監督:ビン・リュー
出演:ザック・マリガン、キアー・ジョンソン、ニナ・ボーグレン、ビン・リュー
原題:Minding the Gap
制作:アメリカ/2018
URL:http://www.bitters.co.jp/ikidomari/
場所:新宿シネマカリテ

ウィスコンシン州のケノーシャで8月23日、警官が黒人男性を背後から複数回銃撃する事件が発生して、それに端を発した黒人差別の抗議デモは日本でもニュースに取り上げられた。それを見た感想としては、またか! しかなかった。だから、そこには差別意識や銃規制以外の、なにかもっと根源的な問題があるんじゃないかとおもわざるを得なかった。

そのケノーシャから南西に100kmくらい行ったところにあるのがイリノイ州ロックフォードで、ビン・リュー監督の撮ったドキュメンタリー映画『行き止まりの世界に生まれて』の舞台だった。中国系のビン・リュー監督は、シングルマザーの母親とともに8歳になるまで、中国、アラバマ州、カリフォルニア州、イリノイ州ロックフォードを転々として、やっと腰を落ち着けたロックフォードで、黒人のキアー、白人のザックと友だちとなる。そしてスケートボードを一緒に楽しむうちに、そのスケーティングをビデオに撮るようになり、撮り溜めた12年間の軌跡がこの映画だった。

この映画にはもちろんかっこいいスケートボードのスケーティングが最初から登場するのだけれど、そんな自由なスケートシーンとは裏腹に、監督のビン・リューも含めたキアー、ザックの3人の複雑な家庭の事情も明らかになっていく。そこには、うまく行かなくなった父母や、家庭内暴力、先々の希望の見えない雇用状況のことなど、この映画のタイトルの「行き止まりの世界」が見えてくる。

中国系と黒人と白人が仲良くスケートボードを楽しむシーンを見れば、このあたりの地域に人種差別があるようにはとても見えない。とはいえ、もちろん根深い差別意識はいろんな人の心に巣食っていて、黒人やアジア系はその対象になりやすいのだろうとはおもう。その差別意識が芽生える土壌は必ずこの「行き止まりの世界」にはあって、子どもたちの育った家庭環境が大きく影響していることは確かなような気がする。日本の状況以上に、とくにこのイリノイ州ロックフォードあたりの経済状況の落ち込んだ地域では、ビン、キアー、ザックの家庭状況と似たような人たちが数多くいることが簡単に想像できてしまった。

彼らの鬱屈を晴らす場としてのスケートボードが救いのこのドキュメンタリー映画は、次第に大人になるにしたがって、スケートボードもやらなくなってしまって、三者三様の新たな環境で生まれる鬱屈を晴らす場は何になるんだろうかと考えてしまった。とくに白人のザックは、自身の子供が生まれて、それでいて妻のニナに暴力を振るうという、おそらくは遺伝子ともおもえる親からの負の連鎖に巻き込まれてしまって、それを断ち切れないところにアメリカの問題があるんだろうなあ、と考えてしまった。

ビン・リュー監督は、おそらくまだ彼らを撮り続けているのだろうから、それをまとめた続編を必ず発表してほしい。アメリカ中西部の、このような環境の人々を撮り続ければ、おのずとアメリカに巣食う問題が見えてくるような気がする。フレデリック・ワイズマンが精力的に撮っていたアメリカの実情を、同じようにビン・リュー監督も撮って行ってほしいなあ。

→ビン・リュー→ザック・マリガン→アメリカ/2018→★★★★

監督:ダン・スキャンロン
声:志尊淳、城田優、近藤春菜(ハリセンボン)、浦嶋りんこ、村治学、宗矢樹頼
原題:Onward
制作:アメリカ/2020
URL:https://www.disney.co.jp/movie/onehalf-magic.html
場所:109シネマズ木場

ピクサーのアニメーションには家族愛や友情、成長や変化をテーマにしたものが多いんだけれども、それがうまくエンターテインメントしていて、工夫のないストレートな表現はなるべく避けて、説教臭くなったりもせずに、期待と失望、愛情と憎しみが交錯しながら、スピード感あふれるアクションを盛り込んで、最後には、ああ成長したんだなあ、になるところがとても良い。

ダン・スキャンロン監督の『2分の1の魔法』は、幼い頃に亡くなった父親に会いたがために中途半端な魔法を使ってしまって、下半身だけ復活してしまった父親とともに、そして隣人には変人と見られている兄と一緒に、完全な魔法を探し求める冒険ストーリーだった。

嫌われ者の兄と引っ込み思案の弟が協力して、そして母親とライオンの体にコウモリの羽を持つマンティコアのサポートを得て、この4人のパーティが多くの謎を解きながら最終的には完全な魔法を復活させるための「不死鳥の石」を探し求める旅はロールプレイングゲームでもあって、ゲーム好きにとっても楽しい映画だった。

日本の劇場用アニメーションも、もっとゲームの要素をうまく盛り込んだこの『2分の1の魔法』のような映画を作れないものなのかなあ。あれだけコンシューマゲームで素晴らしいものが作られるのなら、ピクサーのアニメーションのようなものが作られても良いのに。ああ、これはいつも云ってることか。

→ダン・スキャンロン→(声)志尊淳→アメリカ/2020→★★★☆

監督:大島新
出演:小川淳也
制作:ネツゲン/2020
URL:http://www.nazekimi.com
場所:ポレポレ東中野

自分のTwitterのタイムラインを見ていると、絶えず安倍政権への批判のTweetが流れてくる。それは、Twitterってものは趣味嗜好の似ている人たちをフォローしているわけだから、自ずと政治的信条も似たような人たちの集まりとなって、当然の結果としての安倍批判のタイムラインになってしまっている。自分自身としては、Twitterごときで政権批判をしたところで、不満のはけ口ぐらいの行為にしかなってないよなあ、としかおもってないところが申し訳ないところです。

じゃあ、自分のタイムラインに流れてくる安倍批判の人たちの理想とする政治家とはどんな人だろうと考えると、ひとつだけはっきりしていることがあった。それは、たとえ自分たちに不利益なことであっても、しっかりとした説明をしてくれる人、と云うことだろうとおもう。TwitterなどのSNSでしっかりとした情報発信が出来る人物が人気だった。例えば、熊谷俊人・千葉市長とか、保坂展人・世田谷区長とか。

香川1区から選出された立憲民主党(現在)の衆議院議員、小川淳也を17年間も追いかけたこのドキュメンタリー映画を観て、ああ、この人はしっかりとした言葉を持っている人だなと感じた。批判的な人に対しても、しっかりとした説明の出来る人じゃないのかな? とは感じた。

でも、このようなしっかりと言葉を持った人が政権与党にいて、それなりの役職につくことができたとしても、自分の発したい言葉と党利党益優先で発しなければならない言葉とのあいだに挟まれて、次第に言葉を失ってしまうんだろうなあ、とはおもう。それは、この映画の、小池百合子が「民進党の全員を受け入れる気持ちはさらさらありません」と言い放った2017年の衆議院選挙のときの状況を見ても想像がついてしまう。

小川淳也議員を「なぜ君は総理大臣になれないのか」としたのは、もちろん野党にいる限りは無理なんだけど、たとえ立憲民主党が政権を獲ったとしても、自民党が築き上げた古い政治体質が日本に残る限りは、小川淳也議員の良さを残したままの総理大臣になることは無理! ってことなのかもしれない。自分の言葉によって国民に説明をしながら、日本の古い政治気質を浄化させていくのは、よっぽどのことが起こらないかぎり無理なんだろうなあ。それは『日本沈没』が起きた後の日本か、王蟲が食い尽くしたあとの世界か。

→大島新→小川淳也→ネツゲン/2020→ポレポレ東中野→★★★★

監督:小原浩靖
出演:加賀美幸子(ナレーション)
制作:Kプロジェクト/2020
URL:https://wasure-mono.com
場所:ポレポレ東中野

第二次世界大戦によって多くの日本人が国策に翻弄されて人生を狂わされてしまったことを、過去を振り返るテレビ番組などで知ること以外で実感することがあまりない。自分の親や親戚は確実にその戦争を生き抜いて来たわけで、そして大変な苦労があったことも事実だとはおもうけれども、そこには当時の個人的な境遇の差が大きくあって、苦労の差のブレも相当に激しいんだろうとはおもう。

戦争当時に国策によって満州に渡って、そこで終戦を迎えて、親と死に別れたりはぐれたりして、幼いながらひとりぼっちで中国に残された人の苦労は、本土で終戦を迎えた人よりも相当なものだった。それが、1981年3月に初めて「残留孤児訪日調査団」が行われて以降、肉親とめぐり合うことのできた中国残留日本人が多数現れたことをマスコミが大々的に報道することで、まるでハッピーエンドを迎えたようなイメージを我々に植え付けてしまっていた。ああ、良かった、で、おしまいになった人は、自分も含めて大多数だったろうとはおもう。

ところが、日本人として認められて帰国しながらも、日本語を覚えられず、日本の文化に馴染めることもできないで孤立無援になってしまう人がいることは、いっときのブームの過ぎ去ったマスコミは報道もしない、とは云わないけれど、あまりにも少なかった。中国残留日本人は、結局はその人の人生をすべてダメにしてしまったとも云えるほど、戦争の影がついて回ってしまった。

さらに悲惨なのは、フィリピンの残留日本人だった。戦争当時にフィリピンに住んでいた日本人は、経済的な活動として自発的にフィリピンに住んでいた人が多く、親が殺されたり、本土に強制送還されたあとにフィリピンに残された子供のことは、満州に残された子供以上にほったらかしにされて、今なお、国はフィリピン残留日本人についての調査や日本国籍を認めることをしようともしていなかった。

中国残留孤児とフィリピン残留日本人の国籍取得支援を行っているのが、この映画を企画・制作した弁護士の河合弘之さんを中心とする「中国残留孤児の国籍取得を支援する会」と「フィリピン日系人リーガルサポートセンター」だった。そして、その活動をこの映画『日本人の忘れもの フィリピンと中国の残留法人』で知ることになる。

ドキュメンタリー映画って、このような意義ある活動をしている人たちがいることを知らしめるために存在していて、なるべく多くの人にこの映画を観てもらいたいはずだ。ところが、この新型コロナが蔓延する中、客席も間隔を開けて座ることになるし、映画館へ足を運ぼうとする意欲も削がれるし、まったくひっそりと公開が終わってしまうのは残念でならない。いつもおもうことだけれど、Netflixなどでもっとドキュメンタリー映画を公開できないものなのかなあ。もちろん、映画館で観ることがベストなことを承知の上で。

→小原浩靖→加賀美幸子(ナレーション)→Kプロジェクト/2020→ポレポレ東中野→★★★☆

監督:エミリオ・エステベス
出演:エミリオ・エステベス、アレック・ボールドウィン、クリスチャン・スレーター、ジェフリー・ライト、ジェナ・マローン、テイラー・シリング、ジェイコブ・バルガス、ガブリエル・ユニオン、マイケル・ケネス・ウィリアムズ、リチャード・T・ジョーンズ
原題:The Public
制作:アメリカ/2018
URL:https://longride.jp/public/
場所:新宿武蔵野館

子供の頃からそんなに本を読む方ではなかったので、図書館にはあまりお世話にはならなかった。ところが、インターネットで著作権の切れた作品を公開するプロジェクトに関わってからは、やたらと図書館へ行くようになった。どこそこにあの本があるとわかれば、東京23区のあちこちの図書館に自転車で出向いたものだった。

そのあちこちの図書館へ行って気づいたことの一つに、新聞や雑誌を読むコーナーにはいつもいろんなタイプの人がくつろいでいるものなんだなあ、と云うことがあった。お年寄りや、何らかの理由で会社に勤めていない人、ちょっとホームレスっぽい人など。図書館は本を借りたり読んだりする場所だけではなくて、自分の居場所として、時間をつぶす場所として機能していたことに驚いた。

それはアメリカのシンシナティでも同じだった。エミリオ・エステベスが主演し監督もした『パブリック 図書館の奇跡』は、お年寄りやホームレスたちが毎朝、図書館の開館を待ちわびるシーンからはじまる。トイレはみんなの身繕いの場でもあり、コミュニケーションの場でもあった。パソコンは時間をつぶすのに最適のツールだし、司書に対して無理難題を質問する楽しみもある。

そして、ホームレスの凍死者が増える真冬のシンシナティで、いつものように図書館に集うおなじみのホームレスたちは、外に出ると死ぬ恐れがあるとして閉館後も図書館に籠城してしまう。過去にホームレスになった経験もある図書館員のエミリオ・エステベスは、彼らと一緒に籠城する覚悟を決める、というストーリーの流れの映画だった。

図書館は公共の場として位置づけられていて、おそらくは法律で融通の効かない状態に守られているのだろうから、そこが市民にとっての最後の牙城にになることはありえないのかもしれない。でも、この「知の集積場所」は、その集積の結果として人権においてもやさしい場所であって欲しいような気がしてしまって、ホームレスが最後の砦として図書館に籠城するのは正しい行為に見えてしまった。

映画としての『パブリック 図書館の奇跡』は、伏線のはり方とか、ステレオタイプの悪役の配置とか、教科書どおりの映画ではあったけれど、図書館のあり方について考えさせられる点においては良い映画だった。

→エミリオ・エステベス→エミリオ・エステベス→アメリカ/2018→★★★☆

監督:ダグラス・サーク
出演:ジョン・キャラダイン、パトリシア・モリソン、アラン・カーティス、ハワード・フリーマン、ラルフ・モーガン、エドガー・ケネディ、ルドウィッグ・ストッセル、アル・シーン、エリザベス・ラッセル、ジミー・コンリン
原題:Hitler’s Madman
制作:アメリカ/1943
URL:
場所:シネマヴェーラ渋谷

ドイツで映画を撮っていたダグラス・サーク監督は、妻がユダヤ人であることからナチスの迫害を恐れ、1937年にアメリカへと亡命し、ハリウッドへ渡ってからはじめて撮った映画が反ナチスの映画『ヒットラーの狂人』だった。

『ヒットラーの狂人』の中に、ナチスの親衛隊大将および警察大将、そしてボヘミアの護民官であるラインハルト・ハイドリヒが出てくる。演じているのはジョン・キャラダイン! ジョン・キャラダインと云えばジョン・フォードの映画でおなじみの俳優で、『怒りの葡萄』での演技は忘れられない(このブログのタイトルバックに勝手に写真を使っている)。で、そのジョン・キャラダインが演じているラインハルト・ハイドリヒが素晴らしい! 「金髪の野獣(Die blonde Bestie)」とあだ名を付けられた極悪非道の人物像をイメージ通りにビジュアル化させている。この映画の中のどこに目が向いてしまうかと云えば、間違いなくジョン・キャラダインだった。

ダグラス・サーク監督と云えば、のちにユニヴァーサルでの一連のメロドラマが代表作になるんだけど、このハリウッド初の映画でもそのスタイルはすでに固まっていて、自分の生まれたチェコの町へパラシュート降下するカレル(アラン・カーティス)とその恋人ヤミラ(パトリシア・モリソン)の描写や、ナチスとレジスタンスとのあいだで苦悩するヤミラの父(ラルフ・モーガン)の行き場の無さなどはまさしくダグラス・サークだった。

→ダグラス・サーク→ジョン・キャラダイン→アメリカ/1943→★★★☆

監督:イ・ウォンテ
出演:マ・ドンソク、キム・ムヨル、キム・ソンギュ、ユ・スンモク、キム・ユンソン、チェ・ミンチョル
原題:The Gangster, the Cop, the Devil
制作:韓国/2019
URL:http://klockworx-asia.com/akuninden/
場所:Movixさいたま

相も変わらず映画に関する事前情報をまったく入れないので、イ・ウォンテ監督の『悪人伝』をなんとなく、ポン・ジュノ監督の『殺人の追憶』のような重苦しい映画をイメージしてしまっていた。映画のオープニングからはまさしく、そのイメージ通りのはじまりで、凄惨な殺人シーンが多くて、そこに連続殺人犯を追う刑事の描写が続いたので、ああやっぱり『殺人の追憶』のような映画なんだな、と納得していた。

ところが、刑事役のキム・ムヨルがどこかおちゃらけた、軽いのノリの演技なので、これはもしかすると『殺人の追憶』のような映画とは違うんじゃないのか、とおもいはじめたところの、「アベンジャーズ」のサノスよろしく凶暴さを前面に押し出したヤクザのマ・ドンソクの登場だった。

まさしく文字通りの「袋叩き」をするシーンで登場するマ・ドンソクは、チンピラの前歯を力ずくで抜いたり、兄弟関係にある一味を皆殺しにしたりと、これでもかと悪人面を強調させてはいるのだけれど、なぜだろう? どこか憎めないオーラを発散させていて、刑事のキム・ムヨルと共闘して連続殺人犯を追いかけるシーンは、ルパン三世と銭形警部が奇しくも同じ敵を追い詰めるために共闘した『ルパン三世カリオストロの城』のような痛快さがあったのには驚いてしまった。

韓国映画に見えるエンターテインメントな部分は、ときに演技が大仰で鼻につくことがあるのだけれど、そこの部分が映画を観ているものの感覚にぴったりと嵌ってくれば、これでもかと畳み掛けるサービス精神に乗せられて、嬉しいくらいに翻弄させられて充分に楽しませてくれる。今回のイ・ウォンテ監督の『悪人伝』もそのたぐいの映画だった。

→イ・ウォンテ→マ・ドンソク→韓国/2019→★★★☆

グレース・オブ・ゴッド

監督:フランソワ・オゾン
出演:メルヴィル・プポー、ドゥニ・メノーシェ、スワン・アルロー、エリック・カラヴァカ、ベルナール・ヴェルレー、フランソワ・マルトゥーレ、ジョジアーヌ・バラスコ、エレーヌ・ヴァンサン、マルティーヌ・エレール
原題:Grâce à Dieu
制作:フランス、ベルギー/2018
URL:https://graceofgod-movie.com
場所:新宿シネマカリテ

トム・マッカーシー監督の『スポットライト 世紀のスクープ』の中で描かれていたボストンのカトリック司祭による子供への性的虐待事件は、もちろんフランスでも似たような事件が起きていて、その問題をメディアの側からではなく、被害者側からの視点から描いた映画がフランソワ・オゾン監督の『グレース・オブ・ゴッド』だった。

フランソワ・オゾン監督の映画にしては珍しい社会問題を扱ったドキュメンタリー風の映画で、子供のころに神父から性的虐待を受けていた3人の被害者による告発を、最初は上流階級に位置するアレクサンドル・ゲランの視点から、次に中流階級に位置するフランソワ・ドゥボールの視点から、最後に下流階級に位置するエマニュエル・トマサンの視点から描いているところが面白かった。その三者三様の視点を、あからさまに章立てて分断させることなくて、切れ目なく流れるように描いている構成が巧かった。

その3人の中でも、高いIQを持ちながら神父による性的虐待がトラウマとなって、てんかんを発症するようになってしまった最後のエマニュエルの描写が生々しくて、実話を元にしたドキュメンタリー風の映画でありながら、そんなところがフランソワ・オゾンの映画だった。

→フランソワ・オゾン→ルヴィル・プポー→フランス、ベルギー/2018→★★★☆

監督:ウディ・アレン
出演:ティモシー・シャラメ、エル・ファニング、セレーナ・ゴメス、ジュード・ロウ、ディエゴ・ルナ、リーヴ・シュレイバー、レベッカ・ホール、ウィル・ロジャース、チェリー・ジョーンズ
原題:A Rainy Day in New York
制作:アメリカ/2019
URL:https://longride.jp/rdiny/
場所:109シネマズ菖蒲

ウディ・アレンも84歳になって、いつ遺作が来てもおかしくないなあ、とおもいながら次回の公開作を待っている身になって来た。ところが、ちょっとおかしな方向に転がり始めた。きっかけは2017年にハリウッドの大物プロデューサー、ハービー・ワインスティーンによるセクハラ・性犯罪疑惑が次々と暴露されて、「#MeToo (私も)」という掛け声とともに多くの女優が告発を始めたことからだった。

ウディ・アレンは、別れたミア・ファローとの間で行われた親権裁判で、養女ディラン・ファローに対して性的虐待が行われていたと告発された。しかし、決定的な証拠はないと裁判所に判断されて、警察の捜査でも訴追とはならなかった。ところが今回の「#MeToo 」運動の流れを受けて、当のディラン・ファローがロサンゼルス・タイムズに「なぜ #MeToo はウディ・アレンを見逃すのか」と題する署名記事を発表してまた騒ぎが再燃した。俳優たちがこぞってウディ・アレンとの仕事を後悔し、ギャラをチャリティーに寄付するなど、彼は映画監督としての立場を失うばかりになってしまった。

ウディ・アレンは今年になって自伝『Apropos of Nothing』を出版して、過去の児童性的虐待疑惑についての彼側の言い分を述べているらしいが、それでも、今の流れのままではウディ・アレンが今後映画を撮れるとはとてもおもえない。彼のキャリアはこのままThe Endとなってしまうのかなあ。そうだとすると、とても悲しい。

新作の『レイニーデイ・イン・ニューヨーク』も、最近の彼の映画はマンネリ化しているような気もするけれど、相変わらず会話のシーンが巧くて、観ていてめちゃくちゃ楽しい。いや、楽しいと云うことを通り越して、空気のような、水のような透明感に支配されて、コロナ禍などすっかり忘れて安心してまったりと映画館の座席に座っていられる。このような映画が存在するのは稀有なことだ。

ウディ・アレンに何かしらの非があったことは確かなんだろうとおもう。それがどれくらいの大きさなの非なのか判断できないけれど、それだけを持ってして彼の才能を潰してしまうのはどうなのかなあ、とはおもう。難しいところだ。

→ウディ・アレン→ティモシー・シャラメ→アメリカ/2019→★★★★

ホドロフスキーのサイコマジック

監督:アレハンドロ・ホドロフスキー
出演:アレハンドロ・ホドロフスキー
原題:Psychomagie, un art pour guerir
制作:フランス/2019
URL:https://www.uplink.co.jp/psychomagic/
場所:新宿シネマカリテ

アレハンドロ・ホドロフスキーが映画監督としての側面だけではなくて、自らが考案した心理療法「サイコマジック」を行うセラピストとしての側面もあって、映像表現からのアプローチで生まれたセラピーを精神的なダメージを受けた人たちに対して行っていたことをまったく知らなかった。その活動をまとめたものがこの映画で、彼の今までの映画のワンシーンと、実際に行っているセラピーを重ね合わせるように見せて行く構成が、まるでアレハンドロ・ホドロフスキーのこれまでの活動の集大成を見せているかのようだった。

どんな新しい心理療法を見ても、いつも胡散臭さを拭うことはできないのだけれど、でも考えてみれば、現在の医学だけでは治せないものを治そうとするところに筋道だった論理性があるわけがなくて、突拍子もないところになにかのきっかけが存在している可能性はあるのだから、そんな馬鹿な、と頭から否定してしまうのもおかしい話しだとはおもう。

だからアレハンドロ・ホドロフスキーの「サイコマジック」だって、この療法で心が晴れた人が存在するのなら、こんな方法だってあり、なんだろうとはおもう。もちろん、すべての人に効くとはおもえないけれど。

1986年の東京国際ファンタスティック映画祭でアレハンドロ・ホドロフスキーの『エル・トポ』をはじめて観た時に、事前に雑誌「スターログ」などから得た情報も手伝って、そして渋谷パンテオンの場内の得も言われぬ躁状態に惑わされて、エンドクレジットにおもわず拍手していたのは、今から考えれば「サイコマジック」に罹っていたのかな。

→アレハンドロ・ホドロフスキー→アレハンドロ・ホドロフスキー→ フランス/2019→★★★