監督:クリストファー・ノーラン
出演:キリアン・マーフィー、エミリー・ブラント、マット・デイモン、ロバート・ダウニー・Jr.、フローレンス・ピュー、デヴィッド・クラムホルツ、ジョシュ・ハートネット、ケイシー・アフレック、マシュー・モディーン、ラミ・マレック、トム・コンティ、ケネス・ブラナー
原題:Oppenheimer
制作:アメリカ/2023
URL:https://www.oppenheimermovie.jp/
場所:109シネマズ菖蒲

今年のアカデミー賞で作品賞を含む最多7部門で受賞を果たしたのがクリストファー・ノーランの『オッペンハイマー』だった。

原子爆弾の開発に携わった物理学者J・ロバート・オッペンハイマーについては、むかしアメリカのVoyager社が作った「The Day After Trinity」と云うCD-ROMの日本語版「ヒロシマ・ナガサキのまえに」制作に携わった(と云うか傍観していた)関係で、そのCD-ROMを作るきっかけとなったジョン・エルス監督の米国PBSで放送されたドキュメンタリー映画『The Day After Trinity -J Robert Oppenheimer and the Atomic Bomb-』を見たことで少しは知っているつもりでいた。

でもこのドキュメンタリーは、オッペンハイマーの原子爆弾開発・製造における関係者の証言に特化していたものだったので、クリストファー・ノーランの映画を観ることによって、オッペンハイマーのパーソナルな部分にも突っ込んだ部分、精神を病んで教授に毒リンゴを食わせようとしたこととか、女にだらしがないとか、その人のベースにある負の部分を知ることができたのは面白かった。

ただ、3時間を通してずっと情報の洪水を受け入れなければならないのには疲れてしまった。時系列を頭の中で整理する余裕も与えられないし、矢継ぎ早に登場する人物が何に携わっているのかも理解できないし、アイソトープの輸出ってなに? 爆弾開発に冶金も関係あるの? の疑問にも立ち止まってはいられない。いやもう、疲れるを通り越して、陶酔してしまった感もある。それはクリストファー・ノーランの『インセプション』や『TENET テネット』に通ずるものがあった。

全体的に見れば、細かいところの理解がぼんやりで良ければ、原子爆弾を作ってしまったオッペンハイマーの苦悩を巧く表現できていた映画だった。それはやはりクリストファー・ノーランの力量によるところは大きいとおもう。

これはもう一度、アマプラやU-NEXTなどの配信で見直さなければ。配信の良いところは、ストップさせたり、戻せたりできるところだ。立ち止まることが映画鑑賞として正しい行為なのかどうかはわからないのだけれど。

→クリストファー・ノーラン→キリアン・マーフィー→アメリカ/2023→109シネマズ菖蒲→★★★★

監督:ローラ・ポイトラス
出演:ナン・ゴールディン
原題:All the Beauty and the Bloodshed
制作:アメリカ/2022
URL:https://klockworx-v.com/atbatb/
場所:MOVIXさいたま

まったく視野に入っていなかったローラ・ポイトラス監督の『美と殺戮のすべて』を知人から勧められてなんの情報も入れずに観てみた。

『美と殺戮のすべて』は、写真家ナン・ゴールディンの生い立ちやどのようなキャリアを積んできたのか、そして彼女自身も被害にあった医療用麻薬「オキシコンチン」による中毒蔓延の責任を追及する活動を追ったドキュメンタリーだった。

ナン・ゴールディンのことはまったく知らなかった。考えてみると画家や写真家には興味があるのだけれど、その人たちの情報を入れる窓口があまりにも狭すぎて、それなりに有名な人たちのことも知らないことが多い。この映画で知る限り、ナン・ゴールディンの写真は70年代のアングラっぽいイメージに見えて、撮った写真を自らスライドショーで構成するあたりは、むかし仕事で関わったことのある寺山修司をおもい出してしまった。

ナン・ゴールディンの生い立ちを追ううちに、彼女が大好きだった姉バーバラと母親との確執が見えてくる。母親は一方的にバーバラを統合失調症だと決めつけて施設に入れてしまう。その後、そこでバーバラは自殺してしまう。なぜ、姉は自殺したのか? を調べて行くうちに、精神を病んでいたのは姉ではなく母親ではなかったのか、が見えてくるのがミステリアスで、そこだけ掘り下げても面白いドキュメンタリーになっていたとおもう。でも、このドキュメンタリーの構成としては、複雑な家庭環境があったからこそナン・ゴールディンの過激な写真が生まれて来たとするもので、医者に「オキシコンチン」を処方されてしまうのもその流れの延長線上にあった。

で、この映画のもう一つの大きな柱としてはその「オピオイド鎮痛薬」の一種である「オキシコンチン」中毒が世の中に蔓延してしまった責任を製薬会社パーデュー・ファーマおよびその会社を支配するサックラー家を告発するナン・ゴールディンの活動だった。サックラー家は「オキシコンチン」で儲けたお金をさまざまな有名な美術館に寄付をしていた。そのため、たとえばメトロポリタン美術館ではデンドゥール神殿のあるエリアを「サックラー・ウィング」と名付けられ、ほかにもルーブル美術館やグッゲンハイム美術館など様々なところでサックラー家の名を冠しているものが数多くあった。ナン・ゴールディンたち「P.A.I.N.(Prescription Addiction Intervention Now)」と呼ばれる団体は、サックラー家の寄付を受けている美術館で抗議活動を行い、最終的に各美術館から「サックラー」の名前を外すことに成功する。

ナン・ゴールディンの姉のことからはじまったこの映画は、最後、姉についてで終わる。彼女の写真および抗議活動の源流には大好きな姉を失った「痛み」があったからこそだった。両親との折り合いが悪くなった「痛み」もあり、その後の既存のシステムに反発する「痛み」もある。ナン・ゴールディンがオピオイド危機に対抗するために作った団体「P.A.I.N.」は「オキシコンチン」中毒に対する「痛み」だけではなくて、ナン自身のすべての「痛み」も包括的に意味しているように見えてしまった。

たまには気にもとめていない映画を観るのもありだとおもう。まったく知らない世界と出会えるから。

→ローラ・ポイトラス→ナン・ゴールディン→アメリカ/2022→MOVIXさいたま→★★★★

監督:セリーン・ソン
出演:グレタ・リー、ユ・テオ、ジョン・マガロ
原題:Past Lives
制作:アメリカ/2023
URL:https://happinet-phantom.com/pastlives/
場所:MOVIXさいたま

『パスト ライブス/再会』を撮ったセリーン・ソンは韓国系カナダ人の監督で、この映画を観たあとに英語版Wikipediaで彼女の経歴を調べたら、なるほど、自分の生い立ちをベースにこの脚本を書いたんだなあ、と云うことがわかった。

セリーン・ソンは韓国に生まれ、12歳のときにカナダのオンタリオ州マーカムに家族とともに移住した。父親のソン・ヌンハンは映画製作者で、その影響からか高校の時にはじめての戯曲を書き、オンタリオ州のクイーンズ大学で心理学を学んだあと、ニューヨークのコロンビア大学で劇作の修士号を取った。2019年にはマサチューセッツ州ケンブリッジにあるアメリカン・レパートリー・シアターで彼女の戯曲「エンドリングス」が上演されて、2020年3月にはニューヨークシアターワークショップでの上演となり、オフ・ブロードウェイのデビューとなった。私生活では、エドワード・F・アルビー財団が主催するアーティスト・レジデンスで知り合った作家ジャスティン・クリツケスと結婚し、一緒にニューヨーク市に住んでいる。

『パスト ライブス/再会』に出てくるナヨン(のちのノラ、グレタ・リー)の生い立ちはまるっきりセリーン・ソン自身だった。12歳で韓国からカナダに移住し、ニューヨークに出て戯曲を書き、演劇ワークショップで知り合ったアーサー(ジョン・マガロ)と結婚してニューヨークに住んでいる。この自身の境遇をベースとして、12歳で幼なじみで仲良くしていたヘソン(ユ・テオ)との別れ、24歳でオンラインでの再会、さらに36歳(おそらく12歳区切りだったとおもう)でニューヨークで実際に再会すると云うストーリーに仕立てた。

概要だけ聞けば、韓国人の幼なじみとアメリカ人の夫とのあいだで気持ちの揺れる単純なラブ・ストーリーにも見えるけれど、そこは韓国系の監督が書いた脚本なので、日本人にも共通する慎ましさが全体に横たわっていて、はっきりと決めてかかる西欧的なものとは違った静かな映画に仕上がっていた。とくにラストの、韓国に帰ろうとするヘソンを見送るナヨンとのあいだに横たわる距離感を見せるシーンが、キスをするべきではないことを理解している二人の関係性が痛いほど伝わってくるシーンが素晴らしかった。

韓国の映画(今回のは実際にはアメリカ映画だけど)を観ると、日本の映画にもこんな映画が欲しいなあ、とおもうのはもういい加減やめたい。

→セリーン・ソン→グレタ・リー→アメリカ/2023→MOVIXさいたま→★★★★