今年、劇場で観た映画は全部で72本(山形国際ドキュメンタリー映画祭で観た11本を含む)。
その中で良かった映画は以下の通り。

毛皮のヴィーナス(ロマン・ポランスキー)
フォックスキャッチャー(ベネット・ミラー)
インヒアレント・ヴァイス(ポール・トーマス・アンダーソン)
バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)(アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ)
ジミー、野を駆ける伝説(ケン・ローチ)
セッション(デミアン・チャゼル)
ベルファスト71(ヤン・ドマジュ)
アクトレス 〜女たちの舞台〜(オリヴィエ・アサヤス)
裁かれるは善人のみ(アンドレイ・ズビャギンツェフ)
雪の轍(ヌリ・ビルゲ・ジェイラン)

本当はフレデリック・ワイズマンの『臨死』がダントツなんだけど、旧作なので除外しました。

独裁者と小さな孫

監督:モフセン・マフマルバフ
出演:ミシャ・ゴミアシュビリ、ダチ・オルウェラシュビリ、ラ・スキタシュビリ、グジャ・ブルデュリ、ズラ・ベガリシュビリ、ラシャ・ラミシュビリ
原題:The President
制作:ジョージア、フランス、イギリス、ドイツ/2014
URL:http://dokusaisha.jp
場所:新宿武蔵野館

中央アジアあたりにあるらしい独裁的な政治を行っている国の大統領が、民衆の蜂起によって孫と一緒に国を追われる道中で、自分の圧政によって疲れ果てた国民たちを目の当たりにして次第に人間の心を取り戻して行くストーリー。

予告編でこのストーリーを聞かされて、おー、なかなか面白そうな映画じゃないか、と期待感がマックスに高まってしまった所為なのか、もう一歩の踏み込みの足り無さが目に付いてしまって、うーん、な映画になってしまった。考えてみれば、この独裁的な大統領に感情を移入できる部分はどこにもなくて、観客の感情を安易に移入させることができるツールとしての子供をダシに使ったとしても、そこには相乗効果として何のプラスも起こらなくて、どちらかと云うと子供のウザさしか感じられないようなマイナスな効果しかもたらしていたんじゃないかとおもえるほどだった。やはりこの映画のキーワードは「マリア」で、無垢なマリアと娼婦のマリアが聖母マリアとマグダラのマリアを暗喩していて、二人のマリアによって大統領と孫の死が聖人へと昇華して行くような宗教的で壮大なラストを用意して欲しかった。

→モフセン・マフマルバフ→ミシャ・ゴミアシュビリ→ジョージア、フランス、イギリス、ドイツ/2014→新宿武蔵野館→★★★

007 スペクター

監督:サム・メンデス
出演:ダニエル・クレイグ、クリストフ・ヴァルツ、レア・セドゥ、ベン・ウィショー、ナオミ・ハリス、デビッド・バウティスタ、アンドリュー・スコット、モニカ・ベルッチ、レイフ・ファインズ
原題:Spectre
制作:イギリス/2015
URL:http://www.007.com/spectre/?lang=ja
場所:109シネマズ菖蒲

ダニエル・クレイグがジェームズ・ボンドを演じる新生007シリーズは、前作の『007 スカイフォール』が素晴らしかったサム・メンデスが監督を続投して、さあ、どんなに華々しくジェームズ・ボンドに対抗すべく悪の組織「スペクター」が復活するのかと過剰な期待を寄せてしまったのが悪かったのかどうもイマイチな内容の映画だった。やはりここは古き良きショーン・コネリー版の007シリーズにあったような滑稽なまでにデフォルメ化された悪の組織が新シリーズのリアリズムと融合して、馬鹿馬鹿しくも残酷な『ダークナイト』のジョーカーのようなダーティヒーローの登場を期待したのがいけなかった。そこに現れたのが小悪党にしか見えないクリストフ・ヴァルツだったので腰砕けしてしまったのだ。

ボンドガールとしてのレア・セドゥも弱いよなあ。悪党も弱くて、ボンドガールも弱ければなかなか007映画としては成立しにくい。せめてもの救いはQの作る秘密兵器が復活したくらいか。009のために用意された「アストンマーチン・DB10」の運転席に「バックファイヤー」「噴射」「エアー」と一緒に「環境」と云うボタンがあって、それを押すと009の愛用曲「New York,New York」が流れるシーンがこの映画の最大のハイライトだった。

→サム・メンデス→ダニエル・クレイグ→イギリス/2015→109シネマズ菖蒲→★★★

ギャラクシー街道

監督:三谷幸喜
出演:香取慎吾、綾瀬はるか、小栗旬、優香、西川貴教、遠藤憲一、段田安則、石丸幹二、秋元才加、阿南健治、梶原善、田村梨果、浅野和之、山本耕史、大竹しのぶ、西田敏行、佐藤浩市
制作:フジテレビ/2015
URL:http://galaxy-kaido.com
場所:109シネマズ木場

三谷幸喜の良さは、あるシチュエーションに放り込まれた人たちが右往左往するさまをいろんな角度から切り取ってコンパクトにテンポよく錯綜させながら畳みかけるように展開して行って最後には大団円を迎える、ってところだったとおもう。少なくとも東京サンシャインボーイズの劇はそうだったし、テレビドラマも「王様のレストラン」がそうだったし、映画も『ラヂオの時間』がそうだった。最近でも、WOWOWのドラマ「大空港2013」は素晴らしかったし、映画だって、成功しているとは云いがたいけど『ザ・マジックアワー』も『ステキな金縛り』もそこにしっかりと向かっていた。でも、『清州会議』もこの『ギャラクシー街道』も、その三谷幸喜の良さは皆無だった。まっるきりの「無」だった。いや、『ギャラクシー街道』はその匂いが感じられるぶん、なおさらたちが悪い。もっとしっかりと練れば良い映画になっていたはずなのに。

ひとつだけ、宇宙コールガールのようなものを演じた田村梨果(ミラクルひかる)は良かった。映画を見ている最中は、この女優はいったい誰だ? とずっとおもっていたけど、ネットで調べたらミラクルひかるだった。ミラクルひかると云えば、これをおもい出す。

→三谷幸喜→香取慎吾→フジテレビ/2015→109シネマズ木場→★☆

雪の轍

監督:ヌリ・ビルゲ・ジェイラン
出演:ハルク・ビルギナー、メリサ・ソゼン、デメット・アクバァ、アイベルク・ペクジャン、セルハット・クルッチ、ネジャット・イシレル
原題:Kis Uykusu
制作:トルコ、フランス、ドイツ/2014
URL:http://bitters.co.jp/wadachi/
場所:ギンレイホール

『雪の轍』は第67回カンヌ国際映画祭のパルムドール大賞を獲った映画。3時間16分もの長尺なので一度はパスした映画だったけれど、自分の回りでの評判がなかなか良いので、二番館(なんて言葉はもう死語かもしれない)のギンレイホールまで追いかけた。

登場人物は、トルコのカッパドキアにある洞窟ホテルを運営する夫婦アイドゥンとミハル、そしてアイドゥンの妹ネジラ。さらに彼らが貸している家に住む兄弟のイスマイルとハムディが絡んで、元俳優で今は地方新聞にコラムを書いているアイドゥンを中心とした確執が展開して行く。

映画の中での会話劇が大好きなので、アイドゥンとネジラ、アイドゥンとミハル、アイドゥンとイスマイルやハムディとの言葉だけでやり合うシーンがとても面白かった。裕福で人格者に見えるアイドゥンの人間性を根拠の無いまま信頼して、彼の肩を持って喧嘩のシーンを見守る序盤から、徐々にその言葉の端々に、おや? が積み重なって行って、最後には彼と決別せざるを得なくなってしまう構成も素晴らしい。

とは云え、妹のネジラや妻のミハルの売り言葉に買い言葉の言動も信頼することは出来ず、イスラム教の導師と呼ばれているハムディに対しても影でアイドゥンに悪態をつくシーンからまったく信用できず、もちろん粗野なイスマイルからは暴力しかイメージできなくて、登場人物の誰に対してもより所を見つけれないまま3時間も見続けなければならない映画はなかなか辛い。特にアイドゥンと妹のネジラとの喧嘩のシーンはいったい何分あるんだろう。この言葉だけの闘いはイングマル・ベルイマンの『秋のソナタ』の中のイングリッド・バーグマンとリヴ・ウルマンの親子喧嘩を思い出させるほど壮絶なもので、そのシーンが終わったときには頭がクラクラした。アイドゥンが妻のネジラを言葉だけで完膚無きまでに打ちのめすシーンも、男がここまで言葉巧みに細かく女を攻撃し続ける映画をあまり見たことがない。どちらかと云うと女性が行うような攻撃性をアイドゥンに見て、とても不愉快になる男は多いとおもう。

面白い映画だけど、見終わったあとにヘトヘトになる映画だった。

→ヌリ・ビルゲ・ジェイラン→ハルク・ビルギナー→トルコ、フランス、ドイツ/2014→ギンレイホール→★★★★

私はクルマの免許を持っていない。持っていないと言うことは、つまり、クルマの運転にはまったく興味がない。でも、クルマのデザインには少しばかり興味があって、映画の中に出て来る古いクルマのデザインには興味津々だ。

最近のクルマのデザインは、どれもこれもみんな似たようなデザインばかりでまったく面白くない。それは、走りやすさや燃費の良さなどを研究し続け、それを突き詰めた空気力学的なデザインの結果なので、どのメーカーも同じデザインに集約されて行ってしまうことは仕方がないことだとはわかっている。わかっているけれども、でもやっぱり面白くないのは気に入らない。その点、昔のクルマは自由に見えてしまう。もちろん、その当時としても、走りやすさや燃費の良さを追求していたんだろうけど、まだまだ未熟だった点がデザインに自由さを与えていた。

クルマに興味のなかった自分にクルマの美しさを教えてくれたのは、宮崎駿監督のアニメーション『ルパン三世 カリオストロの城』(1979年)だった。ルパン三世と次元大介の乗るフィアット500。そこに現れるクラリスの乗るシトロエン2CV。それを追いかける悪党一味のハンバー・スーパー・スナイプ。

この中でもクラリスの乗るシトロエン2CVに目を瞠った。

なんて美しいんだろう!

特に、お尻の、グッと急激に落ち込むカーブが美しい。
横から見ると、リアホイールのカバーも同じように半円を描いてリアバンパーへと向かっている。その二つのカーブがコラボレートした優雅さが何とも言えない。

シトロエン2CV

シトロエン2CVは、フランスの“農民車”として構想され、その基本コンセプトは、

「雨傘(こうもり傘)の下に4つの車輪をつけたもの」

であり、

「木靴をはいた農夫が2人と50kgのじゃがいも、もしくはワイン樽を積んで、60km/hで走れること。3リッター/100km(33.3km/リッター)の燃費。どんな悪い道も走破できること。悪路を走っても、後部に積んだ、かごいっぱいの卵が一個も割れないこと」
(「シトロエンの世紀 革新性の追求」武田隆著、三樹書房より)

だったそうだ。

つまり、『ルパン三世 カリオストロの城』では、追うカリオストロ伯爵側がイギリスの高級車ハンバー・スーパー・スナイプだったのに対して、追われるクラリスはジャンヌ・ダルクのごときフランスの“農民車”シトロエン2CVで、さらにそれを追うルパン三世たちは伊達男!イタリアの“国民車”フィアット500と言う構図だった。このあたりの、ぴったりとはまった構図の気持ち良さも、クラリスが運転するシトロエン2CVの美しさを際立たせていた。

後に、シトロエン2CVは宮崎駿の愛車であることがわかり、いまだに乗っていることが2013年8月26日にNHKで放送された「プロフェッショナル仕事の流儀 宮崎駿スペシャル」でわかった。

もし、運転免許を取ることになったら、絶対に宮崎駿のようにシトロエン2CVに乗ろう。クーラーがなくたって、故障が多くたって、素人には手に負えないクルマだってかまわない。絶対にシトロエン2CVだ。

と思いながら、いまだにクルマの免許を取っていない。

水牛に書いた文章を転載。