ソロモンの偽証 後篇・裁判

監督:成島出
出演:藤野涼子、板垣瑞生、石井杏奈、清水尋也、富田望生、前田航基、望月歩、佐々木蔵之介、夏川結衣、永作博美、黒木華、田畑智子、塚地武雅、池谷のぶえ、田中壮太郎、市川美和子、高川裕也、江口のりこ、安藤玉恵、木下ほうか、井上肇、中西美帆、松重豊、小日向文世、津川雅彦、尾野真千子
制作:「ソロモンの偽証」製作委員会/2015
URL:http://solomon-movie.jp
場所:イオンシネマ板橋

うっかりしていて、もう少しで後篇を観るのを忘れるところだった。前、後篇に分けるのって、どうなんだろう。料金を高く設定してもいいから一気にすべてを観るほうがいいなあ。そんな上映方法は、今のシネコン時代では難しいのかもしれないけれど。

『ソロモンの偽証』を前、後篇とも見終わって、どうしても気になってしまうことが一つだけあった。それは、警察によって自殺と判断された少年の死が、ある告発状によって一人の不良少年に疑惑が向けられて、それが本当に不良少年の犯行なのかどうかを生徒たちによる学校内裁判によって裁かれる過程で、もうすでにその告発状が不良少年によっていじめられていた少女によって書かれた嘘で、少年の死が不良少年の犯行ではないことが映画の中でほとんど明確に示されているのに、不良少年の罪を問う生徒たちの裁判がストーリーの核となっている部分だ。

もうすでに興味の中心が不良少年の犯行かどうかではなくて、不良少年の弁護を担当する他校の生徒の正体なのに、不良少年の犯行当時のアリバイなどを問題視するのはまったくピントがズレてしまって、誰かはやく、このしたり顔の弁護人の正体を明らかにしろ! と云いたくなってしまった。

おそらく宮部みゆきの原作の構成がそうなんだろうけど、それを映画化する場合に、もうちょっと映画向けに再構成しても良かったんじゃないかとおもう。

→成島出→藤野涼子→「ソロモンの偽証」製作委員会/2015→イオンシネマ板橋→★★★☆

バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)

監督:アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ
出演:マイケル・キートン、エドワード・ノートン、エマ・ストーン、ナオミ・ワッツ、ザック・ガリフィアナキス、アンドレア・ライズボロー、エイミー・ライアン、リンゼイ・ダンカン、メリット・ウェヴァー
原題:Birdman or (The Unexpected Virtue of Ignorance)
制作:アメリカ/2014
URL:http://www.foxmovies-jp.com/birdman/
場所:109シネマズ二子玉川

最近のアカデミー賞の作品賞を撮った映画にあまり共感ができないことが続いているうえに、アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥの暗さがそれに輪をかけてダメ押しして来るのかと勝手に想像していたら、これがおもいのほか素晴らしい映画だった。もともとピークを過ぎた俳優の悲哀を描く映画に対して、いつも必要以上に主人公へ感情移入をしてしまうので、今回も実際のマイケル・キートンの俳優像と重ね合わせてしまって、彼の俳優としての焦燥感のような感情を映画の中の役柄と一緒に味わう追体験をしてしまった。さらに、ヒーロー映画に出演して人気を博した俳優を演じているマイケル・キートンが、新境地を開拓しようとして自作自演の芝居でブロードウェイに打って出るあたりのストーリーは、やはり演劇業界の裏幕を描く映画が大好きなこともあって二重にものすごく楽しんでしまった。

エドワード・ノートン、エマ・ストーン、ナオミ・ワッツなどの脇役陣も素晴らしくて、ニューヨーク・タイムズの演劇評論家を演じているリンゼイ・ダンカンも更年期特有の機嫌の悪さを顔全体で表していて、ブロードウェイのバーでのマイケル・キートンとの対決はゾクゾクするほどの緊張感を醸し出していた。この対決シーンこそが映画全体を引き締める役割を担っていて、ラストシーンのニューヨーク・タイムズに載るマイケル・キートンの芝居の劇評が映画の幕引きとしてはこれ以上ないほどのオチとなっていて、そのあたりの構成の妙も充分に楽しめる映画になっていた。

この女性演劇評論家のモデルとかいるんだろうか? 影響力のある女性の映画評論家ならポーリン・ケイルとかおもい出すけど、こんな嫌味な女性ではないよね。

→アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ→マイケル・キートン→アメリカ/2014→109シネマズ二子玉川→★★★★

やさしい女

監督:ロベール・ブレッソン
出演:ドミニク・サンダ、ギイ・フライジャン、ジャン・ロブレ
原題:Une femme douce
制作:フランス/1969
URL:http://mermaidfilms.co.jp/yasashii2015/
場所:新宿武蔵野館

ロベール・ブレッソンの映画は、役者がブレッソンの指示通りに、正確に動いている様子をしっかりと見てとることが出来る映画だ。それもブレッソンが役者の演技行為を極端に嫌うので、下手をすると感情がないロボットのようにただ単純になぞっているようにも見えてしまう。そして時には、その役者の動きにいったい何の意味があるんだろう? とおもわされるところにも不思議な感興をそそる映画が多い。

例えば、この『やさしい女』ではドミニク・サンダが、

・テレビを付ける。F1レーシング中継が映る。
・風呂場に入る。
・裸にバスタオルを巻いて出てくる。
・F1レーシング中継が映っているテレビの前に立つ。
・バスタオルがひらりと落ちて、全裸の後ろ姿が見える。
・落ちたバスタオルをまた体に巻く。
・再度、風呂場に向かう。

と云うシーンがある。この一連の動きにはいったい何の意味があるんだろうかとおもわされるけど、たぶん、このシーンそのものにはあまり意味がない。この映画は、ドミニク・サンダの魅力を最大限に発揮させる映画でもあるので、ドミニク・サンダの奇麗な全裸の後ろ姿、を見せるためにこのシーンはあるのかもしれない。

ロベール・ブレッソンの映画はストーリーを楽しむと云うよりは、ブレッソンの設計図が役者によって組み立てられているさまを楽しむ映画なんだろうとおもう。それを面白く感じるかどうかは、さまざまなタイプの映画を体験してきた結果によるところが多いとおもう。

→ロベール・ブレッソン→ドミニク・サンダ→フランス/1969→新宿武蔵野館→★★★☆

マジック・イン・ムーンライト

監督:ウディ・アレン
出演:コリン・ファース、エマ・ストーン、ハミッシュ・リンクレイター、マーシャ・ゲイ・ハーデン、ジャッキー・ウィーヴァー、エリカ・リーセン、アイリーン・アトキンス、サイモン・マクバーニー、リオネル・アベランスキ
原題:Magic in the Moonlight
制作:アメリカ、イギリス/2014
URL:http://www.magicinmoonlight.jp
場所:109シネマズ川崎

ウディ・アレンが撮った作品のラインナップを眺めて見ると、いくつかのジャンルに分類出来ることに気付く。その中にマジシャンが登場するスピリチュアル系の映画群があって、『スコルピオンの恋まじない』や『タロットカード殺人事件』などがそうなんだけど、今回の『マジック・イン・ムーンライト』もその群に属する映画だった。

これらのスピリチュアル系の映画を見れば、ウディ・アレンが占いを信じている人たちのことを小馬鹿にしているのは明らかだけど、でも単純に小馬鹿にしているのではなくて、信じているからこそ周りに影響を及ぼしてしまう不思議なパワーがあることを理解していて、そのことが人間の運命を左右させてしまうこともあり得ると云うことをいつもドタバタ混じりで面白可笑しく描こうとしていた。今回の『マジック・イン・ムーンライト』もそのことを踏襲してはいるけれど、いつもよりはドタバタを控えめにして、真正面からしっかりと捉えようとしていたような気がする。

ただ、ウディ・アレンの映画全体の中から評価すると、この映画群の面白さはイマイチで、今回のも悪くはないんだけどもう一つ展開が足りないような気がしてしまった。

→ウディ・アレン→コリン・ファース→アメリカ、イギリス/2014→109シネマズ川崎→★★★☆

インヒアレント・ヴァイス

監督:ポール・トーマス・アンダーソン
出演:ホアキン・フェニックス、ジョシュ・ブローリン、オーウェン・ウィルソン、キャサリン・ウォーターストン、リース・ウィザースプーン、ベニチオ・デル・トロ、ジェナ・マローン、ジョアンナ・ニューサム、マーティン・ショート、エリック・ロバーツ
原題:Inherent Vice
制作:アメリカ/2014
URL:http://wwws.warnerbros.co.jp/inherent-vice/
場所:ユナイテッド・シネマ豊洲

トマス・ピンチョンの小説「LAヴァイス」をポール・トーマス・アンダーソンが映画化。

トマス・ピンチョンの小説をまだ読んだことがないので、ポール・トーマス・アンダーソンがどこまで原作に忠実に映画化したのかはわからないけれど、以下のインタビュー記事で、

ホアキンと僕は、できる限り深く小説を掘り下げようとした。何事においても、つねに小説に戻るようにした。小説が僕たちを笑わせ、絶え間なく新しい素材をもたらしてくれた。あまりにも濃厚で、全部を心に留めておくことができない。でも僕たちは努力したよ。

http://www.webdice.jp/dice/detail/4665/

とあるので、おそらく原作の雰囲気を壊さずに映画化しているんじゃないかとおもう。

全体的な体裁はハードボイルドの探偵小説をベースにしていて、それも舞台が70年代のロサンゼルスなので、レイモンド・チャンドラーの原作を台無しにしたと酷評されたロバート・アルトマン監督の『ロング・グッドバイ』をどうしてもイメージしてしまう。そこにジェイムズ・エルロイの小説に出て来るような刑事“ビッグフット”が登場して、不動産業界の大物ミッキー・ウルフマンが絡んだロサンゼルスの暗黒史的な一面も見せつつ、当時の反戦思想やヒッピー文化などと一緒に70年代の流行歌に乗せてストーリーは展開して行く。

レイモンド・チャンドラーの「大いなる眠り」を原作としたハワード・ホークスの『三つ数えろ』のように、この『インヒアレント・ヴァイス』も次から次へと人物が登場して来る。ナレーションやセリフの端々にまで登場する人物たちをストーリーとどのような関わりがあるのかをしっかりと追いかけていると、重要な人物がなかなか登場しなかったり(ミッキー・ウルフマンを演じるエリック・ロバーツ!)、重要とおもわれた人物がただの変態だったり(ドクター・ブラットノイドを演じるマーティン・ショート!)、リース・ウィザースプーンやベニチオ・デル・トロなどのビッグネーム俳優がただのチョイ役だったりと、頭の中は混濁としてきて、まるで“葉っぱ”をやりすぎたジャンキーのようになってくる。まさにこの映画の“グルービー”なところはこの混濁とした中に身を置くことににあった。

そのうちにストーリーを真面目に追いかけてもまったく意味がないと気付かされて、次第にポール・トーマス・アンダーソンが得意とするところの人物の造形に注目しはじめると俄然と面白くなってくる。ホアキン・フェニックスのジャンキーな探偵はやたらと衣装を替えて、ドレスコードを気にする繊細さを持ち合わせた人物だったり、『時計じかけのオレンジ』のペニス型アイスをなめるデボチカのようにチョコバナナを銜えるマッチョ風刑事“ビッグフット”のジョシュ・ブローリンが実際には妻の尻に敷かれていたり(妻の顔は映らない!)、70年代風ストレートな髪形のキャサリン・ウォーターストンが意味もなく全裸になっていたりと、何もかもがポール・トーマス・アンダーソンの描く人物だ。それが、おそらく、トマス・ピンチョンの小説と一体化している。

それをしっかりと確認するためにもトマス・ピンチョンの「LAヴァイス」を読まねば。

→ポール・トーマス・アンダーソン→ホアキン・フェニックス→アメリカ/2014→ユナイテッド・シネマ豊洲→★★★★

神々のたそがれ

監督:アレクセイ・ゲルマン
出演:レオニド・ヤルモルニク、アレクサンドル・チュトゥコ、ユーリー・アレクセービチ・ツリーロ、エフゲニー・ゲルチャコフ、ナタリア・マテーワ
原題:Hard to Be a God
制作:ロシア/2013
URL:http://www.ivc-tokyo.co.jp/kamigami/
場所:ユーロライブ

アレクセイ・ゲルマン監督の映画をはじめて観た。ある程度は覚悟していたものの、やはり相当ヘヴィーな映画だった。泥、糞、ゲロまみれの背景に浮かび上がる人物にカメラは異常とも云えるほどに寄っていて、その人物の口から吐き出される唾や食いカスなどが画面いっぱいにまき散らされるシーンは見ていて気持ちの良いものではまったくなかった。さらに動物の死体や、死んだ人間の腹からこぼれ出るはらわたなどが画面せましと迫ってくる。この不快の連続はいったい何を意味するんだろうか? それを映画を見ているあいだ中ずっと考えていた。これが人間の本質と云ってしまえばそうなのかもしれないけれど、ここまで突き放した描写を連続させるパワーは想像を絶する。このことを理解するにはアレクセイ・ゲルマンの人となりを知らなければ到底無理だ。

手がかりを少しでも得ようとしてネットを検索したら、アレクセイ・ゲルマン監督のご子息のインタビューがあった。

http://culture.loadshow.jp/interview/kamigaminotasogare-interview/

その中にわずかばかりでも手がかりがあるとすると以下の部分だった。

父は、共産党のもとでも資本主義のもとでも仕事をした訳ですけれども、常に居心地の悪さというものを感じていて、それを表現したいと思っていたと思いますね。

→アレクセイ・ゲルマン→レオニド・ヤルモルニク→ロシア/2013→ユーロライブ→★★★

博士と彼女のセオリー

監督:ジェームズ・マーシュ
出演:エディ・レッドメイン、フェリシティ・ジョーンズ、マキシン・ピーク、チャーリー・コックス、エミリー・ワトソン、ガイ・オリヴァー=ワッツ、サイモン・マクバーニー、アビゲイル・クラッテンデン、ハリー・ロイド
原題:The Theory of Everything
制作:イギリス/2014
URL:http://hakase.link
場所:109シネマズ川崎

エディ・レッドメインがスティーヴン・ホーキング博士を演じて、今年のアカデミー主演男優賞を獲った映画。

今までの経験から云って自伝映画に期待を寄せることはあまりないのだけれど、最近で云ったらエディット・ピアフの自伝映画『エディット・ピアフ〜愛の讃歌〜』とか、たまに当たりの映画がある。今回の『博士と彼女のセオリー』は当たりだった。

この映画はスティーヴン・ホーキング博士の最初の妻であるジェーンの回顧録「Travelling to Infinity: My Life with Stephen」をベースにしている。だから、ホーキング博士の業績にスポットライトが当たるのではなくて、ジェーンとホーキング博士との関係を描くことがメインとなっている。この関係性が面白かった。特に、病気を発症してから自由の効かなくなったホーキング博士の家族をサポートするピアノ講師のジョナサンも含めた奇妙な三角関係がまるでトリュフォーの映画を見ているようだった。

さらにホーキング博士を世話する介護士のエレイン・マッソンも含めた四角関係に発展して行き、結局はホーキング博士と離婚したジェーンはジョナサンと再婚する。ホーキング博士はエレイン・マッソンと再婚する。この一見するとドロドロとした男女の愛憎劇が、情念のまったく欠如したクールな関係として描かれているところが、ホーキング博士とジェーンの頭の良さを象徴していて、それはすなわちホーキング博士の、人間性はともかく、偉大な業績を生み出す基盤とも見えるところがこの映画の面白さだった。

監督は『マン・オン・ワイヤー』でアカデミー賞の長編ドキュメンタリー賞を受賞したジェームズ・マーシュ。ドキュメンタリー映画と劇映画の撮り方は微妙に違うとおもうけど、やはりドキュメンタリー映画は「映画界の頂点捕食者」であって、ドキュメンタリーを巧く撮ることの出来る人は、劇映画も巧く撮ることが出来ることをしっかりと実証していた。

→ジェームズ・マーシュ→エディ・レッドメイン→イギリス/2014→109シネマズ川崎→★★★★

ジュピター

監督:ラナ&アンディ・ウォシャウスキー
出演:チャニング・テイタム、ミラ・クニス、ショーン・ビーン、エディ・レッドメイン、ダグラス・ブース、タペンス・ミドルトン、ジェームズ・ダーシー、ティム・ピゴット=スミス、ペ・ドゥナ
原題:Jupiter Ascending
制作:アメリカ、イギリス、オーストラリア/2015
URL:http://wwws.warnerbros.co.jp/jupiterascending/index.html
場所:109シネマズ木場

ジョージ・ルーカスの『スター・ウォーズ』やデヴィッド・リンチの『デューン/砂の惑星』が魅力的なのは、広大な宇宙空間を舞台にして対立する善悪のキャラクターが立っているからで、特にスペースオペラでは悪役のキャラが抜きん出て立っていなければまったく映画として成立しない。ウォシャウスキー姉弟の『ジュピター』はその点ではまったくダメだった。今年のアカデミー主演男優賞を獲ったエディ・レッドメインは悪役のキャラとしてはあまりにもアクがなくて薄すぎるし、使えない部下のトカゲ野郎を殺してもダースベイダーがフォースによって部下の首を絞め上げるような残酷さが際立たない。だからヒーローのチャニング・テイタムが勝利を収めたとしても何のカタルシスも得られない対決シーンはひどいものだった。どちらかと云うと、チャニング・テイタムがミラ・クニスを救い出すシーンのほうが、360度ぐるっとカメラがダイナミックに動いて、そこがこの映画のクライマックスシーンだった。

スペースオペラのヒロインは、『スター・ウォーズ』のキャリー・フィッシャーのように、まあ、特に美女を求めるものでもないんだけど、ミラ・クニスはあまりにもブラックなイメージを感じてしまって、それを「Your Majesty」と崇め奉るのはどうにも違和感を覚えてしまう。だったら、ちょい役ながら『クラウド アトラス』に引き続いて登場の、ウォシャウスキー姉弟お気に入りのペ・ドゥナをヒロインに据えたほうがまだましだった。

→ラナ&アンディ・ウォシャウスキー→チャニング・テイタム→アメリカ、イギリス、オーストラリア/2015→109シネマズ木場→★★☆

プリデスティネーション

監督:マイケル&ピーター・スピエリッグ
出演:イーサン・ホーク、サラ・スヌーク、ノア・テイラー、フレイヤー・スタッフォード、クリストファー・カービイ、ロブ・ジェンキンス、マデリーン・ウエスト、ジム・ノベロック、クリストファー・ストーレリー
原題:Predestination
制作:オーストラリア/2014
URL:http://www.predestination.jp
場所:渋谷TOEI

タイムトラベルの映画には絶えずパラドックスが付きまとう。だから、タイムトラベルと云う行為は絶対に不可能なんだと、いろいろな映画を見るたびにますます確信へと変わって行く。それなのに、その矛盾をなんとか回避しようと勝手なルールがいくつか存在する。その最もたるものが、過去へタイムスリップした時に自分自身とは会ってはいけない、と云うルールだ。でもそんなルールはいったい何の理論を元に決められたものだろう。なーんとなく、それはダメなんじゃないか、と云った曖昧なところから来ているに違いない。タイムトラベルが理論としてあり得ないのなら、そのようなルールは馬鹿げたことだ。

だったら、そんなルールはくそくらえ、と云う映画があっても良い。あやふやな理論を元にして成り立っているルールなら、そんなの無視して、どんどんと過去の自分に会っちゃえ、と云うタイムトラベルの映画があっても良い。

スピエリッグ兄弟の『プリデスティネーション』はまさにそんな映画だった。自分に会うどころか、自分の運命さえも自分で決めてしまっている。過去から未来へと向かう人生のタイムラインを歪曲させて繋ぎ合わせ、その中を行きつ戻りつ、複雑な軌道を描いて回転しているようだった。主人公のイーサン・ホークが云うように、自分の尻尾を喰う蛇のストーリーだった。

原作はロバート・ハインラインの『輪廻の蛇』。以下のブログのとてもわかりやすいストーリーの要約を読むと、映画は原作にとても忠実だったことがわかる。

http://hontama.blog.shinobi.jp/コラム「たまたま本の話」/第54回%E3%80%80「輪廻の蛇」と性転換(ロバート・アンソン・

ちょっと複雑なストーリーだけど、先の読めない展開はとててもわくわく、スリリングだった。

→マイケル&ピーター・スピエリッグ→イーサン・ホーク→オーストラリア/2014→渋谷TOEI→★★★☆

恐怖分子

監督:エドワード・ヤン(楊徳昌)
出演:コラ・ミャオ(繆騫人)、リー・リーチュン(李立群)、チン・スーチェ(金士傑)、クー・パオミン(顧寶明)、ワン・アン(王安)、マー・シャオチュン(馬邵君)
原題:恐怖份子
制作:台湾/1986
URL:http://kyofubunshi.com
場所:シアター・イメージフォーラム

さまざまな境遇の人たちを同時並行に描いて、それぞれのタイムラインが前後したり、時には交わったり離れて行ったりするような、まるで網の目のようなドラマ形式の群像劇が大好きだ。エドワード・ヤンの『恐怖分子』はその手のジャンルの映画だった。ただ、エドワード・ヤンの映画は説明過多には陥らない。いや、どちらかと云うと、ストーリーを追う上で重要ともおもわれるシーンを省略してしまっている。気持ち良いくらいにすっぱりと。

賞を取ったコラ・ミャオの小説はどんな内容だったんだろう?
ラストの夢ともおもえるシーンはその小説の内容とオーヴァーラップしていたんだろうか?
もしかしたらこの映画自体がコラ・ミャオの小説なのか?

映画を見ている我々に対して、手取り足取り説明しないぶん、想像の余地が無限に広がる。勝手な解釈がどんどんと膨らんで行く。エドワード・ヤンの映画の面白さはまさにそこにある。この映画をもう一度見たら、また何か違ったことを想像してしまうかもしれない。それはおそらくエドワード・ヤンが意図したものではないのかもしれないけど。いや、エドワード・ヤンはそういう行為をも意図していたはずだ。

→エドワード・ヤン(楊徳昌)→コラ・ミャオ(繆騫人)→台湾/1986→シアター・イメージフォーラム→★★★★