監督:フレデリック・ワイズマン
出演:メトロポリタン病院の人びと
原題:Hospital
制作:アメリカ/1970
URL:
場所:アテネ・フランセ文化センター

いつのころからか「病院」に関連するすべてのものを忌み嫌うようになってしまった。建物も備品も医師も看護婦も病人も、とにかくすべて。でも、いつしか自分も大病を患って「病院」に世話にならざるを得ない状況が生まれるんだろうなあ。そうしたときに、どんな顔をして「病院」へ行くことになるんだろう? 不安、不信、怖れ、動揺、混乱、心労、そのすべてがにじみ出ているに違いない。

フレデリック・ワイズマンの『病院』は、まさにそんな感情を抱えた人たちの表情がスクリーンいっぱに広がっていた。病院を訪れる病人やその家族にぴったりと寄り添ったカメラに映る人間はまさに自分だった。そこまでのめり込んで観てしまった映画は、あっという間の84分だった。

→フレデリック・ワイズマン→メトロポリタン病院の人びと→アメリカ/1970→アテネ・フランセ文化センター→★★★★

監督:サミュエル・マオズ
出演:リオル・アシュケナージ、サラ・アドラー、ヨナタン・シライ、シラ・ハイス、ユダ・アルマゴル、カリン・ウゴウスキー
原題:פוֹקְסטְרוֹט‎
制作:イスラエル、ドイツ、フランス、スイス/2017
URL:http://www.bitters.co.jp/foxtrot/
場所:新宿武蔵野館

レバノンの『判決、ふたつの希望』に続いて今度はイスラエルの映画。

とても不思議な映画だった。大きく3つのパートに別れているこの映画は、人物のクローズアップ多様の「怒り」のパートで衝撃を与えて、次にロングショット多様の「静寂」のパートで落ち着かせて、そして最後に最初のパートと同様にクローズアップ多様の「受容」とも云うべきパートで穏やかに終わらせている。この3つのパートのあいだで波打つ人間の感情の振幅がまるで交響曲の旋律のようで、ベートーヴェンの「運命」を聞いているようだった。特に、2つ目の「ラクダが通る検問所」のパートは、静けさの中の突然の衝撃が強烈で、ちょっとデヴィッド・リンチの映像をも彷彿とさせて、映画館をあとにしてもその残像が尾を引く変わった映画だった。

サミュエル・マオズ監督がヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞した『レバノン』を観なければ。

→サミュエル・マオズ→リオル・アシュケナージ→イスラエル、ドイツ、フランス、スイス/2017→新宿武蔵野館→★★★☆

なら国際ドキュメンタリー映画祭の3日めは、NIFFユース審査員プログラムの「短編部門:SSFF & ASIA セレクション」。

●マティア・ヴクシキ『Goran’S Street ゴランの道』(8分、2015/クロアチア)
●クリストフ・デアク『Sing 合唱』(25分、2015/ハンガリー)
● アニヤ・リンド『Agnes アグネス』(15分、2015/スウェーデン)
● ダーニ・デ・ラ・オルデン『Swimmer プールサイドの初恋』(15分、2014/スペイン)
● アンダース・ヴェルター『Helium ヘリウム』(23分、2013/デンマークン)

この中ではハンガリーのクリストフ・デアク監督『Sing 合唱』が面白かった。下手な子は口パクさせられる合唱部の子どもたちの先生への反乱。一昨日のイランのコヴェ・マザヘリ監督『Retouch』と同じように、短編映画は1つのシチュエーションのインパクトが大切で、それをテンポよく4コママンガのように起承転結してくれると気持ちがいい!

なら国際ドキュメンタリー映画祭を参加しての感想は、インターナショナルコンペティションをもうちょっと盛り上げないと、映画祭としての芯が無いと云うか。もっと地元に根付いて、奈良市民も多数参加できる映画祭に出来れば良いんじゃないかなあ。そう云った意味では「尾花座 復活上映会」は成功してたとおもう。

●藤元明緒『僕の帰る場所』(2017/日本)
日本で難民申請をしているミャンマー人夫婦の二人の子供は日本語しか話せない。なのに、日本での生活に疲れた母親とともに強制的にミャンマーに帰国することになってしまう。日本人でもない、ミャンマー人でもない、アイデンティティを失った特に長男の彷徨を描く。
この映画を観始めて、はたしてこれはドキュメンタリーなのか、ドラマなのか、まったくわからないところが面白かった。津田寛治が出てきて一気にドラマ色になったけど。とにかく、二人の子供が凄かった。とても演技とはおもえない。是枝裕和がやりたいことはこれなんじゃないのかなあ。

●道本咲希『昔の恋人』(28分、2017/日本)
●横田浩樹『同じ歩幅でなんて歩かない』(65分、2017/日本)
NARA-wave(学生映画部門)の短編2作品。昨日の海外の作品に比べるとしっかりと学生が作った映画だった。海外の作品はさすがにスタッフはプロなんじゃないのかなあ。
2作品ともおもしろかたけど、『昔の恋人』は、主人公の「麻美」が父の昔の恋人に会いに行って、その昔の恋人にビンタされるシーンまでの過程をもうちょっと丁寧に撮ってたらなあ、と。

●ダスティン・フェネリー『STRAY』(2018/ニュージーランド)
やっとインターナショナルコンペティションの作品を奈良国立博物館講堂で。
仮釈放中の男と精神病院を退院した女のはなし。孤独な二人の行き場のないストーリーが落ち込ませるけど、うっすらと希望が見えて行くままに終わるラストシーンは良かった。

奈良市で行われる、なら国際ドキュメンタリー映画祭にはじめてやってきた。この映画祭は、監督の長編デビュー作または2作目のみを扱うコンペティション部門と学生映画コンペティション(NARA-wave)部門がメインの、映画制作に携わる若い人たちに向けて特化しているところが特徴的。仕切りとか段取りとか通訳とかグダグダなところは、まあ、若いと云うことで。

●ラナ・ウィルソン『いのちの深呼吸』(2017/アメリカ)
現在、東京ではポレポレ東中野で上映中のこの作品。東大寺南大門のすぐ横にある「東大寺 金鐘ホール」で観ることが、「自殺防止活動に取り組む日本の僧侶の日々を追うドキュメンタリー」の内容にもぴったりだった。
映画が終わったあとの、この映画の主人公、根本一徹住職(岐阜県大禅寺)と東大寺僧侶とのトークも面白かった。葬式と法要でしか一般の人と関わらない日本の僧侶が、死のうとしている人たちと向き合ってくれたらどんなに良いことか。

●フロリアン・クーネルト『Oh Brother Octopus』(27分、2017/ドイツ)
●イネス・デ・リマトレス『De Madrugada』(30分、2018/ポルトガル)
●コヴェ・マザヘリ『Retouch』(20分、2017/イラン)
NARA-wave(学生映画部門)の短編3作品。この中では、重いダンベルをベンチプレス中に首に落としてしまって苦しがっている夫を放置して殺してしまう妻、のコヴェ・マザヘリ監督『Retouch』が面白かった。30分くらいでテンポよくストーリーテリングする短編映画は基本的に大好き。

監督:ジアド・ドゥエイリ
出演:アデル・カラム、カメル・エル・バシャ、リタ・ハーエク、クリスティーン・シュウェイリー、カミール・サラーメ、ディアマンド・アブ・アブード
原題:L’insulte
制作:レバノン、フランス/2017
URL:http://longride.jp/insult/
場所:TOHOシネマズ・シャンテ

2009年の山形国際ドキュメンタリー映画祭で観たエリアーン・ラヘブ監督の『されど、レバノン』は、キリスト教マロン派を信仰する監督から見たレバノンと云う国の、宗教的にも民族的にも複雑さを抱える国の実情をアジアの東の端にいる我々にも知らしめてくれくれるドキュメンタリーだった。で、この映画の中で、狂信的なキリスト教民兵(レバノン軍団)がイエス・キリストの名において「キリスト教徒のコミュニティを守る」というスローガンのもとで、イスラム教徒、パレスチナ人、シリア人、および自分たち以外のキリスト教徒を敵対視するシーンが出てきたときに、イスラム教徒はわかるんだけど、パレスチナ人を排斥する理由がいまいちピンとこなかった。

ジアド・ドゥエイリ監督の『判決、ふたつの希望』は、キリスト教マロン派のレバノン人男性とパレスチナ難民の男性との口論がきっかけで起きる裁判を描いた映画だった。この映画を観て、レバノン国内の難民キャンプなどにいるパレスチナ人に対しての国内感情が決して良いものではなく、どこか差別的な感情があることに驚いた。イスラエルへの反発感情から単純にパレスチナ人擁護になるなんてことを考えていた自分がバカだった。でも、パレスチナ人たちが自分たちを排斥する人たちに向かって「シオニスト!」と叫んでいるシーンは、いやいや、そんな短絡的な、と笑ってしまった、

映画では裁判を重ねるうちに、次第にキリスト教のレバノン人男性がパレスチナ人を嫌う理由が判明して行き、彼が父親とともに1976年1月20日に起きた「ダムールの虐殺」の被害者であることが明らかになって行く過程がサスペンスフルでですごく面白かった。レバノンでは、1976年1月18日の「カランティナの虐殺」(キリスト教徒の民兵組織がベイルート東部のカランティナ地区のパレスチナ人とイスラム教徒を殺害)、1976年1月20日の「ダムールの虐殺」(レバノン国民運動(LNM)と提携したパレスチナ人の民兵がダムールの村のキリスト教徒を殺害)、1976年8月12日の「テルザアタルの虐殺」(キリスト教徒の民兵がテルザアタルの難民キャンプに侵入してパレスチナ難民を殺害)と内戦時に3度も虐殺があって、このときのわだかまりがキリスト教徒やイスラム教徒、そしてパレスチナ人のあいだにまだまだくすぶっていると云う事実が怖くもあった。レバノンもシリアのような状態になる可能性を充分に秘めているのだった。

ただ、映画としては、伏線なしの衝撃的な事実判明はちょっとやりすぎな感じがしないでもなく、中東の国の映画と云うよりも、ハリウッド映画を真似た韓国映画あたりのアグレッシブさをおもいだしたりもしてしまった。

→ジアド・ドゥエイリ→アデル・カラム→レバノン、フランス/2017→TOHOシネマズ・シャンテ→★★★★

監督:ペイトン・リード
出演:ポール・ラッド、エヴァンジェリン・リリー、マイケル・ペーニャ、ウォルトン・ゴギンズ、ボビー・カナヴェイル、ジュディ・グリア、ティップ・“T.I.”・ハリス、デヴィッド・ダストマルチャン、ハナ・ジョン=カーメン、アビー・ライダー・フォートソン、ランドール・パーク、ミシェル・ファイファー、ローレンス・フィッシュバーン、マイケル・ダグラス
原題:Ant-Man and the Wasp
制作:アメリカ/2018
URL:https://marvel.disney.co.jp/movie/antman-wasp/home.html
場所:109シネマズ木場

「マーベル・シネマティック・ユニバース」シリーズの中でもコミカル部門を担当する「アントマン」は、ポール・ラッドの軽妙さとマイケル・ペーニャのボケっぷりが楽しいので、「アベンジャーズ」路線に疲れたときの一服の清涼剤になっているのが嬉しい。

さらに今回は量子世界へと突入して行くので、ナノ・ユニバースをどんなかたちで映像化するのかも興味津々だった。でも、そのナノ・ユニバースのことよりも、アントマンとミシェル・ファイファーが演じているワスプとのあいだの「量子もつれ」から起こる意思疎通のシーンを見て、人間の「意識」と云うものはいったいどこにあるんだろう? とのスピリチュアル的な疑問が先に立ってしまった。「意識」も「物質」なのか? もし「物質」ならばどこかに「形」として存在しているのか?

そんな疑問を解決すべくネットをフラフラしていたら次のブログに行き着いた。

量子物理学の世界では“意識の不滅”が論争になりつつあるようだ
http://higurasi101.hatenablog.com/entry/2017/01/31/190713

「我々の思考、意志、意識、感情は、精神的な性質です。これらは物理学が取り扱う自然界の基礎的な力(重力、磁場など)とは直接的な関係はありません。一方、量子的世界では精神的性質との驚くべき一致が見られるのです」(マックス・プランク研究所クリスチアン・ヘルウィグ博士)

なんだそうだ。これを読む限り、アントマンとワスプとのあいだの意識の「量子もつれ」はあながち嘘ではないようなのでびっくり。これはもっと量子物理学についての文献を読まなくてはいけないなあ。

→ペイトン・リード→ポール・ラッド→アメリカ/2018→109シネマズ木場→★★★☆

監督:フレデリック・ワイズマン
出演:
原題:Missile
制作:アメリカ/1987
URL:
場所:シアター・イメージフォーラム

フレデリック・ワイズマンが2015年に撮った『ニューヨーク、ジャクソンハイツへようこそ』がやっと公開されることになって、それを記念してシアター・イメージフォーラム、そしてアテネ・フランセで過去の作品が特集上映されることになった。で、まずは1987年の『ミサイル』。

カリフォルニア州ヴァンデンバーグの空軍基地にある大陸間弾道ミサイルの打上げ管制センターに配属される空軍将校の訓練の様子を描いているこの映画を観て、核弾頭を搭載しているミサイルの発射命令を出すのが合衆国大統領であることを考えたときに、1987年の映画なのにすぐさまトランプの顔が浮かび上がってしまった。核戦争を引き起こすことについての道徳的な側面を話し合うシーンも出てくるけど、もしトランプのような人間的に欠陥のある大統領からの一時的な感情から来るミサイル発射の指示に対しての拒否権も教えているんだろうか。まさか、大統領が幼稚で気分屋でバカだったとき、の想定で訓練するはずもないだろうなあ。少なくともミサイル発射ボタンを押す将校が道義的な人間であることを祈るばかり。そうすれば大統領からの不当な指示も断固拒否できるんじゃないかとおもうしかない。

→フレデリック・ワイズマン→ヴァンデンバーグ空軍基地の将校たち→アメリカ/1987→シアター・イメージフォーラム→★★★☆

監督:石田祐康
声:北香那、蒼井優、釘宮理恵、潘めぐみ、福井美樹、西島秀俊、竹中直人
制作:「ペンギン・ハイウェイ」製作委員会/2018
URL:http://penguin-highway.com
場所:MOVIXさいたま

「小学4年生のアオヤマ君の住む街で、ある日突然、ペンギンの群れが出現する怪事が起こり始めた」のアニメーションを観始めた時に、やはりその設定に最初から心が踊るのか、それともまったく踊らないのか、簡単に二分されてしまうおもう。今回の『ペンギン・ハイウェイ』について云えば私は後者だった。意識の高い小学4年生にも鼻がつくし、突然現れたペンギンの謎にもなんら好奇心が掻き立てられることはなかった。そう考えると宮崎駿のアニメーションって、ナウシカでもラピュタでも、前提としての世界観の押し出し方が巧いんだろうなあ。ファーストシーンだけで気持ちを高揚させる何かが必ずある。

それに、このストーリーの中に小学4年生が大人の女性のおっぱいに興味を持つシーンを入れることに何の意味があるんだかさっぱりわからなかった。もうちょっと高学年の設定ならば性的な意味合いを持たせることが出来たのだろうけど、どっちかと云えば母性的な意味にしか捉えられず、小さな男の子が母親に男と女の性差を興味本位に聞くくらいのエピソードくらいにしかおもえなかった。それにしては父親に比べて実際の母親の描き方が希薄だったなあ。そんなところも、ぼんやりとした映画だった。

→石田祐康→(声)北香那→「ペンギン・ハイウェイ」製作委員会/2018→MOVIXさいたま→★★☆

監督:リカルド・フレーダー
出演:バーバラ・スティール、ロバート・フレミング、シルヴァーノ・トランキッリ、マリア・テレサ・ヴィアネッロ、ハリエット・メーディン
原題:The Horrible Dr. Hichcock
制作:イタリア/1964
URL:
場所:アテネ・フランセ文化センター

前回に続いてアテネ・フランセ文化センターで行われた「中原昌也への白紙委任状」へ。

「中原昌也への白紙委任状」で中原昌也が選ぶ映画はひどい映画ばかりだ。ストーリーに流れがなくて、いや、流れがないばかりか前後のつながりがわからん! と云う映画ばかりをピックアップして紹介してくれる。それでも、じゃあめちゃくちゃつまらないのかと云うと、そう云うわけでもない。そのひどさが楽しめるのだ。ひどい映画が楽しめる場合と、まったく楽しめない場合の境界線ってなんだろう? そこがよくわからない。中原昌也が云っていたように、脚本、監督はひどくても周りのスタッフに優秀な人がいる場合には全体的な格調がアップして、その「ひどさ」を包み込んでくれるのかもしれない。一見するとしっかりとした映画に見える場合には、その中の「ひどさ」とのズレで可笑しさを生んで楽しめるのかもしれない。

映画上映後の恐怖映画研究家、山崎圭司とのトークによると、リカルド・フレーダーは撮影をさっさと切り上げて遊びに行きたいような監督だったらしい。やっつけ仕事なのに、それなりの映画が出来てしまうと云うそのギャップが、結果として楽しめる映画を生み出してるのかなあ。

→リカルド・フレーダー→バーバラ・スティール→イタリア/1964→アテネ・フランセ文化センター→★★☆