにはたまらない映画だった。3時間なんて、あっと云う間だった。でも、岩井俊二ブランドが好きではない人にとっては、まあ、とことん鼻に付く映画だろうなあ。

東京のあっちこっちを自転車で走る身にとって、それぞれのロケ場所が、あれ? 見たことあるなあ、だった。ネットで調べたり、メイキングビデオを見て、その場所を突き止めて見た。もしかすると「アルマリアンTOKYO」と「アンジェリオン オ プラザ TOKYO」は逆かも知れない。でも、疑似家族が一緒に帰るシーンは東京駅付近に見えたので、重婚結婚式場は「アンジェリオン オ プラザ TOKYO」じゃないかと。

●皆川七海が派遣教員として教える高校→那須高原海城高等学校多摩キャンパス(多摩市)
●皆川七海と鶴岡鉄也の結婚式場→アルマリアンTOKYO(池袋)
●皆川七海が家から放り出されキャリーバックを引きながらさまようところ→鶴見川河口付近
●皆川七海が働くビジネスホテル→ホテル末広(西蒲田)
●重婚結婚式場→アンジェリオン オ プラザ TOKYO(京橋)
●里中真白の住む豪邸→アルベルゴバンブー(箱根)

→岩井俊二→黒木華→ロックウェルアイズ/2016→池袋HUMAXシネマズ→★★★★

幸せをつかむ歌

監督:ジョナサン・デミ
出演:メリル・ストリープ、ケビン・クライン、メイミー・ガマー、オードラ・マクドナルド、セバスチャン・スタン、リック・スプリングフィールド
原題:Ricki and the Flash
制作:アメリカ/2015
URL:http://www.shiawase-uta.jp
場所:ヒューマントラストシネマ有楽町

メリル・ストリープの演技を見るだけで、自分にとっては『ディア・ハンター』以来の彼女のすべての出演作が重々しく乗っかってきて、胃もたれを起こしてゲップが出そうになる。それは絶えず主役をはることができて、なおかつ演技の巧い俳優だからこそ起こる弊害のひとつだ。だから最近はあまりメリル・ストリープの映画を積極的に選ぶことがなくなってしまったのだけれど、今回はジョナサン・デミの映画だし、なぜか話題にもなっていないので見てみた。

ファーストシーンからやっぱりメリル・ストリープだった。実際にギターも弾いて歌も唄っているさすがのメリル・ストリープなんだけど、そう云う非の打ち所のないところが今となっては鼻に付いちゃうんだよなあとおもいながら見ていると、そこに実際の娘のメイミー・ガマーが出て来た。どことなく似ている二人の横からカメラが寄ると、そっくりな鼻筋のラインが奇麗に並んで、そこに母から娘への遺伝子の継承を見てしまった。はたしてその遺伝子には演技の巧さや俳優としての成功も含まれているのか? いや、ハリウッドの長い歴史の中でも娘が成功している例は限りなく少ないよなあ、なんて映画とは関係のないところにおもいを巡らせてしまった。娘にステップアップの機会を与えるべく奮闘する母の姿に感動しつつ、その偉大な母の存在に絶えず晒されている娘が果敢にも母との共演を選んだことによって今後も女優として生きて行く覚悟を見たりして、メリル・ストリープの唄うブルース・スプリングスティーンの「My love will not let you down(俺の愛はおまえをがっかりさせない)」に涙するのでした。

メリル・ストリープの演技の巧さにうんざりだなんて贅沢なことを云ってしまっているけど、スクリーンに老醜をさらけ出す(特に膝が汚い!)メリル・ストリープはやっぱりさすがだ。ザ・女優だ。

→ジョナサン・デミ→メリル・ストリープ→アメリカ/2015→ヒューマントラストシネマ有楽町→★★★☆

あやつり糸の世界

監督:ライナー・ベルナー・ファスビンダー
出演:クラウス・レービッチェ、マーシャ・ラベン、カール=ハインツ・フォスゲラウ、アドリアン・ホーフェン、バルバラ・バレンティン、ギュンター・ランプレヒト、ボルフガング・シェンク、マルギット・カルステンセン、ウーリー・ロメル、ヨアヒム・ハンセン、クルト・ラーブ、ゴットフリート・ヨーン、エル・ヘディ・ベン・サレム、イングリット・カーフェン、
原題:Welt am Draht
制作:西ドイツ/1973
URL:http://www.ivc-tokyo.co.jp/ayatsuri/
場所:ユーロスペース

60年代や70年代に作られたSF映画を見ると、当時の考えられ得る予見で持って未来世界を構築しているのだけれど、今から見ればそれがあらぬ方向にズレていることがわかってしまって、それは主に工業デザインやファッションのことなんだけど、そのズレ方がビミョーに面白可笑しく、不思議な郷愁さえも感じられてしまって、変なところをくすぐられる感覚がとても楽しい。たとえば、ジョセフ・サージェント監督の『地球爆破作戦』(1970)とか、大好き。

ファスビンダーの『あやつり糸の世界』もどちらかと云うとその類いに属する映画だったけど、でも、ストーリーのベースとなっている現実世界とヴァーチャルな世界との関係はとても普遍的で哲学的なテーマなので、例えその未来世界のビジュアルが陳腐であったとしてもそこに可笑しさを見い出すことはまったくなくて、どちらかと云うとその後のVFXを使った『マトリックス』や『インセプション』と比べても内容的にはまったく遜色がなく、いや、遜色ないどころか1973年に同じような映画をすでに作っていたこと自体に驚くばかりだった。さすがのファスビンダー。ラストも『インセプション』のラストシーンと同じような余韻が残る。いったいこれは現実なのかヴァーチャルなのか?

まあ、出てくる女優たちのメイクやファッションがロジェ・ヴァディム『バーバレラ』(1968)的な感覚の一歩手前で、どれもこれもが70年代の安っぽさを兼ね備えているところがちょっと笑えるけどね。

→ライナー・ベルナー・ファスビンダー→クラウス・レービッチェ→西ドイツ/1973→ユーロスペース→★★★★

マネー・ショート 華麗なる大逆転

監督:アダム・マッケイ
出演:クリスチャン・ベール、スティーヴ・カレル、ライアン・ゴズリング、ブラッド・ピット、カレン・ギラン、メリッサ・レオ、マリサ・トメイ、トレイシー・レッツ、ハミッシュ・リンクレイター、ジョン・マガロ、スタンリー・ワン、バイロン・マン、レイフ・スポール、ジェレミー・ストロング、フィン・ウィットロック、マックス・グリーンフィールド
原題:The Big Short
制作:アメリカ/2015
URL:http://www.moneyshort.jp
場所:109シネマズ菖蒲

この映画は、アメリカで2007年ごろに起きたサブプライムローン(返済能力の低い人たちに住宅を担保として高利で貸し付けた住宅ローン)問題に関連したストーリーであることはわかっていたので、理解するのに一苦労するだろうな、とはおもいながら果敢に挑戦した。

金融関係の知識がないと、まずは原題の「Short」の意味する「空売り」がよくわからない。この映画は「空売り」をストーリーの中心に据えているので、その「空売り」の意味がわからないと致命傷だった。いや、今まで蓄えて来た知識の範囲内で何となく「空売り」の意味はわかる。おそらく「持っていないものを売る」ことだろう。いわゆる「信用売り」のことで、今持ってなくても必ず後から手に入れられると云う信用があることからこそ出来る売り方であることはなんとなく想像がついた。でも、それを行うことによって莫大なお金を手に入れるしくみが映画を見ている最中にはよくわからなかった。だから、見終わったあとに一生懸命調べた。

この映画には3つのグループが登場する。クリスチャン・ベールのヘッジファンドと、ライアン・ゴズリングとスティーヴ・カレルが絡むドイツ銀行&モルガン・スタンレーの子会社のチーム、そしてブラッド・ピットの投資家と若手二人のトレーダーのチームの3つ。この3つは、横の繋がりが無くても同時発生的にサブプライムローン関連の証券を元にして儲ける方法に気が付く。

サブプライムローン関連の証券とは、サブプライムローンも含んだ住宅ローンをいっぱい集めて巨大なプールを作って、住宅を買った人からの返済金額を切り分けて、資金返済の優先度の高いグループ(「シニア債」と呼ぶらしい)、その次の優先度の高いグループ(「メザニン債」と呼ぶらしい)、そして最後の優先度の低いグループ(「ジュニア債」と呼ぶらしい)と切り分けて証券化したものを指す。この細分化された一つ一つをトランシェと呼ぶらしい。資金返済の優先度の高い「シニア債(優先債)」のトランシェは債務不履行(デフォルト)になりやすいけれど、ちゃんと返済が行われれば証券を買った人へのリターンが高いくなる、というしくみで、反対に「ジュニア債(劣後債)」のトランシェはローリスク・ローリターンになる。

たとえば3つのグループの中のクリスチャン・ベールが演じているマイケル・バーリを例に取ると、彼は完全にサブプライムローンが破綻することを見通して、そのトランシェの中でもハイリスクの「シニア債(優先債)」や「メザニン債」のCDS(クレジット・デフォルト・スワップ)を大量に買い集める。

CDSとは、証券化商品を持っている人がリスクを回避のために買う保険のようなもので、このCDSを購入し、毎年保険料をしっかりと支払っていれば、もし住宅ローンがは債務不履行(デフォルト)に陥ってもその債券の額面をしっかりと受け取れるというものだ。

マイケル・バーリのもくろみは、大量のCDSを買い増し続けて、さらに多額の保険料を支払い続けたとしても、サブプライムローンが破綻すればその債券の額面通りの金額が大量に入って来る(または、CDS自体の価格が上昇し、その売却で大量の利益が出る)と云うものだった。そのもくろみをまったく理解できないファンドの出資者たちからは「なんでCDSなんかを買うんだ!」と不満が続出し、「解約は許さない」と云うマイケル・バーリのメールに対して罵詈雑言の返信を送り付けるほど誰もがサブプライムローンを信用していた。

このようなCDSに関連した儲けの流れを理解したとしても、これのどこが「空売り」なんだろう、とまずはおもった。CDSを買い続けることがなぜ「空売り」になるんだろうと頭が混乱してしまった。でも、いろいろと調べると、もう「空売り」=「信用売り」ではないらしい。その意味合いも残っているのかもしれないけれど、この映画の「Short」とは、相場が下がる気配がまったく無い段階で下がることを見越して大博打に出ることを指すらしい。サブプライムローンが破綻して下げ相場に転じることを見越して関連証券を大量に買うこと自体が「空売り」を意味していたのだった。

他の2つのグループの「空売り」も基本的にはマイケル・バーリの「空売り」と同じようにCDSを購入して行くことだった。ただ、他の2つのグループが実際に体を動かしていろいと情報をかき集めているのに対して、クリスチャン・ベールのマイケル・バーリは部屋に閉じこもって、デスメタルをガンガンとかけているだけなのが対照的だった。さらにスティーヴ・カレルやブラッド・ピットが、本家のモルガン・スタンレーに多大な債務を負わせることや家を失って路頭に迷う人たちがいることに対して良心を嘖まれる描写があるのに対して、クリスチャン・ベールのマイケル・バーリにはそのような偽善的な描写がまったくなくてクールさだけが際立っているところがカッコよかった。

映画を見ている最中には、この「空売り」「トランシェ」「CDS」やさらに「CDO(債務担保証券)」なんてものも出てきて、その内容がまったく理解できなかったので映画の内容を充分と楽しんでいるとはまったく云えなかった。でも、サブプライムローンに関連して儲けたやつら、とだけを理解して映画を見たとしても充分に面白かった。さらに内容も理解できていれば、めちゃくちゃ面白い映画だったとおもう。

→アダム・マッケイ→クリスチャン・ベール→アメリカ/2015→109シネマズ菖蒲→★★★★

家族はつらいよ

監督:山田洋次
出演:橋爪功、吉行和子、西村雅彦、夏川結衣、中嶋朋子、林家正蔵、妻夫木聡、蒼井優、小林稔侍、風吹ジュン、中村鷹之資、丸山歩夢、笹野高史、木場勝己、徳永ゆうき、北山雅康、笑福亭鶴瓶
制作:「家族はつらいよ」制作委員会/2016
URL:http://kazoku-tsuraiyo.jp
場所:109シネマズ木場

山田洋次のコメディを久しぶりに観た。

「笑い」と云うものにはいつの時代でも笑える不変な「笑い」もあるし、その時代にしか笑えない一過性の「笑い」もある。山田洋次の撮った『男はつらいよ』の茶の間の喧嘩のシーンは、いつの時代でも笑える不変な「笑い」の代表格と云っても良いとおもう。そんな不変な「笑い」を期待して『家族はつらいよ』を観に行ったら、これがまったく笑えなかった。階段でコケる橋爪功にも、当人の前で悪口を云ってしまう夏川結衣にも、恥ずかしげもなく「どうもすいません」と云う林家正蔵にも、抱きあう妻夫木聡と蒼井優にコーヒーを持って行ってしまう笹野高史にも、すべてが不変な「笑い」のショーケースのようにも見えるけど、やはりそのような古典的な「笑い」であっても「間」が悪ければすべてが台無しになってしまうんだなあと改めて確認するような映画になってしまっていた。

笑えなかったけど、そこは山田洋次の映画なのでそれなりに楽しめる。でも、笑いたかった。

→山田洋次→橋爪功→「家族はつらいよ」制作委員会/2016→109シネマズ木場→★★★

ヘイトフル・エイト

監督:クエンティン・タランティーノ
出演:サミュエル・L・ジャクソン、カート・ラッセル、ジェニファー・ジェイソン・リー、ウォルトン・ゴギンズ、デミアン・ビチル、ティム・ロス、マイケル・マドセン、ブルース・ダーン、ジェームズ・パークス、デイナ・グーリエ、ゾーイ・ベル、リー・ホースリー、ジーン・ジョーンズ、キース・ジェファーソン、クレイグ・スターク、ベリンダ・オウィーノ、チャニング・テイタム
原題:The Hateful Eight
制作:アメリカ/2015
URL:http://gaga.ne.jp/hateful8/top/
場所:109シネマズ木場

タランティーノの映画は、まずはタランティーノ自身の楽しんでいることが伝わってくるところが素晴らしい。次に、その楽しんでいる部分が他の映画からのマニアックな引用なところ。最後に、その使っている音楽のセンスの良さ。この3点セットで、無条件にタランティーノの映画を認めてしまう。

『ヘイトフル・エイト』は、なぜか、この3点がどれも微妙に緩かった。それは公開前に脚本が流出してしまってタランティーノのテンションが落ちてしまっためか。それともタランティーノが巨万の富を得たためにアグレッシブさが無くなってしまったためか。

とは云え、タランティーノ好きには充分に楽しめる映画だった。特にジェニファー・ジェイソン・リー! 彼女の手鼻、つば吐き、血みどろ演技を見られただけでも『ヘイトフル・エイト』を認めてしまう。

映画の第1章「レッドロックの駅馬車」で、駅馬車の中からサミュエル・L・ジャクソンを見るジェニファー・ジェイソン・リーのショットが、二つの窓のあいだの木枠を顔の中心にして、両目を左右の二つの窓に添える構図にゾクッと来た。これは1966年のマリオ・バーヴァの映画『呪いの館』からじゃないか!(昔のキネ旬のどなたかのコラムで『呪いの館』のこのシーンに触れてた事を異様に憶えている) この細かな引用がタランティーノだ。

BAVA - KBK

→クエンティン・タランティーノ→サミュエル・L・ジャクソン→アメリカ/2015→109シネマズ木場→★★★☆