監督:エドガー・ライト
出演:アンセル・エルゴート、ケヴィン・スペイシー、リリー・ジェームズ、エイザ・ゴンザレス、ジョン・ハム、ジェイミー・フォックス、ジョン・バーンサル
原題:Baby Driver
制作:アメリカ/2017
URL:http://www.babydriver.jp
場所:T・ジョイ SEIBU 大泉

エドガー・ライトの映画の素晴らしさは、元ネタ探しというオタク的な部分もあるのだけれど、やはり、流れる曲にタイミングを合わせた映像のカット割りのリズムと映画を観ている我々のテンションとがシンクロする心地よさにあるとおもう。今回の『ベイビー・ドライバー』は、それがさらに磨きがかかって到達点に達したんじゃないのかなあ。ファーストシーンのベイビー(アンセル・エルゴート)によるスバル「インプレッサ WRX」のカーチェイス・シーンから始まって、5年後の仮出所で刑務所の前にクラッシックな車「シボレー・インパラ・コンバーチブル」を乗り付けたデボラ(リリー・ジェームズ)を見るまで、映画と一緒に一気に疾走する感覚が気持ちよすぎる。

それから、いつもながらエドガー・ライトの選曲も素晴らしい。主人公の愛称が「ベイビー」であることから、その名称の出てくる曲が数多く流れる(設定としてはiPodから)けど、そんな中でもCarla Thomasの「B-A-B-Y」はいいなあ。いつか、どこかで、聞いたことのある曲。

今年になってスティーヴ・ハミルトンの「解錠師」と云う本を読んだ。子供のころの両親の事件がトラウマとなって口がきけなくなり、その内側に向かうパワーが少年を金庫破りに成長させて、次第に闇の世界に取り込まれて行くストーリーだった。その過程で理想の女の子と出会い、なんとかその闇の世界から抜け出そうともがく設定も含めて、もちろんそっくりとは云わないけど、とてもよく似ていた。エドガー・ライトはこの話をベースにしたんじゃないのかなあ。

→エドガー・ライト→アンセル・エルゴート→アメリカ/2017→T・ジョイ SEIBU 大泉→★★★★

監督:パトリシオ・グスマン
出演:アウグスト・ピノチェト
原題:Le cas Pinochet
制作:フランス、チリ、ベルギー、スペイン/2001
URL:
場所:アテネ・フランセ文化センター

パトリシオ・グスマン監督の『チリの闘い』3部作は、1973年にチリで起きたクーデターを丁寧に追いかけたドキュメンタリーだった。世界で初めて自由選挙によって合法的に成立したアジェンデ大統領による社会主義政権が、いかにしてアウグスト・ピノチェト将軍を中心とする軍部によって崩壊させられて行ったのかを実際の映像を使って時系列に整理して、今見てもて映像アーカイブとしての資料価値もある素晴らしいドキュメンタリーだった。

そのクーデター後、政権を握ったピノチェト将軍と軍政評議会は過酷な「左翼狩り」を行って、数多くの死者や行方不明者を出すことになる。パトリシオ・グスマン監督の『ピノチェト・ケース』は、埋められた場所から行方不明者を掘り起こすシーンから始まる。そして、殺されたり、行方不明となったりしている人々の家族や拷問された人たちへのインタビューにつないでいく。さらに、高齢となったアウグスト・ピノチェトが病気療養のために向かったイギリスのロンドンで、スペインの司法当局の要請を受ける形でイギリス政府が彼を拘束、逮捕する事態をカメラは追いかける。

アウグスト・ピノチェトが残酷な「左翼狩り」を行う機運を高めるような体制づくりに加担したのは事実だとおもう。でも、一つ一つの虐殺や拷問を指示していたわけではないのも事実で、すべての殺人の責任を彼だけに押し付けるのは無理なことも確かだ。このような国家的な犯罪へのやりようにない怒りをいったいどこにぶつけたらいいのだろうか。この『ピノチェト・ケース』の遺族や犠牲者へのインタビューでは、やはりそこは、ピノチェトへの怒りをあらわにするだけではなくて、涙を流しながらも残されたものたちの「人生までは奪えない」と未来へ向けた希望を語らせることで締めくくらざるを得なかった。安易な「未来志向の関係」なんて空疎な言葉を語るのも憚られるけど、やはりそうせざるを得ないところが国家的な犯罪に対するもどかしさだった。

→パトリシオ・グスマン→アウグスト・ピノチェト→フランス、チリ、ベルギー、スペイン/2001→アテネ・フランセ文化センター→★★★☆

監督:ショーン・エリス
出演:キリアン・マーフィ、ジェイミー・ドーナン、アンナ・ガイスレロヴァー、シャルロット・ルボン、トビー・ジョーンズ、ハリー・ロイド、アレナ・ミフロヴァー、ビル・ミルナー、マルチン・ドロチンスキー
原題:Anthropoid
制作:チェコ、イギリス、フランス/2016
URL:http://shoot-heydrich.com
場所:新宿武蔵野館

1975年に作られたルイス・ギルバート監督の『暁の七人』は、第二次世界大戦中にナチスの高官であるラインハルト・ハイドリヒがチェコスロバキアのプラハで暗殺された事件(エンスラポイド作戦)を忠実に再現した映画だった。無謀ともおもえる作戦を決死の覚悟で遂行するチェコ人たちの姿が、実際にロケ撮影したプラハの歴史的な街並みと共に哀感豊かに描かれていたアクション映画だった。

その『暁の七人』のリメイクくらいの感覚でショーン・エリス監督の『ハイドリヒを撃て!「ナチの野獣」暗殺作戦』を観に行った。確かに、実話を元にしているわけだから、細かなディティールに差異はあるものの基本的なストーリーは『暁の七人』と同じだった。ただ、この40年くらいの歳月のうちに映画におけるリアリズムへの追求が著しく、暗殺犯たちとの連絡係となる音楽大学の学生であるアタへの拷問シーンが『暁の七人』と比べるとあまりにも凄まじかった。まだ幼い風貌の残るアタに向けた、バイオリン弾きの命でもある手が破壊される拷問は、むごたらしいビジュアルに加えて精神的なダメージをも受けてスクリーンから目をそらしそうになった。ここ数日の天候不順から来る自律神経の乱れも相まって、いやあ、このシーンを観るのがとても辛かった。

でも映画って、リアリティが豊かになればなるほど見たくもないものを見せられる可能性が出てくるんだけど、不快=つまらない、ではないんだよなあ。何度も云うけど。

エンスラポイド作戦が正確にどんなものだったのかをもっと知りたくなった。ちょうど昨年の11月に白水社から「ヒトラーの絞首人ハイドリヒ」と云う本が出てたので、これはいいタイミングだ! とおもったら税込5,184円だった。うーむ。

→ショーン・エリス→キリアン・マーフィ→チェコ、イギリス、フランス/2016→新宿武蔵野館→★★★☆

監督:マレク・ペストラク
出演:セルゲイ・デスニッキー、ボレスラフ・アバルト、ウラジミール・イワショフ、アレクサンドル・カイダノフスキー
原題:Дознание пилота Пиркса
制作:ソ連、ポーランド/1979
URL:
場所:アテネ・フランセ文化センター

ソ連の時代に作られたSF映画と云えばタルコフスキーの『惑星ソラリス』を真っ先に思い出すけど、同じスタニスワフ・レム原作で『ピルクスの審問』と云う映画があることをアテネ・フランセ文化センターの今回の「ソヴィエト・フィルム・クラシックス 冒険・SF映画編」で知って、タルコフスキーの映画には足元にも及ばないトンデモ映画を期待して観に行った。

マレク・ペストラク監督の『ピルクスの審問』は、図らずも同じ1979年に作られたリドリー・スコットの『エイリアン』と同じプロットを使用していて、宇宙船の乗組員の中の誰がアンドロイドなのか? がストーリーの軸となるサスペンス映画だった。ただ、このサスペンスの演出がリドリー・スコットと比べるまでもなくて、正体を突き止めるべく手に汗を握るような展開を期待していたのに、どこかボンヤリとした結末となって消化不全。この映画はアンドロイドが誰であるかがポイントじゃなかったのか! と叫ばざるを得ない映画だった。

でも、スタニスワフ・レムの原作がそうなのかわからないけれど、1979年のソ連で制作された映画なのに、西でも東でもないユニバーサルな国の設定で「パンナム」や「マクドナルド」が普通に出てくるところが面白かった。カーチェイスのシーンに1970年代のニューシネマっぽい匂いも感じられるし。

→マレク・ペストラク→セルゲイ・デスニッキー→ソ連、ポーランド/1979→アテネ・フランセ文化センター→★★★

監督:マーレン・アーデ
出演:ペーター・シモニスチェク、サンドラ・フラー、ミヒャエル・ビッテンボルン、トーマス・ロイブル、トリスタン・ピュッター、ハデビック・ミニス、ルーシー・ラッセル、イングリッド・ビス、ブラド・イバノフ、ビクトリア・コチアシュ
原題:Toni Erdmann
制作:ドイツ、オーストリア/2016
URL:http://www.bitters.co.jp/tonierdmann/
場所:新宿武蔵野館

常識に囚われないおかしな行動をする人間を不快におもいつつも、その行動の所為で常識に縛られすぎている今の自分の境遇に疑問を持ち始める設定は、ドラマの構成においては盤石なパターンだったりする。『ありがとう、トニ・エルドマン』はこれを父娘の関係に生かした設定だった。ただ、これが日本のドラマだったりしたら、おかしな行動に「笑い」を求めすぎてしまって、エキセントリックさが際立ったりしてしまう。『ありがとう、トニ・エルドマン』での父親の行動は、やりすぎちゃうんだけど呆れ返るほどではなくて、大笑いするほどのハズし方でもなくて、この微妙な行動は何? と云っている間にそれが少しずつボディブローのように効いて来る映画だった。上から目線で居丈高に娘を諭そうとしないヘンテコな親父の人物像が素晴らしかった。

それから、もう一つ。ビジネスのコンサルティングをしている娘の派遣先がルーマニアのブカレストだった。EUへの加盟も実現して、経済的に復興しつつあるルーマニアだけど、そこはケン・ローチの描くイングランドと同じように貧富の差はますます拡大するばかり。神経をすり減らしながらルーマニアの石油企業のために仕事をする娘と、ブカレストに住む庶民と交流を深める父親との対比も、この映画での重要なテーマの一つだった。おそらく子供の頃に父親から教わっただろうとおもわれるホイットニー・ヒューストンの「Greatest Love of All」を娘がブカレストの人たちの前で歌うとところは泣ける!

→マーレン・アーデ→ペーター・シモニスチェク→ドイツ、オーストリア/2016→新宿武蔵野館→★★★☆

監督:ロバート・エガース
出演:アニャ・テイラー=ジョイ、ラルフ・アイネソン、ケイト・ディッキー、ハーヴェイ・スクリムショウ、エリー・グレインジャー、ルーカス・ドーソン、ルーカス・ドーソン
原題:The Witch / The VVitch: A New-England Folktale
制作:アメリカ/2015
URL:http://www.interfilm.co.jp/thewitch/
場所:新宿武蔵野館

夜の闇が濃かった時代には、そこに潜む得体の知れないものへの恐怖があって、それは当時としては理解することのできなかった自然現象やどう猛な動物への畏怖が相まった感情から生ずるものでもあって、そう云った自分たちの理解することのできないものに対する怖れに解答を与えてくれるのが古代からの「宗教」の一つの側面だったんじゃないかともおもう。でも、その反面、自分たちの「宗教」に依存してもらうために恐怖を助長する側面もあって、だからこそキリスト教における「魔女」なんて概念も存在してしまった。

ロバート・エガース監督の『ウィッチ』は、1620年にメイフラワー号によって多くのイングランド人が入植して間もないアメリカのニューイングランドが舞台。教会との何かしらの確執から入植地を追放された親子6人家族は、まだまだ「闇」が多く存在する森の近くに住まわざるを得なくなってしまう。そこで幼い男の赤ちゃんが「神隠し」にあってから徐々に歯車が狂い始め、次々に家族の中の男のみが災難に見舞われていく。こうなると、この災難の原因を探りたくなるのが追い詰められた人間のよくある心情で、母親はそれを赤ちゃんがいなくなった時にそばにいた長女に見出してしまう。悪魔と契約した「魔女」ではないかと。

実の娘を「魔女」と疑い始める感情というものはいったいどんなものなんだろう? キリスト教徒でなければ理解不能のような気がする。理解するためのキーとしては、「月のもの」を迎えた女の子、と云うことと、姉に対して弟が性的欲求を見せるショットがある、と云うあたりかなあ。キリスト教にはルカによる福音書に出てくる「罪深い女」やヨハネによる福音書に出てくる「姦通の女」が絶えず重要視されていて、そこから淫らな女への嫌悪がすごく強いような気もする(特にキリスト教に関係する映画において)。信心深ければ深いほど、性的魅力を備えた若い女性への警戒心が強くなってしまう。だから実の娘を「魔女」と結びつけてしまうのか。

『ウィッチ』は入植地を追放された家族が狂っていく描写が美しいとともに、キリスト教徒でなくともゾッとするほどの怖さがあった。美しさと恐怖は紙一重だ。

→ロバート・エガース→アニャ・テイラー=ジョイ→アメリカ/2015→新宿武蔵野館→★★★☆

監督:ノア・バームバック、ジェイク・パルトロウ
出演:ブライアン・デ・パルマ
原題:De Palma
制作:アメリカ/2015
URL:
場所:新宿シネマカリテ

ブライアン・デ・パルマの映画を最初に映画館で観たのは1981年に日本で公開された『殺しのドレス』だった。ヒッチコックの『サイコ』にオマージュを捧げた映画として話題となって、当時、和田誠の「お楽しみはこれからだ」の影響からヒッチコックの映画を一生懸命に追いかけていた自分にとっては、観なければ! の映画だった。でも、当時の評価としては、ヒッチコックの安易な模倣として嫌悪を示す映画評論家も大勢いて、自分が映画を多く観はじめてからの作品としては、リアルタイムに賛否両論の嵐を体験した初めての映画だったような気もする。

ところが、この映画が、とても気に入ってしまった。確かにヒッチコックよりは下品で、捻りのないそのままストレートな『サイコ』の引用な気もするけど、そのけれんみのない純粋なヒッチコックへの愛情に好感を持ってしまった。スピルバーグにも通ずる映画に対する無邪気さをも感じ取ってしまった。そこからはずっと、過去の作品も含めてブライアン・デ・パルマを追いかけて来て、大好きな映画も、なんだこりゃの映画もあったけど、総合的には大好きな映画監督だった。

ノア・バームバックとジェイク・パルトロウが撮ったドキュメンタリー映画『デ・パルマ』は、単純にブライアン・デ・パルマへのインタビューでのみ構成されていて、彼が1963年に撮った『御婚礼/ザ・ウェディング・パーティ』からはじまって2012年の『パッション』に至るまで、一つ一つの作品が丁寧に彼自身によって語られて行く。ただ、それは、撮影方法とか俳優の起用方法とか作品論と云った「ヒッチコック/トリュフォー」のようなものではなくて、作品を世に出すまでに如何に自分の信念を貫いたかの逸話に多くが割かれていた。そこから彼の映画に対する情熱が充分に伝わって来て、やはりピュアな心を持ち続けることが映画制作には必要不可欠なんだなあ、と、子供がそのまま大きくなって人の良いおじさんになったように見えるブライアン・デ・パルマがますます好きになってしまった。

→ノア・バームバック、ジェイク・パルトロウ→ブライアン・デ・パルマ→アメリカ/2015→新宿シネマカリテ→★★★☆