競馬場

監督:フレデリック・ワイズマン
出演:ニューヨーク・ベルモント競馬場のひとびと
原題:Racetrack
制作:アメリカ/1985
URL:
場所:アテネ・フランセ文化センター

競馬の世界をカメラへ収めようとしたときに、馬の交尾からはじめるのは交配こそがすべての競馬の世界(ゲーム「ダービースタリオン」で習った)では当然のことかもしれないけれど、フレデリック・ワイズマンはそこから入るのか、と驚いたと同時に嬉しくなってしまった。そう考えると、競馬の世界にはさまざまな人たちが数多く関わっていて、大きなお金が動く世界だからこそ政治的な人々も登場してきて、1976年の『肉』や1980年の『モデル』とはまた違ったビッグビジネスを描いた業界ドキュメンタリーだった。おそらくは日本の競馬の世界もアメリカのものとそんなに違わないんじゃないかともおもえて、そこにもまたフレデリック・ワイズマンのドキュメンタリーの時代や場所を超越した普遍的な側面も見えて面白かった。

→フレデリック・ワイズマン→ニューヨーク・ベルモント競馬場のひとびと→アメリカ/1985→アテネ・フランセ文化センター→★★★☆

少年裁判所

監督:フレデリック・ワイズマン
出演:テネシー州メンフィスにあるメンフィス少年裁判所616のひとびと
原題:Juvenile Court
制作:アメリカ/1973
URL:
場所:アテネ・フランセ文化センター

今回のフレデリック・ワイズマンはテネシー州メンフィスにある少年裁判所が舞台。そのカメラに映る少年、少女たちは一様にしてどこか弱々しく、責任をたえず誰かに転嫁していて、しっかりと地に足がついている感じのしない幽霊のような人間ばかりだった。これって、最近の日本のニュースに登場する少年、少女の犯罪者とまったく同じなんじゃないかと考えてしまう。場所や時代や人種や宗教が違えども、少年犯罪の多くの原因が肉親との関係にあるのだろうから、アメリカでも日本でも少年犯罪者の心理には共通のものがあるのかもしれない。そう考えると、やはりフレデリック・ワイズマンのドキュメンタリーは、どの国のどの時代に観ても、その時々の社会問題にぴたりと寄り添ってくる。この凄さをどのように表現して良いかもわからないほどにスゴイ!

→フレデリック・ワイズマン→テネシー州メンフィスにあるメンフィス少年裁判所616のひとびと→アメリカ/1973→アテネ・フランセ文化センター→★★★☆

ボクシング・ジム

監督:フレデリック・ワイズマン
出演:テキサス州オースティンにあるボクシング・ジム「ロード・ジム」のひとびと
原題:Boxing Gym
制作:アメリカ/2010
URL:
場所:アテネ・フランセ文化センター

昨年から続いてきたアテネ・フランセ文化センターでの「フレデリック・ワイズマンの足跡」も終盤に近づいてきて、今までに観たフレデリック・ワイズマンの映画は全部で何本になるんだろうと数えたら、今回の『ボクシング・ジム』も含めてまだ19本しか観ていない。数えると2017年の『エクス・リブリス ニューヨーク公共図書館』までに44本も撮っているわけだからまだ半分も観ていないことになる。ああ、もっと観る機会が増えたらなあ。できればNetflixにあると嬉しいんだけど、配信で自作が見られることをはたしてフレデリック・ワイズマンが許してくれるかどうか。

フレデリック・ワイズマンの『ボクシング・ジム』に出てくるテキサス州オースティンにあるボクシング・ジムは、壁にオスカー・デ・ラ・ホーヤやロベルト・デュランのポスターがかかっていて、おそらくは古くから営業をしていることがよくわかるオープニングからはじまる。そこでの風景は、ボクシングならばまずは対戦を見たいとおもう我々の欲求を軽くいなして、少なくともスパーリングぐらいは見せてくれるんだろうと云う欲求もほんのちょっぴりしか実現してくれなくて、ただただ、たんたんと練習風景を追いかけたドキュメンタリーだった。

フレデリック・ワイズマンのドキュメンタリー映画は、この単調ともおもえる練習風景を繰り返し見せることで、まるでそこにいる感覚を我々に次第に覚えさせていって、映画を観ている時間や空間がそのままその当時のボクシング・ジムの時間や空間と同調してしまう恐ろしさ(楽しさ)にあることがまたはっきりとこの映画で認識させてくれた。

さあ、次は1973年の『少年裁判所』にトリップしよう。

→フレデリック・ワイズマン→テキサス州オースティンにあるボクシング・ジム「ロード・ジム」のひとびと→アメリカ/2010→アテネ・フランセ文化センター→★★★☆

鏡の中にある如く

監督:イングマール・ベルイマン
出演:ハリエット・アンデルセン、グンナール・ビョルンストランド、マックス・フォン・シドー、ラーシュ・パッスコード
原題:Såsom i en spegel
制作:スウェーデン/1961
URL:
場所:新文芸坐

はじめてのイングマール・ベルイマンの映画はテレビ(たしかNHK教育)で見た『秋のソナタ』だった。そこで見せられた母娘のあいだで起こる確執のありさまはどんなホラー映画よりも怖かった。身内だからこそ放つ辛辣な言葉による罵り合いを、映画を観ているものの心に響くほどに映像化出来る監督の手腕にびっくりした。その後に観た『叫びとささやき』『ファニーとアレクサンデル』『ある結婚の風景』も『秋のソナタ』と同じように家族や夫婦の関係を鋭くえぐる映画で、自分にとっては生涯のベストにしても良いくらいの映画ばかりだった。

それからイングマール・ベルイマンに興味を持って過去の映画をさかのぼってみると、例えば『野いちご』とかを見てみると、今まで見てきた後期のベルイマンの映画とはちょっと様子が違う。人間を描いていることには変わりはないのだけれど、そこには日本人にはわかりにくい宗教色が濃く反映していて、なおかつ信仰への葛藤などもストーリーのベースとなっているので、何度も咀嚼して見ないと理解することの難しい映画ばかりだった。

そんな中で、やっと後期のベルイマン映画の原点とも云える映画に出会った。それがこの『鏡の中にある如く』だった。作家である父親と娘と息子、そしてその娘の夫だけが登場するこの映画は、おだやかに見える家族関係の中に潜む愛憎が次第に浮き彫りになって、それが細かく衝突して行きながら最後には大きな爆発となって終曲を迎えてしまうストーリーで、これはまさに『秋のソナタ』だった。登場人物が4人だけと云う、舞台劇さながらの凝縮した人間描写も後期のベルイマンの映画に通じていた。

こうやってベルイマンの映画のことを考えていると、そう云えばポール・トーマス・アンダーソンの映画が好きな点もこれと似通っているなあ、とおもいだした。ベルイマンとポール・トーマス・アンダーソンを結びつけている評論を読んだことはないけど、うん、二人は似ているとおもう。愛憎があってこそが正しい人間関係なんだとおもいださせてくれる映画作家が大好きだ。

→イングマール・ベルイマン→ハリエット・アンデルセン→スウェーデン/1961→新文芸坐→★★★★

処女の泉

監督:イングマール・ベルイマン
出演:マックス・フォン・シドー、ビルギッタ・ヴァルベルイ、グンネル・リンドブロム、ビルギッタ・ペテルソン
原題:Jungfrukällan
制作:スウェーデン/1960
URL:
場所:新文芸坐

もし自分が信仰に篤くて日々の精進も怠らないのに酷い災難に会ってしまったとしたら、神が試練を与えてくださっているんだわ、なんてことを云えるほどの人間に果たしてなれるのかどうか。一回きりの災難だけならまだしもそれが何度も続いたとしたら、確実に「神の沈黙」を呪うに違いない。『処女の泉』のマックス・フォン・シドーのように、娘がレイプされて殺されたのなら、信仰的には許されない復讐を誓うに違いない。

神よ、それでも黙っているのか。

ベルイマンの初期の映画はそれに尽きるとおもう。信仰心も何も無い自分なのにいつもそれを考えてしまう。

もし自分が何かしらの宗教を信仰するとしたら、奇跡を行ってもらうためではなくて、日々の生活を律するための拠り所にするためだけだろうなあ。

→イングマール・ベルイマン→マックス・フォン・シドー→スウェーデン/1960→新文芸坐→★★★☆