監督:大島新
出演:小川淳也
制作:ネツゲン/2020
URL:http://www.nazekimi.com
場所:ポレポレ東中野

自分のTwitterのタイムラインを見ていると、絶えず安倍政権への批判のTweetが流れてくる。それは、Twitterってものは趣味嗜好の似ている人たちをフォローしているわけだから、自ずと政治的信条も似たような人たちの集まりとなって、当然の結果としての安倍批判のタイムラインになってしまっている。自分自身としては、Twitterごときで政権批判をしたところで、不満のはけ口ぐらいの行為にしかなってないよなあ、としかおもってないところが申し訳ないところです。

じゃあ、自分のタイムラインに流れてくる安倍批判の人たちの理想とする政治家とはどんな人だろうと考えると、ひとつだけはっきりしていることがあった。それは、たとえ自分たちに不利益なことであっても、しっかりとした説明をしてくれる人、と云うことだろうとおもう。TwitterなどのSNSでしっかりとした情報発信が出来る人物が人気だった。例えば、熊谷俊人・千葉市長とか、保坂展人・世田谷区長とか。

香川1区から選出された立憲民主党(現在)の衆議院議員、小川淳也を17年間も追いかけたこのドキュメンタリー映画を観て、ああ、この人はしっかりとした言葉を持っている人だなと感じた。批判的な人に対しても、しっかりとした説明の出来る人じゃないのかな? とは感じた。

でも、このようなしっかりと言葉を持った人が政権与党にいて、それなりの役職につくことができたとしても、自分の発したい言葉と党利党益優先で発しなければならない言葉とのあいだに挟まれて、次第に言葉を失ってしまうんだろうなあ、とはおもう。それは、この映画の、小池百合子が「民進党の全員を受け入れる気持ちはさらさらありません」と言い放った2017年の衆議院選挙のときの状況を見ても想像がついてしまう。

小川淳也議員を「なぜ君は総理大臣になれないのか」としたのは、もちろん野党にいる限りは無理なんだけど、たとえ立憲民主党が政権を獲ったとしても、自民党が築き上げた古い政治体質が日本に残る限りは、小川淳也議員の良さを残したままの総理大臣になることは無理! ってことなのかもしれない。自分の言葉によって国民に説明をしながら、日本の古い政治気質を浄化させていくのは、よっぽどのことが起こらないかぎり無理なんだろうなあ。それは『日本沈没』が起きた後の日本か、王蟲が食い尽くしたあとの世界か。

→大島新→小川淳也→ネツゲン/2020→ポレポレ東中野→★★★★

監督:小原浩靖
出演:加賀美幸子(ナレーション)
制作:Kプロジェクト/2020
URL:https://wasure-mono.com
場所:ポレポレ東中野

第二次世界大戦によって多くの日本人が国策に翻弄されて人生を狂わされてしまったことを、過去を振り返るテレビ番組などで知ること以外で実感することがあまりない。自分の親や親戚は確実にその戦争を生き抜いて来たわけで、そして大変な苦労があったことも事実だとはおもうけれども、そこには当時の個人的な境遇の差が大きくあって、苦労の差のブレも相当に激しいんだろうとはおもう。

戦争当時に国策によって満州に渡って、そこで終戦を迎えて、親と死に別れたりはぐれたりして、幼いながらひとりぼっちで中国に残された人の苦労は、本土で終戦を迎えた人よりも相当なものだった。それが、1981年3月に初めて「残留孤児訪日調査団」が行われて以降、肉親とめぐり合うことのできた中国残留日本人が多数現れたことをマスコミが大々的に報道することで、まるでハッピーエンドを迎えたようなイメージを我々に植え付けてしまっていた。ああ、良かった、で、おしまいになった人は、自分も含めて大多数だったろうとはおもう。

ところが、日本人として認められて帰国しながらも、日本語を覚えられず、日本の文化に馴染めることもできないで孤立無援になってしまう人がいることは、いっときのブームの過ぎ去ったマスコミは報道もしない、とは云わないけれど、あまりにも少なかった。中国残留日本人は、結局はその人の人生をすべてダメにしてしまったとも云えるほど、戦争の影がついて回ってしまった。

さらに悲惨なのは、フィリピンの残留日本人だった。戦争当時にフィリピンに住んでいた日本人は、経済的な活動として自発的にフィリピンに住んでいた人が多く、親が殺されたり、本土に強制送還されたあとにフィリピンに残された子供のことは、満州に残された子供以上にほったらかしにされて、今なお、国はフィリピン残留日本人についての調査や日本国籍を認めることをしようともしていなかった。

中国残留孤児とフィリピン残留日本人の国籍取得支援を行っているのが、この映画を企画・制作した弁護士の河合弘之さんを中心とする「中国残留孤児の国籍取得を支援する会」と「フィリピン日系人リーガルサポートセンター」だった。そして、その活動をこの映画『日本人の忘れもの フィリピンと中国の残留法人』で知ることになる。

ドキュメンタリー映画って、このような意義ある活動をしている人たちがいることを知らしめるために存在していて、なるべく多くの人にこの映画を観てもらいたいはずだ。ところが、この新型コロナが蔓延する中、客席も間隔を開けて座ることになるし、映画館へ足を運ぼうとする意欲も削がれるし、まったくひっそりと公開が終わってしまうのは残念でならない。いつもおもうことだけれど、Netflixなどでもっとドキュメンタリー映画を公開できないものなのかなあ。もちろん、映画館で観ることがベストなことを承知の上で。

→小原浩靖→加賀美幸子(ナレーション)→Kプロジェクト/2020→ポレポレ東中野→★★★☆

監督:エミリオ・エステベス
出演:エミリオ・エステベス、アレック・ボールドウィン、クリスチャン・スレーター、ジェフリー・ライト、ジェナ・マローン、テイラー・シリング、ジェイコブ・バルガス、ガブリエル・ユニオン、マイケル・ケネス・ウィリアムズ、リチャード・T・ジョーンズ
原題:The Public
制作:アメリカ/2018
URL:https://longride.jp/public/
場所:新宿武蔵野館

子供の頃からそんなに本を読む方ではなかったので、図書館にはあまりお世話にはならなかった。ところが、インターネットで著作権の切れた作品を公開するプロジェクトに関わってからは、やたらと図書館へ行くようになった。どこそこにあの本があるとわかれば、東京23区のあちこちの図書館に自転車で出向いたものだった。

そのあちこちの図書館へ行って気づいたことの一つに、新聞や雑誌を読むコーナーにはいつもいろんなタイプの人がくつろいでいるものなんだなあ、と云うことがあった。お年寄りや、何らかの理由で会社に勤めていない人、ちょっとホームレスっぽい人など。図書館は本を借りたり読んだりする場所だけではなくて、自分の居場所として、時間をつぶす場所として機能していたことに驚いた。

それはアメリカのシンシナティでも同じだった。エミリオ・エステベスが主演し監督もした『パブリック 図書館の奇跡』は、お年寄りやホームレスたちが毎朝、図書館の開館を待ちわびるシーンからはじまる。トイレはみんなの身繕いの場でもあり、コミュニケーションの場でもあった。パソコンは時間をつぶすのに最適のツールだし、司書に対して無理難題を質問する楽しみもある。

そして、ホームレスの凍死者が増える真冬のシンシナティで、いつものように図書館に集うおなじみのホームレスたちは、外に出ると死ぬ恐れがあるとして閉館後も図書館に籠城してしまう。過去にホームレスになった経験もある図書館員のエミリオ・エステベスは、彼らと一緒に籠城する覚悟を決める、というストーリーの流れの映画だった。

図書館は公共の場として位置づけられていて、おそらくは法律で融通の効かない状態に守られているのだろうから、そこが市民にとっての最後の牙城にになることはありえないのかもしれない。でも、この「知の集積場所」は、その集積の結果として人権においてもやさしい場所であって欲しいような気がしてしまって、ホームレスが最後の砦として図書館に籠城するのは正しい行為に見えてしまった。

映画としての『パブリック 図書館の奇跡』は、伏線のはり方とか、ステレオタイプの悪役の配置とか、教科書どおりの映画ではあったけれど、図書館のあり方について考えさせられる点においては良い映画だった。

→エミリオ・エステベス→エミリオ・エステベス→アメリカ/2018→新宿武蔵野館→★★★☆

監督:ダグラス・サーク
出演:ジョン・キャラダイン、パトリシア・モリソン、アラン・カーティス、ハワード・フリーマン、ラルフ・モーガン、エドガー・ケネディ、ルドウィッグ・ストッセル、アル・シーン、エリザベス・ラッセル、ジミー・コンリン
原題:Hitler’s Madman
制作:アメリカ/1943
URL:
場所:シネマヴェーラ渋谷

ドイツで映画を撮っていたダグラス・サーク監督は、妻がユダヤ人であることからナチスの迫害を恐れ、1937年にアメリカへと亡命し、ハリウッドへ渡ってからはじめて撮った映画が反ナチスの映画『ヒットラーの狂人』だった。

『ヒットラーの狂人』の中に、ナチスの親衛隊大将および警察大将、そしてボヘミアの護民官であるラインハルト・ハイドリヒが出てくる。演じているのはジョン・キャラダイン! ジョン・キャラダインと云えばジョン・フォードの映画でおなじみの俳優で、『怒りの葡萄』での演技は忘れられない(このブログのタイトルバックに勝手に写真を使っている)。で、そのジョン・キャラダインが演じているラインハルト・ハイドリヒが素晴らしい! 「金髪の野獣(Die blonde Bestie)」とあだ名を付けられた極悪非道の人物像をイメージ通りにビジュアル化させている。この映画の中のどこに目が向いてしまうかと云えば、間違いなくジョン・キャラダインだった。

ダグラス・サーク監督と云えば、のちにユニヴァーサルでの一連のメロドラマが代表作になるんだけど、このハリウッド初の映画でもそのスタイルはすでに固まっていて、自分の生まれたチェコの町へパラシュート降下するカレル(アラン・カーティス)とその恋人ヤミラ(パトリシア・モリソン)の描写や、ナチスとレジスタンスとのあいだで苦悩するヤミラの父(ラルフ・モーガン)の行き場の無さなどはまさしくダグラス・サークだった。

→ダグラス・サーク→ジョン・キャラダイン→アメリカ/1943→シネマヴェーラ渋谷→★★★☆