監督:マーティン・マクドナー
出演:コリン・ファレル、ブレンダン・グリーソン、ケリー・コンドン、バリー・コーガン、シーラ・フリットン
原題:The Banshees of Inisherin
制作:アイルランド、イギリス、アメリカ/2022
URL:https://www.searchlightpictures.jp/movies/bansheesofinisherin
場所:ユナイテッド・シネマ浦和

子どものころから不思議におもうのは「友達」ってものの関係性だったりする。おそらくは赤毛のアンが云うような「ウマが合う」が基本だとはおもうのだけれど、双方向に「ウマが合う」と感じることはまれで、なんとなくその場を取り繕って「友達」に収まっていたりする場合も多い。それは大人になったとしても同様で、つまんねえ奴だなあ、っておもいながら飲み友達だったりする。

アイルランドのイニシェリン島(架空の島?)に住むパードリック(コリン・ファレル)にはコルム(ブレンダン・グリーソン)と云うパブ仲間がいる。毎日、午後2時には二人連れ添ってパブへ行く。ところがある日、いきなりコルムに無視されて、一人でパブへ行くはめになってしまう。納得がいかないパードリックはコルムに問いただす。彼が云うには、これからあとの老い行く人生にお前のくだらない話を聞いて無為に過ごしたくない。好きなバイオリンで作曲などをして有意義に暮らしたい、と絶縁宣言を云い渡される。

この導入からはじまった『イニシェリン島の精霊』は、あれよあれよと、まるでゴーギャンとの関係に絶望したゴッホが耳を切り落としたような凄惨な展開へと進んで行って、さらには全面戦争の様相を呈して取り返すことの出来ない事態へと陥っていく。「友達」なんてものが儚い関係性の上に成り立っていることを見せつけられて、やりきれない気持ちになると同時に、取るに足らないことで極端な行為をしてしまう馬鹿な人間に半笑いさえ起きてしまう。

この映画の舞台は1923年。アイルランドが独立する際にかわされたイギリスとの条約の是非をめぐっての内戦はゲリラ戦へと泥沼化し、イニシェリン島から見えるアイルランド本土でも時々砲撃が聞こえて土煙があがる。それを見てパードリックは、彼らが何を争っているのか知らない、と云う。それは彼の時事への興味の無さから来るのか、皮肉を云っているのかはよくわからない。皮肉であるならばアイルランド内戦のミニマムな状態がパードリックとコルムの諍いにも見えるので自虐的だった。

この映画を引き締めているのが脇役の存在だった。とくにパードリックの世話をしている妹のシボーンを演じているケリー・コンドンが素晴らしかった。妹は兄と違って読書が大好きで頭の回転も早い。イニシェリン島のような寒村の人間関係に嫌気が差しているものの、朴訥な兄のことを見捨てられずに「行き遅れ」などと陰口を叩かれながら島での暮らしに甘んじている。その彼女が島を出ることを決意して、就寝中に枕を濡らすシーンが見ていて辛い。この映画で唯一と云っても良いほどの優しさにあふれるシーンだった。

そしてもうひとりの重要な脇役、シェークスピアの「マクベス」に出てくる魔女のような老婆を演じているシーラ・フリットン。彼女がが言い放つ「これから二人の死者が出る」の予言はてっきりパードリックとコルムのことだとおもっていた。でも一人は、たえずパードリックにちょっかいを出してくる島の青年ドミニク(バリー・コーガン)だった。じゃあ、もう一人は誰なんだ? で映画は終わる。

提示されるテーマの興味深さやそれを演じきる芸達者な俳優たち。加えて、寒村でありながら風光明媚なイニシェリン島。何もかもが映画を見ているものの心に刺さる良い映画だった。

→マーティン・マクドナー→コリン・ファレル→アイルランド、イギリス、アメリカ/2022→ユナイテッド・シネマ浦和→★★★★

監督:S・S・ラージャマウリ
出演:N・T・ラーマ・ラオ・ジュニア、ラーム・チャラン、アジャイ・デーヴガン、アーリヤー・バット、シュリヤ・サラン、サムドラカニ、レイ・スティーヴンソン、アリソン・ドゥーディ、オリヴィア・モリス
原題:RRR
制作:インド/2022
URL:https://rrr-movie.jp
場所:109シネマス木場

1998年に日本で公開された『ムトゥ 踊るマハラジャ』が話題になってからと云うものの、続々とインドの娯楽映画がシネコンでも公開されるようになった。そんなに映画館で観ているわけではなくて、Netflixなどの追いかけ鑑賞の範囲内での感想なのだけれども、インド映画を観ていつも感じることは、彼らの面白い映画を作ろうとするひたむきな努力が画面から伝わってくること。ケレン味のまったく無いところところに感心してしまう。それは韓国映画にも感じることで、残念ながらいまの日本映画にはそれを感じることがとても少ない。

S・S・ラージャマウリ監督の『RRR』は、ふたりの男が関わり合う数奇な運命を、これでもか!の映像テクニックでこってりと味付けている楽しい映画になっていた。強引なストーリー展開があっても、そのパワフルな映像に乗って観てしまえばさほど気にならない。『アバター:ウェイ・オブ・ウォーター』と同じようにアトラクションを楽しむ感覚の映画だった。

ただ、製作者が映画の途中にインターミッションを入れているのなら、日本でもそれを再現すべきじゃないのかなあ。『アラビアのロレンス』でも『80日間世界一周』でもインターミッションがあっての作品だったような気もする。

→S・S・ラージャマウリ→N・T・ラーマ・ラオ・ジュニア→インド/2022→109シネマス木場→★★★☆

監督:香港ドキュメンタリー映画工作者
出演:
原題:理大圍城/Inside the Red Brick Wall
制作:香港/2020
URL:https://www.ridai-shonen.com
場所:ポレポレ東中野

2019年の香港民主化デモの中で香港理工大学包囲事件は起きた。中高生を含むデモの参加者と大学生が警察によって包囲された香港理工大学の構内に取り残されてしまった。その構内での学生らの統率を欠いた右往左往ぶりを追ったドキュメンタリーが『理大囲城』だった。

この香港理工大学構内の映像を誰が撮ったのかと云うと複数の「匿名人士」だった。「匿名人士」とは報道機関に属さないセルフメディアなどと呼ばれた人たちらしい。この映画の中には「PRESS」の腕章をつけた人たちが大学構内を駆け巡って写真や動画を撮っているシーンも出てくる。セルフメディアの人たちはこの「PRESS」と同じ扱いをうけて動画を撮影していたんじゃないかとおもう。

警察側は力ずくで大学構内へ突入するような手荒な真似をするわけでもなく、完全に兵糧攻めを狙って来ている戦法だった。包囲網を無理やり突破しようとしてくる学生たちを待ち構えて逮捕するだけで、警察側が大きく行動に移すことはまったくなかった。時間が経過するだけの学生側は、顔にぼかしが入っているものの次第に追い詰められて焦燥感を増している状況が痛々しいほど映像から伝わってくる。

でも、ここで不思議な感覚に襲われた。その学生たちの苦境を収めた映像がこうして映画としてまとめられている以上、「PRESS」の人たちは映像を没収されることなく開放されたんだろうとおもう。かたや学生たちはほとんどが逮捕されてしまった。自由な映像と縛られた学生たち。そのアンバランスが不思議だった。

最後は、デモに参加している中高生の通う学校の校長(とおもわれる人)たちが突然大学構内に現れて、生徒たちは警察への学生証の登録だけで家へ帰れると説得にかかる。この策略がデモ参加者全員を動揺させ、結果この香港理工大学包囲事件は、1377人が逮捕される事態となって終わった。

この映画が中国政府の理不尽さを訴えるドキュメンタリーになっていたのかどうか。リーダーのいないデモ隊内部の罵り合いばかりが目について、中国政府のしたたかさが強調されたドキュメンタリーだけだったような気もする。記録としては貴重だけれども、どこか腑に落ちないもどかしさがあとに残ってしまった。

→香港ドキュメンタリー映画工作者→→香港/2020→ポレポレ東中野→★★★☆

監督:原恵一
声:當真あみ、北村匠海、吉柳咲良、板垣李光人、横溝菜帆、高山みなみ、梶裕貴、麻生久美子、宮﨑あおい、芦田愛菜、藤森慎吾、滝沢カレン、矢島晶子、美山加恋、池端杏慈、吉村文香
制作: A-1 Pictures/2022
URL:https://movies.shochiku.co.jp/kagaminokojo/
場所:109シネマズ菖蒲

辻村深月の小説を原恵一監督が映画化。

今回の映画ではじめて辻村深月と云う名の作家がいることを知ってネットでいろいろと調べてみた。ああ、そうだ、著作のドラマ化でNHKと裁判沙汰になっていた作家がいたなあ。あれが辻村深月か。直木賞や本屋大賞も受賞している。どうやら「物語」を構築することに長けている作家らしい。

原恵一監督はその「物語」を巧くアニメ化していたとおもう。長い小説を脚本家の丸尾みほが手際よくまとめていたので、スムーズに「物語」の世界に没入できたし。でも、映画が面白かったのは「物語」の上手さであって、原恵一監督の特色が出ていたようにはおもえなかった。それは『バースデー・ワンダーランド』のときにも感じた違和感だった。原恵一監督の作品は『河童のクゥと夏休み 』から『百日紅 〜Miss HOKUSAI〜』までわくわくしながら追いかけてきたのだけれど、そんなときめきがまた欲しいなあ。

辻村深月の著作にちょっと興味が出たので読んでみようかな。伊坂幸太郎のときもそう云いながら読んでいないので、また読まないかもしれないし、読むかもしれない。

→原恵一→(声)當真あみ→ A-1 Pictures/2022→109シネマズ菖蒲→★★★

監督:三宅唱
出演:岸井ゆきの、三浦誠己、松浦慎一郎、佐藤緋美、中原ナナ、足立智充、清水優、丈太郎、安光隆太郎、渡辺真起子、中村優子、中島ひろ子、仙道敦子、三浦友和
制作:「ケイコ 目を澄ませて」製作委員会/2022
URL:https://happinet-phantom.com/keiko-movie/
場所:ヒューマントラストシネマ有楽町

今年最初の映画はTwitter界隈で話題になっていた三宅唱監督の『ケイコ 目を澄ませて』。

障害のある人を主人公とする映画を作る場合に、その障害に真正面から向き合うことを目的とする映画があってももちろんOKだとおもう。でも、ハンデのある部分をストーリーの中に溶け込ませてしまう映画のほうが個人的には好きだったりする。『ケイコ 目を澄ませて』は後者だった。

耳の聞こえないケイコ(岸井ゆきの)は、なぜか日々ボクシングに打ち込んでいる。プロライセンスを取るほどの力の入れようだ。彼女のトレーナーは記者からの「耳の聞こえない人がボクシングをやるのは危険じゃないですか?」の問いに「もちろん危険だ」とも答えているのに。なぜそんなにボクシングを続けるのか? の疑問の答えを得るためにこの映画を観続けていた。

その手がかりとなるーンがひとつあった。それはケイコがおもわずサラリーマンとぶつかってしまって怒鳴りつけられるシーンだった。耳の聞こえない人は、目の見えない人や手足のない人に比べて健常者に見られやすい。だからこのシーンように何かに付けて相手に嫌悪感を抱かせる場面があるんじゃないかと想像してしまう。そんな場面に対して絶えず受け身でなければいけないのか。いや、そこはかえってアグレッシブさが無ければ生きて行くのが辛いんじゃないのかと、健常者の自分が勝手に推測してしまった。

彼女のボクシングスタイルは、耳の聞こえないことから当然アウトボクシングに徹するだろうとおもっていた。ところが意に反して、メキシコや韓国のボクサーのように打たれても打たれても絶えず前へ出るインファイトだった。ディフェンスをしっかりしろとトレーナーに注意されるが、それでも前へ出て相手に打ち勝とうとしている。まるでアグレッシブさが自分に課せられたスタイルであると云わんばかりに。

この映画のように屈折している人物を淡々と追いかけるシーンを観ていると昔のATG映画をおもいだしてしまった。経営がおもわしくないボクシングジムの経営者を演じている三浦友和もATGに出てくるような脇役だった。こんな感じの映画は少なくなってしまったなあ。作られてはいるのだろうけれど、昔とは環境が変わってしまったので目に触れる機会が少なくなってしまった。

→三宅唱→岸井ゆきの→「ケイコ 目を澄ませて」製作委員会/2022→ヒューマントラストシネマ有楽町→★★★☆