監督:サム・メンデス
出演:オリヴィア・コールマン、マイケル・ウォード、コリン・ファース、トビー・ジョーンズ、ターニャ・ムーディ、トム・ブルック、クリスタル・クラーク
原題:Empire of Light
制作:イギリス、アメリカ/2022
URL:https://www.searchlightpictures.jp/movies/empireoflight
場所:ユナイテッド・シネマ浦和

最近では007の映画や第1次世界大戦を舞台にした『1917』など大資本の映画ばかりを撮っていたサム・メンデス監督が『アメリカン・ビューティー』や『レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで』のようなこじんまりとした人間ドラマに戻ってきた。サム・メンデスにはこのような地味な映画にこそ上手さを発揮する余地があるとはおもうのだけれど、シネコンの映画としてはあまりにも話題性が欠けていた。ユナイテッド・シネマ浦和での平日18時20分の回では、自分を含めて2人しか観客がいなかった。

今回の『エンパイア・オブ・ライト』は、サッチャリズムによって第二次世界大戦以降最悪の失業率を記録していた1980年代初頭、イギリス南東部の海辺の町マーゲイトにある映画館「エンパイア劇場」でのおはなし。

「エンパイア劇場」の統括支配人をしているヒラリー(オリヴィア・コールマン)が開場を準備しているシーンから映画ははじまる。カメラが彼女を追っていくにつれて、この人物に対する違和感が少しづつ増して行って、しだいに彼女が統合失調症を病んでいたことがわかってくる。そしてそこに、新しい映画館のスタッフとして若い黒人のスティーヴン(マイケル・ウォード)がやってくる。この映画は基本的にこの歳の差のある二人の男女が次第に惹かれ合う過程を描いていた。

統合失調症を病むということがどんなものか想像すら出来ないのだけれど、はにかむような不思議な笑顔をするオリヴィア・コールマンを見ただけで、その病気の苦しさが充分に伝わってくる演技は凄かった。そして「エンパイア劇場」で行われた『炎のランナー』のプレミア上映で、いきなりオーナーのコリン・ファースの次に壇上に立ってスピーチをしてしまうオリヴィア・コールマンの何をしでかすかわからない恐ろしさ! 静かな演技ながらも観るものに恐怖を覚えさせる素晴らしさだった。

1980年代初頭のイギリスと云う時代背景も面白かった。女性が首相なのにまだまだ女性たちの地位が向上していない時代で、失業した若い白人たちの怒りの矛先が移民たちへと向けられた殺伐とした時代でもあった。そんななかで病気を抱えながら生き抜いている中年女性と、レイシズムに耐えながら働く若い黒人と云う組み合わせの、すべてにおいて世間からは容認されざる関係の行く末を絶望的に案じながらも、昔ながらの古い映画館と云う長年人々に現実逃避を提供してきた舞台を用意したことで、どこかファンタジーめいた色合いがあるのも面白かった。

この『エンパイア・オブ・ライト』は映画館が舞台なので、もちろん映画に関する固有名詞はたくさん出てくるし、映画ポスターやスチル写真も数多く出てくる。でも、映画のシーンそのものが登場するのはアーサー・ヒラー『大陸横断超特急』(1976)とハル・アシュビー『チャンス』(1979)だけだった。どちらも大好きな映画なので、その2つをピックアップして使うサム・メンデスと自分との相性の良さも再確認してしまった。

そして、詩と云うものにまったく疎いのだけれども、大学へ行くために去っていくスティーヴン(マイケル・ウォード)に対してヒラリー(オリヴィア・コールマン)が捧げるフィリップ・ラーキンの詩「The Trees」が素晴らしかった。これは彼女自身へのエールでもあった。

https://poetryarchive.org/poem/trees/

最後の、

Begin afresh, afresh, afresh.

が突き刺さる。

→サム・メンデス→オリヴィア・コールマン→イギリス、アメリカ/2022→ユナイテッド・シネマ浦和→★★★★

督:デイミアン・チャゼル
出演:マーゴット・ロビー、ブラッド・ピット、ディエゴ・カルバ、ジーン・スマート、ジョヴァン・アデポ、リー・ジュン・リー、ルーカス・ハース、マックス・ミンゲラ、エリック・ロバーツ、ローリー・スコーヴェル、キャサリン・ウォーターストン、トビー・マグワイア
原題:Babylon
制作:アメリカ/2022
URL:https://babylon-movie.jp
場所:109シネマズ菖蒲

1989年に日本でも翻訳されたケネス・アンガーの「ハリウッド・バビロン I」(明石三世訳、リブロポート、2011年にPARCO出版で再販)は、映画制作黎明期の1920年代から1960年代にかけての監督や俳優によるスキャンダラスな殺人、自殺、性犯罪、ドラッグによる事件を扱っていて、チャーリー・チャップリンやエロール・フリン、マリリン・モンローにいたるまで何となく風聞として知っていた下世話な逸話が事細かく(ちょっと誇張気味?に)記載されていてめちゃくちゃおもしろかった。普段は文春オンラインなんかのゴシップ記事を毛嫌いしていながらも、そういったたぐいのモノは読むと面白い。自分の中の人間の性がさせる矛盾がなんとも悩ましい。

このケネス・アンガー「ハリウッド・バビロン」にインスパイアされたとおもわれるデイミアン・チャゼル監督の映画『バビロン』は、1920年代当時のバブルな映画製作者たちの乱痴気騒ぎのパーティーへ本物のゾウを運ぶシーンからはじまる。ゾウと云えば「ハリウッド・バビロン I」の巻頭も飾るD・W・グリフィス『イントレランス』(1916)のソウの石像のシーン(ベルシャザールの祝宴)を連想させて、オープニングから一気に盛り上がってしまった。

そのゾウが運び込まれた大豪邸での肉欲の饗宴のさなか、デブの男が一人の女を殺してしまう。これはまさしく「ハリウッド・バビロン I」にも出てくるロスコー・アーバックルが女優のヴァージニア・ラッペを性的暴行によって殺害してしまった事件がモデルななっていることは間違いない。

ヴァージニア・ラッペが亡くなったことで、穴が空いてしまった女優の代役として起用されるのが、ニュージャージーから出てきて女優になろうと野心満々のネリー・ラロイ(マーゴット・ロビー)だった。このネリー・ラロイのモデルはクララ・ボウであることに間違いないとおもう。でも企画当初は、デイミアン・チャゼルと『ラ・ラ・ランド』でコンビを組んだエマ・ストーンがネリー・ラロイを演じる予定で、もっとよりクララ・ボウに近い人物像になる予定だったらしい。それがマーゴット・ロビーが演じることになって、当時のスキャンダラスな女優の要素がいろいろと盛り込まれる人物像になって行った。例えばこの映画の中でネリー・ラロイが乳首を目立たせるために氷でアイシングするシーンがでてくるけれど、それはジーン・ハーロウの十八番だった。

他にブラッド・ピットが演じているジャック・コンラッドのモデルはジョン・ギルバート。ネリー・ラロイとコンビを組む女性映画監督のモデルは、クララ・ボウの初のトーキー映画『底抜け騒ぎ (The Wild Party)』(1929)を撮ったドロシー・アーズナー。映画ゴシップ・コラムニストのエリノア・セント・ジョンのモデルはルエラ・パーソンズと、ケネス・アンガーの「ハリウッド・バビロン」に取り上げられている人物をモデルとした登場人物たちが次から次へと登場してきた。

『バビロン』は同時にサイレント映画からトーキー映画への転換期の時代も描いているので、となると真っ先におもい浮かぶのがジーン・ケリー&スタンリー・ドーネンの『雨に唄えば』(1952)だった。アーサー・フリード作詞、ナシオ・ハーブ・ブラウン作曲の“Singing in the Rain”が最初に使われた映画『ハリウッド・レヴィユー』(1929)らしきのミュージカルシーンも登場する。この映画にはジョン・ギルバートをはじめとしたMGMスターが多数出演していた。

トーキー映画が一般的になるにつれて、イメージとは違う甲高い声や訛りを発することによってイメージダウンしてしまう俳優が出てきてしまったことは『雨に唄えば』に描かれているとおりで、ジョン・ギルバートもクララ・ボウもそれで失墜して行った。ジョン・ギルバートの場合は、彼との契約を切ろうとしたルイス・B・メイヤーがわざとサウンド技師に命令して甲高い声にさせたとの逸話も「ハリウッド・バビロン I」には書かれてある。たしかにジョン・ギルバートがモデルのジャック・コンラッドを演じているブラッド・ピットは低音の良い声だ。ところが観客がその声を聞いて大笑いするシーンが出てくる。彼らがなんで笑っているのかは、そんな逸話を知らなければまったくわからない。

と、マーゴット・ロビーやブラッド・ピットのことばかり触れてきたけれど、この映画の主人公は冒頭にゾウを運んできたメキシコ系アメリカ人のマニー・トレスだった。映画のアシスタントから始まって会社の重役にまで上り詰める人物をアメリカではまだ無名のディエゴ・カルバが演じている。彼の目を通して描かれているこの映画は、メキシコ系だろうが黒人だろうが中国系だろうが、実力があれば肌の色に関係なく稼げた当時の映画界へのリスペクトも含まれていた。

で、このゴシップとリスペクトが混在するてんこ盛りの映画のための映画をどんな結末にするんだろうかと期待していたら、ネリー・ラロイのギャングからの借金問題に巻き込まれてメキシコに逃げざるを得なくなったマニー・トレスが、1950年代のハリウッドへ家族とともに観光で戻ってきて、映画館でジーン・ケリー&スタンリー・ドーネン『雨に唄えば』を観て涙するシーンをラストに持ってきた。そして、彼の脳裏にフラッシュバックする様々な映画(『2001年宇宙の旅』もあったので時空を超えてる)のシーンはまるでジュゼッペ・トルナトーレ『ニュー・シネマ・パラダイス』のようで、ちょっとベタでありきたりなお涙頂戴の結末のような気がしないでもなかった。

デイミアン・チャゼルの映画は人間を過剰に描くきらいがあって、今回の『バビロン』はまさに彼のやりたい放題の、これがやりたかったんだ! の真骨頂の映画だった。この脂ぎったしつこさをどのように感じるのか、それは人さまざまで、まったく胃が受け付けないと云う人も大勢いいるとおもう。でも自分にとってデイミアン・チャゼルはとてもしっくりと来てしまう。『バビロン』も面白くてあっと云う間の3時間だった。

→デイミアン・チャゼル→マーゴット・ロビー→アメリカ/2022→109シネマズ菖蒲→★★★★