ジュディ 虹の彼方に

監督:ルパート・グールド
出演:レネー・ゼルウィガー、ルーファス・シーウェル、マイケル・ガンボン、フィン・ウィットロック、ジェシー・バックリー、ジェマ・リア=デヴェロー
原題:Judy
制作:アメリカ、イギリス/2019
URL:https://gaga.ne.jp/judy/
場所:109シネマズ菖蒲

ヴィクター・フレミング監督の『オズの魔法使』をはじめてテレビで見たときには、すでに映画の雑誌などでジュディ・ガーランドの晩年の荒んだ生活についての知識があったので、純粋にファンタジーとしての『オズの魔法使』を楽しんだと云うよりも、その後のジュディ・ガーランドの人生も合わせて見てしまったような気がする。だから、健気にドロシーを演じるジュディ・ガーランドにどこか痛々しさも感じてしまって、自分にとっての『オズの魔法使』はそんなに楽しめる映画ではなかった。

ルパート・グールド監督の『ジュディ 虹の彼方に』は、ジュディ・ガーランドが亡くなる間際のロンドンでの興行にスポットライトを当てていて、精神的にボロボロになりながらも、3番目の夫とのあいだに生まれた2人の子供と暮らすために、必死にお金を稼ごうともがく姿をレネー・ゼルウィガーが演じていて、この演技で彼女は今年のアカデミー主演女優賞を獲ることになった。

ところどころに『オズの魔法使』やミッキー・ルーニーとコンビを組んだ映画の撮影時の回想シーンを挟み込んで、そのときに会社側から受けたパワハラとも云うべき精神的抑圧が、ジュディ・ガーランドの人格形成にも大きな作用を働いたことも匂わせていて、自分がはじめて『オズの魔法使』を見た時に感じた云い知れぬもどかしさの解答をこの映画で見たような気もしてしまった。

『オズの魔法使』のドロシー役への大抜擢、そして成功が、その後のバラ色の女優生活が保証されたかのように見えて、実際には一人の人間を崩壊させてしまった事実を突きつけられて、平凡な人間で良かったと安堵するべきなのかと、モヤモヤとした気分で映画館をあとにした。

→ルパート・グールド→レネー・ゼルウィガー→アメリカ、イギリス/2019→109シネマズ菖蒲→★★★☆

監督:クリス・サンダース
出演:ハリソン・フォード、ダン・スティーヴンス、カレン・ギラン、オマール・シー、ブラッドリー・ウィットフォード
原題:The Call of the Wild
制作:アメリカ/2020
URL:https://www.disney.co.jp/movie/yasei.html
場所:109シネマズ木場

数年前に古本屋で、堺利彦訳のジャック・ロンドンの小説「野性の呼聲」(叢文閣、1919年)を入手したことから、青空文庫に向けて入力作業をしようとテンションが上ったのだけれど、やはり旧字の入力作業は苦しくて、次第に情熱を奪われてしまって、すっかり途中のままで頓挫してしまっている。

今年になって、その1903年に書かれた小説「野性の呼び声」が映画化されて、予告編が映画館で流れ始めた。何でいまさら映画化? とはおもうのだが、入力作業への情熱がふたたび復活するのではないかと期待して観に行ってしまった。

クリス・サンダース監督の『野生の呼び声』は、そつなく作られていて、大人から子供まで、動物好きでも好きでなくても、誰もが楽しめる映画にはなっていた。でもやはり、CGで作られた犬たちがどうしても不自然に見えてしまって、犬の「バック」に対して気持ちを向けることが難しかった。もうちょっと自然な動作のCGにしてくれていたら良かったのに。

まあ、当初の計画通り、入力作業を再開する気持ちがちょっとだけ芽生えたので良しとしよう。

→クリス・サンダース→ハリソン・フォード→アメリカ/2020→109シネマズ木場→★★★

監督:テレンス・マリック
出演:アウグスト・ディール、ヴァレリー・パフナー、ミカエル・ニクヴィスト、ユルゲン・プロホノフ、マティアス・スーナールツ、ブルーノ・ガンツ
原題:A Hidden Life
制作:アメリカ、ドイツ/2019
URL:http://www.foxmovies-jp.com/namonaki-shogai/
場所:新宿シネマカリテ

最近のテレンス・マリックの映画は、『ツリー・オブ・ライフ』にしても『トゥ・ザ・ワンダー』にしても『聖杯たちの騎士』にしても、ストーリーが素直に表面へ出てくるわけではないので、ただ、ただ、綺麗な映像を断片的に見せられているだけの印象に陥ってしまう。テレンス・マリックの映画が好きなものにとっては、その紡いだ映像の断片から彼が語ろうとしていることを探って、解き明かすことに快感があったりはするのだけれど、でもテレンス・マリックのファンでもない人にとっては退屈な映画にも見えてしまうのかもしれない。

ところが今回の『名もなき生涯』は、最近の手法を使わずに、テレンス・マリックの初期の作品『天国の日々』のようにしっかりとストーリーを語っていたことにはびっくりした。これだけ明快にしてくれれば、誰が見ても感動させられるだけのちからはテレンス・マリックの映画にはあるので、みんなに面白いぞと薦めることができる。とはいえ、単純な映画になってしまったなあ、と云う寂しさはちょっぴり。

自分の信念に基づいて、はたから見れば「犬死に」にも見える「死」を選ぶ男のストーリーは、フレッド・ジンネマンの『わが命つきるとも』(1966)をおもい出してしまった。そして、ラストのジョージ・エリオットの小説からの引用が、鑑賞後の余韻をひっぱるのに大きな貢献をしていた。

歴史に残らないような行為が世の中の善を作っていく
名もなき生涯を送り、今は訪れる人もない墓にて眠る人々のお蔭で
物事がさほど悪くはならないのだ

→テレンス・マリック→アウグスト・ディール→アメリカ、ドイツ/2019→新宿シネマカリテ→★★★★

監督:タイカ・ワイティティ
出演:ローマン・グリフィン・デイヴィス、トーマシン・マッケンジー、タイカ・ワイティティ、レベル・ウィルソン、スティーブン・マーチャント、アルフィー・アレン、サム・ロックウェル、スカーレット・ヨハンソン
原題:Jojo Rabbit
制作:アメリカ/2019
URL:http://www.foxmovies-jp.com/jojorabbit/
場所:TOHOシネマズシャンテ

人類の歴史を振り返れば、ローマ帝国の時代から多民族に対する残虐非道な行いが絶えず繰り返されて来てはいるのだけれど、時間が経てば過去の憎しみなどは次第に薄まって行って、昔のことだから、で済むようになって来るとはおもう。じゃあ、75年の月日ではどれだけ薄まるんだろう? ひと一人の寿命の長さしか経っていないのだから、なかなか忘れることは難しいのかもしれない。第二次世界大戦の日本の行った非道な行為に対して中国や韓国の人たちの怒りが収まらないのを見れば明らかだ。それはナチスに対しても同じだとはおもうけれど、ヒットラーを悪の権化として切り離して考えることも出来るので、ドイツ国民に対して向かう憎しみがある程度中和されているようにも見えてしまう。

タイカ・ワイティティ監督の『ジョジョ・ラビット』には、ナチスを信奉する少年の空想としてヒットラーが出てくる。それをタイカ・ワイティティ監督自身がコミカルに演じている。例えば東条英機をコミカルに演じることの重大さに比べると、ヒットラーのキャラクターとしてのイメージが独り歩きしていて、それをコメディとして扱えることの羨ましさを感じてしまった。

でも、この『ジョジョ・ラビット』の中で、少年の空想の中の滑稽なヒットラーが有効的に生きていたかと云えば、うーん、どうなんだろう? 「クラウン」としてまったく生きていなかったような気が、、、

→タイカ・ワイティティ→ローマン・グリフィン・デイヴィス→アメリカ/2019→TOHOシネマズシャンテ→★★★