恋人たち

監督:橋口亮輔
出演:篠原篤、成嶋瞳子、池田良、光石研、安藤玉恵、木野花、黒田大輔、山中聡、内田慈、山中崇、リリー・フランキー、岡安泰樹、水野小論、大津尋葵、川瀬絵梨、高橋信二朗
制作:松竹ブロードキャスティング/2014
URL:http://koibitotachi.com
場所:丸の内TOEI

キネ旬ベスト10の1位になるような映画は、昨年の1位となった『そこのみにて光輝く』のような辛気臭い映画なんじゃないかと云う危惧はあったのだけれど、それにしては絶賛する人が多く、もしかすると当たりなんじゃないかと期待を込めて観に行ったら、これがまさしく当たりだった。

まず、無名に近い俳優の篠原篤や成嶋瞳子がとても良かった。特に、成嶋瞳子! こんなことを云っちゃあ悪いんだけど、スクリーンの被写体としてはまったく見栄えのしないぼやけた顔の成嶋瞳子が主人公であることに戸惑ってしまって、さらに光石研に乳首を弄ばれるは、野原でションベンをするは、腋毛処理をアップで見せられるは、こんなシーンをどんな顔をして見ればいいんだよ、とどんどんと呆れ果てて行って、気持ちがどんよりと最低のところまで落ち込んだところでハッと気が付いた。いやいや、これはもしかするとすごい映画だ。綾瀬はるかや堀北真希は現実じゃないんだ、成嶋瞳子こそが現実なんだ! と妙に納得してしまって、精一杯に着飾って、化粧をして、その顔がアップになったらまるで昔の公家のような顔になってしまって、ああ、なんて酷いんだろう、でもこれで大好きな皇室に一歩でも近づいたんだね、ああ良かった、良かった、とうっすらと目に涙さえ溜まるほどに感動してしまった。これはいったい何だろう。キレイなおねーちゃんばっかりしか出てこない日本映画に反発しているところに感動してしまったのか。

役者の演技を正面からしっかりとカメラに収めているところも良かった。篠原篤の殺された妻への想いを語るシーンや、成嶋瞳子の大好きな雅子さまへの思いを語るシーンや、池田良の切れてしまった携帯電話に告白し続けるシーンなど、どれもキャラクターの設定が色濃く反映されているシーンで、篠原篤が「怒」ならば、成嶋瞳子が「憧」で、池田良は「忍」と、三者三様に色分けられている構成がとても素晴らしかった。

光石研や安藤玉恵をはじめとする脇も素晴らしく、特に自暴自棄になる篠原篤をいさめる黒田大輔のキャラクターが、鋭角になりすぎる映画に丸みを与えていて、「腹いっぱい食べて笑ってたら、人間なんとかなるからさ」のセリフは、篠原篤と同じように迷走し始めた成嶋瞳子と池田良にも向けられているようで、ささやかなハッピーエンドに終結して行くきっかけを与えているように見えて、まるで天使のささやきにさえ見えてしまうほどだった。

コミックやラノベの映画化を全面的に否定するものじゃないけど、このような映画があってこそ、だよなあ。人間をしっかりと撮っている日本映画をもっと見たい!

→橋口亮輔→篠原篤→松竹ブロードキャスティング/2014→丸の内TOEI→★★★★

マイ・ファニー・レディ

監督:ピーター・ボグダノヴィッチ
出演:オーウェン・ウィルソン、イモージェン・プーツ、キャスリン・ハーン、ウィル・フォーテ、リス・エヴァンス、ジェニファー・アニストン、オースティン・ペンドルトン、ジョージ・モーフォゲン、シビル・シェパード、リチャード・ルイス、シドニー・ルーカス、デビ・メイザー、イリーナ・ダグラス、ジェニファー・エスポジート、クエンティン・タランティーノ、テイタム・オニール
原題:She’s Funny That Way
制作:アメリカ/2014
URL:http://www.myfunnylady.ayapro.ne.jp
場所:新宿シネマカリテ

ひとむかし、名画座でしか古い映画が観られなかったころ、さかんにピーター・ボグダノヴィッチの『ラスト・ショー』や『ペーパー・ムーン』がかかっていた。その内のとくに『ラスト・ショー』は、閉塞感漂う暗い青春群像が当時の自分とぴったりと重なって、まさにピーター・ボグダノヴィッチ=青春のような意味合いを持つようになってしまった。いまでも『ラスト・ショー』を見れば、主人公のティモシー・ボトムズに当時の自分を重ねて見てしまって、センチメンタルな気分に浸れてしまう。

その後のピーター・ボグダノヴィッチは、『ラスト・ショー』のような特別な感情を持つことができる映画を作らなくなってしまって、やはり彼も『ラストショー』を引きずってんだな、とおもわずにはいられない続編の『ラストショー2』以外は追いかけなくなってしまった。

そんな彼の映画で、久しぶりに観ようと気を起こさせてくれたのが今回の『マイ・ファニー・レディ』だった。映画オタクの彼らしく、セリフに昔の映画の引用があったり、やはり映画オタクのクエンティン・タランティーノを出演させたり、『ラスト・ショー』や『ペーパー・ムーン』に出演していたシビル・シェパードやテイタム・オニールを出演させていたりと映画愛あふれる映画になっていた。でも、シチュエーションや音楽の使い方など、どこからどう見てもウディ・アレンの映画にしか見えなかった。それも、出来の悪いウディ・アレンの映画。ところどころは笑えても、ドタバタを畳みかけての笑いの相乗効果があまりにも下手だった。これはウディ・アレンに対してオマージュを捧げていると捉えて良いんだろうか。

→ピーター・ボグダノヴィッチ→オーウェン・ウィルソン→アメリカ/2014→新宿シネマカリテ→★★★

今年、劇場で観た映画は全部で72本(山形国際ドキュメンタリー映画祭で観た11本を含む)。
その中で良かった映画は以下の通り。

毛皮のヴィーナス(ロマン・ポランスキー)
フォックスキャッチャー(ベネット・ミラー)
インヒアレント・ヴァイス(ポール・トーマス・アンダーソン)
バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)(アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ)
ジミー、野を駆ける伝説(ケン・ローチ)
セッション(デミアン・チャゼル)
ベルファスト71(ヤン・ドマジュ)
アクトレス 〜女たちの舞台〜(オリヴィエ・アサヤス)
裁かれるは善人のみ(アンドレイ・ズビャギンツェフ)
雪の轍(ヌリ・ビルゲ・ジェイラン)

本当はフレデリック・ワイズマンの『臨死』がダントツなんだけど、旧作なので除外しました。

独裁者と小さな孫

監督:モフセン・マフマルバフ
出演:ミシャ・ゴミアシュビリ、ダチ・オルウェラシュビリ、ラ・スキタシュビリ、グジャ・ブルデュリ、ズラ・ベガリシュビリ、ラシャ・ラミシュビリ
原題:The President
制作:ジョージア、フランス、イギリス、ドイツ/2014
URL:http://dokusaisha.jp
場所:新宿武蔵野館

中央アジアあたりにあるらしい独裁的な政治を行っている国の大統領が、民衆の蜂起によって孫と一緒に国を追われる道中で、自分の圧政によって疲れ果てた国民たちを目の当たりにして次第に人間の心を取り戻して行くストーリー。

予告編でこのストーリーを聞かされて、おー、なかなか面白そうな映画じゃないか、と期待感がマックスに高まってしまった所為なのか、もう一歩の踏み込みの足り無さが目に付いてしまって、うーん、な映画になってしまった。考えてみれば、この独裁的な大統領に感情を移入できる部分はどこにもなくて、観客の感情を安易に移入させることができるツールとしての子供をダシに使ったとしても、そこには相乗効果として何のプラスも起こらなくて、どちらかと云うと子供のウザさしか感じられないようなマイナスな効果しかもたらしていたんじゃないかとおもえるほどだった。やはりこの映画のキーワードは「マリア」で、無垢なマリアと娼婦のマリアが聖母マリアとマグダラのマリアを暗喩していて、二人のマリアによって大統領と孫の死が聖人へと昇華して行くような宗教的で壮大なラストを用意して欲しかった。

→モフセン・マフマルバフ→ミシャ・ゴミアシュビリ→ジョージア、フランス、イギリス、ドイツ/2014→新宿武蔵野館→★★★

007 スペクター

監督:サム・メンデス
出演:ダニエル・クレイグ、クリストフ・ヴァルツ、レア・セドゥ、ベン・ウィショー、ナオミ・ハリス、デビッド・バウティスタ、アンドリュー・スコット、モニカ・ベルッチ、レイフ・ファインズ
原題:Spectre
制作:イギリス/2015
URL:http://www.007.com/spectre/?lang=ja
場所:109シネマズ菖蒲

ダニエル・クレイグがジェームズ・ボンドを演じる新生007シリーズは、前作の『007 スカイフォール』が素晴らしかったサム・メンデスが監督を続投して、さあ、どんなに華々しくジェームズ・ボンドに対抗すべく悪の組織「スペクター」が復活するのかと過剰な期待を寄せてしまったのが悪かったのかどうもイマイチな内容の映画だった。やはりここは古き良きショーン・コネリー版の007シリーズにあったような滑稽なまでにデフォルメ化された悪の組織が新シリーズのリアリズムと融合して、馬鹿馬鹿しくも残酷な『ダークナイト』のジョーカーのようなダーティヒーローの登場を期待したのがいけなかった。そこに現れたのが小悪党にしか見えないクリストフ・ヴァルツだったので腰砕けしてしまったのだ。

ボンドガールとしてのレア・セドゥも弱いよなあ。悪党も弱くて、ボンドガールも弱ければなかなか007映画としては成立しにくい。せめてもの救いはQの作る秘密兵器が復活したくらいか。009のために用意された「アストンマーチン・DB10」の運転席に「バックファイヤー」「噴射」「エアー」と一緒に「環境」と云うボタンがあって、それを押すと009の愛用曲「New York,New York」が流れるシーンがこの映画の最大のハイライトだった。

→サム・メンデス→ダニエル・クレイグ→イギリス/2015→109シネマズ菖蒲→★★★

ギャラクシー街道

監督:三谷幸喜
出演:香取慎吾、綾瀬はるか、小栗旬、優香、西川貴教、遠藤憲一、段田安則、石丸幹二、秋元才加、阿南健治、梶原善、田村梨果、浅野和之、山本耕史、大竹しのぶ、西田敏行、佐藤浩市
制作:フジテレビ/2015
URL:http://galaxy-kaido.com
場所:109シネマズ木場

三谷幸喜の良さは、あるシチュエーションに放り込まれた人たちが右往左往するさまをいろんな角度から切り取ってコンパクトにテンポよく錯綜させながら畳みかけるように展開して行って最後には大団円を迎える、ってところだったとおもう。少なくとも東京サンシャインボーイズの劇はそうだったし、テレビドラマも「王様のレストラン」がそうだったし、映画も『ラヂオの時間』がそうだった。最近でも、WOWOWのドラマ「大空港2013」は素晴らしかったし、映画だって、成功しているとは云いがたいけど『ザ・マジックアワー』も『ステキな金縛り』もそこにしっかりと向かっていた。でも、『清州会議』もこの『ギャラクシー街道』も、その三谷幸喜の良さは皆無だった。まっるきりの「無」だった。いや、『ギャラクシー街道』はその匂いが感じられるぶん、なおさらたちが悪い。もっとしっかりと練れば良い映画になっていたはずなのに。

ひとつだけ、宇宙コールガールのようなものを演じた田村梨果(ミラクルひかる)は良かった。映画を見ている最中は、この女優はいったい誰だ? とずっとおもっていたけど、ネットで調べたらミラクルひかるだった。ミラクルひかると云えば、これをおもい出す。

→三谷幸喜→香取慎吾→フジテレビ/2015→109シネマズ木場→★☆

雪の轍

監督:ヌリ・ビルゲ・ジェイラン
出演:ハルク・ビルギナー、メリサ・ソゼン、デメット・アクバァ、アイベルク・ペクジャン、セルハット・クルッチ、ネジャット・イシレル
原題:Kis Uykusu
制作:トルコ、フランス、ドイツ/2014
URL:http://bitters.co.jp/wadachi/
場所:ギンレイホール

『雪の轍』は第67回カンヌ国際映画祭のパルムドール大賞を獲った映画。3時間16分もの長尺なので一度はパスした映画だったけれど、自分の回りでの評判がなかなか良いので、二番館(なんて言葉はもう死語かもしれない)のギンレイホールまで追いかけた。

登場人物は、トルコのカッパドキアにある洞窟ホテルを運営する夫婦アイドゥンとミハル、そしてアイドゥンの妹ネジラ。さらに彼らが貸している家に住む兄弟のイスマイルとハムディが絡んで、元俳優で今は地方新聞にコラムを書いているアイドゥンを中心とした確執が展開して行く。

映画の中での会話劇が大好きなので、アイドゥンとネジラ、アイドゥンとミハル、アイドゥンとイスマイルやハムディとの言葉だけでやり合うシーンがとても面白かった。裕福で人格者に見えるアイドゥンの人間性を根拠の無いまま信頼して、彼の肩を持って喧嘩のシーンを見守る序盤から、徐々にその言葉の端々に、おや? が積み重なって行って、最後には彼と決別せざるを得なくなってしまう構成も素晴らしい。

とは云え、妹のネジラや妻のミハルの売り言葉に買い言葉の言動も信頼することは出来ず、イスラム教の導師と呼ばれているハムディに対しても影でアイドゥンに悪態をつくシーンからまったく信用できず、もちろん粗野なイスマイルからは暴力しかイメージできなくて、登場人物の誰に対してもより所を見つけれないまま3時間も見続けなければならない映画はなかなか辛い。特にアイドゥンと妹のネジラとの喧嘩のシーンはいったい何分あるんだろう。この言葉だけの闘いはイングマル・ベルイマンの『秋のソナタ』の中のイングリッド・バーグマンとリヴ・ウルマンの親子喧嘩を思い出させるほど壮絶なもので、そのシーンが終わったときには頭がクラクラした。アイドゥンが妻のネジラを言葉だけで完膚無きまでに打ちのめすシーンも、男がここまで言葉巧みに細かく女を攻撃し続ける映画をあまり見たことがない。どちらかと云うと女性が行うような攻撃性をアイドゥンに見て、とても不愉快になる男は多いとおもう。

面白い映画だけど、見終わったあとにヘトヘトになる映画だった。

→ヌリ・ビルゲ・ジェイラン→ハルク・ビルギナー→トルコ、フランス、ドイツ/2014→ギンレイホール→★★★★

裁かれるは善人のみ

監督:アンドレイ・ズビャギンツェフ
出演:アレクセイ・セレブリャコフ、エレナ・リャドワ、ウラジーミル・ウドビチェンコフ、ロマン・マディアノフ、セルゲイ・ポホダーエフ、アンナ・ウコロワ、アレクセイ・ロージン
原題:Leviathan
制作:ロシア/2014
URL:http://www.bitters.co.jp/zennin/
場所:新宿武蔵野館

GoogleMapなどで世界地図を眺めると、日本の北西には海を挟んでロシアが広がっていることに気が付く。東は北アメリカ大陸との境になるベーリング海峡に面し、西は旧ソ連圏のウクライナやベラルーシとの国境に接しているほどの広大な土地には、まんべんなく都市がちらばっていることがわかる。北に目を向ければ、北極海に面した海岸にもへばりつくように町々があって、そのような北の果ての暮らしはどんなものなんだろうと想像をめぐらせたりしたこともあった。

『裁かれるは善人のみ』の舞台は、ロシアの辺境に位置する架空の都市プリブレズニイ。実際の撮影は、バレンツ海に突き出たコラ半島にあるチェベルカだそうだ。

まさに、このチェベルカのようなロシアの辺境の人々の暮らしぶりが知りたかったので、『裁かれるは善人のみ』はその場面設定自体がとても興味深かった。

北極海に突き出た断崖絶壁の岬、そこに打ち寄せる強烈な波しぶき、海岸に放置された朽ちた巨大なクジラの骨。そのようなチェベルカの町の、先の無い、どん詰まり感が素晴らしい。何もかもがおもい通りに行かなくなって、次第に追いつめられて行くストーリーも、土地と同様に閉塞感が支配していてチェベルカの風景にぴったりだった。さらに、ソ連時代の恐怖政治をも想像させるような暴力の支配も息苦しさに輪をかけているようでなんとも厳しい映画だった。

設定自体は厳しい映画ではあったけれども、邦題に付いた「善人」とは言い難く、「悪人」にも分類されないような中途半端な人々が織りなす人間模様は面白かった。夫婦関係も、親子関係も、友人関係も、そして宗教(ロシア正教)に対しても、すべてが愛情と憎しみが相半ばするような関係のまま維持せざるを得ないのは、この厳しい土地に住んで行くための先代から培われた方法なのか。北の果ての土地が醸し出すオーラに支配されているためなのか。

→アンドレイ・ズビャギンツェフ→アレクセイ・セレブリャコフ→ロシア/2014→新宿武蔵野館→★★★★

アクトレス 〜女たちの舞台〜

監督:オリビエ・アサイヤス
出演:ジュリエット・ビノシュ、クリステン・スチュワート、クロエ・グレース・モレッツ、ラース・アイディンガー、ジョニー・フリン、ブラディ・コーベット、ハンス・ジシュラー、アンゲラ・ビンクラー、ノラ・フォン・バルトシュテッテン
原題:Sils Maria
制作:フランス、スイス、ドイツ/2014
URL:http://actress-movie.com
場所:ヒューマントラストシネマ有楽町

なぜか、舞台劇の映画化が大好きだ。限られた空間で展開される会話劇が好きで、映画として利用できる画面の広がりや展開のダイナミックさを殺してしまう結果にはなるけど、舞台では味わえない俳優のクロースアップやカットの繋がりから生まれるリズムから、凝縮された演劇空間がさらに豊かなものになっているように見えるところが好きな理由なんだとおもう。

オリビエ・アサイヤスの『アクトレス 女たちの舞台』は舞台劇の映画化ではないけれど、架空の舞台劇「マローナのヘビ」を再演する際の主演女優(ジュリエット・ビノシュ)と専属秘書(クリステン・スチュワート)の台本の読み合わせが主となっていて、そこで展開されるふたりのやり取りが台本上のセリフなのか、それとも実生活上でのふたりの会話なのかがわからなくなる虚々実々とした展開がとても演劇的で、ふたりの主従関係が時には逆転して見えたり、年上のジュリエット・ビノシュが時には幼く見えたりと、まるで二人芝居を見ているような両者の駆け引きがとても面白かった。それに舞台劇「マローナのヘビ」のストーリー自体が企業の上司と部下と云う主従のふたりの女性を主人公としていて、そこで交わされる女性同士の恋愛感情をも匂わせる会話が、ジュリエット・ビノシュとクリステン・スチュワートの女性同士の愛憎関係をも重ね合わせてみることができる重層構造になっているところが映画に深みを与えていた。

さらには、初演の時には若い部下の役を演じていたジュリエット・ビノシュが再演では年嵩の上司の役を演じることになり、若い頃に感じていた上司役の人物設定に対する無理解がクリステン・スチュワートと読み合わせをすることにより記憶からよみがえり、そこには歳を取ることによってもう若い役を演じることは出来ないと云う嫉妬をあたかも読み合わせの相手役のクリステン・スチュワートへぶつけているようにも見える複雑な構造へと変化して行く。読み合わせで若い部下の役を担当していたクリステン・スチュワートはいつのまにか上司役に取って変わったような状態となり、まるで舞台劇「マローナのヘビ」で上司が部下の元を去るように何も云わずにジュリエット・ビノシュの元を去って行く。

さらにもう一つ、再演の時に相手役をつとめる女優(クロエ・グレース・モレッツ)に対するその若さゆえに許される奔放な行動への羨望も重ね合わされ、年上と年下、大女優と若い人気女優と云ったジュリエット・ビノシュとクロエ・グレース・モレッツの関係も次第に曖昧になって行く。リハーサルの時の、ジュリエット・ビノシュのクロエ・グレース・モレッツに対するの演技上の苦言もさらりと交わされ、どちらが先輩の大女優なのかわからなくようなシーンは印象的だった。

このように二重にも三重にも受け取れる演劇的な構造が映画の中にうまく組み込まれ、さらにはスイスの大自然を利用した場面の展開も合わさって(実際の自然現象「マローナのヘビ」が見られるシーンは感動的だ!)、素晴らしい映画に仕上がっている。今年のベストにしても良いくらいの映画だった。


(映画の中にも出てきたアーノルド・ファンクの映画『Das Wolkenphänomen in Maloja』。「マローナのヘビ」が見られる)

→オリビエ・アサイヤス→ジュリエット・ビノシュ→フランス、スイス、ドイツ/2014→ヒューマントラストシネマ有楽町→★★★★

監督:パトリシオ・グスマン
出演:
原題:El Botón de Nácar
制作:フランス、チリ、スペイン/2015
URL:http://www.uplink.co.jp/nostalgiabutton/
場所:岩波ホール

パトリシオ・グスマン監督の『真珠のボタン』は、山形国際ドキュメンタリー映画祭のインターナショナル・コンペティションに出品されていたので山形で観る機会があったのだけれど、その時にはすでに岩波ホールで上映が始まっていて、山形では時間的に観られる映画が限られてしまうので『真珠のボタン』は東京に帰ってから観ればいいやとパスしていた作品だった。

山形国際ドキュメンタリー映画祭で山形市長賞(最優秀賞)を獲った『真珠のボタン』は、チリの南部に住んでいたインディオへのスペイン人入植者による虐殺の歴史からはじまって、ピノチェト政権下での左派系の人々への拷問・死刑へと続く、チリの歴史の暗い側面を扱っていた。チリのインディオたちが「海」とともに暮らし、その「水」を「宇宙」と密接に結びつけていたことから、この映画は「水」をテーマとして中心に置いて、歴史の犠牲となって海に沈められた死体の数々も「水」から「宇宙」へと還り、それがまたどこか違う星に生命をもたらすような輪廻転生のサイクルをもイメージさせるような映画になっていた。

チリの歴史についてはコスタ=ガヴラス監督の1982年の映画『ミッシング』を見て、1973年に軍事クーデターがあったくらいの知識はあったけど、インディオについてはペルーやボリビアのインディオと混同していて、まさかチリの海岸沿いの島々をカヌーで渡るインディオがいるとは考えもせず、そのような独特の文化を持つインディオがまるで動物を狩るように殺されていたことなんて想像だにもしなかった。日本にも暗い過去があるけど、どこの国にも何かしら暗部を抱えているのだなあとあらためて再認識した。そして、この映画が示すような大局的な視野を持つことによって、歴史認識や宗教から生まれる相互の憎しみも超越できるんじゃないかとおもったりもするけど、その高みには到達できない人間の未熟さがさらに強調されているようにも見える映画だった。

山形国際ドキュメンタリー映画祭ではパトリシオ・グスマン監督の『チリの闘い』三部作も一挙上映されていて、それを観ていればこの『真珠のボタン』のチリについての理解も深まっていたのではないかと後悔しきり。

→パトリシオ・グスマン→→フランス、チリ、スペイン/2015→岩波ホール→★★★☆