チリの闘い 第ニ部:クーデター

監督:パトリシオ・グスマン
出演:サルバドール・アジェンデ
原題:La batalla de Chile
制作:チリ、フランス、キューバ/1976
URL:http://www.ivc-tokyo.co.jp/chile-tatakai/
場所:ユーロスペース

1973年6月29日、チリの軍部と反共勢力が首都サンティアゴの大統領官邸を襲撃する。『チリの闘い 第ニ部:クーデター』はここからはじまる。しかし、まだ時期尚早とみた将校が多かったためかこのクーデターは失敗に終わる。

この最初の小規模なクーデターからピノチェト将軍がCIAの全面的な支援の下にクーデターを起こすのが1973年9月11日。そのあいだの約2ヶ月間の動向がこの『第ニ部:クーデター』に描かれていて、すでに史実としてチリのクーデターが成功することを知っている我々は、この2ヶ月のあいだにアジェンデ大統領が反共勢力に対して何の手だても出来ないままにジリジリと追い込まれて行く様子を暗澹たる気持ちで見て行くことになってしまう。それもはじめのころにはピノチェト将軍がアジェンデ大統領側の要人として加わっていたりするものだから、ますます大統領側の情報収集能力の乏しさに陰鬱な気持ちでもって映画を観ていかなければならない。

ソビエト連邦を代表とする社会主義国家は、社会主義体制を維持して行くための秘密警察が発達してしまって、民衆のための社会主義国家と云うよりも恐怖政治で民衆を従わせようとする全体主義国家のような様相を呈してしまったところが一番の問題だったのだけれども、でも、アジェンデのようにあまりにも社会主義の理想を追い求めてしまうと、秘密警察とまでは行かないまでも様々な情報を収集する機関に予算をつぎ込むことが出来なくて、反共勢力に対する抵抗ができないままに簡単に転覆させられてしまう。

映画のラストに流れるアジェンデ大統領の辞世の句のような最後の演説はその理想に満ちあふれている。

このあと、コスタ=ガヴラス監督の『ミッシング』に描かれているとおりに、左派弾圧の恐怖政治がはじまることがわかっているので、この演説の「歴史は我々のものであり、人民がそれを作るのです」の部分はことさらに辛い。

→パトリシオ・グスマン→サルバドール・アジェンデ→チリ、フランス、キューバ/1975→ユーロスペース→★★★★

チリの闘い 第一部:ブルジョワジーの叛乱

監督:パトリシオ・グスマン
出演:サルバドール・アジェンデ
原題:La batalla de Chile
制作:チリ、フランス、キューバ/1975
URL:http://www.ivc-tokyo.co.jp/chile-tatakai/
場所:ユーロスペース

昨年の山形国際ドキュメンタリー映画祭の上映ラインナップに入っていたのに、全編で4時間23分と云う長尺(それにメイン会場ではないパイプイスの小屋)に恐れおののいて観ることをやめてしまって後悔していたパトリシオ・グスマン監督の『チリの闘い』が、おそらくいろいろな方面からの絶賛の声に後押しされたために、めでたくロードショー公開されたのでじっくりと吟味するためにもまずは第一部だけを観た。

1973年3月の総選挙からはじまる第一部は、アジェンデ大統領率いる左派の人民連合に投票するのか、キリスト教民主党と国民党の右派の野党に投票するのか、カメラが街に出てインタビューするところからはじまる。まずは公平性を期して、左派推しの人たちと右派推しの人たちを平等にインタビューするかたちで映画は進んで行くのだけれども、右派推しの人の自宅にカメラが入って行くと、調度品も立派な裕福な家の人であることがわかって来る。貧しい労働者は左派に、裕福な人たちは右派に投票する構図が見えてくる。

この選挙でアジェンデ大統領率いる人民連合は議席数を伸ばしはしたが、選挙以前にはアジェンデ支持だったキリスト教民主党が反アジェンデへと転向したために議会では議席数で劣勢に立たされて行く。そのために、与党の法案はことごとく否決され、物資が充分に民衆に行き渡らない経済悪化の状況を改善する手だてさえも頓挫するようになってしまう。

で、ここからがアメリカの関与が見え隠れしてくる。当時、第2のキューバが生まれることを危惧していたアメリカは、チリの社会主義政権をなんとかして倒そうとCIAを使っていろんな妨害を仕掛けてくる。キリスト教民主党が反アジェンデになったのも、右派にストライキやデモを行わせたのもアメリカ(CIA)の後押しらしいことが見えてくる。このことが『第一部:ブルジョワジーの叛乱』にはあますことなく記録されている。特に、銅山のストライキを行っているのは右派の一部の人間でしかないことを世間に解らせようと、左派の人たちの必死の姿が白黒のスクリーンいっぱいから溢れ出てくる。『第一部』のテーマは、労働者階級の人たちが必死にアジェンデ政権を擁護しようと走り回る姿だった。

いままでストライキと云えば労働者のものだと思っていたけれど、そのストライキを労働者たちを分裂させるための道具として使うなんてどこまで汚いんだCIA! と憤懣やる方ないおもいでまずは『第一部』を観終えた。

→パトリシオ・グスマン→サルバドール・アジェンデ→チリ、フランス、キューバ/1975→ユーロスペース→★★★★

ハドソン川の奇跡

監督:クリント・イーストウッド
出演:トム・ハンクス、アーロン・エッカート、ローラ・リニー、ヴァレリー・マハフェイ、デルフィ・ハリントン、マイク・オマリー、ジェイミー・シェリダン、アンナ・ガン、ホルト・マッキャラニー、アーメド・ルーカン
原題:Sully
制作:アメリカ/2016
URL:http://wwws.warnerbros.co.jp/hudson-kiseki/
場所:明治安田生命ホール(試写会)

2009年1月15日、ニューヨーク・ラガーディア空港発ノースカロライナ州シャーロット経由シアトル行きのUSエアウェイズ1549便は、離陸直後に大量の鳥の群れに遭遇し、左右のエンジンともに鳥を吸い込んだために停止してしまった。1549便のチェズレイ・サレンバーガー機長はラガーディア空港に引き返すのは時間的に困難と判断してハドソン川に不時着水した。この事件は乗客全員が助かったこともあって日本でもとても大きなニュースになった。

この有名な事件をクリント・イーストウッドは事実関係を正確に映画化していた。それはエンドクレジットに流れる実際の事故の映像を見ればよくわかる。映画本編の事故映像とそっくりだ。どっちがどっちだかわからないほどに瓜二つに見える。ただ、そこまで正確に映像化したのなら、とても細かいところが気になってしまう。

国家運輸安全委員会(NTSB)が事故調査をした時に、どちらかのエンジンがかろうじて動いていたことを示唆していたような気がする。その推力でもってラガーディア空港に引き返せたのになぜハドソン川に不時着水したのかと機長の責任を問うようなシーンがあった。でも、最終的な公聴会のような会議では、完全に両エンジンともにダメになったことを前提にエアバス社のシミュレーションが行われていた(ように見える)。それでもって、そのシミュレーション検証のあとに、海から引き上げたエンジンを調べたところ鳥によって完全に破壊されていたことがわかったとの報告がされる。ここが、おーそうだったのか! の感動的なシーンとなっている。

これは順序が逆なんじゃないのかなあ。

まずは海から引き上げたエンジンがどのような状態だったかを報告したあとで、それをもとにエアバス社のシミュレーションが行われるべきなんじゃないのかなあ。まさかあの瞬間に、リアルタイムに報告があがってきたのかなあ。

もちろんこの順序で描けば劇的な要素が失われてしまうわけだけれど。

と云うようなことを、一緒に試写会を観た人たちと酒を飲みながら、あーだこーだしゃべった。映画好きと、あーだこーだしゃべるのはやっぱり大切だ。

→クリント・イーストウッド→トム・ハンクス→アメリカ/2016→明治安田生命ホール(試写会)→★★★☆

グッバイ、サマー

監督:ミシェル・ゴンドリー
出演:アンジュ・ダルジャン、テオフィル・バケ、ディアーヌ・ベニエ、オドレイ・トトゥ、ジャナ・ビトゥネロバ
原題:Microbe et Gasoil
制作:フランス/2015
URL:http://www.transformer.co.jp/m/goodbyesummer/
場所:シネマカリテ

スパイク・ジョーンズの『マルコヴィッチの穴』を観たときに、なんだこりゃ! になった。俳優のジョン・マルコヴィッチを実名で出演させて、その頭の中に入ってしまうと云う奇想天外なストーリーをどうやったら考えつくんだろうと脚本を書いたチャーリー・カウフマンの自由奔放なアイデアに感嘆した。

そこからチャーリー・カウフマンを注目するようになって、ミシェル・ゴンドリー監督の『エターナル・サンシャイン』に行き着いた。(その前に『ヒューマン・ネイチュア』があったんだけどなぜか見逃した。)その『エターナル・サンシャイン』もまた奇抜なストーリーで、『マルコヴィッチの穴』と同じように先の読めない面白さがあって、ますますチャーリー・カウフマンのことが気になるようになってしまった。

このようにチャーリー・カウフマン繋がりでミシェル・ゴンドリーを追いかけるようになり、さらに彼の監督作『僕らのミライへ逆回転』をDVDで見たら、ゴンドリー自身の脚本ながらも絶対にチャーリー・カウフマンに影響を受けているだろうとおもわれる、なんだこりゃ! な映画で、2013年に作った『ムード・インディゴ うたかたの日々』もチャーリー・カウフマン的「なんだこりゃ!」度がますますアップしていた。

この『グッバイ、サマー』もストーリーを要約すれば、

クラスメイトからはちょっと浮いている14歳の少年“Microbe(チビ)”が「変わり者」の転校生“Gasoil(ガソリン)”と出会って、夏休みに親に内緒で二人で旅行をするうちにいろいろな体験をして、次第に自分の中にもある普通とは違う部分に自信を持つようになって行く。

と、ごく普通の青春友情ストーリーに見える。でもさすがはチャーリー・カウフマンを継承するミシェル・ゴンドリーだった。これをごく一般的な青春ドラマだけにはしなかった。外見はロブ・ライナーの『スタンド・バイ・ミー』のように見えつつも、ことごとく先の展開が読めなくて、次から次へと現れる登場人物たちにも主人公との関わり方にまったく意味を見い出せない。それでもトリックスターのような役割を持つ“Gasoil(ガソリン)”が作った「動く城」を駆って、奇妙なモンスターたちをなぎ倒して経験値を上げるがごとく、少年たちはひと夏の経験のあとに大人へと成長して行くのだ。

スパイク・ジョーンズ、チャーリー・カウフマン、ミシェル・ゴンドリーの作る世界はどこか共通していて、なぜか日本的な要素が入り込んでくることが多い。今回もコリアンタウンで働く風俗嬢が日本語を話すし、“Microbe(チビ)”はサムライ・カットにはなるし。ちょうどチャーリー・カウフマンが作った人形アニメーション『アノマリサ』で、日本のからくり人形のようなロボットが「桃太郎」を日本語で歌うのを見たばかりだから、また出た日本、とおもってしまった。そのような部分も確認しつつ、これからもこの3人の映画は追いかけて行きたいとおもう。

→ミシェル・ゴンドリー→アンジュ・ダルジャン→フランス/2015→シネマカリテ→★★★☆

イレブン・ミニッツ

監督:イエジー・スコリモフスキ
出演:リチャード・ドーマー、ボイチェフ・メツファルドフスキ、パウリナ・ハプコ、アンジェイ・ヒラ、ダビド・オグロドニク、アガタ・ブゼク、ピョートル・グロバツキ、アンナ・マリア・ブチェク、ヤン・ノビツキ、ウカシュ・シコラ、イフィ・ウデ、マテウシュ・コシチュキェビチ、グラジナ・ブウェンツカ=コルスカ、ヤヌシュ・ハビョル
原題:11 minut
制作:ポーランド、アイルランド/2015
URL:http://mermaidfilms.co.jp/11minutes/
場所:ヒューマントラストシネマ有楽町

イエジー・スコリモフスキの新作はたった11分間の群像劇。

さまざまな困難に遭遇する人たちのいくつものエピソードが折り重なって、時間を行きつ戻りつしながら、時にはエピソード同士がすれ違いながら語られる映画の群像劇がとても大好きだ。古くはエドマンド・グールディングの『グランド・ホテル』から、最近ではジョニー・トーの『奪命金』とか。

でも、イエジー・スコリモフスキはもうそんな使い古されたスタイルをそのまま持ってくるようなことはせずに、たった11分間の群像劇に挑戦した。17時から17時11分までに起きた主に次の7つのエピソードを平行させて描いて行く。

・映画監督と女優、そしてその夫
・ホットドック屋の親父とバイク便の息子
・窓拭きの男とポルノビデオを見せる女
・医者と妊婦と死にかけた男
・質屋に押し入る少年
・画家
・犬を連れて歩く女

それぞれのエピソードがたった11分間しかなくて、これらを同時平行で見せるためにさらに切り刻んで、その細かくなった断片をモザイクのように並べて見せて行くのは、まるでパケット化されたデータ通信のようだった。

この映画のエンドクレジット直前のイメージが、並べられた監視映像のモニターがどんどんと小さくなっていって、スクリーン狭しと無数に増えて行くのはまさにデジタル符号化のイメージだった。その右上にあったモニターの一つが黒く何も映っていなくて、そこはまさしく「ドット落ち」に見える。そこで、あっ! と気が付いた。それぞれのエピソードの中の何人かが空を指さして「あれは何だ?」と云う。カメラは何も映さない。でもそれは「ドット落ち」だったんじゃないのか? 転送ミスだったのだ。

見終わってから冷静に考えれば、それぞれのエピソードの時間的な整合性は取れていないとはおもうけれど、そのことはあまり関係ないような気がする。データ通信なわけだから。

→イエジー・スコリモフスキ→リチャード・ドーマー→ポーランド、アイルランド/2015→ヒューマントラストシネマ有楽町→★★★★

ヤング・アダルト・ニューヨーク

監督:ノア・バームバック
出演:ベン・スティラー、ナオミ・ワッツ、アダム・ドライバー、アマンダ・セイフライド、チャールズ・グローディン、アダム・ホロウィッツ
原題:While We’re Young
制作:アメリカ/2014
URL:http://www.youngadultny.com
場所:TOHOシネマズみゆき座

『イカとクジラ』や『フランシス・ハ』で夫婦、家族や友人関係を不思議な切り口できめ細やかに描いていたノア・バームバック監督の新作。

『ヤング・アダルト・ニューヨーク』は、最初に「子供を持つ」と云う価値観から二つの夫婦を対比させて描いていて、今回のノア・バームバックの視点はここか、とおもわせておいて、さらに若い夫婦が絡んできて、なるほどジェネレーション・ギャップも加えるのか、と徐々にいろんな要素が加わって行って、主としてベン・スティラーとナオミ・ワッツの中年夫婦とアダム・ドライバーとアマンダ・セイフライドの若い夫婦の関係がストーリーの核となって行く。でもそこから、著名なドキュメンタリー作家(チャールズ・グローディン)の娘(ナオミ・ワッツのこと)を妻にもらった自身もドキュメンタリー作家のベン・スティラーに、ドキュメンタリー作家として有名になろうと野心に燃えるアダム・ドライバーの若夫婦が巧く取り入っていたのだとわかると一気にサスペンス調になって、今までのノア・バームバックの映画にはない調子に変わって行く。

さらに、アダム・ドライバーが撮っているドキュメンタリー映画が「やらせ」であることが発覚すると、今度はドキュメンタリー作家としての倫理的な問題も絡んできて、やたらと要素がてんこ盛りの映画になって、この収拾はどうするんだろうと心配になってしまった。

でもそこはさすがにノア・バームバックだった。ドキュメンタリー映画は、扱う題材が引き立てば、どのようにアプローチするかは問題にならない、と著名なドキュメンタリー作家(チャールズ・グローディン)に云わしめる。これはつまり、夫婦関係も、友人関係も、その関係が良好であれば、そこには「やらせ」があっても良いんじゃないかとも受け取れる。子供なんてほんとうは嫌いなのに、素敵な夫婦関係を保つために子供好きを装うのだ。別に若々しく振る舞いたいわけではないけれど、そのようにしている自分が美しいからばんばるのだ。

で、ラスト、赤ちゃんを見つめるベン・スティラーとナオミ・ワッツ夫婦。ああやっぱり俺たちには、子供を儲けると云うアプローチ方法はいらないと。

→ノア・バームバック→ベン・スティラー→アメリカ/2014→TOHOシネマズみゆき座→★★★☆

シン・ゴジラ

監督:庵野秀明(総監督)、樋口真嗣(監督・特技監督)
出演:長谷川博己、竹野内豊、石原さとみ、高良健吾、大杉漣、柄本明、余貴美子、市川実日子、國村隼、平泉成、松尾諭、津田寛治、塚本晋也、高橋一生、岡本喜八、野村萬斎
制作:東宝映画、シネバザール/2016
URL:http://www.shin-godzilla.jp/index.html
場所:109シネマズ木場

あまりにも情報量が多いので、やはり、どうしても2回目に行かざるを得ない『シン・ゴジラ』。でも、2回も観たらアラばかりが気になって、まったくツマラナイ、なんてことになったらどうしよう、と云う杞憂も何のその、『シン・ゴジラ』の評価は変わらなかった。素晴らしかった。

もちろん評価の低い人たちの云っていることもよくわかる。この映画はただ単に、東京湾岸に現れた得体の知れない生物を日本の政府が如何にして対処したか、の映画でしかない。そこには主に日本の「政府」と云うシステムの中での段取りがものすごいスピードとテンポで描かれているだけであって、とても狭い範疇の中での、内に向いている映画でしかない。それに、あまりにも「庵野の映画」でしかなくて、自分のように庵野の掌の上で転がされるのが好きな人間ならまだしも、お前のプライベートな空間に付き合わされるのかよ、と鼻白んじゃう人もいるとおもう。どうやらこの映画はヱヴァンゲリヲンを作り続けるための庵野のリハビリ映画らしい!

それでも、誰もが共通の恐怖として東日本大震災の原発事故を経験しているから、その事故になぞらえてドキュメンタリー・タッチにしている『シン・ゴジラ』に対して、庵野もエヴァも知らない人でも面白さを見い出せるんだとおもう。もし、この一般的なポイントがなかったら、おそらく『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』みたな「なんじゃこれ」な映画になってしまって、ここまで普通の人に受け入れられなかったとおもう。

→庵野秀明、樋口真嗣→長谷川博己→東宝映画、シネバザール/2016→109シネマズ木場→★★★★

トランボ ハリウッドに最も嫌われた男

監督:ジェイ・ローチ
出演:ブライアン・クランストン、ダイアン・レイン、ヘレン・ミレン、マイケル・スタールバーグ、ルイス・C・K、エル・ファニング、ジョン・グッドマン、アドウェール・アキノエ=アグバエ、デビッド・ジェームズ・エリオット、アラン・テュディック、ジョン・ゲッツ、ダン・バッケダール、ロジャー・バート、メーガン・ウルフ、ミッチェル・ザコクス、ディーン・オゴーマン、クリスチャン・ベルケル
原題:Trumbo
制作:アメリカ/2015
URL:http://trumbo-movie.jp
場所:TOHOシネマズシャンテ

脚本家のダルトン・トランボが1940年代末から50年代のはじめにかけて行われた「赤狩り」で、ジョセフ・マッカーシー上院議員と非米活動委員会によって共産主義者と断定されて、「ハリウッド・テン」の一人としてハリウッドから干されたエピソードは断片的にいろいろと聞きかじってはいた。そのいわゆる「マッカーシズム」は、友人の名前を共産主義者として告発しなければいけなかったり、擁護してくれていた友人が途中から急に口を閉ざしてしまったりと、疎外される恐怖に陥った人間の弱さばかりが目立つような暗くて悲惨なイメージでしかなかった。でもダルトン・トランボは、70年代に入って名誉が回復されるまでに名前を変えていろいろな仕事をしていて、そのあいだには『ローマの休日』や『黒い牡牛』でアカデミー賞脚本賞を獲得してしまうと云うバイタリティあふれるエピソードが残っていて、このドロドロとした「赤狩り」の中に放り込まれた人間にしては茫洋としていて掴みどころのない人物像だった。

ジェイ・ローチの『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』は、そのぼんやりとした人物像を明確にしてくれた映画だった。

ダルトン・トランボの凄さは、現在の境遇に嘆かない、他人の所為にはしない、うしろを振り返らない、だった。普通の人間だったら、なんでオレばっかり、とか、あいつは汚ねえ、とか、あの時にああしておけば良かった、とか、不満や憎悪や未練がタラタラだ。でもダルトン・トランボにはそんなところが微塵もなく、どんなものでもすべてを受け入れて、そして現在の状況で出来る最大限のことをやろうと邁進できる特異まれなる性格の人間だった。(もちろんその人間としての特異さは、たとえば周りの家族にしわ寄せが行ってしまったりするのだけれど)そんな部分を自分と照らし合わせてしまうと、狡猾で、狭小で、他力本願な自分のことを反省しきり。あ〜あ、ダルトン・トランボのような人間になりたいけど、まあ、無理だ。

ハリウッドの裏幕ものとして実在の監督や俳優が出てくるのも面白かった。ジョン・ウェインは似てねえな、とか、カーク・ダグラスが小っちぇえ! とか、やっぱりキューブリックは描けねえな、とか、自分の中では大盛り上がり。そんな中でも、ダルトン・トランボを演じたブライアン・クランストンが素晴らしかったのはもちろんのこと、エドワード・G・ロビンソンを演じたマイケル・スタールバーグとオットー・ブレミンジャーを演じたクリスチャン・ベルケルも素晴らしかった。ヘッダ・ホッパーはもっともっと嫌みでいけ好かない女だったんじゃないのかなあ。ヘレン・ミレンじゃ上品すぎる!

→ジェイ・ローチ→ブライアン・クランストン→アメリカ/2015→TOHOシネマズシャンテ→★★★★

シン・ゴジラ(IMAX)

監督:庵野秀明(総監督)、樋口真嗣(監督・特技監督)
出演:長谷川博己、竹野内豊、石原さとみ、高良健吾、大杉漣、柄本明、余貴美子、市川実日子、國村隼、平泉成、松尾諭、津田寛治、塚本晋也、高橋一生、岡本喜八、野村萬斎
制作:東宝映画、シネバザール/2016
URL:http://www.shin-godzilla.jp/index.html
場所:ユナイテッド・シネマ浦和

この夏公開の映画の中で、特にTwitter界隈でダントツな人気を誇るのが『シン・ゴジラ』で、そのムーブメントは『パシフィック・リム』や『マッドマックス 怒りのデス・ロード』の時と同じような様相を呈して来ている。公開と同時に映画を絶賛するTweetが雨あられのように飛んできて、その絶賛クラブに加わらなければまるで人間であることを否定されているような気分にさせられて、否定的な意見を述べようものなら四方八方から集中砲火を浴びせられてコテンパンにやっつけられてしまいそうな、なんとも気持ち悪い状態になって来ている。

だから私も人間であることを維持するために、そのクラブに入るべく『シン・ゴジラ』を観に行った。

みなさんがおっしゃるようにめちゃくちゃ素晴らしかった。『パシフィック・リム』や『マッドマックス 怒りのデス・ロード』ではさすがに冷めてしまったわたくしでも、今回ばかりは最大限に同意しなければならない。やはり庵野秀明は凄い。

もちろん、あまりにも政府の意思決定プロセスを描くことに腐心するあまり人間が描けていないとか、あまりにも自作の「エヴァンゲリオン」を引用しすぎるとか、あまりにも「ヤシオリ作戦」がご都合主義で簡単に成功してしまうだとか、あまりにも石原さとみが惣流・アスカ・ラングレーのようなアニメキャラになっているとか、あまりにも石原さとみの英語が次期大統領を狙っているネイティブとしては酷いとか、あまりにも石原さとみのメイクが酷いとか、あまりにも石原さとみが……(以下略)。それぞれ指摘されている批判はごもっともです。

それでも、ハリウッドVFXに目が肥えている日本の人たちが納得する東宝怪獣映画とはどのようなものなのかを一つの答えとしてはっきりと導き出しているし、低予算であったとしてもハリウッド版ゴジラと遜色のない日本の特撮映画を作り上げているし、「ゴジラ」シリーズから見れば傍流の「ゴジラ」としてしか存在し得ないのかもしれないのだけれど、日本映画の歴史に名を残す特撮映画を作りあげたんじゃないかとおもう。

この「オタクと変人の集まり」の真摯な闘いにしか「日本特撮の申し子が作った日本特撮の神髄」がないのだとしても、そこには「わびしさ」よりも「よくやった!」の感想以外になかった。

→庵野秀明、樋口真嗣→長谷川博己→東宝映画、シネバザール/2016→ユナイテッド・シネマ浦和→★★★★

骨までしゃぶる

監督:加藤泰
出演:桜町弘子、久保菜穂子、宮園純子、桑原幸子、小島恵子、沢淑子、石井トミコ、三島雅夫、三原葉子、菅井きん、岡島艶子、夏八木勲、横山アウト、芦屋小雁、芦屋雁之助、汐路章、遠藤辰雄
制作:東映/1966
URL:
場所:フィルムセンター

加藤泰監督の仁侠映画『緋牡丹博徒 花札勝負』に惚れ込んでから、もっと彼の映画を見たいとおもっているのだけれど、全46本中、まだ10本程度しか見ることができていない。そんなことではいけないとおもい直し、今回のフィルムセンターの特集上映に駆け込んだ。

いやあ、凄い映画だった。加藤泰監督作品の特徴であるローアングルとクローズアップがこれでもかと多用されていて、主演女優の桜町弘子が不細工に見えてしまうほどの極端なカメラワークだった。さらに汐路章や三島雅夫の悪役連中もその近いカメラのために、汚さ、意地悪さ、気味悪さが爆発していて、州崎遊廓にうごめく人間模様が気持ち悪くもあり、あまりのデフォルメに笑ってしまうほどでもあり、そこに娼妓の哀しさ、わびしさも加わって、映画が見せる人間の大博覧会のような様相を呈していた。

加藤泰監督作品としては『緋牡丹博徒 花札勝負』『緋牡丹博徒 お竜参上』と同等の、いやそれ以上の出来栄えの映画だった。どんなタイプの映画であったとしても、画面から熱気が伝わってくる映画にはほんと脱帽する。

→加藤泰→桜町弘子→東映/1966→フィルムセンター→★★★★