死体を売る男

監督:ロバート・ワイズ
出演:ボリス・カーロフ、ベラ・ルゴシ、ヘンリー・ダニエル、エディス・アトウォーター、ラッセル・ウェイド、リタ・コーデイ、シャリン・モフェット、ドナ・リー
原題:The Body Snatcher
制作:アメリカ/1945
URL:
場所:シネマヴェーラ渋谷

ロバート・ワイズが撮った映画のラインナップを眺めてみるとあんがいと好きな映画が多いことに気が付く。『地球の静止する日』や『傷だらけの栄光』や『深く静かに潜航せよ』など。もちろん大作のミュージカル『ウエスト・サイド物語』や『サウンド・オブ・ミュージック』も。後期の『アンドロメダ…』や『ヒンデンブルグ』や『スタートレック』なども。なのに、好きな監督は? と聞かれて「ロバート・ワイズ」と答えることはまずない。ちょっと気取ってハワード・ホークスとかスタンリー・キューブリックの名前を挙げてしまう。本当は、SFも伝記映画も戦争映画もミュージカルも何でもこなせる職人監督こそが大好きなのに。

どんなジャンルの映画でもクオリティ高く撮ることのできるロバート・ワイズの職人芸は、監督としてのキャリアのはじまりに撮らされたB級プログラムピクチャーで培って行ったのだとおもう。それをこの監督三作目の『死体を売る男』で窺うことができる。新人の監督ながら、すでに怪奇映画でスターとなっていたとおもわれるフランケンシュタインのボリス・カーロフとドラキュラのベラ・ルゴシの二台巨頭を向こうに回して、二人の何とも奇妙な、不思議な対決をしっかりと演出している。もうすでに監督としての「ロバート・ワイズ」が確立してしまっている雰囲気さえある。もっと初期のロバート・ワイズを見なければ。特にボクシング映画の傑作と言われている『罠』を。

→ロバート・ワイズ→ボリス・カーロフ→アメリカ/1945→シネマヴェーラ渋谷→★★★

奇妙な幻影

監督:エドガー・G・ウルマー
出演:ジェームズ・ライドン、サリー・アイラース、ウォーレン・ウィリアム、レジス・トゥーミー
原題:Strange Illusion
制作:アメリカ/1945
URL:
場所:シネマヴェーラ渋谷

エドガー・G・ウルマーは「B級カルトの帝王」と呼ばれているらしい。まったく知らなかった。時間を経て名前の残った監督の映画にだけ目が行ってしまいがちだけど、低予算で大量に作られていた時代には、スタジオの量産システムが巧く機能していて、チープながらもキッチリとした映画が多いのに驚く。この『奇妙な幻影』も有名な俳優は一人も登場しないのに、特に女優のクオリティが酷い! とはおもうけど、ヒッチコックのようなサスペンスだけで86分を持たせてしまう。核心に迫るときのテンポがもうちょっとあったら良かったのだけれど。

→エドガー・G・ウルマー→ジェームズ・ライドン→アメリカ/1945→シネマヴェーラ渋谷→★★★

2013年10月28日。そのまま帰るのはもったいないので一泊して翌日また走ることに。
今回は、小松和彦の「京都魔界案内―出かけよう、「発見の旅」へ」を元に京都の魔界を巡ってみようと以下のコースに設定。

ホテルアルファ京都→矢田寺→神明神社→膏薬図子→松原道祖神神社→五条天神社→河原院跡→東寺→羅城門跡→神泉苑→朱雀門跡→北野天満宮→鵺大明神社→一条戻橋→晴明神社→白峰神社(鞠精大明神)→猿の辻→(「将軍の塔」に行こうとしたけどやっぱりあんな坂は無理だ!)→八坂神社→八坂の塔→三年坂→六道珍皇寺→京都駅

このコースを見ると立派な神社をたくさん巡っているように見えるけど、中には祠だけの神社もあるので探すのに四苦八苦。まあ、その探す行為自体が楽かったのだけれど。

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矢田寺。炎の中の矢田地蔵が見える。

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膏薬図子あたりの細い路地。iPhoneのGoogle Mapsでナビゲーションをすると勝手に細い路地をコースに選ぶのでそれが面白い。

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東寺。

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お昼は「餃子の王将」四条大宮店へ。ここが第一号店らしい。

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晴明神社の式神。


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2013年10月27日。青空文庫の打ち合わせのため京都へ。

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打ち合わせの前にちょこっと嵐山の渡月橋へ。

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渡月橋から桂川の左岸を遡ると観光客の誰もいない静かな場所があってそこで佇む。

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打ち合わせの場所である「さいりん館」を確認して、その前にお昼でも食べようとしたら近くに行列のがあったので思わず並んでしまう。1時間近くも並んだけど、いやいや、さすがに行列が出来るだけあって美味しかった。でも、打ち合わせの時間に間に合わなくなってしまったので、綺麗に写真を撮る時間がなかった。

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さいりん館。階段が急だ!

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夜はみんなと新風館にある「ask a giraffe」で食事。こっちはいたって普通のイタリアンだった。


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スティーブ・ジョブズ

監督:ジョシュア・マイケル・スターン
出演:アシュトン・カッチャー、ジョシュ・ギャッド、アマンダ・クルー、ダーモット・マローニー、マシュー・モディーン、J・K・シモンズ、ルーカス・ハース、ヴィクター・ラサック、エディ・ハッセル、ロン・エルダード、ネルソン・フランクリン、ジャイルズ・マッシー 、ジェームズ・ウッズ
原題:Jobs
制作:アメリカ/2013
URL:http://jobs.gaga.ne.jp
場所:東商ホール(試写会)

偉人の生涯を描く映画は、偉人だからこそエピソードが山ほどあるはずなのに、それを映画として2時間枠に納めなければならないので、選別し、簡潔にし、端折らざるを得なくて、めまぐるしいダイジェスト・ムービーになってしまう場合が多い。となると、どこを楽しむかと云えば、それをどれだけ巧くまとめあげてあるかの編集の妙だけになってしまう。この映画もその手の映画なわけで、まあ、とても奇麗に半生をまとめてあるとはおもうけど、ジョブズのエキセントリックな傍若無人ぶりが2時間枠の中にコンパクトにぴったりと納まってしまっている感じがジョブズっぽくないと云うか、「Think different」とは程遠いと云うか。

それに、養子である生い立ちとか、実母を慕う気持ちと捨てられた憎しみとの葛藤がほんのちょっとしか触れられていないので、おそらくそこから来ているであろうジョブズの性格描写に厚みがまったくないのも映画を平坦なものにしていると云うか。

とは云え、それらを補って余りある自分のAppleへのおもいが映画を面白くさせてしまっているんだけど。ジョブズとAppleがどのような歴史を歩んで来たのかすでに知っているのに、すべてのエピソードにわくわくさせられて、ビル・アトキンソンやジョン・スカリーやジョナサン・アイブなどを俳優が演技している姿に驚喜してしまう。

そして、映画を見終わった後にApple好きな人たちと、「Newton」がセリフとして出てきた! とか、なぜ「HyperCard」は言及されないとか、ああだこうだ語り合うのには最適の映画だった。

→ジョシュア・マイケル・スターン→アシュトン・カッチャー→アメリカ/2013→東商ホール(試写会)→★★★☆

一緒に来てた人たちがすべて帰ってしまって、孤独のシネマ。以下の4本

●足立正生『略称・連続射殺魔』(日本/1969)
審査員の一人、足立正生監督の作品。1968年から1969年にかけて「連続ピストル射殺事件」を起こした永山則夫が見たであろう景色を故郷の網走から逮捕された東京の地までを追いかけて行く。見ているうちに、なぜ彼は一つ場所に落ち着くことができなかったのだろうかと云う疑問に支配されるけど、この映画ではその理由を解題しないで、今から見れば汚れて雑然とした日本の町並みが延々と流れるだけなので、気持ちが次第によどんで行く。そう云った気分にさせられること自体がこの映画の狙いなのかなあ。

●亀井文夫『戰ふ兵隊』(日本/1939)
プロパガンダ映画を撮らせるつもりがプロレタリア映画になってしまって軍部によって処分されてしまった映画。見ながら木下恵介の『陸軍』をおもいだしていた。一方は廃棄処分、一方はかろうじて公開。その差はあんまりないのに。完全な形(オリジナルは80分、現存は66分)で見たかった。

●ルイス・ブニュエル『糧なき土地』(スペイン/1932)
スペインのポルトガル国境に近い山岳地帯「ラス・ウルデス」に住む貧しい人たちを記録した映画。ドキュメンタリー映画の一つのジャンルとして、文化人類学のフィールドワークを記録する分野があるんだけど、ロバート・フラハティやこのルイス・ブニュエルの映画が後の日本の民映研の映画に通じて行くんだなあと、山形国際ドキュメンタリー映画祭に通うようになってから3回目にしてやっと認識する。でも、この映画祭の大賞をロバート&フランシス・フラハティ賞としておきながら、その分野の映画があまりコンペに無いのはどうしてなんだろう。

●ディエゴ・グティエレス監督『家族のかけら』(オランダ、メキシコ/2012)
サラ・ポーリーの『物語る私たち』と同じように家族の歴史を記録したプライベートフィルム。サラ・ポーリーの映画に比べればオーソドックスな手法のドキュメンタリー映画だった。この二つの映画を見て、過去の映像が8mmフィルムなどで残っているような家族は、まあ、金持ちだなあと。ルイス・ブニュエルつながりで『忘れられた人々』をおもいだせば、メキシコシティでの貧富の差を憂うばかりの感想しかなくなってしまった。

今日の短編二本『戰ふ兵隊』『糧なき土地』を入れて3日間で合計10本となった。やっぱり映画祭の映画漬けは楽しくてやめられない。でも今回はジョシュア・オッペンハイマーの『殺人という行為』に集約されるなあ。どこの会場へ行っても引き合いに出されるほど衝撃的な映画だった。これでロバート&フランシス・フラハティ賞を取らないなんてことがあるんだろうか。

午前中は山形市の郊外をさらっと。大ノ越古墳や長谷堂合戦古戦場などへ。

エリジウム

そして以下の3本。

●サラ・ポーリー監督『物語る私たち』(カナダ/2012)
女優のサラ・ポーリーが自らの出自における隠された真実を探っていくプライベートフィルム。ドキュメンタリーにどこまで演出が許されるのかはよくわからない。個人的にはどこまででも許されるとはおもうけど。それがその題材を描く上で効果的ならば、たとえやらせや嘘であっても。この映画の、あっと驚くような真実が明かされるシーンの演出は巧かった。笑えた!

●キム・ドンリョン、パク・ギョンテ監督『蜘蛛の地』(韓国/2013)
韓国の米軍キャンプ近くの歓楽街で売春の行っていた3人の女性の現在をイメージショットを交えながら描く。昨日観たタイの『空低く 大地高し』ででも感じたことだけど、美しいイメージショットを挟む効果は何なんだろう?(フレデリック・ワイズマンの場合は小休止的な意味なのかな)多用すれば焦点がぼけるだけだとおもうんだけど。サラ・ポーリーの『物語る私たち』ではそんなショットを撮ることを笑いに変えていた。

●エヴァ・ヴィラ監督『ジプシー・バルセロナ』(スペイン/2012)
バルセロナのジプシー社会で親から子どもへと受け継がれて行くフラメンコの練習風景を追いかける。フラメンコのダンスシーンは圧巻だった。でもここでもドキュメンタリーっぽさと云うものを考えてしまう。ダンスシーンをカメラフィックスで撮るべきか、カットを割るべきか。いや、カットを割ってもいいんだけど、そしてそのほうが躍動感が出るんだけど、個人的には長回しが好きです。

そして最後に山形グランドホテルで、原一男、崔洋一、ヤン・ヨンヒ、入江悠の対談を辻よしなり司会で聞いた。ここでもドキュメンタリーと劇映画の境が話題になって、その境はとても曖昧だと云う意見でまとまりつつ、でも、原一男監督がはじめての劇映画『またの日の知華』を撮った時に桃井かおりから「俳優は指示してくれなければ動かないのよ」と云われていじめられたことを引き合いに出して、ドキュメンタリーの場合は被写体が動き出すまでずっと待つだけなので、その撮影方法に違いがあることを指摘していたところが面白かった。崔監督によれば、動いてくれる俳優もいるので、桃井かおりは特に意地悪なんだ、とは云っていたけど。

今年も山形にやって来て、まずは以下の3本。

●ノンタワット・ナムベンジャポン監督『空低く 大地高し』(タイ、カンボジア、フランス/2013)
タイの赤シャツ族と黄シャツ族の政治的な対立を語りながらも、映像はタイやカンボジアの農村部の人々のくらしや美しい自然をゆったりと追いかけて行く。政治的でありながらも叙情的であると云う、狙いであるんだろうけど、ちょっと中途半端な。

●羅興階(ルオ・シンジエ)、王秀齢(ワン・シウリン)監督『天からの贈り物 小林村の悲劇』(台湾/2013)
『天からの贈り物 小林村の悲劇』とあるけど原題は“A Gift from the Sky–The Tragedy of Hsiaolin Village, Part 2”とあるので、これはパート2だった。2009年の88災害で一瞬のうちに土石流に飲まれて400人もの死者を出した台湾の小林村の生き残った人々のその後を描く。それぞれの人間に焦点を当てながらも、台湾人の気質があぶり出てくる描き方は巧かった。ちょっと長く感じてしまったけど。

●ジョシュア・オッペンハイマー監督『殺人という行為』(デンマーク、インドネシア、ノルウェー、イギリス/2012)
インドネシア政府に雇われて共産主義者を大量に殺害したマフィアのボスに、実際に行われた殺人行為を映画化するように持ちかけるドキュメンタリー。ジョシュア・オッペンハイマーは、刑事罰に問われない大量殺人を行ったアンワル・コンゴと云うマフィアのボスに対して、その行為の異常性を精神面から自覚させるためにこのドキュメンタリーを作ったんだろうか。それにしてはその結果が復讐にまで到達してしまっているのがすごい。いつもおもうんだけど、ドキュメンタリーはフィクション映画以上に何でもありだ。

エリジウム

監督:ニール・ブロムカンプ
出演:マット・デイモン、ジョディ・フォスター、シャールト・コプリー、ヴァグネル・モーラ、アリシー・ブラガ、ディエゴ・ルナ、エマ・トレンブレイ、ウィリアム・フィクナー
原題:Elysium
制作:アメリカ/2013
URL:http://www.elysium-movie.jp
場所:109シネマズ木場

ニール・ブロムカンプ監督の前作『第9地区』は、クリーチャーのデザインが酷かったけれども、全体的なイメージやコンセプトはとても面白い映画だった。SF映画の魅力がイマジネーションの広がりとその視覚化であるとすれば、先日観た『クロニクル』のジョシュ・トランクもそうだけど、その担い手である若い才能が次々と生まれてくるハリウッドはうらやましいかぎりだ。どうして日本の実写はダメなんだろう。アニメーションでは次々と才能のある人が生まれて来ているのに。

このニール・ブロムカンプ監督の新作『エリジウム』も、身体にパワードスーツを埋め込んだマット・デイモンとドロイドが闘うシーンや同じくパワードスーツを着たシャールト・コプリーと対決するシーン、どんな不治の病も治療する再生装置やスペース・コロニー「エリジウム」のビジュアルなど、ひとつひとつの視覚効果が楽しくて、最後まで飽きずに観てしまう。ポール・バーホーベン監督の継承者とも云われるグロテスクな描写は相変わらず出てくるんだけども。

エリジウム

年末にはアルフォンソ・キュアロン監督の『ゼロ・グラビティ』も控えているし、今年はSF映画の当たり年だ。

→ニール・ブロムカンプ→マット・デイモン→アメリカ/2013→109シネマズ木場→★★★☆