GODZILLA ゴジラ

監督:ギャレス・エドワーズ
出演:アーロン・テイラー=ジョンソン、渡辺謙、エリザベス・オルセン、ジュリエット・ビノシュ、サリー・ホーキンス、デヴィッド・ストラザーン、ブライアン・クランストン
原題:Godzilla
制作:アメリカ/2014
URL:http://www.godzilla-movie.jp
場所:109シネマズ木場

ハリウッド版「ゴジラ」がまたやって来た。前回のローランド・エメリッヒ版「ゴジラ」は、まるで『ジュラシックパーク』の延長線上のような恐竜映画で、「ゴジラ」と云える代物ではまったくなかった。で、今回はその反省もふまえて、日本の「ゴジラ」への敬愛の念を込めて作ってあるとの情報を得ての映画鑑賞だったけど、うーん、もちろんローランド・エメリッヒ版よりは断然良い。それは間違いない。でも、この映画の中の登場人物は、あまりにも活躍しなさすぎ。特にジュリエット・ビノシュやサリー・ホーキンスの女優陣の扱いが酷い。ジュリエット・ビノシュなんて出て来てすぐ死ぬだけ。そこにはいろいろと含みがあって、あとからジュリエット・ビノシュの死がストーリーに効いてくるのかとおもったら、それも全然なし。サリー・ホーキンスなんて渡辺謙のあとを追いかけてあたふたしているだけ。二人ともなんでこんな役を受けたんだろう。あまりにも酷いシナリオだ。

人間が描けていないから、反核のテーマも中途半端になって、そこから訴えるメッセージが何もない。あまりにも「ゴジラ」や「ムートー」を見せることに重きを置いてしまって、映画としてのバランスがとても悪い。

そんな「ゴジラ」や「ムートー」を見せることに腐心しているのに、クリーチャーデザインの酷さがさらに追い討ちをかける。「ゴジラ」なんて鴨川に打ち上がったオオサンショウウオのようだ。「ムートー」のデザインの適当さはエヴァンゲリオンの使徒のようだ。もっと「ラドン」に似せても良かったんじゃないかと。

オープニングシーンで、渡辺謙がヘリコプターから下りるシーンは、なんとなく『未知との遭遇』のフランソワ・トリュフォーをイメージさせて、芹沢博士=ラコーム博士なのか、と狂気したけど、どんどんと尻つぼみ。芹沢博士もおもわせぶりの発言をするだけで、まったく存在感なし。ああ、もっと人間を描いて欲しかった。

→ギャレス・エドワーズ→アーロン・テイラー=ジョンソン→アメリカ/2014→109シネマズ木場→★★☆

複製された男

監督:ドゥニ・ヴィルヌーヴ
出演:ジェイク・ギレンホール、メラニー・ロラン、サラ・ガドン、イザベラ・ロッセリーニ
原題:Enemy
制作:カナダ/2013
URL:http://fukusei-movie.com
場所:新宿シネマカリテ

ドゥニ・ヴィルヌーヴの映画は、WOWOWで見た『灼熱の魂』に衝撃を受けて、さらに今年になってから映画館で観た『プリズナーズ』もまた素晴らしくて、今年のベストワンに推しても良いくらいの映画だった。今後のドゥニ・ヴィルヌーヴは注目だぞ、とおもっていたら、早くも次回作がやって来た。

『複製された男』と云うタイトルからSF映画だと勝手に推測していた。映画のあたまからクローンの話しであるとおもいこんでストーリーを追っていたら、どんどんと辻褄が合わなくなって来て、ああ、これはクローンの話しじゃないな、と気が付いたのは映画も半ば過ぎ。そこから一人の男のイメージが錯綜しているストーリーとして映画を捉えてはみたものの、細かいところがはっきりとしないまま、最後に大きな蜘蛛が出て来て突然終わってしまった。

このままではもやもやとしたままだったので「町山智浩の映画ムダ話⑧ 『複製された男(ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督) 』」を200円払って聞いてしまった。(200円と云う値段付けが良い!)そうしたら細かいところまですべてが氷解。やっぱり町山さんは素晴らしい。

で、映画としてどうだったかと云われると、まあ、町山さんの云われるように類型の映画の域は出ないものの、でも、一人の男の内なる葛藤のイメージ化としては、ところどころにクローネンバーグやエゴヤンを見るようで、とてもカナダ的な乾いた殺伐さが自分にはとてもしっくりと来て気持ちよかった。なぜだかはわからないけど、トロント系の映画作家とはウマが合う。

→ドゥニ・ヴィルヌーヴ→ジェイク・ギレンホール→カナダ/2013→新宿シネマカリテ→★★★★

ジゴロ・イン・ニューヨーク

監督:ジョン・タートゥーロ
出演:ジョン・タートゥーロ、ウディ・アレン、バネッサ・パラディ、リーブ・シュレイバー、シャロン・ストーン、ソフィア・ベルガラ、ボブ・バラバン
原題:Fading Gigolo
制作:アメリカ/2013
URL:http://gigolo.gaga.ne.jp
場所:新宿武蔵野館

ストーリーの入り方はまるでウディ・アレンの映画のようだった。代々続いて来たブルックリンの本屋を潰してしまったウディ・アレンが、かかりつけの皮膚科の女医から「レズビアンのパートナーとのプレイに男を入れたい」と相談を持ちかけられる。ウディ・アレンは友人のジョン・タートゥーロをその男娼に仕立て上げるが、これがおもっていたよりも有閑マダムたちに人気となってしまって大成功。さあ、ここからが、旨い話は長く続かないのが世の常で、おもわぬ落とし穴にはまって転落へ向かってのドタバタがはじまって大騒動、となるのがウディ・アレンの映画で、軽快なテンポで笑わせてくれるのを期待するのが彼の映画だった。でも、ジョン・タートゥーロの映画はそうはならなかった。高名なラビの未亡人であるバネッサ・パラディを登場させて、厳格なユダヤ教徒であるがゆえのジョン・タートゥーロとの純愛へとストーリーは進んで行ってしまう。

となると、ウディ・アレンのキャラクターがウディ・アレンの映画に出てくるキャラクターそのものにしか見えないので、せかせかと動き回る道化のウディ・アレンは何のために存在しているのかまったくわからなくなってしまう。バネッサ・パラディに対してずっと想いを寄せているパトロール警官のリーブ・シュレイバーとのドタバタもウディ・アレンの映画ならば笑わせるポイントなんだろうけど、これがぽっかりと浮いてしまっていてまったく笑えない。そもそも笑う映画ではないのか? でもウディ・アレンの演技からすればウディ・アレンの映画のように笑いたいよなあ。それが笑えない苦しさ。なんとも中途半端な映画となってしまった。

→ジョン・タートゥーロ→ジョン・タートゥーロ→アメリカ/2013→新宿武蔵野館→★★★

南相馬の3日目は、相馬小高神社で行われる「野馬懸」を見て、浪江町の病院に努めている方の案内で、通行許可証のある車で浪江町の中へ。

野馬懸

野馬懸

野馬懸

野馬懸

野馬懸

請戸小学校
請戸小学校では、卒業式の最中に地震に会う。そして津波に飲み込まれる。生徒は全員退避して無事だったらしい。すべての時計は3時37分頃を指したまま。

請戸小学校

請戸の海岸
請戸の海岸。南に福島第一原子力発電所。

浪江町一望
浪江町の西病院から浪江町一望。

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福島県南相馬市の1日目は、国道6号線を自転車で南下。一般車両が通行止めのところまでを走った。人が誰も住んでいなくて、ところどころに除染作業をしている人だけの中を自転車で走っているなんて、どこをどう見ても変だけど、やっぱりそういう事態になっていることを肌で感じるのは大事だと感じた。空間線量は福島第一原発から約11Kmの「【相双地方】行津公会堂」で0.24マイクロシーベルト/時。

国道6号線

国道6号線沿い

国道6号線沿い

国道6号線
交通量はそれなりにあって、トラックやダンプが福島第一の方に向かって走って行く。

国道6号線沿いにあったお地蔵さん
国道6号線沿いにあったお地蔵さん

国道6号線一般車両通行止め


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ノア 約束の舟

監督:ダーレン・アロノフスキー
出演:ラッセル・クロウ、ジェニファー・コネリー、レイ・ウィンストン、ダグラス・ブース、エマ・ワトソン、ローガン・ラーマン、アンソニー・ホプキンス
原題:Noah
制作:アメリカ/2014
URL:http://www.noah-movie.jp
場所:新宿ミラノ2

キリスト教の信者でなくとも「ノアの方舟」のストーリーは知っている。子供のころに、絵本や雑誌だったか、それともテレビ番組だったかで、ノアが方舟に動物を乗せるイラストやアニメーションを見せられた気がする。おそらく日本では「ノアの方舟」は童話のような位置づけにあって、子供から大人まで誰もが知っているエピソードとなっている。その「ノアの方舟」の逸話を今になって、それもダーレン・アロノフスキーが聖書に基づいてしっかりと映画化してくれるのかと期待したら、これがどう見ても「指輪物語」のようなファンタジックな映画に仕上がっている。「ノアの方舟」の実際のストーリーってこんなものなのか? とネットを調べてみたら、どうやらダーレン・アロノフスキーは偽典でもある「エノク書」などからも逸話を引っ張ってきて、オールラウンドの「ノアの方舟」を作っちゃったらしい。まあ、それでも面白ければ何でもいい。ノアを魔法使いにしてしまってもいい。でも、それだけ無茶をやったのならば面白さを保証しなければ絶対にダメだ。だいたいラッセル・クロウをノアにキャスティングするってこと自体が間違ってるんじゃないのかなあ。

→ダーレン・アロノフスキー→ラッセル・クロウ→アメリカ/2014→新宿ミラノ2→★★☆

her/世界でひとつの彼女

監督:スパイク・ジョーンズ
出演:ホアキン・フェニックス、エイミー・アダムス、ルーニー・マーラ、オリヴィア・ワイルド、ポーシャ・ダブルデイ、スカーレット・ヨハンソン
原題:Her
制作:アメリカ/2013
URL:http://her.asmik-ace.co.jp
場所:109シネマズ川崎

『her/世界でひとつの彼女』に出て来るコンピュータのOS「OS1」は、すべてを会話によってオペレーションしてくれるOSで、最近のiPhoneの「Siri」やNTTドコモの「しゃべってコンシェル」のような疑似的対話ができるアプリケーションが人工知能によって進化して、それがOSに組み込まれて、まるで本当の秘書のような、コンシェルジュのような機能を持つこととなったOSだ。そのOSに恋をしてしまうと云うのがこの映画の基本的なストーリーラインだけど、おもったよりもそこに食い付くことが出来ず(それはオペレーターの声のスカーレット・ヨハンソンにウディ・アレンの『マッチポイント』を見てしまうためか!)、どちらかと云うと、どんどんと知識を蓄えてエスカレートして行く人工知能型OS「OS1」に注意が向いてしまう。

SF映画の中に出て来る人工生命体は暴走するものが多い。それが自由なネット空間に存在するのならばまだわからないでもないけど、ユーザーとOSとの間に介在するためだけの人工知能型エージェントが暴走する設定がイマイチよくわからない。どうしてシステム自体を再起動させる権限まで許して、さらに他のコンピュータと通信することのできる権限まで許してしまっているのか。そんなOSを作るソフトウェア開発会社があるとはおもえない。なんて細かいところに引っかかってしまったら、ものごとをデフォルメして映像化する映画なんて楽しめなくなってしまうので、そこは何とか気にしないようにしたけど、でも、そんな暴走して行くような無形のソフトウェアを愛するようになる男に感情移入をすることはまったく出来なかった。やはり2次元でもいいから、視覚で認識できるものありき、なんだろうか。

→スパイク・ジョーンズ→ホアキン・フェニックス→アメリカ/2013→109シネマズ川崎→★★★☆

渇き。

監督:中島哲也
出演:役所広司、小松菜奈、清水尋也、妻夫木聡、オダギリジョー、高杉真宙、二階堂ふみ、橋本愛、森川葵、黒沢あすか、青木崇高、國村隼、星野仁、康芳夫、中谷美紀
制作:「渇き。」製作委員会(ギャガ、リクリ、GyaO!)/2014
URL:http://kawaki.gaga.ne.jp
場所:T・ジョイ大泉

中島哲也の『嫌われ松子の一生』を観終わった後の後味の悪さは怒りを覚えるくらいだった。コテコテに盛った絵作りも鼻につくし、ミュージック・クリップのような前後の繋ぎを無視したモンタージュも大嫌いだった。ところが何となくもう一度見てみようと云う気が起きて、WOWOWだったかNHKBSだったか、で見たら、これがおもいのほか楽しめてしまった。おそらく中島哲也の過剰な絵作りはテレビの画面にぴったりと合っていたのかもしれない。

となると、『パコと魔法の絵本』(この映画はちょっと中途半端な……、)を挟んでその次の映画となる『告白』を映画館で観たらどんな感想を持つんだろうと楽しみになった。後味の悪さはおそらく『嫌われ松子の一生』と一緒で、やはり中島哲也特有の過剰なスタイルで攻めてくるとおもわれる映画を果たして面白く感じるんだろうかと映画館に足を運んでみたら、これが、めちゃくちゃに良かった。驚いたことに、後味の悪さを楽しむようになっていた。いつのまにか中島哲也のスタイルを受け入れる身体になっていたのだ。

今回の『渇き。』もやっていることは今までの映画とまったく同じだった。過剰に装飾されたイメージカットを細かく繋いで音楽と一緒に見せるだけの映画。ストーリーはあるけど、そんなものよりもイメージ重視の映画。純粋に映画として評価を下すのならば、おそらくダメな映画の部類に属するのだろうけど、でもこれがそんなに悪くない。面白い。映画なんて何でもありだから面白ければすべてが許される。

ただ、惜しかったのは、最後まで小松菜奈が演じている「藤島加奈子」と云う人物に焦点が合わないまま映画が終わってしまったことだった。「加奈子」の心の底に沈殿する感情の冷たさが映像として浮かび上がって来て、観ている我々が身震いするようなショットがワンシーンでもあれば良かったのに。

→中島哲也→役所広司→「渇き。」製作委員会(ギャガ、リクリ、GyaO!)/2014→T・ジョイ大泉→★★★★