好きな小説が映画化され、喜んで劇場に足を運んでみると、ほとんどの場合においてガッカリする。小説にあったいろいろな要素がゴッソリそげ落ち、魅力ある登場人物が減り、原作と比べるとその映画化作品は何かスカスカした印象を必ずしも持ってしまう。いや、もちろんわかっている。たとえば文庫本300ページもの小説を忠実に映画化したら、まず尺がえらいことになってしまう。それに映画には映画の文法がある。小説ではサラリと描写されていた部分を膨らませて、観客に視覚的なエモーションを与えなければならない場合もあるわけだから、さらに上映時間が必要になってしまう。長編小説を上映2時間にまとめるには、ある程度小説をダイジェスト化せざるを得ない。そんなことはわかっているんだけど、でもそこに歴然と原作が存在してしまうわけだからどうしても比較をしてしまう。

長編小説を映画化するにはだいぶ無理がある。もし長編小説を映画化するのなら、一度すべてを解体して、一から組み立て直さなければならないだろう。でもそんなのは、小説の映画化作品じゃない。監督(脚本家)のオリジナルに近い。そんなことから、映画化をするなら短編小説だ、とよく言われる。映画監督のヒッチコックは以下のように言っている。

映画は長編小説や舞台劇とは似て非なるものだ。あえて比較するとしたら、映画にいちばん近いものは短編小説(ショート・ストーリー)だ。というのも、短編小説には原則としてただひとつのアイデアがあるだけでいい。そして、そのアイデアをドラマの頂点でいっきょに表現するというのが原理だからね。(『映画術 ヒッチコック/トリュフォー』山田宏一・蓮實重彦訳、晶文社刊)

数ある映画の中から小説の映画化に成功した作品を考えるとなると、やっぱり短編小説の映画化だ。そして、まずまっさきに思い浮かべてしまうのが豊田四郎監督の『夫婦善哉』(1955年・東宝)。原作は織田作之助の短編小説。脚色は八住利雄。

大阪を舞台にしたこの小説『夫婦善哉』は、“ぼんぼん”の柳吉と“芸者”の蝶子の関係を淡々と描写している。ヒッチコックが「短編小説には原則としてただひとつのアイデアがあるだけでいい」というように、この短編小説は二人の関係を描くことだけにポイントを絞っている。ときおり、大阪の“うまいもん”を織り交ぜながら。

映画『夫婦善哉』では、この“ひとつのアイデア”がうまく視覚化されている。なんといっても森繁久弥と淡島千景というキャラクターを得たことがもちろん最大の要因だが、この二人が絡むセリフのやり取りも小説の雰囲気をうまく汲み取って映像化している。小説の中からビジュアルに適している部分をピックアップして拡大する。それが小説の映画化にはとても重要だ。

小説『夫婦善哉』の中に以下のくだりがある。

柳吉は二十歳の蝶子のことを「おばはん」と呼ぶようになった。

脚本家の八住利雄は小説のこの一行に、映画化へ向けてのビジュアル的な拡大要素を見出したのではないか。自分より十一歳も年下の二十歳の芸者を「おばはん」と呼んでいるのだ。このセリフだけで柳吉と蝶子の力関係が明確になっているのと同時に、この「おばはん」と呼ぶシーンを森繁久弥に演じさせたら良い絵になる。ここを強調すれば、映画の中心的イメージになる。そう脚本家の八住利雄は思ったのかも知れない。

そんな「おばはん」が出てくる小説の中のセリフは、

「おばはん小遣い足らんぜ」
「おばはん、何すんねん、無茶しな」
「く、く、く、るしい、苦しい、おばはん、何すんねん」
「おばはん、せせ殺生やぜ」
「ああ、お、お、お、おばはんか、親爺は今死んだぜ」

のたったの5箇所。しかし映画では、事あるごとに柳吉は蝶子のことを「おばはん」と呼ぶように脚色されている。森繁久弥と淡島千景が絡むシーンは、この「おばはん」をキーに、丁々発止、とても活動的なシーンの連続で、見るものをストーリーに引き込ませる。

「そんなに怒らんときイな、おばはん!」
「おばはん、あけてエな」 「何すんのや、おばはん! わい腹が減っているのや」
「おいおばはんわいが大事か親が大事か?」

そして、なんといっても映画のラスト近くに出てくる名セリフ。

「たよりにしてまっせ、おばはん」

小説のラストは、座蒲団という小道具を使って、柳吉が蝶子の尻に敷かれて行くだろうことを暗示して終わるのだが、映画ではこの「たよりにしてまっせ、おばはん」のセリフと、さらにラストに進んで、蝶子の「あんた、どうするねん、これから?」という問いに、柳吉の「任せるがな! たよりにしてまっせ」というセリフで、同じような行く末を暗示させて終わらせている。結局、柳吉が年下の蝶子のことを「おばはん」と呼ぶのは相手を頼りきっているからで、この「おばはん」というセリフこそが、小説においても映画においても全体のトーンを表していたのだ。

小説と映画は、似て非なるものである。しかし、その非なることを理解した上で、両方を比べて読んだり観たりすることは楽しいものだ。小説に比べて映画はつまんない、なんて言うのはやめて、映画ではどんな部分が強調されているのか、俳優がどんな風にキャラクターを作っているのか、そんな細かい部分に注目してみると、また違った楽しみ方ができるものである。

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織田作之助『夫婦善哉』の図書カード