監督:アン・リー
出演:ウィル・スミス、メアリー・エリザベス・ウィンステッド、クライヴ・オーウェン、ベネディクト・ウォン、ダグラス・ホッジ、ラルフ・ブラウン、リンダ・エモンド、イリア・ヴォロック、E・J・ボニーリャ、セオドラ・ミラン
原題:Gemini Man
制作:アメリカ/2019
URL:https://geminiman.jp
場所:109シネマズ木場

アン・リー監督がハリウッドで撮った映画のラインナップを見るとさまざまなタイプの映画が並んでいて、そのどれもがしっかりと撮った映画ばかりで、職人としてのテクニックの豊富さに圧倒されてしまう。ただ、その中でもマーベルコミックを映画化した『ハルク』だけは、うーん、どうしちゃったんだろう? って映画だった。もちろん監督の手腕だけではどうにもならない場合もあるんだろうけれど、大きく展開するアメコミのストーリーをうまくまとめることができてなかった。

今回の『ジェミニマン』もSF映画であることから、もしかすると『ハルク』の二の舞になるんじゃないかと恐れていたら、やっぱりそうなってしまっていた。自分のクローンと対決する構図は面白く、若かりし頃の自分と対決する要素もあって、さらに二人目のクローンが出てくることから、まるでウィル・スミス祭りになっている様相が楽しくて、『ミッション・インポッシブル』的に世界各地に展開するストーリーも面白いのに、でも、これ、どうやって収拾するんだろうと心配しながら観ていたら、なんとも腰砕けなハッピーエンドになっていたのはがっかりだった。どう考えたって、ハッピーエンドには無理があるなあ。

→アン・リー→ウィル・スミス→アメリカ/2019→109シネマズ木場→★★☆

監督:トッド・フィリップス
出演:ホアキン・フェニックス、ロバート・デ・ニーロ、ザジー・ビーツ、フランセス・コンロイ、ブレット・カレン、グレン・フレシュラー、リー・ギル、ダンテ・ペレイラ=オルソン
原題:Joker
制作:アメリカ/2019
URL:http://wwws.warnerbros.co.jp/jokermovie/
場所:109シネマズ木場

DCコミックスの「バットマン」がティム・バートンによって1989年に久しぶりに映画化された時の悪役がジャック・ニコルソンによる「ジョーカー」だった。ピエロのようなメイクをした「ジョーカー」は、まるで「口裂け女」のように紅を口角の上部にまで引き伸ばし、絶えず笑っているような風貌がアメコミに登場する悪役らしくてコミカルで不気味だった。

さらに、クリストファー・ノーランによって2008年に映画化された『ダークナイト』の悪役もヒース・レジャーによる「ジョーカー」で、ジャック・ニコルソンによる「ジョーカー」よりも口裂けのメイクが乱雑で汚らしく、それがかえってテロリズムによって乱れてしまった時代の悪役を象徴しているようにも感じられ、もはや正義と見られていたものが正義ではなくて、悪と見られていたものも完全な悪ではないことがあからさまになってしまった時代の混沌としたヒーロー像とさえ感じられてしまった。

そんな悪役の「ジョーカー」がどのようにして生まれたかなんて語るのは野暮と云うもので、コミックの悪役(ヴィラン)はそのままの形でポッと生まれたものなんだと解釈するべきだとはおもう。でも、どんな凶悪犯罪者でも、最近の日本で云えば川崎の通り魔事件や京都アニメーションの放火事件の犯人でさえも、生い立ちの中に犯行に及ぶまでのキーが必ず隠されているものだろうから、それがどんなものかと探る行為にはとても興味があるし、そこに「悪」と呼ばれるの源泉があるんじゃないかとおもったりもする。だから、「ジョーカー」が生まれた過程を追いかける映画を観るのは面白かったし、ホアキン・フェニックスの演技も凄みがあって素晴らしかった。

先日、山形で観たワン・ビンの『死霊魂』が今年のベストワンではないかとおもっていたけれど、うーん、このトッド・フィリップスの『ジョーカー』もベストに近いなあ。

→トッド・フィリップス→ホアキン・フェニックス→アメリカ/2019→109シネマズ木場→★★★★

ボーダー 二つの世界

監督:アリ・アッバシ
出演:エバ・メランデル、エーロ・ミロノフ、ステーン・ユングレン、ヨルゲン・トーソン、ヴィクトル・オケルブロム、ラーケル・ワームランダー、アン・ペトレン、キェル・ウィルヘルムセン、マッティ・ブーステット
原題:Gräns
制作:スウェーデン、デンマーク/12018
URL:http://border-movie.jp
場所:ヒューマントラストシネマ有楽町

トーマス・アルフレッドソン監督が撮った『ぼくのエリ 200歳の少女』はストックホルムを舞台とした吸血鬼の映画で、北欧と云えば寒さから来る活動量の少なさがどこか静かな落ち着きを見せるので、その落ち着き払った状態が不気味さや得体の知れなさ、ひいては「死」をも連想させてしまうことから、ヴァンパイアが存在する場所としてはこの上ない舞台設定だった。それに北欧と云えば「指輪物語」や「マイティ・ソー」のベースともなった北欧神話があって、異質なものが存在する世界としてはぴったりの場所だった。

その『ぼくのエリ 200歳の少女』の原作者ヨン・アイビデ・リンドクビストが書いた小説をもとに映画化した『ボーダー 二つの世界』は、もし北欧に伝わる妖精「トロール」が我々の世界に存在しているとして、「トロール」が自然界と共存している動物に近い存在であるとするならば、自然界と人間界の「ボーダー」にいるのが「トロール」だった。だから、そこの「ボーダー」には、自然界にとって驚異となる人間たちを排除しようとする「トロール」がいて、すでに特異能力を買われて人間社会に同化している「トロール」もいて、この二人の「トロール」が出会って、惹かれ合いながらも、人間社会に対する認識の違いから最後には反発し合う様子は、我々の世界を暗喩している映画のようにも見えてしまった。

最近の日本での自然災害は、人間界にとっては災害だけど、自然界にとっては害虫である人間を排除する動きでしかなくて、そこの「ボーダー」に立った時にどのような行動を起こせば良いのか、なんてことをおもいながらこの映画を観てしまった。

→アリ・アッバシ→エバ・メランデル→スウェーデン、デンマーク/12018→ヒューマントラストシネマ有楽町→★★★☆

山形国際ドキュメンタリー映画祭の3日目は、台風19号の影響で山形新幹線も仙山線もすべて運休。街は閑散としていた。

●バフマン・キアロスタミ 『エクソダス』(イラン/2019/80分)
バフマン・キアロスタミ監督はアッバス・キアロスタミ監督の息子さんだった。この映画を観終わるまで、まったく知らなかった。バフマン・キアロスタミ監督が撮った『エクソダス』はドキュメンタリーではあるけれども、父親の映画と同じように人物に向ける視線はしっかりとしていて、とても面白い映画だった。それにしてもアメリカによるイランへの経済制裁が、アフガニスタンから出稼ぎに来ていた人びとにも影響を与えて、大量の帰国者を出す騒動があったなんて、どうして日本のマスコミは報道しないんだ! と云いたくなるような。(云いません!)

●森井輝雄『白茂線』(日本/1941/21分)※不完全版
●ヴィクトル・トゥーリン『トゥルクシブ』(ソ連/1929/無声/74分)
1929年に作られたソ連のプロパガンダ映画『トゥルクシブ』は、当時のアメリカや日本の映画製作にも大きな影響を与えたそうだ。その『トゥルクシブ』の延長線上にある映画として、同じ鉄道施設という内容から『白茂線』が同時上映された。以前に、自転車に詳しい人が、自転車はすでに1900年ごろには今とほとんど同じ構造を持っていた、と云っていたことをおもい出して、それなら映画もサイレントの時代にすでに映画の技法がすべて確定していたと云っても過言ではないんじゃないかと、そんなことを考えたことがあった。モンタージュ技法のセルゲイ・エイゼンシュテインを生み出したソ連の映画人として、そしてハリウッドでシナリオライターや俳優をしていたと云うヴィクトル・トゥーリン監督の作る映画は、今観てもしっかりとした映画だった。当時の人たちがお手本にしたのもわかるような気がする。

今年の山形国際ドキュメンタリー映画祭はすっかり台風の影響を受けてしまった。でもそれはそれで深く印象に刻まれたので、今回観た映画は、特に『死霊魂』は台風19号と共に観た映画として忘れないでしょう。

山形国際ドキュメンタリー映画祭の2日目はすべてをワン・ビンの『死霊魂』に捧げます。

●王兵(ワン・ビン)『死霊魂』(フランス、スイス/2018/495分)
1950年代後半に起きた中国共産党の反右派闘争で粛清されて、甘粛省酒泉市の夾辺溝(ジアビアンゴウ)にある再教育収容所へ送られた人々の8時間にもおよぶ証言集。ワン・ビン監督が2007年に撮った『鳳鳴(フォンミン) 中国の記憶』も同じく反右派闘争に巻き込まれた和鳳鳴(ホー・フォンミン)の3時間にもおよぶ証言集だったが、それをさらに証言者数を増やして完全版にしたような映画だった。だから映画の長さも8時間の長尺になって、それを飽きずに最後まで観ることができるのか多少の不安はあったのだけれど、『鳳鳴 中国の記憶』の時と同じく『死霊魂』もその長さをまったく感じさせずに食い入るように観ることができてしまった。それも絶えず自分がその立場になったら何ができるのだろうかと云う観点から見ることができるので、証言する人が涙すれば一緒に泣けるし、楽天的な態度を取ろうとすれば、これは運命であると割り切ることも出来るし、人の言葉による映画なのに一喜一憂できる構成はワン・ビンならではだった。すごい映画だとおもう。

12日は台風19号の影響で、映画を観始めた午前10時の段階では小雨まじりの曇り模様だったけど、映画が終わった夜の8時に山形市中央公民館ホールから外に出ると土砂降りだった。山形で『死霊魂』を観た記憶が、同時に台風19号も一緒にシンクロして残るのは、深く心に刻み込まれると云うところにおいては良かったような。

今年も山形国際ドキュメンタリー映画祭へ。台風19号が来ていて、はたして山形市への影響はどれくらいになるのかと心配だったけれど、11日(金)の山形市内は時々晴れ間の見える曇り空で、風もまだ強くなくて、影響が出るのは明日の12日(土)からのようだった。なので、普通に以下の4本を無事鑑賞しました。

●フレデリック・ワイズマン『インディアナ州モンロヴィア』(アメリカ/2018/143分)
フレデリック・ワイズマンの新作はアメリカ中西部の小さな町インディアナ州モンロヴィアが舞台。大人も子供も太った体型が目立って、銃を買い求めるのも日常で、バスケットボールとアメリカン・フットボールが話題の中心となっているような、もしかするとこれがごく一般的な中西部の風景なんじゃないかとおもえるような中産階級の街だった。宅地造成で人口が増えて、良からぬやからが流入して来ることを心配するような保守的な街で、フレデリック・ワイズマンのカメラは人びとの政治的信条にはまったく突っ込んではいなかったけれど、いまのトランプ政権を支えているのはこんな人たちなんじゃないかと、静かにそれを浮かび上がらせようとしていたような映画だった。

●クレア・パイマン『光に生きる ― ロビー・ミューラー』(オランダ/2018/86分)
自分が映画を数多く観はじめ出したときに、強烈な色彩が脳裏に焼き付いた映画が2本あった。それがフランシス・フォード・コッポラの『ワン・フロム・ザ・ハート』とヴィム・ヴェンダースの『パリ、テキサス』だった。『ワン・フロム・ザ・ハート』の撮影監督はヴィットリオ・ストラーロで、『パリ、テキサス』の撮影監督がロビー・ミューラー。映画を観た当時は撮影監督の役割をまったく理解してなくて、のちにデニス・シェファー、ラリー・サルヴァート著、高間賢治訳「マスターズオブライト―アメリカン・シネマの撮影監督たち」などを読んで、撮影監督の重要性を理解したような気がする。その『パリ、テキサス』の撮影監督のロビー・ミューラーは、普段の生活でも当時のHi8ビデオカメラを絶えず回していて、ビデオに映り込む光の状態といつも戯れていた。彼の撮ったビデオ映像を編集してドキュメンタリーとしてまとめたのが『光に生きる ― ロビー・ミューラー』だった。この映画を観て、いやあ、ちょっと触発されてしまった。今ではiPhoneと云うツールがあるのだから、自分も日々映像ともっと戯れるべきだなあ。

●トラヴィス・ウィルカーソン『誰が撃ったか考えてみたか?』(アメリカ/2017/90分)
トラヴィス・ウィルカーソン監督自身の曾祖父が1946年に起こしたとされるアラバマ州ドーサンでの黒人男性射殺事件の真相を追いかけるドキュメンタリー。映画の最初に見せられる曾祖父と家族のなごやかな白黒写真や動画フィルムだけでは、その曾祖父が殺人事件に関わったことすら想像することもできなかったが、親族への聞き込みなどを続けて行くうちに、人種差別主義者であり家族にも暴力を振るっていた人物像が次第に浮かび上がってくる過程はとても面白かった。でも、それを監督自身のナレーションで、すべてを言葉で説明して行くタイプのドキュメンタリーはどうも好きになれなくて、、、残念。

●ボリス・ニコ『パウロ・ブランコに会いたい』(フランス、ポルトガル/2018/117分)
パウロ・ブランコと云うと、テリー・ギリアムの『ドンキホーテを殺した男』で裁判沙汰になったプロデューサーとしてしか認識してなくて、この映画を観て、マノエル・ド・オリヴェイラの映画のプロデューサーだったんだ! とわかったぐらいに知識不足だった。で、プロデューサーと云えばハリウッドの面々をおもい浮かべて、まあ、云っちゃえば「山師」や「香具師」のイメージなんだけど、このドキュメンタリーに登場するパウロ・ブランコもまるっきりそのイメージのままだった。ただ、終盤にやっと撮ることのできた彼のインタビューを見ると、そんなに激しい人物には見えなくて、ちょっと柔らかさのある優しい人物に見えたところがちょっと驚いてしまった。このあたりが、パウロ・ブランコの魅力なのかなあ。

灰色の石の中で

監督:キラ・ムラートワ
出演:イーゴリ・シャラーポフ、オクサーナ・シラパク、ロマン・レフチェンコ
原題:Среди серых камней
制作:ソ連/1983
URL:
場所:アテネ・フランセ文化センター

キラ・ムラートワと云うモルドバ生まれの映画監督の名前は、今回のアテネ・フランセ文化センターでの「ソヴィエト・フィルム・クラシックス 逝去した監督・俳優編」のラインナップを見るまではまったく知らなかった。ネット検索をすると、日本での公開作品は少ないけれど、世界的には評価の高い女性の映画監督と云うことがわかって、ああ、世界にはまだまだ知らない映画作品がたくさんあるんだなあと、アテネ・フランセ文化センターのこのような上映会には感謝しかない。

『灰色の石の中で』は、ウラジミール・コロレンコの小説「悪い仲間」を原作とした映画で、母を亡くしたばかりの判事の息子ワーシャが、孤独から森をさまよっている時に知り合った浮浪児の兄妹との交流を描いている。と云っても、すぐに見て取れる登場人物の感情の起伏が描かれているわけではなくて、云わんとしているテーマをすぐに理解できる映画でもないので、下手をするととても退屈な映画に見えてしまう。でも、ソ連時代に人間の尊厳や自由を取り扱おうとすれば、このような混沌とした描写で表現せざるを得なかったのかもしれないし、そこが却って、フェリーニの映画のような、どこか魅力的な映画にはなっていた。

ソ連の当局により一部カットを余儀なくされて、クレジットから監督名を外したと云われているけど、どこがカットされたのだろう? それがあったら、おそらく、この作品の印象も変わっていたのかもしれない。

→キラ・ムラートワ→イーゴリ・シャラーポフ→ソ連/1983→アテネ・フランセ文化センター→★★★