エクス・マキナ

監督:アレックス・ガーランド
出演:ドーナル・グリーソン、アリシア・ヴィキャンデル、オスカー・アイザック、ソノヤ・ミズノ
原題:Ex Machina
制作:イギリス/2015
URL:http://www.exmachina-movie.jp
場所:新宿シネマカリテ

先日、Googleが作った(Googleに買収された人工知能開発ベンチャーの「DeepMind」が作った)人工知能「AlphaGo」が囲碁の世界チャンピオンを破ったことでニュースになった。囲碁はチェスや将棋と比べても複雑で直感も必要と考えられていたために、人工知能もついにここまで来たのか! の驚きで持ってみんなに迎えられた。

それと呼応するように、次のようなニュースも世界を駆け巡った。

「Microsoftの人工知能が「クソフェミニストは地獄で焼かれろ」「ヒトラーは正しかった」など問題発言連発で炎上し活動停止」
http://gigazine.net/news/20160325-tay-microsoft-flaming-twitter/

マイクロソフトが人間の会話を理解する目的で作ったボット「Tay」にTwitterをやらせたところ暴言を連発し出して即刻中止になったそうだ。

この二つとも人工知能の学習アルゴリズムが進化している証拠を示す良い事例で、マイクロソフトのボットがとりたてて無能なわけではなくて、人工知能と云えどもどんな環境下で学習するかでその進化の方向が決まってしまう事例を示しているだけだとおもう。

アレックス・ガーランドの『エクス・マキナ』の舞台は、すでに人工知能の学習アルゴリズムが高度に発達した時代の設定で、その学習が正しい方向に向かっているのかどうかを第三者によって「チューリング・テスト」されるストーリーだった。でも、いかに進化しているとは云え、それはまるでマイクロソフトのボットと同じように、作った人間の環境下に支配されることよって形作られた「食わせ物」の本性が明らかになって行く過程がサスペンスフルで面白かった。

自分の親を殺した子供が野に放たれて、いったい人工知能ロボット「エヴァ」は今後どのように進化して、人間社会にどのような影響を及ぼすのだろうか、と、その恐怖の余韻が残るラストと同時に、オープニング・クレジットにフラクタルな図形が使われている段階で、さらにところどころに自然風景を挿入したり、ジャクソン・ポロックの絵画が出て来たりと、人工知能の進化も一様ではない可能性を示している救いも用意されているところもなかなか魅力的な映画だった。

→アレックス・ガーランド→ドーナル・グリーソン→イギリス/2015→新宿シネマカリテ→★★★★

カルテル・ランド

監督:マシュー・ハイネマン
出演:ホセ・ミレレス、ティム・フォーリー
原題:Cartel Land
制作:メキシコ、アメリカ/2015
URL:http://cartelland-movie.com
場所:川越スカラ座

今年日本で公開されたドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の『ボーダーライン』は、メキシコの麻薬カルテルのボスを殺害する作戦に参加させられてしまう女性FBI捜査官のストーリーだった。そこで描かれるメキシコの町「シウダー・フアレス」が強烈に不気味で、道端にぶら下がっている複数の首つり死体、官憲でありながら敵か見方かわからない警察官、とてつもない重火器を多数備えたギャングたちと、

現在のメキシコはこんなふうになってしまったんだ!

と驚いてしまった。

そしてその興味からヨアン・グリロ著(山本昭代訳)「メキシコ麻薬戦争: アメリカ大陸を引き裂く「犯罪者」たちの叛乱」(現代企画室)を読み出してしまった。

メキシコの現状は想像していたものよりも相当悲惨な状態になっていた。アメリカと云う麻薬の巨大市場が隣にあるために利権を奪い合って一般市民をも巻き込んで殺し合うメキシコのカルテルたち。そのカルテルと癒着する警察官たち。国の予算で訓練された兵隊が除隊してカルテルの軍隊となるしくみ。アメリカから密輸されるとてつもない量の武器、弾薬。もう何もかもが負の連鎖で複雑に絡み合ってしまって、それをほぐす糸口さえもまったく見い出すことの出来ないメキシコの政治家たち。ヨアン・グリロの「メキシコ麻薬戦争」はそのようなメキシコの現状を芸能や宗教までも押さえていろんな角度から検証していた。

さらに今回、活字を追うだけではなくて、ドキュメンタリー映像を見る事によってさらに「メキシコ麻薬戦争」を補完できるのではないかとおもってマシュー・ハイネマン監督の『カルテル・ランド』を見てみた。

期待していたのはメキシコの麻薬戦争を包括的に描くドキュメンタリーだったのだけれど、そうではなくて、麻薬カルテルに対抗する市民による「自警団」についての、また違った角度からのメキシコの麻薬戦争についてのドキュメンタリーだった。まあ、それはそれで、本にはなかった事実を知ることが出来て面白い。面白いけど、ヨアン・グリロの「メキシコ麻薬戦争」を読んでいるのならまだしも、この映画を見ただけではティフアナやシウダー・フアレス、そしてセタスやラ・ファミリアなどのカルテルが乱立するメキシコの麻薬戦争の全貌が俯瞰出来ずに、市民による「自警団」と云う細部からメキシコの麻薬事情を伺い知る程度になってしまうのが残念だった。

ヨアン・グリロの「メキシコ麻薬戦争」はめちゃくちゃ面白いので、もし『カルテル・ランド』でメキシコの麻薬事情に興味を持ったのなら絶対に読むべきだとおもう。

※絶対に行かねばとおもっていた川越スカラ座にはじめて来てみた。おお、これは昭和の名画座だ!こんな感じの映画館でどれだけ時を過ごしたことか。ああ、もっと川越スカラ座に来たいけど、川越って埼玉東部からは山一つ越える感じなんだよなあ。実際には川だけど。

→マシュー・ハイネマン→ホセ・ミレレス→メキシコ、アメリカ/2015→川越スカラ座→★★★

デッドプール

監督:ティム・ミラー
出演:ライアン・レイノルズ、モリーナ・バッカリン、エド・スクライン、T・J・ミラー、ジーナ・カラーノ、レスリー・アガムズ、ブリアナ・ヒルデブランド、ステファン・カピチッチ、カラン・ソーニ、ジェド・リース
原題:Deadpool
制作:アメリカ/2016
URL:http://www.foxmovies-jp.com/deadpool/
場所:109シネマズ木場

マーベル・シネマティック・ユニバースの映画は追いかけているものの「X-MEN」系統のほうには疎いので、この『デッドプール』がはたして楽しめるかどうか気にはなりながらも結局は公開終了間際に飛び込んでしまった。

想像していたよりも主人公がベラベラとしゃべり、やたらと楽屋オチのギャグを飛ばすお調子者のトリックスターの部分には面白く感じつつも、うーん、その「X-MEN」ネタやハリウッド・ネタのギャグがあまり面白くなく、それはその元ネタを知らないから笑えないのか、その笑わせ方に問題があるのか判断がつかないのだけれど、とにかくほんの一部のギャグ(シネイド・オコナーのとことか、ウルヴァリンのお面を被っているところとか)にしか笑えずに困ってしまった。この映画を大絶賛している人が多いけど、そのような内輪ネタのギャグに大笑いしているんだろうか。

まあ、とにかく、原作では「アベンジャーズ」にゲスト出演しているらしいので、ここはとりあえず押さえておかないといけないのか。

→ティム・ミラー→ライアン・レイノルズ→アメリカ/2016→109シネマズ木場→★★☆

FAKE

監督:森達也
出演:佐村河内守、佐村河内香
制作:「FAKE」製作委員会/2016
URL:hhttp://www.fakemovie.jp
場所:ユーロスペース

2014年に起きた佐村河内守のゴーストライター問題は、彼のことをまったく知らなかったので、一人の人間がどうしてあそこまで罪人のようにマスコミにつるし上げられなければならないのかいまいちよくわからなかった。

おそらく、

・耳が聞こえるのに、聞こえないと嘘をついた。
・まったく作曲ができないのに、自分で作曲していると嘘をついた。

の2つの嘘を元に、不当に自分をイメージアップさせてお金を稼いだ(だまし取った)ことに我慢がならないと云うことなのかなあ。

しかし、ゴーストライターだった新垣隆が楽曲の権利を主張しているわけでもないし、そのCDを買った人は曲の完成度に満足しているらしくて、佐村河内守を「詐欺師」と刑事告発するものでもないらしい。舛添要一と同じように、違法ではないが不適切、らしい。

その佐村河内守を追った森達也のドキュメンタリーは、その2点の嘘を解明することに絞り込んだコンパクトなドキュメンタリー映画だった。

まずは、本当に耳が聞こえないのかどうか。そこを執拗に森達也のカメラは追いかける。でも、耳が聞こえるか聞こえないかなんて、第三者にはその程度はまったくわからない。完全に聴力を失っているのなら明確な診断書が医者から発行されるのだろうけど、微妙な差異は他人には確認しようがない。ただ、一つ云えることは、この問題が明らかになる前に放映されたNHKスペシャル「魂の旋律 音を失った作曲家」では「完全に音を失った」ことを強調し、耳鳴りに悩まされて日常生活にまで支障を来している様子を強調して、佐村河内守の作曲は命を削ってまで行われていることをやたらと視聴者に訴えかけていた。この番組を見た人は、その描写で持って佐村河内守に同情を寄せたかも知れないし、それで佐村河内守を知ってCDを買った人が多数いたのかもしれない。

ところが今回の『FAKE』では「完全に音を失った」ではなくて「音がねじ曲がって聞こえる」に変わっているし、耳鳴りやそれを抑えるために飲む薬についての描写はまったくなかった。NHKスペシャルの時よりも病状が回復しているんだろうか。いや、おそらくは、佐村河内守の耳には何かしらの問題はあるのだろうけど、その程度はNHKスペシャルで描かれたほど酷くはないと云う感じなんじゃないかとおもう。そこに明確な、それでいてささやかな「嘘」が存在するのは確かなような気がする。

次に作曲についてだけど、佐村河内守は新垣隆に丸投げしたのではなくて「共作」であることをやたらと強調していた。その指示書も多数出てくる。自分には音楽的なイメージは湯水のように湧くけど、それを楽譜に起こすことが出来ないので、その部分だけを新垣隆に手伝ってもらっただけだと云う。うーん、曲のイメージを形作ることと実際に音符を書くことの分担が出来て、その作業を「共作」と呼べるのかどうかは音楽的な知識がないのでまったく判断のしようがない。なので、この映画ではその疑惑を素人でも判断できるように、佐村河内守がシンセサイザーを購入して作曲するシーンをラストに持ってきた。おお、作曲できるじゃん、とは一瞬おもったけど、でもこれ、ただの打ち込みだよなあ、とすぐさま冷静になる。これを持ってして、彼の非凡な作曲能力が示される訳ではなくて、ただただ、フツーに打ち込みをする姿が映し出されるだけなのですべてが微妙なままだった。

この森達也のドキュメンタリーは「佐村河内守を信じる」宣言をして、一緒に泥舟に乗って漕ぎ出しているような構成にはなっているので、ラストに佐村河内守が作曲をするシーンを持ってくることによって、どうだ、佐村河内守は白だろう、と訴えかけているような作りになっていた。しかし、森達也が云っている「ドキュメンタリーは嘘をつく」をすぐさま思い出した。ああ、これは確信犯だな、と。本当は、佐村河内守のことを白だなんてまったく考えてないと。それがエンドクレジット後の佐村河内守への問いかけにかいま見える。おお、そこがタイトルの『FAKE』なのか!

いやいや、とても面白い映画でした。

→森達也→佐村河内守→「FAKE」製作委員会/2016→ユーロスペース→★★★★

ホース・マネー

監督:ペドロ・コスタ
出演:ヴェントゥーラ、ヴィタリナ・ヴァレラ、ティト・フルタド、アントニオ・サントス
原題:Cavalo Dinheiro
制作:ポルトガル/2014
URL:http://www.cinematrix.jp/HorseMoney/
場所:ユーロスペース

昨年の山形国際ドキュメンタリー映画祭でこの映画を観たときは、立て続けに何本も映画を見て疲れていた所為か、その時の調子も悪かったのか、まるで映画の内容と同調したかのように生きているのか死んでいるのかわからないほどに朦朧となってしまって、ゾンビのような男が暗い廃虚を彷徨っているイメージしか記憶に残らなかった。

その雪辱戦として観た今回は体調も良く、周りには寝息を立ててぐっすり眠っている人もいる中でしっかりと映画を観ることができた。しかし、その内容を理解するには自分の知識の範囲内では到底無理で、元ポルトガル領の国カーボベルデからリスボンに移住してきた男ヴェントゥーラが、その死に際に自分の生きてきた過去と現在、そして未来をも彷徨い歩く姿を構図豊かなイメージの奔流として見せられただけとしか捉えようがなかった。

おそらく、ヴェントゥーラの妻ズルミラへの手紙のこととか、同じカーボベルデ出身の女ヴィタリナのことなどは記憶の迷路に迷い込んだ幻想として捉えるだけでも許してくれそうだけど、後半の多くを占める顔を黒く塗って鉄かぶとを被った兵隊とのまるでテレパシーのような会話はそれだけで済ませてしまうのはもったいないような気がする。でもそこを理解するには1974年にポルトガルで起きたカーネーション革命のことをもっと知らなければならないし、それがなければ最後に出てくるケースに入ったナイフの意味も理解することはできないような気がする。(途中にカーボベルデの音楽バンド、オス・トゥバロスの曲が流れるが、その曲名は「アルト・クテロ(高貴なナイフ)」だそうだ!)

http://creatorspark.info/musicmovie/26299
ここのインタビューを読むとペドロ・コスタはナイフのことさえ忘れている!
結局、映画なんてそう云うものなんでしょう。映画の解釈なんて、後付けで評論家がするもの。

イメージ豊かなこの映画はそれだけでも見るに値する映画ではあるけれど、ポルトガルの歴史を知らなければこの映画の本質を理解するには至らないので、自分の知識のなさを悔やむ結果に終わるだけだった。

→ペドロ・コスタ→ヴェントゥーラ→ポルトガル/2014→ユーロスペース→★★★☆

疑惑のチャンピオン

監督:スティーブン・フリアーズ
出演:ベン・フォスター、クリス・オダウド、ギョーム・カネ、ジェシー・プレモンス、リー・ペイス、ドゥニ・メノーシェ、エレイン・キャシディ、ダスティン・ホフマン
原題:The Program
制作:イギリス、フランス/2015
URL:http://movie-champion.com
場所:新宿明治安田生命ホール(試写会)

ちょうどタイラー・ハミルトンがダニエル コイルと書いた「シークレット・レース ツール・ド・フランスの知られざる内幕」(児島修訳、小学館文庫)を読んだばかりだから、ツール・ド・フランスを7連覇したランス・アームストロングを描いた『疑惑のチャンピオン』の公開はとてもタイミングが良かった。ベン・フォスターが演じるランス・アームストロングはいったいどんな感じに仕上がっているのか、はたしてタイラー・ハミルトンは出てくるのか、期待を込めて試写会に臨んだ。

「シークレット・レース ツール・ド・フランスの知られざる内幕」を読めば、ドーピングをやらなければまったく勝てない(勝てないどころか20位内にも入れない!)レースのシステムの中に放り込まれて、泣く泣くドーピングをやらなければならなくなる過程が痛いほど良くわかる。そのようなシステムの中でランス・アームストロングはミケーレ・フェラーリと云う怪しげな医師の協力を得て、一番頭良く立ち振る舞っただけだった。もしランス・アームストロングを責めるとすれば、悪賢く立ち振る舞ってレースで優勝して莫大な金を稼いだこともそうだけど、そう云ったことに手を染めざるを得なくなる状況をも同時に責めなければならないはずだ。

タイラー・ハミルトンは自分自身もドーピングに染まって行ってしまった当事者として、姑息な策略で他人を出し抜いてまでもレースの頂点を勝ち取ろうとするランス・アームストロングの人間性は非難していたけれども、彼もまたドーピング・システムの中に放り込まれてしまった被害者であることを一生懸命強調しようとしていたとおもう。「シークレット・レース ツール・ド・フランスの知られざる内幕」を読んでいて、内幕を暴いたルポルタージュであったとしても好印象を持ったのはその点があるからだった。

スティーブン・フリアーズの『疑惑のチャンピオン』は、短い時間でランス・アームストロングのドーピング疑惑を描かなければならない制約があるからだろうけど、彼もまた犠牲者であるとの配慮が少し欠けていたようにおもう。もちろんランス・アームストロングの過激な人間性を面白可笑しく描くことは映画として大切だ。でも、作り出された環境によってはどんな人間であったとしても誘惑に負けてしまう可能性があることを少しばかり加味して欲しかった。

シークレット・レース ツール・ド・フランスの知られざる内幕
タイラー・ハミルトン、ダニエル・コイル著
児島修訳
¥957
小学館文庫

→スティーブン・フリアーズ→ベン・フォスター→イギリス、フランス/2015→新宿明治安田生命ホール(試写会)→★★★

女性No.1

監督:ジョージ・スティーヴンス
出演:スペンサー・トレイシー、キャサリン・ヘプバーン、フェイ・ベインター、マイナー・ワトソン、レジナルド・オーウェン
原題:Woman of the Year
制作:アメリカ/1942
URL:
場所:シネマヴェーラ渋谷

スペンサー・トレイシーがキャサリン・ヘプバーンとはじめてコンビを組んだのがこの映画。

キャサリン・ヘプバーンの自伝「Me」を読むと『女性No.1』はスペンサー・トレイシーとキャサリン・ヘプバーンの二人にあてて書かれたものであることがわかる。『我は海の子』(1937)と『少年の町』(1938)で2年続けてアカデミー主演男優賞を受賞したスペンサー・トレイシーと『フィラデルフィア物語』(1940)が大ヒットしたキャサリン・ヘプバーンを組ませようと企画した映画だった。そして、そのキャサリン・ヘプバーンの自伝のスペンサー・トレイシーにあてた章を読むと「最初に共演したとき、私はすぐ思った。ああ、この人には抵抗できない。どうにもこうにも「抵抗できない」という感じだった。」と、すぐにスペンサー・トレイシーに夢中になったことが書かれてある。つまり、このあと25年もの関係が続くきっかけを作った映画でもあった。

そう考えてこの映画を見ると、最初は「へえ。おれたちふたりがうまくいくと思うかね? おれたち、かなり水と油じゃないかな」(自伝「Me」からスペンサー・トレイシーのキャサリン・ヘプバーンに対する最初の印象)だったのが次第に「ただ、これだけはいえると思う。もし私のことが好きでなかったら、彼は私のそばにいなかったろうということだ。」(同じく自伝からキャサリン・ヘプバーンのスペンサー・トレイシーに対する印象)に変わって行く過程が見えるような映画だった。ジョージ・スティーヴンスなのでちょっとメロドラマ調が鼻に付くのと、突然、家庭のことは何もできないキャサリン・ヘプバーンがスペンサー・トレイシーのために朝食を作ろうとしてハチャメチャになるマルクス・ブラザース風のコメディ調が入ったりと、いまいちバランスの悪い映画ではあるのだけれど、でも、二人の関係のはじまりを見る映画であることを考えると感慨深い映画ではあることは確かだった。

→ジョージ・スティーヴンス→スペンサー・トレイシー→アメリカ/1942→シネマヴェーラ渋谷谷→★★★☆

アダム氏とマダム

監督:ジョージ・キューカー
出演:スペンサー・トレイシー、キャサリン・ヘプバーン、ジュディ・ホリデイ、トム・イーウェル、デヴィッド・ウェイン
原題:Adam’s Rib
制作:アメリカ/1949
URL:
場所:シネマヴェーラ渋谷

スペンサー・トレイシーとキャサリン・ヘプバーンがコンビを組んだ映画は全部で9作品。

『女性No.1』Woman of the Year(1942、ジョージ・スティーヴンス監督)
『火の女』Keeper of the Flame(1942、ジョージ・キューカー監督)
『愛はなく』Without Love(1945、ハロルド・S・バックキット監督)
『大草原』The Sea of Grass(1947、エリア・カザン監督)
『愛の立候補宣言』State of the Union(1948、フランク・キャプラ監督)
『アダム氏とマダム』Adam’s Rib(1949、ジョージ・キューカー監督)
『パットとマイク』Pat and Mike(1952、ジョージ・キューカー監督)
『デスク・セット』Desk Set(1957、ウォルター・ラング監督)
『招かれざる客』Guess Who’s Coming to Dinner(1967、スタンリー・クレイマー監督)

この中で見たことがあるのは『愛の立候補宣言』『アダム氏とマダム』『招かれざる客』の3本だけ。もっと見たいけど、なかなか見ることのできない作品ばかりで、今回のシネマヴェーラ渋谷でのジョージ・キューカー特集上映でやっと『女性No.1』を観ることができることになった。出来ることなら『火の女』と『パットとマイク』も観たかったけど、たぶん、日本にプリントはないんだろうなあ。

で、『女性No.1』の併映と云うことで『アダム氏とマダム』を再見。やはりスペンサー・トレイシーとキャサリン・ヘプバーンのやりとりが楽しい! もうちょっとテンポがあったら良かったとおもうけど、それでも二人の魅力があふれんばかり。全9作品が収められたDVDのセットボックスとか出ないかなあ。買うのに。

この映画の脚本を書いたのは女優のルース・ゴードンだそうだ。そう、『ハロルドとモード 少年は虹を渡る』でバッド・コートと60歳以上離れたカップルを演じたあの女優だ!

→ジョージ・キューカー→スペンサー・トレイシー→アメリカ/1949→シネマヴェーラ渋谷谷→★★★☆

教授のおかしな妄想殺人

監督:ウディ・アレン
出演:エマ・ストーン、ホアキン・フェニックス、ジェイミー・ブラックリー、パーカー・ポージー、ソフィー・ヴォン・ヘイゼルバーグ、イーサン・フィリップス
原題:Irrational Man
制作:アメリカ/2015
URL:http://kyoju-mousou.com
場所:ユナイテッド・シネマウニクス南古谷

ウディ・アレンも80歳になって、はたして次の作品を撮ることができるのかどうかが心配になってくる歳だけれど、カンヌ映画祭では新作の『カフェ・ソサエティ』が上映されたのでひとまず安心。でも、もうカウントダウンになって来ているのは確かだ。

『教授のおかしな妄想殺人』はそのカウントダウンの一つとして観てしまったので、ロシアン・ルーレットや青酸カリに対して敏感に「死」そして「終了」を連想してしまったのだけれども、もともと神経症ぎみのウッディ・アレンにとっては自殺願望のある人物が出てくることは平常運転で、さしてそこにウディ・アレンの「遺書」的な映画として捉えることもなかった。とはいえ、主人公のホアキン・フェニックスにウディ・アレン自身が投影されていると考えると、80歳になってもコンスタントに映画を撮ることのできる恵まれた環境にありながらも生きる意味を見いだそうとしている姿に、そしてそれを求めるあまりに足をすくわれる不条理さに、またしてもウディ・アレンから教訓を得たような気がした。

これでエマ・ストーンとは連続して仕事をすることとなった。これもカウントダウンに関連しての話しになるけど、そんな若い女優にうつつを抜かさないで、最後にまたダイアン・キートンと仕事をしないかなあ。キャサリン・ヘップバーンがスペンサー・トレイシーと最後に一緒に仕事をしたみたいに。

→ウディ・アレン→エマ・ストーン→アメリカ/2015→ユナイテッド・シネマウニクス南古谷→★★★☆

満月の夜

監督:エリック・ロメール
出演:パスカル・オジェ、チェッキー・カリョ、ファブリス・ルキーニ、クリスチャン・バディム、ラズロ・サボ
原題:Les nuits de la pleine lune
制作:フランス/1984
URL:
場所:角川シネマ有楽町

エリック・ロメールの7本目は『緑の光線』に続いて相当に「めんどくさい女」が主人公の映画だった。でも今回は男たちも相当に「めんどくさい男」だし、主人公の「孤独」に対する考察にも納得できるものがあるし、全体的に当時の女と男の新しい在り方を提示しているような未来志向の映画にも見えたので、これはこれで充分に楽しめる映画になっていた。

今回の角川シネマ有楽町でのエリック・ロメール特集上映では8本の映画がかかり、そのうち『コレクションする女』を除いて7本の映画を観ることができた。どの映画も女と男の会話劇が中心となっているけど、そのバリエーションが驚くほど豊富で、それぞれが同じ傾向の映画にはまったく見えない。スタイリッシュで舌鋒鋭い『モード家の一夜』からゆるーい『レネットとミラベル 四つの冒険』まで、映画の最適な尺(と自分はおもっている!)である1時間30分から40分で楽しめるこれらエリック・ロメールの映画群をずっと観ていたい衝動に駆られる。もっと、DVDやBlu-rayのソフト化をしてくれないかな。

→エリック・ロメール→パスカル・オジェ→フランス/1984→角川シネマ有楽町→★★★☆