監督:ドゥニ・ヴィルヌーヴ
出演:エイミー・アダムス、ジェレミー・レナー、フォレスト・ウィテカー、マイケル・スタールバーグ、マーク・オブライエン、ツィ・マー
原題:Arrival
制作:アメリカ/2016
URL:http://www.message-movie.jp
場所:ユナイテッド・シネマ浦和

ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の『メッセージ』を2回観ると云うことは、すでにどんな結末を迎えるのかがわかったうえで、そのストーリーを見て行くことになる。これはつまり、テッド・チャンの「あなたの人生の物語」の中で云っている、

“それら”はあらゆる事象を同時に経験し、その根源に潜む目的を知覚する。最小化、最大化という目的を。

をこの映画の中で疑似体験できることを意味しているのかもしれない。『メッセージ』は、そう云った意味においても、原作の中に潜んでいるテーマを実際に踏襲できる素晴らしい映画ではないかとおもう。

『メッセージ』を観賞する時に、主人公に感情を移入をして見て行くのならば、2回目の観賞ではすでにエイミー・アダムスがどのような行動を起こすか理解していて、それをわかったうえで彼女の行動をなぞって見て行くことになる。この場合、エイミー・アダムスの人生における「根源に潜む目的」は、その「最大化」としては、娘が自分よりも早く死を迎えることが解っていたとしても、一緒に過ごした日々を、言い争ったことも含めて、ハッピーなこととして認識することではないかとおもう。で、そのことを同時に体験することがこの映画の最大の目的であると同時に、このストーリーを2度観ることによって映画を「より楽しむ」ことが、鑑賞者たる「私」の「最大化」なのかもしれない。

原作を読まずに映画を観る。

原作を読む。

2度目の映画を観る。

を行うことによって、この『メッセージ』を「より楽しむ」ことができた。メディアミックスは、時には素晴らしい「最大化」の相乗効果を生むことになる。

→ドゥニ・ヴィルヌーヴ→エイミー・アダムス→アメリカ/2016→ユナイテッド・シネマ浦和→★★★★

監督:エリック・ロメール
出演:シャルロット・ヴェリ、フレデリック・ヴァン・デン・ドリーシュ、ミシェル・ヴォレッティ、エルヴェ・フュリク、アヴァ・ロラスキ
原題:Conte D’Hiver
制作:フランス/1991
URL:
場所:角川シネマ有楽町

今回のエリック・ロメール特集上映会の3本目。

この映画もまた勝手な自分の主張で男たちを翻弄してしまう女、フェリシー(シャルロット・ヴェリ)のストーリーだった。客観的に見れば、結婚相手として登場する3人の男の中では図書館に勤めているロイック(エルヴェ・フュリク)がとても理知的で、控えめで、フェリシーの母親や娘にも好かれていて、いちばん彼女にぴったりだとおもうのに、バカンスと云う浮かれ気分の中で知り合ったちょっと野性的なイケメンに固執して、それをまるで白馬の王子のように追い求めて、ラストはそのイケメンと再会してハッピーエンドな映画になっているところが、おいおい、それで良いのかよ。おまえみたいな考え方の女がそんなちゃらいイケメンと上手く行くわけねえだろう、って多くの男がツッコミを入れるだろう映画になっているところが、うわ、エリック・ロメールすごい、ってなった。

フェリシーを演じているシャルロット・ヴェリも、ぱっと見た目は美人ではあるけれども、そこまで男を自由に選べる美貌でもないだろう、って女優を使っているところが、エリック・ロメールの確信犯的皮肉が見て取れて、ああ、すげえなあ、となった。

→エリック・ロメール→シャルロット・ヴェリ→フランス/1991→角川シネマ有楽町→★★★☆

監督:マイク・ミルズ
出演:アネット・ベニング、グレタ・ガーウィグ、エル・ファニング、ルーカス・ジェイド・ズマン、ビリー・クラダップ、アリア・ショウカット、ダレル・ブリット=ギブソン、テア・ギル、ローラ・ウィギンス、ナタリー・ラヴ、ワリード・ズエイター、アリソン・エリオット
原題:20th Century Women
制作:アメリカ/2016
URL:http://www.20cw.net/
場所:MOVIXさいたま

マイク・ミルズ監督の前作『人生はビギナーズ』は、ガンの宣告を受けた年老いた父から、実はゲイ、と告白される息子の顛末を描いていて、その「普通ではない」環境から生まれる「普通」に対する葛藤がペーソス溢れててとても面白かった。

今回の『20センチュリー・ウーマン』もこれまた不思議な雰囲気を持ってる映画だった。基本は、思春期の息子の教育に悩むシングルマザーのストーリー、なんだけど、母親も息子もべったりとした親子関係の中に存在するのではなくて、それぞれの独立した「個」を尊重している関係であるところがとてもクールでかっこよかった。その二人に関わる人間たちもどこかヒッピーを引きずっているような人物ばかりで、いまから考えると1979年は、80年代以降のインターネットや携帯電話などによって引き起こされる「個」と「個」との関係が変質する以前の、牧歌的な「リアル」が人間関係の中に残っていた最後の時代だったんじゃないかなあ、とおもったりもした。その象徴が、この映画の中に出てくるカーター大統領の緊急テレビ会見だった。カーター大統領は「国民はアメリカの将来を悲観視している」という調査を真に受けて、なんとも、お人好しな会見を大まじめに行ってしまったのだ。もう、こんな大統領は、あり得ない。

1979年は、自分で云えば、江夏の21球、3年B組金八先生、世界名作劇場「赤毛のアン」、そして世界最強タッグ決定リーグ戦のザ・ファンクスだった。つまり、当時のザ・ファンクスのようなプロレスが代表されるように、あんな純粋さは、もう、あり得ない。

→マイク・ミルズ→アネット・ベニング→アメリカ/2016→MOVIXさいたま→★★★★

監督:エリック・ロメール
出演:バーベット・シュローダー、ベルトラン・タヴェルニエ、フレッド・ユンク、ミシェル・ジラルドン、クローディーヌ・スブリエ/カトリーヌ・セー、フィリップ・ブーザン、クリスチャン・シャリエール、ディアーヌ・ウィルキンソン
原題:La Boulangère de Monceau / La Carrière de Suzanne
制作:フランス/1963
URL:http://mermaidfilms.co.jp/rohmer2017/
場所:角川シネマ有楽町

昨年から今年にかけて、いままであまり見ることのなかったエリック・ロメール監督の映画を立て続けに観ることができて、主人公の生活範囲だけで繰り広げられる会話劇スタイルが自分の好みであることがだんだんとわかって来た。ただ、この期間に観た映画の中でも1969年に作られた『モード家の一夜』だけは、まだそのスタイルへ入る以前の、ヌーベルバーグ臭がぷんぷんとする映画で、ああ、彼にも自分のスタイルを確立する以前の尖った時代もあったんだなあと、それはそれでとても面白かった。

今回の二つの短編も、長編映画を撮る以前の習作のような短編で、とは云え、さすがにゴダールやトリュフォーと同じように、もうすでにきっちりと完成した映画で、以降のエリック・ロメールのスタイルをこの段階で垣間見ることができるのも驚きだった。特に『モンソーのパン屋の女の子』は、主人公がのちに映画監督となるバーベット・シュローダーで、ナレーションがやはり映画監督となるベルトラン・タヴェルニエであるところも、そののちに多くの才能が開花して行った源泉を見るようでとても面白かった。

→エリック・ロメール→バーベット・シュローダー、カトリーヌ・セー→フランス/1963→角川シネマ有楽町→★★★☆

監督:エリック・ロメール
出演:アンヌ・ティセードル、フロランス・ダレル、ユーグ・ケステル、エロワーズ・ベネット、ソフィー・ロビン
原題:Conte de Printemps
制作:フランス/1990
URL:http://mermaidfilms.co.jp/rohmer2017/
場所:角川シネマ有楽町

昨年に続いてエリック・ロメール監督特集「ロメールと女たち」が角川シネマ有楽町で開かれていて、今回は「四季編」とサブタイトルが付いている。なので、まずは「四季の物語」シリーズ(Les Contes des quatre saisons)の最初の『春のソナタ』を観た。

エリック・ロメールの映画に出てくる女の人たちは、総じて、めんどくさい。スパッと竹を割ったような、さっぱりとした女性はなかなか登場しない。この『春のソナタ』のジャンヌ(アンヌ・ティセードル)も哲学の教師と云う設定もあって、さらにめんどくさかった。でも、エリック・ロメールの映画の面白さは、この、めんどくさい部分にあるのは間違いなくて、めんどくさいもの同士が集まって会話をすれば、さらにめんどくさい状況に陥って、そうなると、もうにっちもさっちも行かなくなって、その状況を笑うしかなくなってくる。そうすると、考えてみれば自分も相当めんどくさいんだよなあ、と自分を振り返ることとなって、エリック・ロメールの登場人物たちに自分を寄せてしまってしみじみとしてしまう。

この映画は女性だけではなくて、男もめんどくさかった。ナターシャの父親もめんどくさいし、会話にしか登場しないジャンヌの彼氏もめんどくさいし、ちょっとしか登場しないナターシャの彼氏だってめんどくさく感じてしまうじゃないか!

めんどくさい人間万歳!

→エリック・ロメール→アンヌ・ティセードル→フランス/1990→角川シネマ有楽町→★★★☆

監督:吉田大八
出演:リリー・フランキー、亀梨和也、橋本愛、中嶋朋子、佐々木蔵之介、羽場裕一、友利恵、春田純一、武藤心平、若葉竜也、樋井明日香、藤原季節、赤間麻里子
制作:「美しい星」製作委員会(ギャガ、ジェイ・ストーム、朝日新聞社、日本出版販売、ガンパウダー)/2017
URL:http://gaga.ne.jp/hoshi/
場所:109シネマズ菖蒲

2012年に公開された『桐島、部活やめるってよ』に熱狂してから、いつの間にかすでに5年が経過していた。Twitterで浮かれ騒いでいたことがまるで昨日のことのようだ。まあ、考えてみたら、あれから吉田大八監督は角田光代原作の『紙の月』を撮っているし、その映画も公開とともに観てるわけだから、『桐島、部活やめるってよ』を観たのが最近のことのように感じられるのはおかしいのだけれど、でも、それだけ『桐島、部活やめるってよ』が強烈だった。

今回の三島由紀夫原作の『美しい星』にもまた『桐島、部活やめるってよ』のクオリティを期待して観に行ってしまった。原作も読んでなくて、いつものごとく事前の情報を何も入れてない状態だったので、まったく先の展開が読めなくて、ワクワクしながら観ることができてしまった。これはつまり、映画の評価としては、合格点以上のものだったとおもう。ただ、ラストの締めくくり方が、ちょっと中途半端だった。なんだろう、地球温暖化を軸としているのだから、それに関係する、あっと云わせるようなラストシーンがあったのなら『桐島、部活やめるってよ』のクオリティに近づいたんじゃないかなあ。

事前に何の情報も入れない影響から、観ているあいだ中、ずっと亀梨和也を佐藤健とおもってました。すみません(だれかれともなく、おもに亀梨和也のファンの方へ)。橋本愛が金星人の設定は、伝統的な金星人のイメージを踏襲していたので◎

→吉田大八→リリー・フランキー→「美しい星」製作委員会(ギャガ、ジェイ・ストーム、朝日新聞社、日本出版販売、ガンパウダー)/2017→109シネマズ菖蒲→★★★☆

監督:ルクサンドラ・ゼニデ
出演:ドロシア・ペトル、エリナ・レーヴェンソン、ボグダン・ドゥミトラケ
原題:Miracolul din Tekir
制作:ルーマニア、スイス/2015
URL:http://eufilmdays.jp/ja/films/2017/miracle-of-tekir/
場所:東京国立近代美術館フィルムセンター

毎年、欧州連合(EU)加盟国の作品を紹介する映画祭が開かれている。その「EUフィルムデーズ2017」にはじめて行ってみた。と云っても、ラインナップの中から特定のタイトルを選んで観に行ったわけではなくて、ちょうど都合が良かった時間にたまたまやっていた映画を観に行ったので、はたしてどんな内容のものなのかもさっぱり検討もつかなかった。でも、そんな映画の見方も楽しい。

たまたま当たった映画はルーマニアの『テキールの奇跡』と云う映画だった。

ルーマニアの地図を見た時に一番最初に目に付くのは、やはり、「ドナウ川」と「黒海」だとおもう。「ドナウ川」がルーマニアを横断して「黒海」へ流れ込み、その河口を「ドナウデルタ」と呼ぶらしい。『テキールの奇跡』は「ドナウデルタ」から生まれる「黒い泥」を使って病を治す女の治療師マラ(ドロシア・ペトル)のストーリーだった。

この独身の治療師マラが、奇跡の「黒い泥」によって男と交わることなく妊娠したと言い張ることからストーリーが展開して行って、そこにマラに対して思いを寄せる神父や、避暑地の豪華なスパホテル「テキール」に宿を取る不妊に悩む金持ち未亡人などが絡んで、不思議な宗教的で民俗的な寓話が成立して行く。

何となく持っていた「黒海」のイメージも、映画に出てくる「黒海」とぴったりと一致して、どことなく地の果てをおもわせる景色がこの映画の舞台としてふさわしかった。黒海の海岸際に突如として現れる豪華なスパホテルも、その豪華さゆえに、キューブリックの『シャイニング』さながら、云いようもない不安感をあおっているのも治療師マラのおとぎ話にぴったりだった。

この映画の中でホテルとして使われた建物は、実は1910年に開業したカジノで、戦後の共産主義政権下でレストランとして運営されていて、1990年に閉鎖されたそうだ。

http://www.slate.com/blogs/atlas_obscura/2013/11/13/abandoned_constanta_casino_sits_ruined_beside_the_black_sea.html

不妊に悩む金持ち未亡人の女優をどこかで見たことがあるなあとおもっていたけど、そうか、ハル・ハートリーの映画に出ていたエリナ・レーヴェンソンだったのか! 彼女はルーマニア出身だったのだ。

→ルクサンドラ・ゼニデ→ドロシア・ペトル→ルーマニア、スイス/2015→東京国立近代美術館フィルムセンター→★★★

監督:ドゥニ・ヴィルヌーヴ
出演:エイミー・アダムス、ジェレミー・レナー、フォレスト・ウィテカー、マイケル・スタールバーグ、マーク・オブライエン、ツィ・マー
原題:Arrival
制作:アメリカ/2016
URL:http://www.message-movie.jp
場所:109シネマズ菖蒲

最近の一番のお気に入りの監督であるドゥニ・ヴィルヌーヴがSF映画を撮ったとの情報がずいぶんと前から流れていた。その映画『メッセージ』がやっとのことで日本公開となったので、いつもならグズグズとしていて公開終了も押し迫った頃合いでしか観に行かないのに、いてもたってもいられないので公開1週間にしてさっそく観に行ってしまった。

予告編を見たかぎりの印象では、地球人と得体の知れない異星人とのコンタクトの映画だった。まあ、たしかにその通りではあったのだけれど、映画の最初のシーンからして、今までの似たような映画とは微妙に趣が違うことがわかって来る。異星人とのコンタクトと同時に、エイミー・アダムスが演じている言語学者ルイーズ・バンクスの回想がところどころに差し込まれることによって、もっと、なにか、彼女自身のパーソナルな映画でもあるとの印象を与えるのだ。

以下、激しくネタバレ。

その回想はおもに彼女と娘との想い出に費やされていて、夫は登場しない。おそらくは、娘が幼いころに別れてしまったのではないかとの想像ができる。そして、娘が抗がん剤治療を受けているシーンが差し込まれるに至っても、夫は登場しない。娘が死に際しているのに現れない父親にはどんな事情があるんだろう? もしかすると亡くなってしまっているのだろうか? とのおもいが立つ。

ここが、この映画の「仕掛け」の一つだった。夫(父親)を見せないのは、のちに映画的な効果を引き立たせるためだった。

エイミー・アダムスが演じるルイーズ・バンクスがチームを組んで異星人の「文字」の解明を一緒に行うのはジェレミー・レナーが演じる物理学者イアン・ドネリーだった。言語学の観点からと、この宇宙に普遍的に存在する物理学(数学?)的な観点から解明を行うためにコンビを組んでいたのだ。この二人の会話の中に、エイミー・アダムスが自分の娘の話題を持ち出したことから、ジェレミー・レナーが「えっ? 結婚してたの?」と疑問を投げ掛けるシーンがあった。なんだ、この二人、コンビを組んでいながらパーソナルな世間話は何もしてないのか? とおもったのと同時に、あっ! と啓示のような衝撃を受けた。

もしかすると、今までのものは回想ではなかったのか? じゃあ、なんなんだ? これから起こることなのか?

エイミー・アダムスが異星人とコンタクトを行ううちに、徐々に、未来を瞑想するようになっていった事実をこの映画では回想のように見せていたのだ。まるで『惑星ソラリス』の海のように、得体の知れない異星人から影響を受けた結果だった。

当初から彼らが地球人たちに「武器を与える」との言葉を発していることが解明できていたけど、「武器」が何を意味するのかはわからなかった。その「武器」とは、つまり、未来を見ることができる能力だったのだ。それを彼らはエイミー・アダムスに与えたのだった。彼女はその能力を使って、先走った中国が異星人たちに核攻撃を仕掛けることを未然に防ぐことが可能となったのだった。

映画のストーリーは、まあ、こんな感じで進んで行き、予想通りにエイミー・アダムスの夫がジェレミー・レナーであることも示される。

でも、このストーリーだけでは、なぜ、異星人たちが地球へ来たのかがよくわからなかった。それは「3000年後に地球人に助けてもらうため」とのことらしいが、エイミー・アダムスに「武器を与える」行為が、いったいどのようなかたちで彼らの助けとなるのかがまったく想像がつかなかった。

その理由を解明したくて、さっそくテッド・チャンの原作小説を読んでみた。タイトルは「Arrival」ではなくて「あなたの人生の物語」だった。それも短編小説だった。

小説では映画よりも詳しく異星人(ヘプタポッド)とのコンタクトの過程が描かれていた。まず、ヘプタポッドたちは、地球人と違って、発話する言葉と書く文字とがまったくリンクしていない言語体系を持っていることがわかる。映画で、タコ墨みたいなものが形作る円環の文字が書き文字(ヘプタポッドB)だった。そして彼ら(”それら”)は、ものごとを捉えるときに、地球人にとって慣れ親しんだ時間経過とともに変化する物理現象ではなくて、ある一定の期間にのみ作用する「原因と結果を同時に認識する」物理現象をとても好んでいることもわかってくる。

この「原因と結果を同時に認識する」物理現象を説明するために小説では「フェルマーの原理」が例として取りあげられている。「フェルマーの原理」とは「光は進むのにかかる時間が最小になる経路を通る」ことらしい。このことは、つまり、小説の中でルイーズ・バンクスが云うように「光線は動きはじめる方向を選べるようになるまえに、最終的に到達する地点を知っていなくてはならない」ことだった。うーん、この現象が実際の生物の思考過程に入り込む方法がまったく想像できないけど、さらに小説では演劇的な「パフォーマンス」をも例にあげている。演劇は、映画もそうだけど、台本や脚本でストーリーの「原因と結果」がすでに設定されていて、その予めわかっているストーリーを我々は観て行く(認識して行く)のだと。

この小説のポイントは、つまり、地球人と”それら”の認識方法の違いを見せることだった。そしてルイーズ・バンクスが”それら”の「書き文字(ヘプタポッドB)」を習得することによって、次第に自分の思考にも「原因と結果を同時に認識する」意識が芽生えてきて、自分の未来をも見えるようになって行く、と云うものだった。この思考過程の変化を見せることのみが小説の主要なテーマなので、なぜヘプタポッドたちは地球に来たのか? なんてものはどうでも良かった。いや、”それら”は、目的のために地球に来て何かの結果を得る、と云うような「逐次的意識」でもって行動はしていなかったのだ。

でも、映画という視覚的な媒体は、そのような思考的な違いをビジュアルにして見せることに長けていない。だから、エイミー・アダムスとジェレミー・レナーの関係に映画的効果をしくんだり、なぜヘプタポッドたちは地球に来たのか? の説明をまがりなりにも入れたり、原作にはまったくない中国が異星人たちに核攻撃を仕掛るくだりを入れたのだった。

それに、この人のブログを読んで、ああ、そうか! と、もう一つの映画的な仕掛けに納得した。

「那珂川の背後に国土なし! : スクリーンの中のスクリーン ヘプタポッドと人間を隔てているもの」

確かに映画の中ではエイミー・アダムスたちとヘプタポッドのあいだに透明な仕切りガラスが設置されていたけど、小説にはそのような記述はなかった。彼女の住む部屋にある大きなガラス窓も小説にはなかった。そこに演劇的な舞台を設けて、ヘプタポッドたちの認識方法を隠喩させていたのだった。

テッド・チャンのSF小説「あなたの人生の物語」はとても刺激的な小説だった。そして、ドゥニ・ヴィルヌーヴは、その小説をうまく映像化していたとおもう。ドゥニ・ヴィルヌーヴは、やっぱり、最近の一番のお気に入りの監督だ。

いやあ、この映画はもう一度観ないと! もう一度観ると云うことは、つまり、すでにストーリーがわかっているので、ヘプタポッドの思考と同じ作用を行うことになるのか?

→ドゥニ・ヴィルヌーヴ→エイミー・アダムス→アメリカ/2016→109シネマズ菖蒲→★★★★

監督:ケネス・ロナーガン
出演:ケイシー・アフレック、ミシェル・ウィリアムズ、カイル・チャンドラー、ルーカス・ヘッジズ、ベン・オブライエン、グレッチェン・モル、カーラ・ヘイワード、アンナ・バリシニコフ、マシュー・ブロデリック
原題:Manchester by the Sea
制作:アメリカ/2016
URL:http://www.manchesterbythesea.jp
場所:新宿武蔵野館

今年のアカデミー主演男優賞は『マンチェスター・バイ・ザ・シー』の演技でケイシー・アフレックが受賞した。その『マンチェスター・バイ・ザ・シー』は、アカデミー賞授賞式の時に流れた断片的なクリップ映像から判断して、アメリカ北東部の寂れた片田舎に住む孤独な男のものがたり、と云う暗いイメージだった。ああ、また、主演男優賞を獲るような映画はシリアスな映画なんだなあ、と覚悟を決めて観に行ったら、まあ確かに真面目な映画ではあったのだけれど、ところどころのケイシー・アフレックの会話に可笑しさがあって、その天然ボケにも見えるユーモアが映画の全体的な暗さを適当に和らげていた。映画の悲壮的な部分と、会話のシーンでのクスクス笑える部分のバランスがとても良かった。

それに、取り返しようのない失敗から自分の殻に閉じこもってしまったダメなケイシー・アフレックの叔父と、女にだらしのないルーカス・ヘッジズ の甥のコンビも、父の亡くなった甥の面倒を後見人として叔父が見ると云うシビアな問題で衝突ばかりしているのに、いがみ合っている中にも、うすーく相手に対する愛情が見え隠れしていて、そのあんばいがこれもまた絶妙に良かった。その微妙な差異を的確に演技で表現できているケイシー・アフレックは確かに主演男優賞にふさわしかった。

→ケネス・ロナーガン→ケイシー・アフレック→アメリカ/2016→新宿武蔵野館→★★★☆

監督:パク・チャヌク
出演:キム・ミニ、キム・テリ、ハ・ジョンウ、チョ・ジヌン、キム・ヘスク、ムン・ソリ
原題:아가씨
制作:韓国/2016
URL:http://ojosan.jp
場所:丸の内TOEI

ナ・ホンジンの『哭声/コクソン』、キム・ソンスの『アシュラ』と来て、日本で同時期に公開された韓国ハチャメチャ3部作のトリは、映画館を変えての最終的な公開終了も押し迫ってしまったパク・チャヌクの『お嬢さん』。

『哭声/コクソン』も『アシュラ』もバイオレンス表現の度合いがハチャメチャで、アタマがおかしい監督が撮っているとしかおもえない徹底した描写が痛快だったけれど、『お嬢さん』の場合はそれが全面的にエロへ向かっていて、それも韓国人の俳優が日本人の設定で喋るアクセントのおかしな日本語で、特にキム・ミニやキム・テリの女優に「ちんぽ」とか「おまんこ」とかを喋らせるプレイは、どちらかと云えば日本語のセリフの部分を字幕で読まなければならない韓国を含めた他国の人へと云うよりも、ピンポイントで日本人に向けての徹底した変態プレイとしかおもえなかった。おそらくそれは日本の「春画」がストーリーの根幹にあるからで、パク・チャヌクがそこまで日本に向けていることを設定したわけじゃないのだろうけど、結果、そうなっていることが日本人にとって嬉しいような、嬉しくないような。いや、嬉しかった。

とにかく韓国映画はいろいろとバラエティに富んできて、アタマがおかしい監督も増えてきて、ほんと、面白い。日本も、もっと変態の監督が欲しいなあ。

→パク・チャヌク→キム・ミニ→韓国/2016→丸の内TOEI→★★★☆