紙の月

監督:吉田大八
出演:宮沢りえ、池松壮亮、大島優子、田辺誠一、小林聡美、近藤芳正、石橋蓮司、伊勢志摩、佐々木勝彦、天光眞弓、中原ひとみ
制作:「紙の月」製作委員会/2014
URL:http://www.kaminotsuki.jp
場所:ユナイテッド・シネマとしまえん

角田光代の小説「紙の月」は、原田知世主演ですでにNHKがドラマ化していて、それを何となくダラダラと、そんなに熱中することもなく見てしまった。だから、ぼんやりとストーリーを理解してしまったので、この映画を見る楽しみと言えば原田知世と宮沢りえの女優比較をするくらいしかないのかな、とおもっていたところにいきなり小林聡美が切り込んで来た。

宮沢りえが勤めている銀行の同僚で「お局」的な存在を演じている小林聡美は、おかっぱの髪形には乱れが一つもなく、仕事上の些細なミスも許さない何事にもキッチリとした性格で、同僚の女性の服装や装飾品の変化までチェックして、銀行員としての品行方正さに目を光らせている(と言うシーンは出てこないけど、大島優子の言動からそんな感じ)ようなカタブツの女性銀行員。この映画は、次第に変化して行く宮沢りえとこの小林聡美とを比較することにポイントを置いて、二人の対決をラストのクライマックスに持って来るような構成となっていた。このようなシーンはテレビドラマには無かった。いや、小林聡美が演じているキャラ自体が無かったような気がする。とすると、映画用の創作なのか。原作を俄然読みたくなってしまった。

小林聡美のセリフのシーンにはクローズアップを多用していて、表情をあまり見せない能面のような顔がスクリーンいっぱいに広がるのはインパクトがあった。そのあまりの強烈さに宮沢りえが霞んでしまったほどだった。いわゆる、主役を食ってしまっていた。

→吉田大八→宮沢りえ→「紙の月」製作委員会/2014→ユナイテッド・シネマとしまえん→★★★☆

6才のボクが、大人になるまで。

監督:リチャード・リンクレイター
出演:エラー・コルトレーン、パトリシア・アークエット、イーサン・ホーク、ローレライ・リンクレイター、リビー・ヴィラーリ、マルコ・ペレッラ、ブラッド・ホーキンス、ゾーイ・グラハム、チャーリー・セクストン、ジミー・ハワード 、アンドリュー・ヴィジャレアル、イライジャ・スミス、ニック・クラウス、トム・マクテイグ、スティーヴン・チェスター・プリンス、エヴィー・トンプソン、ジェニファー・グリフィン、タマラ・ジョレイン、テイラー・ウィーヴァー、ライアン・パワー
原題:Boyhood
制作:アメリカ/2014
URL:http://6sainoboku.jp
場所:新宿武蔵野館

12年ものあいだ同じ俳優、子役を使って、彼らの肉体的成長とともにストーリーを同時進行で進めて行く方法は誰もが考えつきそうだけれど、でも、そのコストや俳優の拘束期間を考えたら今まで誰もが手を付けなかった事だとおもう。それをリチャード・リンクレイターが『6才のボクが、大人になるまで。』で実現させてしまった。その冒険心が素晴らしい。

そして、そこまで苦労して作り上げた映画を実際に見てみると、ストーリーはフィクションでも肉体的な成長はノンフィクションで、まるでリアルな事が展開されているドキュメンタリー映画を見ているような感覚に陥って、まったく新しいジャンルの映画を見ているようだった。特に子役のエラー・コルトレーンやローレライ・リンクレイターが大きく成長して行く姿は、まるで自分の親戚の子の成長をポイント、ポイントで見て、わぁー、見ないうちに大きくなったねえ、と言いたくなるほどだった。彼らが成長とともに関わる小道具たち、iPod、ボンダイブルーiMac、ドラゴンボールZ、ブリトニー・スピアーズ、ハリー・ポッター、Halo、Wii Sports、Facebookなども、自分がそれに関わった時代をオーヴァーラップすることが出来て、さらにリアルさを倍増させてくれた。

イーサン・ホークやパトリシア・アークエットも、実際の子供の親としての成長、歳の取り方を見ているようで、とりわけパトリシア・アークエットは、最初のシーンの容姿が『トゥルー・ロマンス』の時とそんなに変わらなかったので、何となく今もそのような容姿のままなんじゃないかと勘違いしてしまって、それが映画を見て行くうちにどんどんと膨らんで行ってしまうので、ああ、歳月と云うものは厳しいもんだなあと痛感して行くのもドキュメンタリーっぽかった。

2時間46分の上映時間は映画としては長いけれど、ドキュメンタリー映画として見ればあたりまえの長さで、家族の一人一人が12年間に渡ってさすらう時間の中に身を置くことを考えれば決して長くなかった。最後に、ポンッ、と終わった時には、どこか寂しさを感じてしまった。

→リチャード・リンクレイター→エラー・コルトレーン→アメリカ/2014→新宿武蔵野館→★★★★

誰よりも狙われた男

監督:アントン・コービン
出演:フィリップ・シーモア・ホフマン、レイチェル・マクアダムス、ウィレム・デフォー、ロビン・ライト、グレゴリー・ドブリギン、ニーナ・ホス、ダニエル・ブリュール、ホマユン・エルシャディ
原題:A Most Wanted Man
制作:アメリカ・イギリス・ドイツ/2013
URL:http://www.nerawareta-otoko.jp
場所:新宿武蔵野館

フィリップ・シーモア・ホフマンが今年の2月2日に亡くなった。まだ46歳の若さだった。彼を意識し出したのは、おそらくポール・トーマス・アンダーソンの『マグノリア』あたりだとおもう。そして『カポーティ』で決定的となって、『その土曜日、7時58分』『脳内ニューヨーク』『ザ・マスター』と彼の演技の鬼気迫る凄さに夢中になってしまった。特にポール・トーマス・アンダーソンの『ザ・マスター』の演技はどこか異次元に行ってしまったかのような神々しさを感じて、この人、ちょっとヤバいんじゃないのか、とおもったくらいだ。それが的中してしまったかのように今年、薬物の過剰摂取で逝ってしまった。

そのフィリップ・シーモア・ホフマンの遺作(厳密に云えば『ハンガー・ゲーム3』になるのかな)は、彼としてはフツーの演技の映画ではあるけれども、ジョン・ル・カレが原作なので男の哀愁が甚だしく、亡くなってしまったフィリップ・シーモア・ホフマンに重ね合わせてしまって余計にしんみりしてしまった。まあ、ドイツのテロ対策チームを率いる人間にはまったく見えないんだけどね。ドイツ人にも見えないし、肉体的にも精神的にもギリギリのプレッシャーに耐えうる人間の体躯にも見えないし。

CIAに出し抜かれて作戦が失敗するフィリップ・シーモア・ホフマンの最後のセリフが「FUCK!」の絶叫だった。まるで亡くなった彼が自分の死に様について絶叫しているようだった。

→アントン・コービン→フィリップ・シーモア・ホフマン→アメリカ・イギリス・ドイツ/2013→新宿武蔵野館→★★★☆

ニンフォマニアック Vol.1

監督:ラース・フォン・トリアー
出演:シャルロット・ゲンズブール、ステラン・スカルスガルド、ステイシー・マーティン、シャイア・ラブーフ、クリスチャン・スレーター、ユマ・サーマン、ソフィー・ケネディクラーク、コニー・ニールセン、ジェームズ・ノースコート、チャーリー・G・ホーキンス、イェンス・アルビヌス、フェリシティ·ギルバート、イェスパー·クリステンセン、ヒューゴ・シュペーア、サイロン・メルヴィル、サスキア・リーヴス、ニコラス・ブロ、クリスチャン·ガーデビヨ
原題:NYMPH()MANIAC
制作:デンマーク/2013
URL:http://www.nymphomaniac.jp
場所:新宿武蔵野館

ラース・フォン・トリアーの前作『メランコリア』は、映画館で観た時にはそんなに気にも止める映画でもなく、ラース・フォン・トリアーにしては不快さが足りないな、と云う感想しか持たなかったのだけれど、その後なぜかジワジワと『メランコリア』への愛着が募り、WOWOWで再見した時にはその映画がすっかり好きなっていた。でもそれは、ラース・フォン・トリアーへの期待がしっかりと映像化された結果に対する愛着ではなく、映画の中で描かれる絶望のイメージが自分の中でおもい描いていたイメージとぴったりと合致していたことが時が経つにつれて次第に鮮明になって来たにすぎなかった。自分にとってラース・フォン・トリアーに対する期待とは絶えず『ダンサー・イン・ザ・ダーク』のラストシーンなんだとおもう。あのラストシーンは私が見てきた映画史上最低だった。最低の最低の最低映画だった。だからこそ素晴らしかった。

今回はそんなラース・フォン・トリアーの最低映画に久しぶりに会えるのかな、と期待したけど、またちょっとはぐらかされてしまった気がする。特に「第3章ミセスH」は何なんだろう? 笑えるのだ。ラース・フォン・トリアーの映画で笑えるとはおもっていなかった。それもしっかりと笑わす工夫をしているコントのようだった。ユマ・サーマンに復讐劇をやらせるなんて、タランティーノのパロディなのか!

パロディの兆候は「第1章コンプリートアングラー」からあった。アイザック ウォルトンの名著「釣魚大全」を引き合いに出した色情狂成長記録は、フライ・フィッシングの作法とセックスするために男をピックアップする手法を重ね合わせたパロディのような体裁で、そこかしこに笑わせるような仕掛けを用意していた。この段階からして今回のラース・フォン・トリアーの映画に対して?マークが付いたのだけれど、それが「第3章ミセスH」ではっきりしたわけだった。うーん、ラース・フォン・トリアーに対して求めているのはこれではまったくない。どうしてこんな映画を撮ることになったのだろう。はたしてこんな気持ちでVol.2も観るべきか。どうしよう。

→ラース・フォン・トリアー→シャルロット・ゲンズブール→デンマーク/2013→新宿武蔵野館→★★★

雲晴れて愛は輝く

監督:ハワード・ホークス
出演:ジョージ・オブライエン、ヴァージニア・ヴァリ、ウィリアム・パウエル、トーマス・ジェファーソン、J・ファーレル・マクドナルド、フランシス・マクドナルド、ハンク・マン
原題:Paid to Love
制作:アメリカ/1927
URL:
場所:東京国立近代美術館フィルムセンター大ホール

今年の東京国際映画祭の一環として企画された「N.Y.近代美術館映画コレクション」には観たい映画がいっぱいあったけど、結局は体調を崩したこともあってこのハワード・ホークスのサイレント映画だけしか観ることができなかった。でも、そのたった1本の映画のピアノ伴奏が新垣隆と云う豪華さで、想像していたよりも生ピアノの心地良さにびっくり。最近よく生ピアノ伴奏付きのサイレント映画があちこちで上映されていたけど、これはもっと体験しておくべきだったと反省しきり。

このハワード・ホークスの監督としての4作目は、まるで教科書のような映画だった。物語の構成や場面展開、笑わせるツボを押さえた演出のどれをとっても基本となるような映画で、ハワード・ホークスのその後の綺羅星のごとく輝く映画群のスタートラインに立つ映画としても納得のできる映画だった。人物の動きで説明する必要のあるサイレント映画で培った演出術のベースがあるからこそ、例えば『リオ・ブラボー』での寡黙なジョン・ウェインの存在感を引き立たせることができるのだ。

自分の隣に座った学生とおぼしき人が暗闇の中で器用に、しきりにノートを取っていた。いつもなら映画を楽しんでいないそんな行為に憤慨するところだけど、このお手本となるような映画ならノートを取るのも当たり前だなと変に納得してしまった。

→ハワード・ホークス→ジョージ・オブライエン→アメリカ/1927→東京国立近代美術館フィルムセンター大ホール→★★★★

アバウト・タイム 愛おしい時間について

監督:リチャード・カーティス
出演:ドーナル・グリーソン、レイチェル・マクアダムス、ビル・ナイ、トム・ホランダー、マーゴット・ロビー、リディア・ウィルソン、リンゼイ・ダンカン、リチャード・コーデリー、ジョシュア・マクガイア、ウィル・メリック、バネッサ・カービー、トム・ヒューズ
原題:About Time
制作:イギリス/2013
URL:http://abouttime-movie.jp
場所:新宿武蔵野館

タイムスリップものの映画を観た時に、何よりもまずタイムスリップのルールが気になってしまう。そこに粗が目立つと一気に映画を見る気が失せてしまう。タイムスリップ映画の大前提としてタイム・パラドックスがあるので必ず矛盾があるわけだけど、その矛盾を意識させないようなキッチリとしたルールを作っている映画か、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のような勢いで見せてしまうような映画でなければ、どうしても途中で白けてしまう。

この『アバウト・タイム 愛おしい時間について』はそのルールが適当だった。

タイムスリップのルールとして、以下の事があったとおもう。

・タイムスリップの能力は男系に遺伝する
・暗闇の中で目をつぶって両手のこぶしを握りしめればタイムスリップできる
・未来へはタイムスリップできない
・自分に男系の子供が産まれたら、その時点の年齢以前にはタイムスリップできない

まず、大前提として「未来へはタイムスリップ出来ない」と掲げて置きながら、簡単にそれを破っている。ルールを決めて置きながら、どうしてそんなに簡単に反故にできるんだろう。いや、もしかして、あれは未来へ戻ったわけではなくて、過去へのタイムスリップを取り消したんだろうか。でも、そんなことが出来るなんて聞いてない!

この映画の分岐点とでも云える、妹が事故を起こす重要なシーンにこの矛盾を突きつけられてしまったので、その解釈をめぐって頭の中がフル回転してしまって、主人公の感情の機微にしっかりと感情移入するべきポイントをすっかり逃してしまった。

それから、「自分に男系の子供が産まれたら、その時点の年齢以前にはタイムスリップできない」は最初にキッチリと説明して欲しかった。ラストの感動を盛り上げるためにいきなりそんなことを云われても!

過ぎ去った時間が、それが自分にとって良い事でも悪い事でも、何ものにも代えがたい重要な一瞬であると云うことをタイムスリップを多用することによって明らかにして行く。映画自体の主題はとても共感できるものだっただけに、このルールの矛盾が残念すぎて。

→リチャード・カーティス→ドーナル・グリーソン→イギリス/2013→新宿武蔵野館→★★★