バケモノの子

監督:細田守
声:役所広司、宮崎あおい、染谷将太、広瀬すず、山路和弘、宮野真守、山口勝平、長塚圭史、麻生久美子、黒木華、諸星すみれ、大野百花、津川雅彦、リリー・フランキー、大泉洋
制作:スタジオ地図/2015
URL:http://www.bakemono-no-ko.jp/index.html
場所:109シネマズ木場

細田守監督の前作『おおかみこどもの雨と雪』にイマイチ乗れなくて、さらにその前作の『サマーウォーズ』の批評をあとからいろいろと読んでいくうちに、もしかすると『サマーウォーズ』を面白く感じたのは作品の持っていた勢いだけで楽しんでしまった結果だけではなかったのかと考えるようになってしまった。『サマーウォーズ』のテレビ放映を確認しても、

このような指摘ばかりに目が行ってしまって、能天気に楽しんでいた初見の時とはまったく様相が変わってしまった。

そんな不安な心持ちで今回の『バケモノの子』に臨んだものだから、作品をしっかりと検証するような形で鑑賞する結果となってしまった。

細田守監督の作品はクライマックスがとても楽しい。『サマーウォーズ』の「おねがいしま〜〜〜〜す!」が象徴するように、映画のすべてをその1点に集約させて行くかのような作りになっているので、まるでゲームのボスキャラを倒すような快感は映画観賞後にあとを引いてとても気持ちいい。でも、そこへ至る過程の、クライマックスを否が応でも盛り上げるための設定がちょっと粗くなってしまって、その設定だけをクローズアップさせてしまうと、先の批判のような気持ちの悪さだけが目立ってしまう。『サマーウォーズ』は『時をかける少女』よりも世界が広がったぶん、それが顕著になってしまったんだとおもう。

『おおかみこどもの雨と雪』にイマイチ乗れなかったのは、『時をかける少女』や『サマーウォーズ』ほどのクライマックスを重視する作品ではなかったのに、やっぱり設定の粗さがあったからではないかとおもう。「花」が「おおかみおとこ」との子供をすぐ作っちゃうことも気になるし、産まれた「狼の子」を普通の人間の生活の場に置くのも気になりっぱなしだったし。

それでは今回の『バケモノの子』はどうだったのか。

『サマーウォーズ』と同じようにクライマックスを重視する映画ではあったけれども、展開される世界がコンパクトであったために、今回はそんなに破綻しているようには見えなかった。疑似的父子関係や自分自身との対決を描くための用意も粗いとはおもえなかったし、サブキャラクターとの関係もすんなりと受け入れられるものだった。ただ、やっぱり、細田守が描く女の子のキャラクターは、男の目線から見た都合の良い女と云われてもしかたがないよなあ。白い丸っこい小さい生物のキャラクターもいらないし。

→細田守→(声)役所広司→スタジオ地図/2015→109シネマズ木場→★★★☆

アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン

監督:ジョス・ウェドン
出演:ロバート・ダウニー・Jr、クリス・ヘムズワース、マーク・ラファロ、クリス・エヴァンス、スカーレット・ヨハンソン、ジェレミー・レナー、ドン・チードル、アーロン・テイラー=ジョンソン、エリザベス・オルセン、ポール・ベタニー、コビー・スマルダーズ、アンソニー・マッキー、ヘイリー・アトウェル、イドリス・エルバ、リンダ・カーデリーニ、ステラン・スカルスガルド、キム・スヒョン、トーマス・クレッチマン、ジェームズ・スペイダー、サミュエル・L・ジャクソン
原題:Avengers: Age of Ultron
制作:アメリカ/2015
URL:http://marvel.disney.co.jp/movie/avengers.html
場所:109シネマズ木場

『アベンジャーズ』第1作のエンドクレジットにサノス(マーベルコミックスに登場するキャラクター)が出て来たので、『アベンジャーズ』第2作にそのサノスがヴィラン(悪役)として登場することを期待したのだけれど、結局はスーパーヴィランが「フェイズ2」に登場するのにはまだ早く、トニー・スタークが作り出したウルトロン(原作コミックの設定ではアントマンことハンク・ピム博士が作ったらしい)がさらに作り出したヴィジョンの登場がこの映画のメインとなった。

で、そのヴィジョンの額には、ロキの杖にあったマインド・ストーンがはめ込まれていた。もし、原作通りに進むのならばサノスは6つのインフィニティ・ストーン(インフィニティ・ジェム)を集めてインフィニティ・ガントレットを作り出すわけだから、次の「フェイズ3」ではヴィジョンとサノスの対決が重要な鍵となって行くのではないか。という流れから云ってもこの「フェイズ2」は『スター・ウォーズ』に対する『帝国の逆襲』のごとく、どことなく中継ぎ感満載だった。

WOWOWの番組表を眺めていたら『アベンジャーズ』のスピンオフドラマ「エージェント・オブ・シールド シーズン2」の宣伝が目に付いた。それに合わせてシーズン1も一気に放映されるようだ。そこではロキによって殺されたとおもわれたコールソンが活躍しているらしい。S.H.I.E.L.D.とヒドラとの関係も取り沙汰されるらしい。見てみよう。

→ジョス・ウェドン→ロバート・ダウニー・Jr→アメリカ/2015→109シネマズ木場→★★★

マッドマックス 怒りのデス・ロード

監督:ジョージ・ミラー
出演:トム・ハーディ、シャーリーズ・セロン、ニコラス・ホルト、ヒュー・キース・バーン、ロージー・ハンティントン=ホワイトリー、ゾーイ・クラヴィッツ、ライリー・キーオ、アビー・リー・カーショウ、コートニー・イートン、ネイサン・ジョーンズ
原題:Mad Max: Fury Road
制作:オーストラリア、アメリカ/2015
URL:http://wwws.warnerbros.co.jp/madmaxfuryroad/
場所:109シネマズ木場

『マッドマックス』の第1作目が公開された時の衝撃はすさまじかった。転倒したバイクから放り出された人間の頭に他のバイクの車輪が「グギッ!」って当たるシーンが予告編で使われていて、あのスタントマンは死んだんだぜ、と云う噂がまことしやかに伝播して、まだまだウブだった高校生の自分はドキドキしながらその映画を見たものだった。そのような体当たりの派手なアクションシーンに加えて、オーストラリア大陸の赤茶けた広大な大地がさらに異様さを助長して、見るからに血も涙もない、人の感情も乾き切ったように見える映像もとても斬新だった。

あれから36年も経って、久しぶりに『マッドマックス』が帰ってきた。今回の予告編もまた秀逸だった。見るからに1作目を彷彿とさせるような赤茶けたオーストラリア大陸を前面にフューチャーして、そこで繰り広げられる切れ味鋭いアクションシーンは1作目の興奮が帰って来たようだった。実際に本編を見ても、予告編で植え付けられた期待を裏切られることはなく、ちょっとデヴィッド・リンチの『砂の惑星』を思い起こさせるようなグロテスクな悪役たちがさらに不気味さで盛り上げて、前進するクルマ同士の、直線上の限られたシチュエーションの中で展開されるアイデア溢れるアクションシーンの連続にまったく飽きることはなかった。ただ、あまりにもVFXに目が肥えてしまったために、1作目の時のようなウブな興奮がなくなってしまったのが悲しいのだけれど。それに、もうちょっとマッドマックス自身の背景に突っ込んだほうが良かったのかなあ。マッドマックスがあまりにも脇役過ぎた。

→ジョージ・ミラー→トム・ハーディ→オーストラリア、アメリカ/2015→109シネマズ木場→★★★☆

海街diary

監督:是枝裕和
出演:綾瀬はるか、長澤まさみ、夏帆、広瀬すず、大竹しのぶ、堤真一、加瀬亮、風吹ジュン、リリー・フランキー、前田旺志郎、鈴木亮平、池田貴史、坂口健太郎、キムラ緑子、樹木希林、中村優子
制作:「海街diary」製作委員会/2015
URL:http://umimachi.gaga.ne.jp
場所:109シネマズ木場

映画に登場するそれぞれのキャラクターがしっかりと描き分けられていると見ていてとても気持ちがいい。まずはそれだけでその映画が好きになってしまう。もしかすると自分にとって、映画の善し悪しを計るポイントとしてはまずはそれが第一条件なのかもしれない。是枝裕和の映画は、その点はクリアしている。綾瀬はるか、長澤まさみ、夏帆、広瀬すずの4人を、それぞれの性格に照らし合わせてきっちりと描き分けている。特に、夏帆の扱いが抜群だ。下手をすると中途半端な位置付けになってしまうキャラクターを絶妙な頃合いを見てエピソードを挟み込んで引き立たせている。綾瀬はるかと長澤まさみの間に置く緩衝材としても巧く機能している。

じゃあ、それだけでこの映画が好きになったのかと云うと、うーん。是枝裕和の映画って、しっかりと撮ってます、が前面に出すぎなんだよなあ。もちろんそれが映画にとってマイナスになることはないのだけれど、私のようにひねくれている人間にとっては、そのような誠実さに辟易としてしまうことが多々あって、もうちょっと自然に撮って欲しいなあ、なんてことをおもうわけです。すみません。

綾瀬はるかはもうちょっと演技が上手くなってくれるいいなあ。広瀬すずは素晴らしい。あんなドリブルを出来る女子はそうざらにいない。岩井俊二に広瀬すずを撮って欲しい。

→是枝裕和→綾瀬はるか→「海街diary」製作委員会/2015→109シネマズ木場→★★★☆

ベロニカ・フォスのあこがれ

監督:ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー
出演:ローゼル・ツュヒ、ヒルマール・ターテ、コーネリア・フロベス、アーミン・ミューラー=スタール、アンネマリー・デューリンガー、ドーリス・シャーデ、エリック・シューマン、ペーター・ベルリング、ギュンター・カウフマン
原題:Die Sehnsucht der Veronika Voss
制作:西ドイツ/1982
URL:
場所:アテネ・フランセ文化センター

ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー監督の映画は、『マリア・ブラウンの結婚』と『リリー・マルレーン』しか見ていないので、アテネ・フランセ文化センターの「ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー映画祭2015」に行くことにした。せっかくだから『ニクラスハウゼンへの旅』や『インゴルシュタットの工兵隊』あたりのレアなテレビ向けの映画にしようかと考えたのだけれど、やはりここは順序として『ベロニカ・フォスのあこがれ』だろうと云うことになった。

ビリー・ワイルダーが『サンセット大通り』でハリウッドの伝説を語ったように、この映画はファスビンダーがドイツ映画界の伝説を語る映画なのかと期待したら、まったくそんな映画ではなかった。そのようなセンチメンタルな映画ではまったくなくて、ただ、ただ、元スタアだった女優が壊れて死んで行く映画だった。それを軽快な音楽とともにテンポ良く、良いどころか、前のシーンから次のシーンへと繋ぐ展開がやたらと速くて、見ているこちら側には何の余裕も、余韻も与えてはくれない。それはまるで主人公への感情移入を拒絶しているようだった。そしてラスト、新聞記者が読んでいる新聞の裏面にベロニカ・フォスの自殺の記事が見えるだけで、THE END。死ぬシーンさえ描かなかった。この突き放し方がファスビンダーなんだろうか。あまりにも冷たすぎる。

→ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー→ローゼル・ツュヒ→西ドイツ/1982→アテネ・フランセ文化センター→★★★☆

チャッピー

監督:ニール・ブロムカンプ
出演:シャールト・コプリー、ヒュー・ジャックマン、デーヴ・パテール、シガニー・ウィーバー、ワトキン・チューダー・ジョーンズ、ヨーランディ・ヴィッサー、ホセ・パブロ・カンティージョ、ブランドン・オーレット
原題:Chappie
制作:アメリカ/2015
URLhttp://www.chappie-movie.jp
場所:T・ジョイ大泉

ニール・ブロムカンプ監督の映画は、ポール・バーホーベンのようなエログロのどぎついスタイルを継承しているのではないかと『第9地区』を見た時には感じたのだけれど、『エリジウム』ではそれがハリウッド的な毒にも薬にもならないスタイルに落ち込んで、今回の『チャッピー』では同じ『ロボコップ』のような題材を扱いながら、さらにポール・バーホーベンから遠いところに落ち着いてしまった。

ハリウッド的なフツーなSF映画に落ち着いてしまったぶん、ストーリーのめちゃくちゃ具合が浮き立ってしまって、そのおかしなところを突っ込んで面白がることが出来るのか、反対に白けてしまうのか、微妙な映画に出来上がっていた。例えば、AIが育てた「意識」のデータをロボットの頭に着けた脳波検知ヘルメットで転送してしまうなんて設定を笑って許すのか、そんなバカなこと出来るわけないじゃん、と怒るのか、どっちつかずにフラフラと漂って、最後、“ニンジャ”のパンツに日本語のカタカナで「テンション」と書いてあったのを大笑いしてテンションが上がったので、めでたしめでたしとなりました。

→ニール・ブロムカンプ→シャールト・コプリー→アメリカ/2015→T・ジョイ大泉→★★★

Mommy/マミー

監督:グザヴィエ・ドラン
出演:アンヌ・ドルヴァル、スザンヌ・クレマン、アントワン=オリヴィエ・ピロン
原題:Mommy
制作:カナダ/2014
URLhttp://mommy-xdolan.jp
場所:新宿武蔵野館

25歳のグザヴィエ・ドラン監督の5本目の映画。

カンヌ映画祭で評価されるだけあって、独特な映像スタイルを持っていて、その部分に共鳴できるかどうかがグザヴィエ・ドランの映画を好きになれるかどうかの分かれ目だろうけど、なんだろう、そんなキレイな映像が少し鼻に付いてしまった。情緒的に不安定なADHD(注意欠如・多動性)の主人公を扱うには、スタイリッシュな構図がどうしても相反しているようにも見えてしまって、絶えず居心地の悪さを感じながら映画を観続けてしまった。このような題材は、映像的にももっと破綻しているべきで、泥臭い映像にこそリアルさがあるんじゃないかとのおもい込みが自分には強すぎるのかもしれない。

スクリーンに映し出される映画の画面の縦横比はまるでスマホのような比率で、それが時おり普通のビスタサイズに広がる解放感は素晴らしかった。そしてそれを元のスマホ比率に戻すテクニックもとても巧いけど、それがADHDの男の子の内面的感情ときっちりと同調していなかったのはちょっと残念。

カナダ映画には、クローネンバーグやエゴヤンやドゥニ・ヴィルヌーヴがそうだけど、どこか北の国の冷たさがいつも付きまとっていて、それが自分の心の奥底にある澱んだ冷たさと同調して気持ちが良いのだけれど、グザヴィエ・ドランにはそれをまったく感じなかった。カナダ映画の新しい世代なんだろうなあ。

→グザヴィエ・ドラン→アンヌ・ドルヴァル→カナダ/2014→新宿武蔵野館→★★★

セッション

監督:デミアン・チャゼル
出演:マイルズ・テラー、J・K・シモンズ、ポール・ライザー、メリッサ・ブノワ、オースティン・ストウェル、ジェイソン・ブレア、カヴィタ・パティル、コフィ・シリボー、スアンネ・スポーク、エイプリル・グレイス
原題:Whiplash
制作:アメリカ/2014
URLhttp://session.gaga.ne.jp
場所:ユナイテッド・シネマ浦和

『セッション』が公開されたと同時に、ジャズ・ミュージシャンの菊地成孔の酷評が話題になった。

http://www.kikuchinaruyoshi.net/2015/04/08/セッション-正規完成稿/

映画を見終わったので、やっとそれを読むことが出来た。

まず、音楽的接点の何も無い自分にとって、この映画はすこぶる面白かった。それはもちろん、菊地成孔の云うところの「カリカチュアライズされたマンガ」として面白かったのだろうし、音楽的なディティールの矛盾に引っ掛かることなく、勢いで楽しんでしまった結果だったとはおもう。

菊地成孔が音楽的なディティールに憤慨するのはわかるような気がする。上記の文章を読めば、なるほどなあ、と納得できる。でも、「カリカチュアライズされたマンガ」としてまったくダメな映画だったのか、最後の「どんでん返し」も「つぶさに観れば、かなりいい加減」だったのかと云うと、うーん、まったくそうはおもえなかった。この「どんでん返し」に緻密な伏線がそれほど必要だったとはおもえないし、このような緩いストーリーの流れでも、メンヘラ教師が計らずも悪意で持って弟子を昇華させてしまう意外性を、そのメンヘラ教師と一緒に感動出来てしまうヘンテコな「どんでん返し」は体験できたとおもう。

菊地成孔はそうではないと云うけれど、「自白的に憤激している」ことに引っ張られて、「冷静に分析している」は取ってつけたようなものになっているような気がする。

→デミアン・チャゼル→マイルズ・テラー→アメリカ/2014→ユナイテッド・シネマ浦和→★★★★

麦の穂をゆらす風

監督:ケン・ローチ
出演:キリアン・マーフィー、ポードリック・ディレーニー 、リアム・カニンガム、オーラ・フィッツジェラルド、メアリー・リオドン、メアリー・マーフィ、ローレンス・バリー、デミアン・カーニー、マイルス・ホーガン、マーティン・ルーシー、シェイン・ケーシー、ジョン・クリーン、マーティン・ド・コガン、ジェラルド・カーニー、シェイン・ノット、ケヴィン・オブライエン、ウィリアム・ルアン
原題:The Wind That Shakes the Barley
制作:アイルランド、イギリス/2006
URL
場所:早稲田松竹

『麦の穂をゆらす風』を映画館で観るのは、2006年12月8日に続いて2回目。
http://www.ag-n.jp/ag/2006/12/post_363.html

早稲田松竹で、『ジミー、野を駆ける伝説』に続けて『麦の穂をゆらす風』を観た。この二つを比較すると、『ジミー、野を駆ける伝説』のほうがだいぶ柔らかい。凄惨なアイルランド独立戦争そのものを扱った映画と、それから10年後のとある村のコミュニティー・ホールを扱った映画と云う題材の大小以上に、ケン・ローチが歳を取って柔らかくなって来たんじゃないかと、ちょっと推測する。いや、また、人間の激情をあからさまにえぐり出す映画が出て来ることを期待はしているんだけど。

この映画を最初に見た時には、兄弟や幼なじみを処刑しなければならないシーンの残酷さにすっかり当てられていたようだけれど、ケン・ローチのベストに入る映画であることは間違いないとおもう。『ジミー、野を駆ける伝説』と同じようにアイルランドの緑が美しくて、人間にとっての残虐な戦争であってさえも、その雄大な景色の一部と化してしまっている様子は、きつい題材だからこそ空しさがとことん強調されている。素晴らしい映画だとおもう。

→ケン・ローチ→キリアン・マーフィー→アイルランド、イギリス/2006→早稲田松竹→★★★★☆

ジミー、野を駆ける伝説

監督:ケン・ローチ
出演:バリー・ウォード、シモーヌ・カービー、ジム・ノートン、フランシス・マギー、アシュリン・フランシオーシ、アンドリュー・スコット、ブライアン・F・オバーン
原題:Jimmy’s Hall
制作:イギリス/2014
URL:http://www.jimmy-densetsu.jp
場所:早稲田松竹

最近はTwitterがあるために見たい映画を見逃すことがだいぶ減ったのだけれど、なぜか、このケン・ローチの新作はすり抜けてしまった。

『ジミー、野を駆ける伝説』は、『麦の穂をゆらす風』でケン・ローチが描いた1920年のアイルランド独立戦争から10年後のストーリーで、いまだに実質的には大英帝国の自治領のままにとどまっている状態のアイルランドが舞台。とりあえずは今の状態を良しとする穏健派と、完全な独立を勝ち取ろうとする急進派との内戦は続いていて、ただ単純にいろいろなことを学べるコミュニティ・ホールを村の中に再建しようとするジミー・グラルトンが、その政治的混乱に巻き込まれて行く過程が面白い。人を数多く集めるスペースを作ると、そこには自然と何かしらの力が発生して、主催者のおもわくとは裏腹に外野からの羨望や嫉妬の目が向けられてしまうのは現在のサイバースペースも同じこと。それを利用しようとする輩も集まってきて、何のためのスペースなのかわからなくなってしまう。

『麦の穂をゆらす風』の中にこんなセリフがあった。

「誰と闘っているのかはすぐわかる。何のために闘っているのかが重要だ。」

この『ジミー、野を駆ける伝説』もそれを引き継いでいた。

ジミー・グラルトンのコミュニティ・ホールを最初に問題視するのはカソリック教会だった。しかし、そこのシェリダン神父に反発するも、擁護派のシーマス神父よりもそのシェリダン神父を慕う父子のような関係性も面白かった。映画のラスト、国外追放になるジミー・グラルトンに向けられる外野のヤジに対して、「少なくともお前たちよりも勇気と知性がある!」と叫ぶのはシェリダン神父だった。

→ケン・ローチ→バリー・ウォード→イギリス/2014→早稲田松竹→★★★★