監督:フレデリック・ワイズマン
出演:ニューヨーク州のジャクソンハイツの人びと
原題:In Jackson Heights
制作:アメリカ/2015
URL:http://child-film.com/jackson/
場所:シアター・イメージフォーラム

フレデリック・ワイズマンの『ニューヨーク、ジャクソンハイツへようこそ』は、ニューヨークのクイーンズ地区にあるジャクソンハイツに住む人びとにカメラを向けていた。このジャクソンハイツはマンハッタンに近いわりには家賃も安く、治安もそれほどひどくないこともあって中南米からの移民の人も多く、さらにそのような多様性に惹きつけられてかLGBTの人びとも多く住むようになって、まるで『スター・ウォーズ』に出てくるチャルマンの酒場のような様相になっていることに驚いてしまった。これって、もしかするとわれわれの「未来」でもあるんじゃないのか。日本も高齢化で労働人口も減って、海外からの労働力に頼らざるを得なくなって、いつしかジャクソンハイツになって行くのかもしれない。そのときに、いかにして多様な文化を受け入れることができるんだろうか? ひとつの民族(正確には違うけど)、ひとつの言語、そして宗教にも無関心。おなじときに休んで、おなじような場所に行って、おなじことをすることで安心しているわれわれがジャクソンハイツになれるのかなあ。ならざるを得ないときのひずみがとても心配だ。

→フレデリック・ワイズマン→ニューヨーク州のジャクソンハイツの人びと→アメリカ/2015→シアター・イメージフォーラム→★★★★

監督:フレデリック・ワイズマン
出演:コロラド州のモンフォート・ミート・パッキング・ファームの人びと
原題:Meat
制作:アメリカ/1976
URL:
場所:アテネ・フランセ文化センター

牧場で飼われている牛たちがどのような経緯を経て我々の食卓に並ぶのかは、なーんとなく理解はしているけれど、それを深く考えると肉が美味しく食えなくなってしまうかもしれないので、そこは無理やりスルーしておきましょう、ってはなしになっていたはずだった。でもそれをフレデリック・ワイズマンは許さなかった。つぶらな瞳をしたいたいけな牛や羊たちが集められて、運ばれて、吊るされて、血を抜かれて、バラバラにされて、小分けにされて、梱包されて出荷される過程をまざまざと見せつけてくれた。うーん、やっぱり辛い。辛すぎる。我々はどうしてそこまでして生きている動物を殺して食わなければならないのだろう。動物性タンパク質は、なにか、他のもので補えるはずだ。もう、可愛い動物たちを食べるのはよそう…。

と決意した帰り道、いつのまにかラーメン屋でチャーシューを食っていた。ああ…。

→フレデリック・ワイズマン→コロラド州のモンフォート・ミート・パッキング・ファームの人びと→アメリカ/1976→アテネ・フランセ文化センター→★★★★

監督:フレデリック・ワイズマン
出演:ベネディクト会エッセネ派の人びと
原題:Essene
制作:アメリカ/1972
URL:
場所:アテネ・フランセ文化センター

エッセネ派とは紀元前2世紀から紀元1世紀にかけて存在したユダヤ教のグループの呼称らしい。そして現代では、その厳格な教えを受け継いだキリスト教のグループなどの呼称にも使われているらしい。フレデリック・ワイズマンはベネディクト会のエッセネ派の人びとを追った。

どんな宗教でも聖職に身を置く人たちは、一般の人たちよりも人間としてのステージを上げることを目的とした人びとだろうと勝手に解釈しているんだけど、このフレデリック・ワイズマンの『エッセネ派』の中に登場する神父たちは、やたらと俗っぽい人間関係で悩みを抱えていて、それだったら我々のコミュニティで起こる問題と何ら変わることがなくて、修道会で行われる厳しい修行とはいったい何のためなんだろう? と、あきれて映画を観続けていた。

どんなところへもズケズケと入り込んでいくフレデリック・ワイズマンのカメラが客観的に捉える人間たちはどこまでも可笑しすぎる。

→フレデリック・ワイズマン→ベネディクト会エッセネ派の人びと→アメリカ/1972→アテネ・フランセ文化センター→★★★☆

監督:フレデリック・ワイズマン
出演:メトロポリタン病院の人びと
原題:Hospital
制作:アメリカ/1970
URL:
場所:アテネ・フランセ文化センター

いつのころからか「病院」に関連するすべてのものを忌み嫌うようになってしまった。建物も備品も医師も看護婦も病人も、とにかくすべて。でも、いつしか自分も大病を患って「病院」に世話にならざるを得ない状況が生まれるんだろうなあ。そうしたときに、どんな顔をして「病院」へ行くことになるんだろう? 不安、不信、怖れ、動揺、混乱、心労、そのすべてがにじみ出ているに違いない。

フレデリック・ワイズマンの『病院』は、まさにそんな感情を抱えた人たちの表情がスクリーンいっぱに広がっていた。病院を訪れる病人やその家族にぴったりと寄り添ったカメラに映る人間はまさに自分だった。そこまでのめり込んで観てしまった映画は、あっという間の84分だった。

→フレデリック・ワイズマン→メトロポリタン病院の人びと→アメリカ/1970→アテネ・フランセ文化センター→★★★★

監督:サミュエル・マオズ
出演:リオル・アシュケナージ、サラ・アドラー、ヨナタン・シライ、シラ・ハイス、ユダ・アルマゴル、カリン・ウゴウスキー
原題:פוֹקְסטְרוֹט‎
制作:イスラエル、ドイツ、フランス、スイス/2017
URL:http://www.bitters.co.jp/foxtrot/
場所:新宿武蔵野館

レバノンの『判決、ふたつの希望』に続いて今度はイスラエルの映画。

とても不思議な映画だった。大きく3つのパートに別れているこの映画は、人物のクローズアップ多様の「怒り」とでも名付けることのできるパートで衝撃を与えて、次にロングショット多様の「静寂」とでも名付けることのできるパートで落ち着かせて、そして最後に最初のパートと同様にクローズアップ多様の、でも今度は「受容」とでも云えるパートで穏やかに終わらせている。この3つのパートのあいだで波打つ人間の感情の振幅がまるで交響曲の旋律のようで、ベートーヴェンの「運命」を聞いているようだった。特に、2つ目の「ラクダが通る検問所」のパートは、静けさの中の突然の衝撃が強烈で、ちょっとデヴィッド・リンチの映像をも彷彿とさせて、映画館をあとにしてもその残像が尾を引く変わった映画だった。

サミュエル・マオズ監督がヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞した『レバノン』を観なければ。

→サミュエル・マオズ→リオル・アシュケナージ→イスラエル、ドイツ、フランス、スイス/2017→新宿武蔵野館→★★★☆