監督:フレデリック・ワイズマン
出演:
原題:Sinai Field Mission
制作:アメリカ/1978
URL:
場所:シネマヴェーラ渋谷

毎年必ずシネマヴェーラ渋谷でフレデリック・ワイズマンがかかるので、空いた時間に少なくとも1本は観ようとおもってる。今年はうまいこと都合の取れた『シナイ半島監視団』。

1970年代の後半、エジプトのサダト大統領が対イスラエル強硬路線を転換してアメリカに急接近したとは云え、エジプトとイスラエルの間に横たわる緩衝地帯ではまだまだ緊張関係が続いているんじゃないかとおもっていた。そこのピリピリした雰囲気がフレデリック・ワイズマンのフィルムに収められているんじゃないかと勝手に想像していた。

ところがまったく違っていた。

そこで起こる問題と云えば、手続きの順番が違うだろう、とか、国連に協力しているガーナ軍のやつらが食堂で食い散らかしている、とか、エジプトからイスラエルへの移動の手続きが複雑過ぎる、とか。

そして、ところどころに挿入されるヤンキーたちのリクリエーションは、ロバート・アルトマンの『M★A★S★H』とまでは行かないまでも、さらに脱力感を感じさせるイメージショットだった。その後のイラクやシリアの事を考えれば、なんと牧歌的な時代だったことか。

→フレデリック・ワイズマン→→アメリカ/1978→シネマヴェーラ渋谷→★★★☆

監督:ナ・ホンジン
出演:クァク・ドウォン、ファン・ジョンミン、國村隼、チョン・ウヒ、キム・ファンヒ
原題:곡성(哭聲)
制作:韓国/2016
URL:http://kokuson.com
場所:楽天地シネマ錦糸町

ナ・ホンジン監督の第1作目の『チェイサー』は、画面から溢れるパワーには脱帽したけど、全体的なストーリーの運びにもたついた感じがあって、見ている間中たえず苛ついていたような感想しかなかった。

ところが次作の『哀しき獣』はめちゃくちゃ凄かった。捕まらないし、殺しすぎだし、死ななさすぎだし、物事が錯綜しすぎだし。やっていることはもしかすると『チェイサー』と同じなのかもしれないけれど、徹底的に押し切るパワーが尋常ではなかった。おもわず笑ってしまうほどだった。

今回の『哭声/コクソン』も、これもまたあっけに取られてしまった。この映画は、い、いったいなんなんだ? ゾンビ映画のようでもあるし、エクソシストのようでもあるし、ヴァンパイアのような「種族」の映画のようにも見えるし。

この映画の面白さは、山に住む日本人(國村隼)と、うろつく女(チョン・ウヒ)と、祈祷師(ファン・ジョンミン)をどのように捉えるかによって映画のイメージががらりと変わってしまうところにあった。でも、それぞれの人物の役割がいったいどのようなものなのかを判断することがとても難しい。そこが魅力的でもあった。はたして「悪霊」はいったい誰なのか。「善」と「悪」はどこにあるのか。ナ・ホンジン監督はこの映画のことについて「混沌や混乱、疑惑について描いています」と語っていた。だから、単純に正解を導き出すべき映画ではなくて、ああじゃないか、こうじゃないかと混乱すること自体が正解なんだとおもう。そして、そのあなたの勝手な思い込みは間違っていて、それが事態を「悪」へと導いているですよ、と云っているような映画だった。

→ナ・ホンジン→クァク・ドウォン→韓国/2016→楽天地シネマ錦糸町→★★★☆

監督:エドワード・ヤン
出演:張震(チャン・チェン)、楊静恰(リサ・ヤン)、張國柱(チャン・クォチュー)、金燕玲(エイレン・チン)、張翰(チャン・ハン)、美秀瓊(チェン・シャンチー)、王啓讃(ワン・チーザン)、柯宇綸(クー・ユールン)、林鴻銘(リン・ホンミン)、譚至剛(タン・チーガン)
原題:牯嶺街少年殺人事件
制作:台湾/1991
URL:http://www.bitters.co.jp/abrightersummerday/
場所:角川シネマ有楽町

ビデオの発売元だったヒーロー・コミュニケーションズが倒産して、その権利が特殊な会社に渡ってしまったことから長いこと日の目の見ることのなかったエドワード・ヤン監督の『牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人 事件』が、どんないきさつで公開できるようになったのか良くわからないのだけれど、やっと映画館で観ることが可能になった。それも4Kレストア版で。

『牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人 事件』と云えば、新宿TSUTAYAにある2巻もののVHSテープでしか見たことがなくて、それも多くの人が見たテープのために同期がところどころ飛んでいて、画質もやけに暗くて、ひどい状態での観賞しか見る手だてがなかった。それがいきなりの大画面、4Kレストア版での観賞で、もう、それだけで感激してしまって、4時間の長尺があっと云う間だった。

そんな感動している人間の傍らでは、グーグー寝てる人もいた。それも、わからないでもない。エドワード・ヤン監督の映画は、物事が起きたあとの結果の描写を省略する場合があるので、そこを読み解くことを怠れば簡単にストーリーから置き去りにされてしまう。それに『牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人 事件』は引き(遠景)での描写が多いので、画面の暗さも相まって誰が誰だかよくわからない。中国名も、愛称と実際の名前の両方が出てきて、さらに混乱に拍車がかかる。

まあ、そのような描写の省略を自分なりに想像して埋めて行かなければならないところもエドワード・ヤン監督の映画の魅力なんだけど、丁寧な描写のドラマに浸りきった人であれば、そこを魅力とおもう人は少ないのかもしれない。いろんな手だての映画を数多く見て来ればありきたりな手法に飽きて来て、このようなエドワード・ヤンの手法こそがゾクゾクするもんなんだけどなあ。

今回、『牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人 事件』を観直して気が付いたことは、小明、シャオミン(楊静恰、リサ・ヤン)の表情をクローズアップなどで捉えることが少ないので、自分から「誰でも私のことを好きになるんだわ」と云い切ってしまう小明の小悪魔姓が微妙にボンヤリしているところがリアリティさを増していてなんとも怖いところだとおもってたけど、若い医者を目の前にして、傍らにあった医者の帽子をひょこんと被って可愛らしさをアピールするところなんて、いやあ、そのものずばり小悪魔を見せつけていた。どっちにしたって、怖い、怖い。

→エドワード・ヤン→張震(チャン・チェン)→台湾/1991→角川シネマ有楽町→★★★★

監督:マノエル・デ・オリヴェイラ
出演:ルイス・ミゲル・シントラ、ディオゴ・ドリア、ミゲル・ギレルメ、ルイス・リュカ、ローラ・フォルネル、レオノール・シルベイラ
原題:’Non’, ou A Vã Glória de Mandar
制作:ポルトガル、スペイン、フランス/1990
URL:
場所:アテネ・フランセ文化センター

2015年に106歳で亡くなったポルトガルのマノエル・ド・オリヴェイラ監督のアテネ・フランセ文化センターでの追悼特集にやっと行くことができた。

マノエル・ド・オリヴェイラが1990年に撮った『ノン、あるいは支配の空しい栄光』は、アフリカにあるポルトガルの植民地(雰囲気として島国には見えないからアンゴラかモザンビークと云う設定か?)に派遣されたポルトガルの兵士の中に歴史の詳しい人物がいて、主にその彼によるポルトガルの戦争の歴史についての講釈によってストーリーが進行して行く。

以下、この映画で語られたポルトガルの歴史。

・紀元前2世紀、ローマ帝国軍は「ルシタニア」と呼ばれていた現在のポルトガルを侵略するが、この地の族長であったヴィリアトを中心としたルシタニア人たちに激しく抵抗に遭う。力では勝てないと考えたローマ軍はヴィリアトの部下を買収し彼を暗殺させる。

・1143年、アフォンソ1世を創始者とするブルゴーニュ(ボルゴーニャ)王朝ポルトガル王国が創始される。

・15世紀後半、カスティーリャ(今のスペイン中部を占める王国)の王位継承者の娘であるフアナ・ラ・ベルトラネーハと共謀したアフォンソ5世はカスティーリャのイサベル1世を支持する軍と戦い1476年3月にトロの戦いで敗れる。

・1490年4月、ジョアン2世(アフォンソ5世の子)は息子アフォンソ王子とカスティーリャのイサベラ王女を政略結婚させる。しかし8月、王子が落馬して死去したためイベリア半島の平和的統一の夢は潰える。

・ポルトガルは植民地主義へ向かい、海洋帝国を目指す。ヴァスコ・ダ・ガマはインド航路を確立し、新世界への道を開いた。

・1578年、セバスチャン王はモロッコ遠征を強行し、アルカセル・キビルで壊滅的な敗北を喫する。国王も戦死し、ポルトガルの歴史上、最大のダメージを被る。

以上、このような歴史が、ちょっとチープな寸劇で挿入される。このチープさはなんなんだろう? 戦争の歴史がまるっきり馬鹿らしく見えてくる。

ペドロ・コスタの『ホース・マネー』でポルトガルの近代史を勉強させてもらったけど、マノエル・ド・オリヴェイラの『ノン、あるいは支配の空しい栄光』ではさらにポルトガルの負の歴史を勉強させてもらった。ポルトガルって、日本人にとってはちょっと中途半端なイメージがあるけど、国の歴史としては奥深いところがあって面白すぎる。

→マノエル・デ・オリベイラ→ルイス・ミゲル・シントラ→ポルトガル、スペイン、フランス/1990→アテネ・フランセ文化センター→★★★

監督:デミアン・チャゼル
出演:ライアン・ゴズリング、エマ・ストーン、ジョン・レジェンド、ローズマリー・デウィット、フィン・ウィットロック、ジェシカ・ローゼンバーグ、ソノヤ・ミズノ、J・K・シモンズ
原題:La La Land
制作:アメリカ/2016
URL:http://gaga.ne.jp/lalaland/
場所:ユナイテッド・シネマ浦和

今年のアカデミー賞で一度は作品賞と発表されながら、担当者があやまって主演女優賞の名前が入っている封筒をプレゼンター(ウォーレン・ベイティ&フェイ・ダナウェイ!)へ渡してしまったことが判明して、受賞が取り消されてしまった『ラ・ラ・ランド』。それでも聞こえてくる評価は絶賛の声ばかりで、メインとなるナンバーも軽快で、ポップで、耳障りも良くて、期待感のボルテージが高まったまま映画を観に行くことになってしまった。

今までに何度も書いてきたように、期待感が高ければ高いほど作品の完璧さが要求されてしまうわけで、それを上回るためのハードルはめちゃくちゃ高くなってしまう。それを超えた作品として最近では『この世界の片隅に』があるにしてもそれは例外中の例外で、周りが騒げば騒ぐほど、うーむ、となってしまう作品が多い。

今回もその、うーむ、になってしまった。

映画のストーリーも、色彩も、カメラワークも、どうしも『巴里のアメリカ人』に見えてしまうのは、デミアン・チャゼルが昔のMGMミュージカルにオマージュを捧げているからなんだろうけど、となると、まずはその『巴里のアメリカ人』と比較してしまう。

『巴里のアメリカ人』の素晴らしさはジーン・ケリーのキャラクターに負うところが多くて(これは彼のすべての映画に云えることなんだけど)、そして相手役のレスリー・キャロンの可愛らしいキャラクターに負うところが多かった。その二人を『ラ・ラ・ランド』のライアン・ゴズリングとエマ・ストーンと比べてしまうと、まあ、何と云うか、月とスッポンと云うか。快活で、愛嬌があって、子供たちにも好かれるジーン・ケリーに比べて、表情が乏しいが故にすべてに於て世を拗ねているように見えるライアン・ゴズリング。清純に見えながら、はからずも二股をかけてしまう、そのギャップが愛おしさを倍増させるレスリー・キャロンに比べた「Crack whore(コカイン使いの売春婦?)」にしか見えないエマ・ストーン。

うーん、どうしてもこの二人をキャスティングしたことが正解だったとはおもえなかった。音楽も良いし、ラスト・シーンもシドニー・ポラックの『追憶』のようなロマンチックな恋愛映画にはなっていたとはおもうけど、主役の二人に最後まで感情移入することができなかった。残念。

→デミアン・チャゼル→ライアン・ゴズリング→アメリカ/2016→ユナイテッド・シネマ浦和→★★★

監督:スコット・デリクソン
出演:ベネディクト・カンバーバッチ、キウェテル・イジョフォー、レイチェル・マクアダムス、ベネディクト・ウォン、マイケル・スタールバーグ、ベンジャミン・ブラット、スコット・アドキンス、マッツ・ミケルセン、ティルダ・スウィントン
原題:Doctor Strange
制作:アメリカ/2016
URL:http://marvel.disney.co.jp/movie/dr-strange.html
場所:109シネマズ木場

「マーベル・シネマティック・ユニバース」のシリーズとしては第14作品目の映画で、「ドクター・ストレンジ」と云う新しいキャラクターがこれに加わった。

この映画の中でエンシェント・ワン(ティルダ・スウィントン)が「アベンジャーズは物理的な脅威と戦い、我々は神秘的な脅威と戦っている」と云っているとおり、『ドクター・ストレンジ』(のシリーズになるとおもわれる)は人間の内面にある精神世界での戦いをテーマとしていて、すでに「ダーク・ディメンション」の世界に陥ってしまったカエシリウス(マッツ・ミケルセン)と、そのカエシリウスに対抗はするが彼と似たような境遇に陥る可能性が高いドクター・ストレンジ(ベネディクト・カンバーバッチ)、そして大義のためならば「ダーク・ディメイション」を利用することも厭わないエンシェント・ワンと、その三者の「ダーク」な面とのかかわり合いが、ブラック、ホワイト(潜在的ブラック)、グレイと、奇麗に描き分けられている構成が面白かった。そこに原理主義的なホワイト(モルド)も加わって、我々の現実世界にあるそれぞれのパーソナリティの分類要素が凝縮している世界観も面白かった。

多次元宇宙(マルチバース)のイメージがクリストファー・ノーランの『インセプション』や『インターステラー』の域を出ていないことや、「ダーク・ディメンション」を支配している「ドルマムゥ」のイメージが『ロード・オブ・ザ・リング』の「冥王サウロン」にしか見えないことを差し引いても、最近の「マーベル・シネマティック・ユニバース」の中で一番面白かった。体調が良かった所為かもしれない。

→スコット・デリクソン→ベネディクト・カンバーバッチ→アメリカ/2016→109シネマズ木場→★★★☆