監督:グザヴィエ・ドラン
出演:ギャスパー・ウリエル、レア・セドゥー、マリオン・コティヤール、バンサン・カッセル、ナタリー・バイ
原題:Juste la fin du monde
制作:カナダ、フランス/2016
URL:http://gaga.ne.jp/sekainoowari-xdolan/
場所:新宿武蔵野館

グザヴィエ・ドランの前作『Mommy/マミー』は、そのスタイリッシュな映像が鼻に付いて、それが「ADHD(注意欠陥・多動性障害)」の人物を描くにふさわしいとはおもえずにもうひとつ映画にのめり込むことができなかった。

『たかが世界の終わり』もそのスタイリッシュな映像は相変わらずなので、また今回も同じような感情が芽生えるのかとおもいきや、死期が近いことを伝えるために実家へ帰郷した若手劇作家(ギャスパー・ウリエル)と云う設定にはとても感傷的かつノスタルジックな面が大きく作用するので、キレイな映像がそれを引き立てはすれど妨げると云うことはなかった。

ただ、ギャスパー・ウリエルの帰郷に関して言い争う兄と妹の感情の爆発が尋常ではないので、特にバンサン・カッセルが演じた兄に対しては嫌悪しか感じることができなかった。

この不快な部分をどう捉えるべきなんだろう?

この映画のような「帰還もの」(と勝手に名付ける)の映画によくあるパターンは、最初は歓迎するも次第に本音が出てきて言い争うが最後は雨降って地固まる、のようなものが多いのだけど、いきなり感情のぶつかり合いが起きて、それが繰り返されて、本題を切り出せずに帰らざるを得なくなってしまう、と云う、そんなワンパターンを覆す映画として不快感はあれど面白くもあった。映画って、不快=つまらない、にはならない場合もあることが面白いところだ。

→グザヴィエ・ドラン→ギャスパー・ウリエル→カナダ、フランス/2016→新宿武蔵野館→★★★☆

監督:ゲイリー・ロス
出演:マシュー・マコノヒー、ググ・バサ=ロー、マハーシャラ・アリ、ケリー・ラッセル、クリストファー・ベリー、ショーン・ブリジャース、ジョー・クレスト、ジェイコブ・ロフランド
原題:Free State of Jones
制作:アメリカ/2016
URL:http://newtonknight.jp
場所:新宿武蔵野館

アメリカの歴史の中でも南北戦争についてはハリウッド映画に題材としてよく使われてきた。だから、カスター将軍とかリー将軍とか、そこらへんの人物についてはそれなりの知識がある。でも、じゃあ南北戦争がどのように起こり、どのように終結したかを時系列に説明しろと云われてもまったくぼやっとしている。リー将軍がゲティスバーグで敗けて、次第に南軍が劣勢となって行って、リンカーンが奴隷解放宣言をして終結した、みたいな、ざっくりとしているうえに時系列がズレていたりする。

ゲイリー・ロスの『ニュートン・ナイト 自由の旗をかかげた男』は、南北戦争についてそんな曖昧な知識しか持たない者にさらに細かい歴史を教えてくれる。

南北戦争の時代、ミシシッピ州ジョーンズ郡の沼地は南軍脱走兵の隠れ家となり、自称「大尉」のニュートン・ナイトが彼らを統率して、脱走容疑の逮捕のために派遣された州や南軍の部隊と戦闘を行った。彼は北軍と連携を取ろうとするが断られ、結局、南軍からも北軍からも独立した「ジョーンズ自由州」を宣言することになる。この自由州は、出自や肌の色で差別することのない、当時としてはとても先進的な考えの元に統治されていた州だった。

と云うような南北戦争の一つの細かい逸話を教えてくれる映画だった。歴史と云うものはどんなものでもロマンチックなので、映画としてはとても面白く観てしまったけど、それ以上でも、それ以下でもなかった。

→ゲイリー・ロス→マシュー・マコノヒー→アメリカ/2016→新宿武蔵野館→★★★

監督:矢口史靖
出演:小日向文世、深津絵里、泉澤祐希、葵わかな、時任三郎、藤原紀香、大野拓朗、志尊淳、渡辺えり、宅麻伸、大地康雄、菅原大吉、徳井優、桂雀々、森下能幸、田中要次、有福正志、左時枝、ミッキー・カーチス、柄本明
制作:フジテレビジョン、東宝、電通、アルタミラピクチャーズ/2017
URL:http://survivalfamily.jp
場所:109シネマズ木場

もし今の生活からライフラインがなくなったら、と想像することは今までにもたくさんあった。特に東日本大震災後の原発事故の時にそれを強く意識したわけだけど、でも、もし水がなくなったらなんて想像してもどうしても非現実的で、やはりそれを一度経験してみないと身にしみて実感することはまず不可能だ。

とはいえ、アウトドアの生活を長い期間体験することもやっぱり非現実的なので、今回のこの矢口史靖監督の映画を観て、それをちょこっとでも実感するのが今のところの精いっぱいの経験なのかもしれない。

矢口史靖監督の映画は、取り扱う題材についてとことん調べ上げ、そのことについての情報をめいっぱい盛り込んでくるので、とてもめまぐるしい展開になることが多い。ところが今回の『サバイバルファミリー』は一つの家族をドキュメンタリータッチで追いかけているので、いつもよりはじっくりと、それでいていつものシニカルな笑いは忘れずに、人間がしっかりと描けていた。特にチャチャラしていたイマふうの息子と娘が人間的に成長して行く過程は素晴らしい。

で、肝心のライフラインがなくなった時の対処方法だけど、映画の中に出てくるナチュラリストとサイクリストを結びつけたような時任三郎と藤原紀香の家族が云っていることがまずは大切なことなんだとおもう。

・体温を確保すること
・火を確保すること
・水を確保すること

これがあまりにも正論なので、小日向文世と同じように、ケッ! と反応してしまうが、まあ、この3箇条を肝に銘じておくことにする。

それに、サバイバルには自転車が不可欠だと確認できる素晴らしい映画でもあった。でも、時任三郎、藤原紀香の家族ようなガチガチのサイクリストってのはやっぱりウザいので、泥臭い自転車人になろうと決意する映画でもありました。

→矢口史靖→小日向文世→フジテレビジョン、東宝、電通、アルタミラピクチャーズ/2017→109シネマズ木場→★★★★

呉の3日目は、帰りの新幹線が広島駅発14時なので、午前中、軽く呉市内をぐるっと一周り。

まずは二河川公園。「すず」と「白木リン」が桜の木の上で話しをするシーンが印象的な公園だけど、桜が咲いてなければなんとも殺風景な公園だった。

次は「この世界の片隅に」に何度も登場した旧澤原家住宅「三ツ蔵」。この前の通りを「すず」は何度も行き来する。でも、「三ツ蔵」の前の通りは暗渠のような気もする。昔から暗渠だったのか?

そしてまた「朝日橋」へ。その橋の脇に住むおじいさんがエサを蒔き出したら、いきなりサギが! まるで「この世界の片隅に」のあちこちに登場するサギのような。勝手にこれは「白木リン」の生まれ変わりだと想像する。

最後に呉中心部からちょっと離れた「アレイからこすじま」へ。この近くには「海上自衛隊潜水艦教育訓練隊」があったりするので、国内で唯一潜水艦を間近で見ることができる公園らしい。さすがに潜水艦は一種独特な雰囲気を醸し出していた。

呉から広島駅までは、昨日の疲れもあってさすがに自転車で走る気力がなく、JR呉線で輪行することに。JR呉線は単線なので、すれ違いの電車を待ちつつ、ゆっくりと。途中、おそらく坂駅だったとおもうけど、反対側の呉市行きのホームで、中学生か高校生らしき女の子が地べたに座って金網越しに駅の外にいる友だちとまったりと喋り込んでいた。単線だから次の電車が来るのに時間がたっぷりあるんだろうなあ。ゆっくりと時間が流れていることがわかるとても良い光景だった。

今回、旅をした呉市は、軍港があったころの繁栄がそのまま街の大きさに繋がっているわけだけれども、今ではその街の大きさを持て余している感じがあった。でも、だからこそたくさんの空間があるので、街並みは変われども「この世界の片隅に」の時代の雰囲気をそのまま残している印象があった。

城下町などの古い街並みを自転車で旅することは、京都や金沢、小田原など今までにもたくさんあった。でも、日清、日露戦争以降に発展して、昭和初期から第二次世界大戦にかけて繁栄を極めた街と云うのは初めてだった。このような近代化遺産をめぐる旅も良いもんだった。

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「呉」の語源は、呉一帯をつつむ連峰を「九嶺(きゅうれい)」と呼んでいたことから、それがなまって「くれ」になったと云う説があるらしい。その「九嶺」中の一つ、灰ヶ峰(映画の中で「周作」が「すず」に灰ヶ峰を指さすシーンがあったような記憶が、、)を朝一番で自転車で登ることを決意した。山頂(灰ヶ峯気象レーダー観測所)から見下ろす呉市の全景が素晴らしいと聞いたからだ。

灰ヶ峰の標高は737m。登山ルートもあるけど、自転車で行くのなら素直に県道174号線を行くのが良いだろうと見込んで、さあ、どこまで自転車をこげるか果敢にアタックした。

まあ、最初から予想されたことだけど、1/3くらいでバテた。自転車を転がして歩く状態にすぐになってしまった。

行けども行けども全く山頂は近づかず。すでに途中からの眺めも充分に素晴らしいので、もう挫折して山を降りたくなってしまった。

県道174号線から山頂(灰ヶ峯気象レーダー観測所)へ向かう道に入ったら、いちおう舗装はされているけれども、さらに急峻になって来た。そして寒くなって来て雪もちらほら。路面が凍結している場所もあって、すべって転びそうになる。なんだ、この苦行は!

ああ、でも、山頂からの眺めは素晴らしかった!
苦行の末に登って良かった!

灰ヶ峯気象レーダー観測所の展望台では尾道から車で来た60歳くらいの夫婦の方とお会いして、一緒にその眺めに感動ひとしきり。広島県人でも初めて来たそうだ。

さあ、帰りは楽だ。自転車で一気に駆け降りる。
でも登りの時に、手袋を片方落としてしまったらしい。
ただでさえ風を切って寒いのに、完全に手袋の無い片方の手はマヒしてしまった。
自転車走行中にいつも道路に落ちている片方の手袋を見て、なんで片方だけ落とすんだよ、馬鹿じゃねえ、と笑っていたバチだった。

登りに2時間。下りに30分くらい。
素晴らしい苦行でした。

呉市に戻ったら、もう体が冷えきってしまっていて、何か暖かいものを喰いたい!
と云うことで、海自カレー。
カレー専門店カレーのマスターの「いずしまカレー」。

暖かいものも飲みたかったので、場所を移して昴珈琲店へ。
体が温まるまでまったり。

さあ、重巡洋艦「青葉」が着底したまで走ろう、と午後の計画を開始。

途中、「周作」が「すず」に「すずさん、あんあたを選んだんは、わしにとって多分、最良の現実じゃ」と云うシーンがある「小春橋」に寄った。

重巡洋艦「青葉」が着底した場所を示す記念碑に来たら、観光をする若い人の20人くらいのグループと遭遇した。案内人の人が「はーい、次は歴史の見える公園でーす」とすぐに居なくなってしまったけど。あんなふうに、人にコントロールされながら観光するのは本当にイヤだ。

この記念碑からは目の前すぐに陸橋あって、海がちょっとしか見えないので、ぐるっと回って海岸際まで来て、重巡洋艦「青葉」が浮かんでいたところを想像してみた。

実際に戦艦「大和」が建造された呉海軍工廠があった場所(現在はジャパン マリンユナイテッド呉事業所)に寄りながら「大和ミュージアム」に向かう。

「大和ミュージアム」では戦艦「大和」のことだけではなくて、「呉」と云う街がいかにして戦争とともに発展して、そして破壊されたかの歴史をじっくりと見てまわった。朝からの無謀な自転車走行のためにだいぶ足が疲れ切っていたけど、建国記念日に「呉」の歴史をたどるのはぴったりと云うのか、どこか皮肉と云うのか、不思議な「大和ミュージアム」訪問だった。

夜は「関白」と云う店でジンギスカン。美味かった!

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『この世界の片隅に』の舞台である広島の呉に行ってきた。でも、あからさまな聖地巡礼をするのも、なんだか、こっぱずかしい気もするので、白木リンの朝日遊廓があったあたりと重巡洋艦「青葉」が着底したあたりが見られれば良いんじゃないかとわりきって、北條家の場所を突き止めようなんて行為はせずに、ゆったりと観光を楽しんで来た。

で、いつものように折畳み自転車を持ち込んでいるので、まずは新幹線で広島駅に着いたらそこから呉までひとっ走り。直線距離にして約20kmとこうの史代さんも欄外に書いていました。JR呉線の脇を海岸沿いに走ったので約28kmだった。

このルートにある歩道はそれなりに幅があって、信号もまったくなて、人もまったく歩いていないので、ちょっと舗装がガタガタになってはいるけれども、とても快適な走行だった。

ホテルにチェックインしたら、まずは呉市内をぐるっと一回り。

『この世界の片隅に』の中で「すず」が迷い込む朝日遊廓はこのあたり。もうすっかり住宅街になっていて何の面影もないけど、「朝日町」と云う名称と「朝日橋」のある川沿いの区画が碁盤の目のように整然としているので、なんとなく遊廓であったことを夢想することができた。

コミックでも映画でも、呉市中心街のふもとから上長ノ木にある北條家へ登って行くシーンは何度も出てくる。おそらく旧澤原家住宅がある坂あたりを登って行くんじゃないかとおもう。

数日前の予報では雪マークも付いていて、実際に県北では雪になっているらしく、自転車で走るのはとても寒かった。第1日目はこれくらいにして、「のん、呉へ。2泊3日の旅」の写真集にもあった「森田食堂」で親子丼を喰って、ビールを飲んで温まる。テレビには広島カープの情報番組が流れてた。

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監督:ギャヴィン・オコナー
出演:ベン・アフレック、アナ・ケンドリック、J・K・シモンズ、ジョン・バーンサル、ジェフリー・タンバー、シンシア・アダイ=ロビンソン、ジョン・リスゴー、ジーン・スマート
原題:The Accountant
制作:アメリカ/2016
URL:http://wwws.warnerbros.co.jp/consultant-movie/
場所:109シネマズ木場

不思議な映画だった。

ベン・アフレックを「高機能自閉症」と云う障害を持つ人間に設定したのは、その障害が持つ特異姓(限定された物事へのこだわりや興味が強い、記憶力が高い、自分独自の行動ルールへのこだわりが強い)が常人には不可能な仕事を成し遂げられる可能性があることを見せるためではないかとおもって観ていたのだけれど、機械のようにクールに人を殺せる特性を持つようになったのは、うーん、どうなんだろう? それは「高機能自閉症」の特質に合致するものなんだろうか。無理矢理「高機能自閉症」と「殺人マシン」を結びつけてしまったためにとても暴力的な映画になってしまって、いつの間にかアンチ・ヒーローの映画に変わっていた。

ラスト・シーンはまるで続編があるような終わり方だった。この映画はマーベル・コミックやDCコミックスのアメコミ路線を狙ったアンチ・ヒーローの映画だったのか?

→ギャヴィン・オコナー→ベン・アフレック→アメリカ/2016→109シネマズ木場→★★★

監督:伏原健之
出演:津端修一、津端英子
制作:東海テレビ放送/2016
URL:http://life-is-fruity.com
場所:ポレポレ東中野

愛知県春日井市にある高蔵寺ニュータウンの片隅に建てられた平屋で、周りに植えられた雑木林と共にその土地に根ざした丁寧な生活を実践している津端修一さん、津端英子さんご夫妻のことはもうすでにテレビや書籍などを通じてとても有名な方たちだった。それなのに、自分の得る情報が偏っているためなのか、さっぱりご存じ上げなかった。

この映画を観ると、家庭菜園から採れる豊富な野菜、果物にまずは目が行って、それらが津端英子さんによって美味しそうなごちそうに変わって行く食生活のリズムにとりこになってしまう。どうしても慌ただしい生活を送っている自分たちと比較してしまって、静かに、ゆっくりと流れる時間の中に身を置いて生活の出来る彼らを憧れの目で見てしまう。でもそれを真似しようとしても、津端修一さんが持っているような、ちょっとしたポリシーと云うのか、ルールと云うのか、独特な行動の慣習がなければ、ここまで生活にハリが出ないし、豊かな感情が溢れ出てくることもないんじゃないかとおもう。

・コメントを書いた札を下げる。
・木のスプーンを使う。
・特別な日は旗を掲げる。
・自分たちが作ったものであるしるしに焼き印を捺す。

などなど。

だから津端英子さんは津端修一さんを亡くした時に、先導役がいなくなった、と云うようなことを口にしたのではないかとおもう。

津端修一さんのような自分なりの行動規範をしっかりと持たないと。まずはそこからだとおもって、現在発売されている彼らの書籍を見たら、どれもこれも昔の「ku:nel 」のような本ばかりだった。いや、だから、そのような本が欲しいのではなくて…。

→伏原健之→津端修一、津端英子→東海テレビ放送/2016→ポレポレ東中野→★★★★

監督:ギャレス・エドワーズ
出演:フェリシティ・ジョーンズ、ディエゴ・ルナ、リズ・アーメッド、ベン・メンデルソーン、ドニー・イェン、チアン・ウェン、フォレスト・ウィテカー、マッツ・ミケルセン、アラン・テュディック
原題:Rogue One: A Star Wars Story
制作:アメリカ/2016
URL:http://starwars.disney.co.jp/home.html
場所:109シネマズ木場

『スター・ウォーズ』シリーズのスピンオフ作品。時系列としては『スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望』の直前のエピソードにあたる。

『スター・ウォーズ』シリーズの本編が、エピソード7の『フォースの覚醒』までを観たかぎりでは、9部作全体としてのストーリー構成にどこか迷走を感じてしまうので、ここでスピンオフ作品を観るのはちょうど良いタイミングだったのかもしれない。それも第一作の『スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望』に直接繋がるストーリーなので、ラストの出来過ぎなデス・スター設計図奪取も細かいことはあーだこーだ云わずに寛容してしまって、ノスタルジックも手伝ってとても面白く観てしまった。特にエピソード4のオリジナル映像を使ったCGには、それが出てくるだけで1978年の日劇の夏を思い出してしまって鳥肌が立つばかりだった。ラストにキャリー・フィッシャーを持ってくるのは、彼女が昨年末に亡くなったばかりなので、反則だよなあ。涙、涙。

ギャレス・エドワーズをちょっと見直したなあ、とおもったら、トニー・ギルロイが撮り直したとか。ああ、やっぱりトニー・ギルロイのほうが巧い。

http://eiga.com/news/20160810/20/

→ギャレス・エドワーズ→フェリシティ・ジョーンズ→アメリカ/2016→109シネマズ木場→★★★☆

監督:マーティン・スコセッシ
出演:アンドリュー・ガーフィールド、アダム・ドライバー、リーアム・ニーソン、浅野忠信、キアラン・ハインズ、窪塚洋介、イッセー尾形、塚本晋也、小松菜奈、加瀬亮
原題:Silence
制作:アメリカ/2016
URL:http://chinmoku.jp
場所:109シネマズ木場

遠藤周作の小説「沈黙 」を原作にした映画は1971年の篠田正浩監督に続いて2回目。

マーティン・スコセッシが日本の小説を原作とした映画を撮ることに多大な期待を寄せてしまったためか、おもったよりもフツーの映画だった。いやいや、とても良く撮っている映画で、充分に楽しめる映画ではあるんだけど、それ以上のものを求めてしまっていた。

まず、タイトルを「沈黙」としているわりにはあまりにも語り過ぎている映画だった。長編小説を原作としているのだから、その情報量を映像化するにあたってセリフが多くなってしまったり、ナレーションで場面を説明しなければならなかったりと、ある程度は饒舌になってしまっても仕方がないとはおもう。でも、日本を舞台にしていて、それも「神」についての、「魂の救済」についての映画ならば、どこか日本的な静かな美しさとでも云うのか、静謐な感じが欲しかったようにもおもう。キム・アレン・クルーゲとキャスリン・クルーゲの音楽がどこか控えめで、厳かな感じが漂っているのに対して、アンドリュー・ガーフィールドなどのナレーションをかぶせてくるところがうるさ過ぎた。

それに役者の演技もうるさかった。マーティン・スコセッシが黒澤明を敬愛していることからか、黒澤明的なダイナミックな演出に向かってしまっていて、すべてにおいて、通りを行き交う市井の人びとさえもがオーバーアクション気味の演技だった。アンドリュー・ガーフィールドとアダム・ドライバーの西洋人宣教師と、日本の控えめであるからこそ虐げられてしまう農民たちとの差が、もっと演技においてでも出ていれば良かったようにもおもう。塚本晋也も、イッセー尾形も、とても巧いとはおもうのだけれども、どこか作られた感じがしてしまって。

その点、篠田正浩版はどいなんだろう? ちょうど日本映画専門チャンネルで放映していたので録画しておいた。ちょっと見比べてみようとおもう。

追記。2017.2.6
篠田正浩版は、印象が驚くほどスコセッシ版に似ていた。つまりスコセッシは、日本人を描くにあたって日本人監督の撮った映画を参照したのかなあ。

→マーティン・スコセッシ→アンドリュー・ガーフィールド→アメリカ/2016→109シネマズ木場→★★★☆