監督:サム・ライミ
出演:ベネディクト・カンバーバッチ、エリザベス・オルセン、キウェテル・イジョフォー、ベネディクト・ウォン、ソーチー・ゴメス、マイケル・スタールバーグ、レイチェル・マクアダムス
原題:Doctor Strange in the Multiverse of Madness
制作:アメリカ/2022
URL:https://marvel.disney.co.jp/movie/dr-strange2.html
場所:ユナイテッド・シネマ浦和

サム・ライミがマーベルの映画に帰ってきた。スパイダーマンではなくて、ドクター・ストレンジの第2作目で。

サム・ライミの『死霊のはらわた』と『死霊のはらわたII』を観たとき、たしか名画座の二本立てで観たような気もする、ホラー映画のジャンルでありながらも少しコメディにも寄っていて、グロテスクさが度を越せば笑いにも転じることを知らしめてくれた映画でもあった。「死霊のはらわた」シリーズの3作目『キャプテン・スーパーマーケット』はもう完全にコメディに転じていて、それだけにとどまらず、SFやファンタジーにも展開して、サム・ライミがやりたいことをすべてぶち込んでいるような楽しい映画になっていた。

サム・ライミ監督の『スパイダーマン』第1作目を映画館で観たとき、「スパイダーマン」と云うアメリカン・コミックを知ってはいても読んだことがなかったので、ただの「スーパーヒーローもの」だろうとしか認識がなかった。なので、サム・ライミが監督する意義がどこにあるのかよくわからなかった。ところがその内容は、ヒーローが悪を退治するだけのあっけらかんとしたものだけではなかった。いじめを受けている少年が特殊能力を授かる設定だったり、親友の父がビランになってしまったりと、人間のネガティブな部分を描く場面が多分にあったので、そのダークな部分とスーパーヒーローのライトな部分、この明暗を融合させて笑いやアクションも含ませた総合エンターテインメントを撮れる監督としてサム・ライミがぴったりだった。

今度の『ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス』も『スパイダーマン』と同様に、と云うかMCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)の映画はどれも、サム・ライミが監督としてぴったりだった。特に今回はダークな要素が多く描かれるので、そこは「死霊のはらわた」シリーズを彷彿とさせるところだった。でも、なんだろう? MCUの映画はどれも似たようなテイストになってしまっていて、それはVFX部分が同じようなテンションで描かれるからだろうか? サム・ライミが監督をしている意義をあまり感じられなくなってしまった。それはクロエ・ジャオの『エターナルズ』にも感じたことだった。

たぶん、もう、MCU映画に飽きてきているんだろうなあ。ここらで小休止、なにか違うテンションのMCU映画が欲しい。

→サム・ライミ→ベネディクト・カンバーバッチ→アメリカ/2022→★★★☆

監督:マイク・ミルズ
出演:ホアキン・フェニックス、ギャビー・ホフマン、ウディ・ノーマン、モリー・ウェブスター、ジャブーキー・ヤング=ホワイト、スクート・マクネイリー
原題:C’mon C’mon
制作:アメリカ/2021
URL:https://happinet-phantom.com/cmoncmon/
場所:TOHOシネマズ日比谷

最近、文京区の小学6年生のプログラミング授業にサポートとして入っていたりする。なので、いろんな子供たちと接する機会が増えていて、いまどきの子供をつぶさに観察することができるところがとても面白い。で、自分の小学生のころと何が同じで、何が違っているのか、そこを考えたりもするのだけれど、子供のころの記憶があまりにも曖昧なので、しっかりと比較することができない。でも、なんとなく、自分のころよりも複雑な子供が増えているような気もする。とても感受性が強くて繊細で、自分の世界を作り上げていて、その中で生きているような子供。そんな子供は昭和にも居たのかもしれないけれど、この情報過多の込み入ったややこしい時代には増えているんじゃないのかな、と云う感覚がしている。

マイク・ミルズ監督の『カモン カモン』に出てくる少年ジェシー(ウディ・ノーマン)はそんな感じの少年だった。二重人格のように別人格を演じてみたり、大人顔負けの本質をつく質問をしてきたり、ハッとするような美しい詩のようなものを云ったりする。父親が精神を病んでいる設定もあってか、遺伝がそうさせているのか? とおもわせるところが常軌を逸する混乱を予想させて、ハラハラ・ドキドキしながら少年ジェシーの行動を見守ることになった。

その少年ジェシーに対するホアキン・フェニックスが演じる伯父のジョニーが素晴らしかった。ひょんなことから妹の子供を預かることになったジョニーは、奇想天外な行動をするジェシーに手を焼きながらも、彼を理解しようと努力し、ときには怒りをぶつけながら、ときには自分の失態に許しを請いながら、次第に彼の心に寄り添うようになって行く。その過程の描き方がこの映画の一番の醍醐味だった。

いまどきの子供たちに接する方法は、昔のように頭ごなしに怒鳴りつけるようなシンプルなものではまったくダメで、その子供の傾向を見極めた上での細やかな対応を見せなければならない。この映画のホアキン・フェニックスは、全米各地で子供たちにインタビューを行っているドキュメンタリー作家であるからこそ、いろいろな子供の思考パターンを経験として得ていた有利性はあったとおもう。でも、普通の親がこれほどの対応を見せられるかと云えば、それは絶対に無理だ。スクールソーシャルワーカーなみの子供の心理についての勉強をする必要性を感じてしまう。いやあ、難しい時代になってきている。子供にとっても、親にとっても。

→マイク・ミルズ→ホアキン・フェニックス→アメリカ/2021→★★★★

監督:レオス・カラックス
出演:アダム・ドライバー、マリオン・コティヤール、サイモン・ヘルバーク、デヴィン・マクダウェル、水原希子、福島リラ、古舘寛治
原題:Annette
制作:フランス、ドイツ、ベルギー、日本、メキシコ/2021
URL:https://annette-film.com
場所:ユーロスペース

レオス・カラックスの新作は意外にもミュージカルだった。そしてミュージカルらしく、ストーリーも明快なものだった。うーん、このような平凡なものをレオス・カラックスが撮る意味があるのかどうか? と戸惑っていると、ひとつだけ非凡なことが起きた。スタンダップコメディアンのアダム・ドライバーとオペラ歌手のマリオン・コティヤールとのあいだに生まれた子供にパペット(そしてCG技術によって動かく)を使ったのだ。まるで今は亡きジム・ヘンソンが創作したような赤ちゃんの人形がマリオン・コティヤールから生まれて来たのだ。これにはびっくりした。

マリオン・コティヤールから生まれた子供は、母親からの才能をそのまま受け継ぎ、生まれてまもなく歌を唄い出す赤ちゃんだった。このようなあり得ないことを映像化するときに、いまのCGの技術ならばリアルな実写の赤ちゃんに歌を唄わすことぐらいは可能なのに、なぜレオス・カラックスはあえてパペットを使ったのだろうか?

この部分についてネットなどでよく云われていることは、子供が親の操り人形だから、というものだった。でも、最終的に父親のアダム・ドライバーに利用されていたとしても「操り人形」と云うイメージにはほど遠く、どちらかと云えば赤ちゃんが発する可愛らしさを全面的に抑え込んで、反対に不気味さを強調させていた、くらいの効果しかなかったようにもおもう。

その後、赤ちゃんが成長して、おそらく3、4歳になった段階で、スパッとパペットから実際の子役にスイッチさせて来た。このことは、今度は、子供が親の操り人形から解放された、と云う意味を見出す人もいるようだけれど、それも微妙だった。ストーリーとしては、自我を持ち始めた子供が親を責める段階に来ていたので、そこは実際の子役でのリアルな表情を見せたほうが効果的なんじゃないか、と云う判断ぐらいにしかおもえなかった。

映画を観ているあいだ中、そのパペット→子役のことを、あーだこーだと考えているうちに映画は終わってしまっていた。最終的に、レオス・カラックスにしてはハリウッド的な映画だったなあ、という感想しか残らなかった。

→レオス・カラックス→アダム・ドライバー→フランス、ドイツ、ベルギー、日本、メキシコ/2021→★★★☆

監督:ジュリア・デュクルノー
出演:アガト・ルセル、ヴァンサン・ランドン、ギャランス・マリリエ、ライス・サラーマ、ドミニク・フロ、ミリエム・アケディウ、ベルトラン・ボネロ
原題:Titane
制作:フランス、ベルギー/2021
URL:https://gaga.ne.jp/titane/
場所:ヒューマントラストシネマ有楽町

ジュリア・デュクルノー監督の『TITANE/チタン』を昨年の第74回カンヌ国際映画祭で最高賞であるパルムドールを受賞したと云う情報だけで観に行った。

ここのところのカンヌ映画祭のパルムドールは、2016年がケン・ローチ監督の『わたしは、ダニエル・ブレイク』、2018年が是枝裕和監督の『万引き家族』、2019年がポン・ジュノ監督の『パラサイト 半地下の家族』と、現代の貧困問題を扱っている映画が多かった。だから、その流れでこの映画を観に行ってしまったから、ホラー映画のような内容のエグさにびっくりしてしまった。とくに自分の体を痛めつける描写が多いので、とても画面を注視することができない。みんな、このような内容の映画であることを承知のうえで観に来てるんだろうか、と周りを見渡してしまった。そう云えば、おばさん二人組が自分の近くに座っていたが、まさかル・シネマでやるような映画だとおもって来てやしないだろうか、といらぬ心配をしてしまった。

まあ、もともとホラー映画が嫌いなわけではないので、そう云った映画であると決めてかかれば、とてもパワフルな映画であることに間違いはないので楽しめないこともなかった。デイヴィッド・リンチやクローネンバーグの映画を最初に観たときの感覚と近いものがあるような気もした。

映画が終わって、エンドクレジットが流れ始めたら、くだんのおばさん二人組はすぐさま出口から外に出ていった。ほら、やっぱりおもっていたような映画とは違ったんじゃない?

→ジュリア・デュクルノー→アガト・ルセル→フランス、ベルギー/2021→★★★☆

監督:ギレルモ・デル・トロ
出演:ブラッドリー・クーパー、ケイト・ブランシェット、ルーニー・マーラ、トニ・コレット、ウィレム・デフォー、リチャード・ジェンキンス、ロン・パールマン、デヴィッド・ストラザーン、メアリー・スティーンバージェン、ピーター・マクニール、ホルト・マッキャラニー、ポール・アンダーソン
原題:Nightmare Alley
制作:アメリカ/2021
URL:https://searchlightpictures.jp/movie/nightmare_alley.html
場所:109シネマズ木場

ウィリアム・リンゼイ・グレシャムが1946年に発表した小説「ナイトメア・アリー 悪夢小路」の2度目の映画化。1度目は『グランドホテル』(1932)で有名なエドマンド・グールディング監督が1947年に映画化した『悪魔の往く町』。

いままでギレルモ・デル・トロの映画をあまり楽しめずにいた。ウェス・アンダーソンとギレルモ・デル・トロの映画は、みんなは楽しめているのに自分だけは仲間はずれ、の二大巨頭だった。ところが先日のウェス・アンダーソンの『フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊』は大いに楽しんでしまった。じゃあ、今度のギレルモ・デル・トロの『ナイトメア・アリー』はどうだろう? とおそるおそる観に行ったら、これもまたすこぶる面白かった。

『ナイトメア・アリー』を面白く感じたのは、やはり大好きなケイト・ブランシェットが出ているからだとはおもう。彼女が出てくるだけで画面をさらってしまうオーラが凄い。フィルム・ノワールには悪女がつきもので、まさに彼女にぴったりの役柄だった。

ただ、Youtube「BLACKHOLE」の「【映画批評】『ナイトメア・アリー』と見世物小屋の映画史&22年アカデミー賞をぼんやり語る/高橋ヨシキ×てらさわホーク×柳下毅一郎【ネタバレ】」を見ると、簡単に因果応報のストーリーに落とし込みすぎる、との話しも出ていた。まあ、長編小説を2時間30分にまとめるには、ある程度、一定の定形パターンにせざるを得ないとはおもう。その定形のなかでどれだけ面白さをだせるかだけど、これだけ役者を揃えることができるのなら、それだけで眩いくらい豪華さだった。

1947年の「ナイトメア・アリー 悪夢小路」の最初の映画化作品『悪魔の往く町』は素晴らしい映画と云うことなので、DVDでも買って見てみようとおもう。それから、ウィリアム・リンゼイ・グレシャムの原作も読んでみよう。

→ギレルモ・デル・トロ→ブラッドリー・クーパー→アイルランド、イギリス/2021→★★★★

監督:ケネス・ブラナー
出演:ジュード・ヒル、カトリーナ・バルフ、ジェイミー・ドーナン、ジュディ・デンチ、キアラン・ハインズ、コリン・モーガン、ララ・マクドネル、ジェラード・ホラン、コナー・マクニール
原題:Belfast
制作:アイルランド、イギリス/2021
URL:https://belfast-movie.com
場所:ユナイテッド・シネマ浦和

ケネス・ブラナーがどこの生まれなのか、もちろんイングランド出身であることは間違いないとおもっていたけれど、詳しいことを調べずに今までに至っていた。それで彼が、いかにも商業的な映画ばかり撮っているあいまに、さらりと『ベルファスト』と云う映画を撮ってはじめて、なんと彼は北アイルランドのベルファスト出身なのか! と知ることになった。

ケネス・ブラナー監督の『ベルファスト』は彼の自伝的内容の映画で、1969年の北アイルランド、ベルファストに暮らす少年バディの目線で描かれた映画だった。北アイルランドと云えば、まっさきに頭に浮かぶのがIRA(アイルランド共和軍)で、とくにジャック・ヒギンズの冒険小説を好んで読んでいた自分にとっては、その土地は甘酸っぱいロマンが交錯する憧れと恐怖が同居する場所と記憶しているので、ベルファストでケネス・ブラナーが育ったと聞いて云い知れぬ親近感が湧いてしまった。

ケン・ローチ監督の『麦の穂をゆらす風』を見ればわかるとおり、アイルランド独立戦争とその後のアイルランド内戦は、同胞同士、肉親同士が殺し合う凄惨なもので、それはこの映画の舞台である1969年のベルファストでも綿々と内部にくすぶっていた。

この映画の冒頭、ベルファストの街の人々に愛されていた少年バディに突然ふりかかる破壊と暴力は、そのくすぶる火種が再引火するきっかけだった。でも、カトリック教徒が多く住む地域がプロテスタントによって襲撃される事件が起きたあとも、少年バディにとっての日常は滞りなく続き、親が借金に苦しんでいても、祖父の病気が進行していても、クラスの女の子が好きだとか、悪い友達と万引をするだとか、まるで我々日本人の1969年ごろの子供社会となんら変わりが無いところが普遍性を表していて面白かった(夕方に、ごはんよ〜、と子どもたちを呼ぶ風景も日本と変わりない!)。

そして、週末には必ず映画があった。家族で映画館へ観に行く『恐竜100万年』だとか、『チキ・チキ・バン・バン』だとか、テレビで見る『リバティ・バランスを射った男』だとか、『真昼の決闘』だとか。映画を見ることによって、苦しみもも悲しもみ、何もかも忘れさせてくれたのも当時の日本社会と同じだった。

父親の仕事の都合でベルファストを離れなければならないラストシーン。70年代に入ってのベルファストの悲惨な状態を考えれば正しい選択だった。ただ、ひとり残される祖母(ジュディ・デンチ)のセリフ「Go now, don’t look back.(行きなさい、振り返るんじゃないよ)」があまりにも余韻を残しすぎた。彼女は生き抜けたんだろうか。

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映画の中で祖父(キアラン・ハインズ)が、何かしらから引用するセリフが気になった。ひとつだけ記憶に残っていたので、調べてみた。

A pity beyond all telling / Is hid in the heart of love.
William Butler Yeat

愛するという気持ちの底には、言うに言われぬ、憐憫の情がある。
ウィリアム・バトラー・イェイツ

ああ、名前だけは聞いたことがあるアイルランドの詩人イェイツだった。なるほど、祖父はだいぶ教養のある人物だった。

→ケネス・ブラナー→ジュード・ヒル→アイルランド、イギリス/2021→★★★★

監督:シアン・ヘダー
出演:エミリア・ジョーンズ、エウヘニオ・デルベス、トロイ・コッツァー、フェルディア・ウォルシュ=ピーロ、ダニエル・デュラント、マーリー・マトリン
原題:CODA
制作:アメリカ、フランス、カナダ/2021
URL:https://gaga.ne.jp/coda/
場所:109シネマズ木場

今年のアカデミー作品賞は、シアン・ヘダー監督の『コーダ あいのうた』が受賞した。通常ならそれで盛り上がるところなんだけれども、今回ばかりはウィル・スミスによるクリス・ロックへのビンタ騒動にすべてを持っていかれてしまった。そのために作品賞がだいぶ霞んでしまった。

だから、ちょっとかわいそうなので、そしてまだ未見だったので『コーダ あいのうた』を観に行った。

最近つくづく感じることだけれど、日本ではアカデミー賞の話題だけでは動員が伸びなくなってきていて、アカデミー賞発表後の土曜の昼間でも客席は半分ぐらいしか埋まっていなかった。作品的にもちょっと地味な感じの小品で、それよりも『SING/シング:ネクストステージ』のほうがお客が来ている雰囲気だった。

映画を観終わったあとに帰りがけの中年夫婦が「いい映画だったね」と云っていたように、『コーダ あいのうた』は映画として不足な部分は何もなかった。でも、聴覚障害のある両親に育てられた健常者の子供が、親の手話の通訳者でしかない自分の存在に疑問を持ち始める成長ストーリーでしかなくて、昨今のノーマライゼーションの考え方に合致する内容ではあるものの、これが作品賞? とおもわざるを得ないコンパクトな映画だった。だから、よし、映画館で観よう! と行動を起こさせるにはちょっと弱い映画ったのかもしれない。

そう云えば、アカデミー賞の授賞式中継の最中に町山智浩がTwitterでジェーン・カンピオン『パワー・オブ・ザ・ドッグ』の作品賞が有力だけれど「誰からも愛される映画『コーダ』が逆転する可能性が高いです。」と云っていた。

これは、アカデミー賞の投票方法が、ちょっと特殊なことから推測するTweetだった。アカデミー賞の作品賞を選ぶ方法は、アカデミー会員が10本のノミネート作品全部にそれぞれ順位を付けて、たとえば1位のものは10点、10位のものは1点とするような集計方法になっていて、だから1位が少なくても、みんなが2位、3位に入れるような映画が上位になってしまう仕組みだった。だから、平均点を取るような映画が点数を集めて、作品賞を獲ってしまう流れになっているらしい。

無難な映画が作品賞を獲るよりも『パワー・オブ・ザ・ドッグ』のような尖った映画が獲ったほうが、映画館で観たい! と行動を起こさせるのだろうか。いや、それもまた違うかのなあ。もうすでに日本のシネコンは、アニメ作品を観る場所として固定されてしまったのかもしれない。それも悲しいなあ。

→シアン・ヘダー→エミリア・ジョーンズ→アメリカ、フランス、カナダ/2021→★★★☆

監督:大九明子
出演:篠原涼子、中村倫也、関水渚、岩田剛典、中尾明慶、浅利陽介、前野朋哉、泉澤祐希、佐藤晴美、宮尾俊太郎、空気階段、ヒコロヒー、伊勢志摩、六角精児、尾美としのり、池田鉄洋、臼田あさ美、片桐はいり、皆川猿時、向井理、高橋克実
制作:「ウェディング・ハイ」製作委員会/2022
URL:https://movies.shochiku.co.jp/wedding-high-movie/
場所:109シネマズ菖蒲

大九明子監督が綿矢りさの原作を映画化した『勝手にふるえてろ』と『私をくいとめて』を面白いとおもったわりには、彼女の他の監督作品を一本も観たことがなかった。なので、最近やたらと予告編を見させられた『ウェディング・ハイ』へ行ってみることにした。今回はバカリズムのオリジナル脚本。

自分の頭の中で作り上げた理想を誇大妄想化させた女子の日常を描いた『勝手にふるえてろ』や『私をくいとめて』に比べて、今回の『ウェディング・ハイ』でのそれぞれの登場人物の内面葛藤は、綿矢りさが書き連ねるめんどくささ爆発の脳内世界に比べてあまりにもありきたりすぎて、ああ、『勝手にふるえてろ』と『私をくいとめて』を面白く感じたのは、やっぱり原作によるところが大きかったんだなと納得してしまった。

それに『ウェディング・ハイ』のストーリー構成が複雑なわりにはあまり笑えなかった。ウェディングプランナーの奔走を描く前半と、時間を巻き戻しての新婦を奪いに来た元カレがご祝儀泥棒を捕まえる後半とのあいだに、もっと相互作用を設けなければ、すれ違い、伏線の回収、そうだったのか!の納得感などからくる笑いがまったく生まれてなかった。

とくに元カレの下痢のくだりはまったく笑えないよ。

→大九明子→篠原涼子→「ウェディング・ハイ」製作委員会/2022→109シネマズ菖蒲→★★☆

監督:濱口竜介
出演:古川琴音、中島歩、玄理、渋川清彦、森郁月、甲斐翔真、占部房子、河井青葉
制作:NEOPA fictive/2021
URL:https://guzen-sozo.incline.life
場所:池袋シネマ・ロサ

濱口竜介監督の『ドライブ・マイ・カー』が日本映画で初めてアカデミー作品賞にノミネートされた。このニュースを聞いた第一印象は、社会的な多様性をやたらと重要視し始めているアメリカ社会の時代の流れに、無理やりはめ込まれてしまっている感じだなあ、だった。とは云っても、とても素晴らしい映画なんだから、そんなことをゴチャゴチャ考えずに手放しで喜ぶべきなんだろうとおもう。

その『ドライブ・マイ・カー』と同じ時期に撮影していた『偶然と想像』は、「魔法(よりもっと不確か)」「扉は開けたままで」「もう一度」の3つの短編作品集。どのストーリーも、偶然から派生する人と人との関わり合いを濱口竜介メソッドの演出法による会話劇で描いていて、ラストの落とし方が3つとも小気味よくて観ていて楽しかった。

とくに3話目の「もう一度」が、ほとんど占部房子と河井青葉による二人芝居なので、演劇的な空間が大好きな自分にとってはとくに面白いストーリーだった。

濱口竜介監督には、ウディ・アレンとかホン・サンスのように、コンパクトな会話劇をコンスタンスに作って欲しい気もするけれど、もし『ドライブ・マイ・カー』がアカデミー作品賞を撮ったりしたら、どうなるんだろう? それでもウディ・アレンと同じように、小さな作品をコンパクトに作っていってほしいなあ。

→濱口竜介→古川琴音→NEOPA fictive/2021→池袋シネマ・ロサ→★★★★

監督:スティーヴン・スピルバーグ
出演:アンセル・エルゴート、レイチェル・ゼグラー、アリアナ・デボーズ、デヴィッド・アルヴァレス、マイク・ファイスト、ジョシュ・アンドレス、コリー・ストール、ブライアン・ダーシー・ジェームズ、リタ・モレノ
原題:West Side Story
制作:アメリカ/2021
URL:https://www.20thcenturystudios.jp/movies/westsidestory
場所:109シネマズ菖蒲

ロバート・ワイズ監督の1961年の映画『ウエスト・サイド物語』を最初に観たのは、おそらくは映画館ではなくてテレビ放映だったとおもう。そしてすぐさまサントラを買って、使い古された慣用句だけれども、文字通り、擦り切れるほどレコードプレーヤーで聞いた。なかでも好きな曲は“アメリカ”で、今でもその曲を聞くとテンションがあがって、ラテンのノリで踊りたくなってくる。踊れないけど。

その『ウエスト・サイド物語』を、なんとスティーヴン・スピルバーグ監督がリメイクした。彼にとって初めてのミュージカルなんじゃないのかな。『1941』はミュージカルじゃないよね。コメディからシリアスなものまで、どんなものでもこなせる職人監督の、またまた使い古された慣用句だけれども、面目躍如だった。

でも、この映画をどんな顔して観て良いのかよくわからなかった。ストーリーは知っているし、使われる楽曲もすべて昔と同じだった。場面設定も、いろいろと工夫はしていたけれど、とりたてて大きな変更点はなかった。ミュージカルシーンもキレキレで、とても素晴らしいんだけれども、ロバート・ワイズ版の映画をスティーヴン・スピルバーグがバージョンアップする意味をあまり見出すことが出来なかった。それだけロバート・ワイズ版の完成度が高かったんだとおもう。

と云ったりはするものの、スティーヴン・スピルバーグ版も素晴らしい映画だったことに違いはなかった。リタ・モレノを出してくるズルさがあるんだけれどもね。

→スティーヴン・スピルバーグ→ベアンセル・エルゴート→アメリカ/2021→★★★☆