廃虚のロビンソン

監督:パトリック・キーラー
ナレーション:ヴァネッサ・レッドグレイヴ
原題:Robinson in Ruins
制作:イギリス/2010
URL:http://www.athenee.net/culturalcenter/program/rob/robinson.html
場所:アテネ・フランセ文化センター

パトリック・キーラーと云うイギリスの映画作家を今回のアテネ・フランセ文化センターの「ロビンソン三部作」の公開で知り、ここ数年、山形国際ドキュメンタリー映画祭へ通い詰めた経験から、これはまた新しい切り口のドキュメンタリー映画ではないかとの臭覚が働いて、何がなんでも観たくなってしまった。

出来ることならば三部作の最初の『ロンドン』から観て、次に『空間のロビンソン』、そして最新作の『廃虚のロビンソン』とすべてを観たかったのだけれど、残念ながら時間がとれなくて最新作の『廃虚のロビンソン』しか観ることができなかったのがとても残念。

その唯一観ることのできた『廃虚のロビンソン』は、厳密な意味で云えばドキュメンタリー映画ではなかった。でも、今年の山形国際ドキュメンタリー映画祭で大賞を獲ったペドロ・コスタの『ホース・マネー』がドキュメンタリー映画ならばこれもドキュメンタリーと呼んでも良いとおもう。

パトリック・キーラーのスタイルは、自然の風景や建築物の映像にナレーションをかぶせると云う単純なもので、人物はほとんど出て来ないし、もちろんセリフもない。しかもその制作方法も変わっていて、まずは撮影と編集を済ませてから、その編集済みの映像を元にナレーション台本を起こし、ナレーターが声を吹き込むと云うものだった。

『廃虚のロビンソン』は、“ロビンソン”と云う人物が残したフィルムとノートを元に構成されている設定の映画だった。その内容は、“ロビンソン”がイギリス南部のオックスフォードシャー、バークシャーを旅しながら、過去にその土地で起きた農民と権力者との抗争を紹介しつつ、それを現在のグローバリズムが引き起こしている資本主義経済の問題点とを照らし合わせて行くと云うものだった。映し出されるイギリス南部の自然豊かな映像は、ナレーションが説明する人間の業との対称を際立たせ、パトリック・キーラーの説明するところの「風景を凝視すれば、その歴史的な出来事の分子的基礎があらわになるはずだ」を実践させていた。特に繰り返し映し出される地衣類の植物が印象的で、その地球上でもっとも寿命の長い生物が人間の引き起こしている因果応報をもすべて包み込んでしまっているかのような印象を受けてしまうところがとても面白かった。

上映後の佐藤元状(英文学者・映画研究者)さんと木内久美子(比較文学研究者)さんとのトークで、パトリック・キーラーはイギリスのドキュメンタリー作家、ハンフリー・ジェニングスの影響を受けているのではないかと『英国に聞け』(Listen to Britain、1941)が紹介された。それを観た感じではそんなに影響があるとはおもえなかったけど、『ロンドン』や『空間のロビンソン』も観ればまた印象が違うのかもしれない。どちらかかと云うと、今回のパトリック・キーラーの上映会のために用意されたパンフレット「時間のランドスケープス」に書いてあったようにクリス・マルケルの影響があるようにもおもえるし、自然の風景との対比ではテレンス・マリックをもちょっとおもい出してしまった。

→パトリック・キーラー→(ナレーション)ヴァネッサ・レッドグレイヴ→イギリス/2010→アテネ・フランセ文化センター→★★★☆